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25話 ローズのドレス
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その見覚えのある女性がローズたちに気が付くと、颯爽と近づき、重い門扉を慣れた手つきで開けてくれた。
とても姿勢が良く、立ち姿も美しいピンクブロンドの髪色の女性は、笑顔を皆に向ける。
「アール、今日もご苦労様です。こちらのご令嬢は?」
「知り合いのご令嬢で、孤児院を視察したいと言うので、連れてきました。それから、こちらはジェフで、新しく入った使用人です。」
アーサーの弁には、王太子であることが微塵も感じられない。
この女性はアーサーのことを、本気で平民の使用人だと思っているようだ。
「あの、私はクレマリー伯爵家の長女、ローズ・クレマリーと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
「まあ、伯爵家のご令嬢だったのですね。ローズ様、挨拶が遅れてしまって申し訳ございません。私は、メイブリック男爵家の長女、スザンヌ・メイブリックと申します。」
ああ、やっぱりそうだ。
一度だけ、スザンヌに会ったことがある・・・
「皆さん、これから荷物を運ぶんですね。では、ローズ様は、園庭から子どもたちの様子をご覧いただきましょうか。あちらに椅子とテーブルがありますので、ご案内いたします。」
スザンヌは、慣れた調子でテキパキと話を進める。
アーサーたちは子どもたちの邪魔をしないように馬車を進め、ローズとスザンヌは、彼らと別れて園庭の木陰に作られた木製のテーブルセットの椅子に腰かけた。
ローズは、面と向かいあったスザンヌの顔を、懐かしい思いで眺めた。
初めてスザンヌと会ったのは、十六歳のデビュタント。
淡いピンクがかったブロンドの髪に、キラキラ輝く湖のような水色の瞳、整った目鼻立ちにピンク色の可愛らしい唇、そのとき着ていたドレスがふわりとした淡いピンク色のドレスだったから、まるで花の妖精が現れたのかと思った。
羽が生えていないかと、わざわざ背中を確かめたことを今でも覚えている。
その時は緊張して、他の令嬢の名前を憶えていなかったが、妖精のインパクトが強くて、スザンヌの名前は憶えていた。
だけど、会ったのはそれっきり。
舞踏会でもお茶会でも、彼女に会ったことがない。
一昨日の舞踏会にも彼女はいなかった・・・。
「ローズ様? どうされましたか?」
ぼーっと考え事をしているローズに、スザンヌが声をかける。
「あっ、すみません。少し考え事をしていました。ところで、私たち同い年ですし、私のことをローズと呼んでください。」
「えっ?よろしいのですか? では、私のこともスザンヌとお呼びください。」
「それから、堅苦しいので敬語でなくて結構ですわ。」
「ふふっ、それではそうさせていただきます。」
スザンヌは、まるで花が綻んだような笑顔を見せた。
・・・わあ・・・スザンヌの笑顔は、今も変わらず妖精みたい・・・
「あの・・・実は、今何を考えていたのかと言いますと・・・、デビュタントのときにスザンヌに会ったことを思い出していたんです。でも、あれから一度も会っていないなぁって・・・」
「ええ、私はお茶会にも舞踏会にも参加していませんからね。ここは王室の福祉事業ということもあって、王室主催の舞踏会の招待状は届けられるのですけど、まだ一度も参加したことがないのです。」
「それは、何故? あっ、不躾なことを聞いてしまってごめんなさい。」
うっかり踏み込んだ質問をしてしまったと思ったローズは謝罪したのだが、スザンヌはまったく気にしていないようで、淡々と理由を語り出した。
「いえ、お気になさらないで。父は領地をいただいていますが、とても小さな領地で、収穫物は領民が暮らすだけで精一杯の状態なのです。それなのに、社交に力を入れますと・・・、つまり、ドレスにかける費用がもったいないからですわ。そのお金があれば、もっと子どもたちのために使いたいですもの・・・。」
スザンヌは、ローズの問いに恥ずかしがることもなく、堂々と領地の経営状態まで話した。
「あの・・・、つまりそれって、私費を子どもたちのために使ってるってことですよね。予算が足りないのですか?」
王族が関わる事業なのに、お金が足りないとは・・・
「いえ、予算は十分にいただいています。でも、もっとそれ以上に子どもたちに何かしてあげたいじゃないですか。」
ああ、ここに天使がいる・・・
スザンヌは妖精じゃなくて、天使だった・・・。
「あっ、でも、このこと、アールには言わないでくださいね。実は、以前にも同じことを聞かれたので、答えてしまったんですけど・・・、どうも、私が言ったことが王宮内に伝わったようで、予算が増えたんです。」
予算が増えても、ドレスを買うお金を子どもたちのために使いたいとは・・・
どうりで、園庭で遊ぶ子どもたちが元気いっぱいで健康的で、服装も清潔なわけだ。
ローズは一人納得していた。
「先ほどローズは、デビュタントで私たちが会ったと話していましたが、私はすっかり忘れていました。覚えていなくてごめんなさい。」
「いえ、謝ってもらうようなことでは・・・」
なにせ、スザンヌが妖精みたいに美しかったから、ローズが勝手に覚えていただけなのだ。
「スザンヌが、とても美しかったから覚えていたのですわ。私が覚えていたのは、メリッサ嬢とスザンヌくらいです。」
「メリッサ嬢? あの方、とても美しいお顔ですものね。私も一目で覚えましたわ。でも、あの方・・・美しいのは顔だけですわ。」
ええっ?
スザンヌは、天使だけど・・・、辛辣な天使だった・・・。
だが、ローズはスザンヌと良い友人になれるような気がした。
「スザンヌ様、お茶をお持ちしました。」
髪を二つ括りの三つ編みにした少女が、二人分のお茶とお菓子をテーブルに置いた。
「ありがとう。この子はマーガレット、ここで育った女の子なんだけど、とても子どもたちに慕われていて面倒見も良い子なの。だから今年から職員として働いてもらっています。」
孤児院の子どもたちが、ここで暮らせるのは十三歳までで、十四歳の誕生日からは孤児院を出て別の場所で働かなければならない。
貴族の屋敷に住み込みの使用人として雇われたり、店で雇われることが多い。
今年からここで働いているということは、マーガレットは十四歳なのだろう。
「ウエーン、マーガレットー、ジムが僕をいじめてくるよー」
さっきまで泥遊びをしていた四歳くらいの男の子が、泣きながらバタバタと走ってマーガレットに突進してきた。
顔は涙と鼻水と泥でぐしょぐしょだ。
「あっ!」
男の子はローズのすぐそばで小石に躓き、座っていたローズのドレスのスカートにぶつかって、そのまま地面に転んでしまった。
男の子は膝を強く打ち、ますます大声で泣きだした。
ぶつかられたローズのスカートは、男の子の涙と鼻水と泥がべったりとへばりつき、おまけに泥の手形までついて、ひどい汚れようだ。
「まあ、どうしましょう。ローズ、ごめんなさい。」
スザンヌは謝ったが、ローズは気にすることもなく、椅子から降りて、泣いている男の子を抱き起こした。
「いいのいいの、気にしないで。坊や、大丈夫?」
男の子を見ると、膝を打ったときにすりむいたようで、土で汚れた膝から血が出ている。
「まあ、血が出ているわ。早く洗って手当をしてもらいましょうね。マーガレット、この子の手当をお願いね。」
「は、はい。ありがとうございます。」
マーガレットは急いで男の子を、この場から連れて行った。
この出来事の一部始終を、少し離れた場所からアーサーとジェフ、そして護衛の騎士たちが見ていた。
荷物を運び終わり、ローズたちがいる木陰まで行こうとしているところだった。
「ジェフ、お前の婚約者は、優しいのだな。」
「はい。ローズは、弱っている者に優しく、可愛いものが好きなのです。」
「弱っている者・・・、そういえば、ジェフは、体が弱くて寝たきりだったのだな・・・。ジェフが彼女にぞっこんなのは、そういうところからか・・・。」
アーサーは、ジェフがどうしてこんなにローズのことを愛しているのだろうと疑問に思っていたのだが、その理由がわかったような気がした。
「まあ、もう、お仕事終わったんですね。」
スザンヌがアーサーに声をかけた。
「はい。たった今、荷物を運び終わりました。」
「じゃあ、一緒にお茶をしましょう。マーガレットに手当が終わったらお茶とお菓子を持ってくるように言ってくるわね。」
「ああ、それは私がします。」
護衛の一人がそう言うと、「あ、私も一緒に行きます。」と、もう一人の護衛も一緒に建物に向かって歩き出した。
ジェフがローズのスカートの汚れに視線を向ける。
「ローズ様、私は簡単な染み抜きの方法を知っています。汚れは早く落とした方が良いので今すぐ、落としませんか?」
「えっ、そうよね。では、スザンヌ、ちょっと汚れを落してきます。」
ローズはジェフと一緒に施設内に入り、中にいた職員に訳を話して空き部屋に案内してもらった。
ジェフは職員からタオルを数枚受け取ると、椅子に座ったローズのスカートを少しめくり上げて、ポンポンと濡れタオルで汚れた部分をを叩きながら、慣れた手つきでシミを落していく。
めくられたスカートから覗く足が、なんだか恥ずかしいのだが、跪き真剣な顔で染み抜きをするジェフを見ていると、恥ずかしいなんて思ってはいけないような気がする。
それに、恋人にまるで使用人のようなことをさせてしまって、申し訳ない気持ちになるのだが、自分のためにここまでしてくれるジェフを、とても愛おしいと思う。
「ジェフ・・・、私のためにありがとう。」
「ローズが喜んでくれることが、俺の喜びだよ。」
ジェフはにっこりと微笑んだ。
染み抜きが終わり、ローズとジェフが園庭に出ると、アーサーが満面の笑みでスザンヌと話をしているのが見えた。
アーサーが、あんなに嬉しそうな顔をしているなんて、初めて見たような気がする。
スザンヌも天使の笑顔で、アーサーとのおしゃべりが楽しそうだ。
「あら、ローズ、シミはきれいに取れたのね。良かったわ。」
ローズに気が付いたスザンヌが、スカートを見て言う。
「はい。ジェフに教えてもらったので、なんとか染み抜きできました。」
使用人でさらに男性のジェフに、シミを落としてもらったとは言わない方が良さそうだと思い、ローズは小さな嘘をついた。
「さあ、二人ともお座りになって。もうすぐマーガレットが、お茶を持ってきてくれると思いますわ。」
ローズとジェフが椅子に座り、四人でテーブルを囲んだ。
たまたま、ジェフがアーサーの隣に座ったのだが、ローズは二人並んで座っている姿を見てハッとする。
こ、この二人・・・、ああ、な、なんて眩しいの・・・。
二人の背中から、キラキラと後光が差しているように見える。
もしイケメン大会をしたら、神様はどちらに軍配を上げるのかしら・・・
あっ、でも、私は絶対にジェフに軍配を上げるわ!
「ローズ様・・・」
空想に耽っていたローズは、アーサーに呼ばれて、はっと我に返る。
「あ、あの、何でしょうか?」
変なことを考えていたことが恥ずかしくて、ローズの顔がポッと赤くなる。
アーサーに見られていることが、さらに恥ずかしくて、避けるようにスザンヌに視線を移した。
ん? 今一瞬、スザンヌの顔が固くなったような気がしたけど・・・気のせい?
アーサーは、視線を逸らさずローズに話かける。
「さっき、子どもがぶつかって、ドレスが汚れたけど、ローズ様は子どものこと、怒らないのですか?」
何故そんなことを聞くのかしら?
ローズはアーサーの質問の意図がわからない。
「私は、これくらいのこと、気にしていません。子どもは元気なのが何よりですもの。」
「そうですか。それなら良かった。貴族令嬢の中には、ドレスを少し汚されただけで、激しく怒る人もいるので・・・、つい・・・」
アーサーが何か思い出したように話すと、「ああ、あのことですね。」とスザンヌが冷たく言い放った。
とても姿勢が良く、立ち姿も美しいピンクブロンドの髪色の女性は、笑顔を皆に向ける。
「アール、今日もご苦労様です。こちらのご令嬢は?」
「知り合いのご令嬢で、孤児院を視察したいと言うので、連れてきました。それから、こちらはジェフで、新しく入った使用人です。」
アーサーの弁には、王太子であることが微塵も感じられない。
この女性はアーサーのことを、本気で平民の使用人だと思っているようだ。
「あの、私はクレマリー伯爵家の長女、ローズ・クレマリーと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
「まあ、伯爵家のご令嬢だったのですね。ローズ様、挨拶が遅れてしまって申し訳ございません。私は、メイブリック男爵家の長女、スザンヌ・メイブリックと申します。」
ああ、やっぱりそうだ。
一度だけ、スザンヌに会ったことがある・・・
「皆さん、これから荷物を運ぶんですね。では、ローズ様は、園庭から子どもたちの様子をご覧いただきましょうか。あちらに椅子とテーブルがありますので、ご案内いたします。」
スザンヌは、慣れた調子でテキパキと話を進める。
アーサーたちは子どもたちの邪魔をしないように馬車を進め、ローズとスザンヌは、彼らと別れて園庭の木陰に作られた木製のテーブルセットの椅子に腰かけた。
ローズは、面と向かいあったスザンヌの顔を、懐かしい思いで眺めた。
初めてスザンヌと会ったのは、十六歳のデビュタント。
淡いピンクがかったブロンドの髪に、キラキラ輝く湖のような水色の瞳、整った目鼻立ちにピンク色の可愛らしい唇、そのとき着ていたドレスがふわりとした淡いピンク色のドレスだったから、まるで花の妖精が現れたのかと思った。
羽が生えていないかと、わざわざ背中を確かめたことを今でも覚えている。
その時は緊張して、他の令嬢の名前を憶えていなかったが、妖精のインパクトが強くて、スザンヌの名前は憶えていた。
だけど、会ったのはそれっきり。
舞踏会でもお茶会でも、彼女に会ったことがない。
一昨日の舞踏会にも彼女はいなかった・・・。
「ローズ様? どうされましたか?」
ぼーっと考え事をしているローズに、スザンヌが声をかける。
「あっ、すみません。少し考え事をしていました。ところで、私たち同い年ですし、私のことをローズと呼んでください。」
「えっ?よろしいのですか? では、私のこともスザンヌとお呼びください。」
「それから、堅苦しいので敬語でなくて結構ですわ。」
「ふふっ、それではそうさせていただきます。」
スザンヌは、まるで花が綻んだような笑顔を見せた。
・・・わあ・・・スザンヌの笑顔は、今も変わらず妖精みたい・・・
「あの・・・実は、今何を考えていたのかと言いますと・・・、デビュタントのときにスザンヌに会ったことを思い出していたんです。でも、あれから一度も会っていないなぁって・・・」
「ええ、私はお茶会にも舞踏会にも参加していませんからね。ここは王室の福祉事業ということもあって、王室主催の舞踏会の招待状は届けられるのですけど、まだ一度も参加したことがないのです。」
「それは、何故? あっ、不躾なことを聞いてしまってごめんなさい。」
うっかり踏み込んだ質問をしてしまったと思ったローズは謝罪したのだが、スザンヌはまったく気にしていないようで、淡々と理由を語り出した。
「いえ、お気になさらないで。父は領地をいただいていますが、とても小さな領地で、収穫物は領民が暮らすだけで精一杯の状態なのです。それなのに、社交に力を入れますと・・・、つまり、ドレスにかける費用がもったいないからですわ。そのお金があれば、もっと子どもたちのために使いたいですもの・・・。」
スザンヌは、ローズの問いに恥ずかしがることもなく、堂々と領地の経営状態まで話した。
「あの・・・、つまりそれって、私費を子どもたちのために使ってるってことですよね。予算が足りないのですか?」
王族が関わる事業なのに、お金が足りないとは・・・
「いえ、予算は十分にいただいています。でも、もっとそれ以上に子どもたちに何かしてあげたいじゃないですか。」
ああ、ここに天使がいる・・・
スザンヌは妖精じゃなくて、天使だった・・・。
「あっ、でも、このこと、アールには言わないでくださいね。実は、以前にも同じことを聞かれたので、答えてしまったんですけど・・・、どうも、私が言ったことが王宮内に伝わったようで、予算が増えたんです。」
予算が増えても、ドレスを買うお金を子どもたちのために使いたいとは・・・
どうりで、園庭で遊ぶ子どもたちが元気いっぱいで健康的で、服装も清潔なわけだ。
ローズは一人納得していた。
「先ほどローズは、デビュタントで私たちが会ったと話していましたが、私はすっかり忘れていました。覚えていなくてごめんなさい。」
「いえ、謝ってもらうようなことでは・・・」
なにせ、スザンヌが妖精みたいに美しかったから、ローズが勝手に覚えていただけなのだ。
「スザンヌが、とても美しかったから覚えていたのですわ。私が覚えていたのは、メリッサ嬢とスザンヌくらいです。」
「メリッサ嬢? あの方、とても美しいお顔ですものね。私も一目で覚えましたわ。でも、あの方・・・美しいのは顔だけですわ。」
ええっ?
スザンヌは、天使だけど・・・、辛辣な天使だった・・・。
だが、ローズはスザンヌと良い友人になれるような気がした。
「スザンヌ様、お茶をお持ちしました。」
髪を二つ括りの三つ編みにした少女が、二人分のお茶とお菓子をテーブルに置いた。
「ありがとう。この子はマーガレット、ここで育った女の子なんだけど、とても子どもたちに慕われていて面倒見も良い子なの。だから今年から職員として働いてもらっています。」
孤児院の子どもたちが、ここで暮らせるのは十三歳までで、十四歳の誕生日からは孤児院を出て別の場所で働かなければならない。
貴族の屋敷に住み込みの使用人として雇われたり、店で雇われることが多い。
今年からここで働いているということは、マーガレットは十四歳なのだろう。
「ウエーン、マーガレットー、ジムが僕をいじめてくるよー」
さっきまで泥遊びをしていた四歳くらいの男の子が、泣きながらバタバタと走ってマーガレットに突進してきた。
顔は涙と鼻水と泥でぐしょぐしょだ。
「あっ!」
男の子はローズのすぐそばで小石に躓き、座っていたローズのドレスのスカートにぶつかって、そのまま地面に転んでしまった。
男の子は膝を強く打ち、ますます大声で泣きだした。
ぶつかられたローズのスカートは、男の子の涙と鼻水と泥がべったりとへばりつき、おまけに泥の手形までついて、ひどい汚れようだ。
「まあ、どうしましょう。ローズ、ごめんなさい。」
スザンヌは謝ったが、ローズは気にすることもなく、椅子から降りて、泣いている男の子を抱き起こした。
「いいのいいの、気にしないで。坊や、大丈夫?」
男の子を見ると、膝を打ったときにすりむいたようで、土で汚れた膝から血が出ている。
「まあ、血が出ているわ。早く洗って手当をしてもらいましょうね。マーガレット、この子の手当をお願いね。」
「は、はい。ありがとうございます。」
マーガレットは急いで男の子を、この場から連れて行った。
この出来事の一部始終を、少し離れた場所からアーサーとジェフ、そして護衛の騎士たちが見ていた。
荷物を運び終わり、ローズたちがいる木陰まで行こうとしているところだった。
「ジェフ、お前の婚約者は、優しいのだな。」
「はい。ローズは、弱っている者に優しく、可愛いものが好きなのです。」
「弱っている者・・・、そういえば、ジェフは、体が弱くて寝たきりだったのだな・・・。ジェフが彼女にぞっこんなのは、そういうところからか・・・。」
アーサーは、ジェフがどうしてこんなにローズのことを愛しているのだろうと疑問に思っていたのだが、その理由がわかったような気がした。
「まあ、もう、お仕事終わったんですね。」
スザンヌがアーサーに声をかけた。
「はい。たった今、荷物を運び終わりました。」
「じゃあ、一緒にお茶をしましょう。マーガレットに手当が終わったらお茶とお菓子を持ってくるように言ってくるわね。」
「ああ、それは私がします。」
護衛の一人がそう言うと、「あ、私も一緒に行きます。」と、もう一人の護衛も一緒に建物に向かって歩き出した。
ジェフがローズのスカートの汚れに視線を向ける。
「ローズ様、私は簡単な染み抜きの方法を知っています。汚れは早く落とした方が良いので今すぐ、落としませんか?」
「えっ、そうよね。では、スザンヌ、ちょっと汚れを落してきます。」
ローズはジェフと一緒に施設内に入り、中にいた職員に訳を話して空き部屋に案内してもらった。
ジェフは職員からタオルを数枚受け取ると、椅子に座ったローズのスカートを少しめくり上げて、ポンポンと濡れタオルで汚れた部分をを叩きながら、慣れた手つきでシミを落していく。
めくられたスカートから覗く足が、なんだか恥ずかしいのだが、跪き真剣な顔で染み抜きをするジェフを見ていると、恥ずかしいなんて思ってはいけないような気がする。
それに、恋人にまるで使用人のようなことをさせてしまって、申し訳ない気持ちになるのだが、自分のためにここまでしてくれるジェフを、とても愛おしいと思う。
「ジェフ・・・、私のためにありがとう。」
「ローズが喜んでくれることが、俺の喜びだよ。」
ジェフはにっこりと微笑んだ。
染み抜きが終わり、ローズとジェフが園庭に出ると、アーサーが満面の笑みでスザンヌと話をしているのが見えた。
アーサーが、あんなに嬉しそうな顔をしているなんて、初めて見たような気がする。
スザンヌも天使の笑顔で、アーサーとのおしゃべりが楽しそうだ。
「あら、ローズ、シミはきれいに取れたのね。良かったわ。」
ローズに気が付いたスザンヌが、スカートを見て言う。
「はい。ジェフに教えてもらったので、なんとか染み抜きできました。」
使用人でさらに男性のジェフに、シミを落としてもらったとは言わない方が良さそうだと思い、ローズは小さな嘘をついた。
「さあ、二人ともお座りになって。もうすぐマーガレットが、お茶を持ってきてくれると思いますわ。」
ローズとジェフが椅子に座り、四人でテーブルを囲んだ。
たまたま、ジェフがアーサーの隣に座ったのだが、ローズは二人並んで座っている姿を見てハッとする。
こ、この二人・・・、ああ、な、なんて眩しいの・・・。
二人の背中から、キラキラと後光が差しているように見える。
もしイケメン大会をしたら、神様はどちらに軍配を上げるのかしら・・・
あっ、でも、私は絶対にジェフに軍配を上げるわ!
「ローズ様・・・」
空想に耽っていたローズは、アーサーに呼ばれて、はっと我に返る。
「あ、あの、何でしょうか?」
変なことを考えていたことが恥ずかしくて、ローズの顔がポッと赤くなる。
アーサーに見られていることが、さらに恥ずかしくて、避けるようにスザンヌに視線を移した。
ん? 今一瞬、スザンヌの顔が固くなったような気がしたけど・・・気のせい?
アーサーは、視線を逸らさずローズに話かける。
「さっき、子どもがぶつかって、ドレスが汚れたけど、ローズ様は子どものこと、怒らないのですか?」
何故そんなことを聞くのかしら?
ローズはアーサーの質問の意図がわからない。
「私は、これくらいのこと、気にしていません。子どもは元気なのが何よりですもの。」
「そうですか。それなら良かった。貴族令嬢の中には、ドレスを少し汚されただけで、激しく怒る人もいるので・・・、つい・・・」
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