いたずら妖狐の目付け役 ~京都もふもふあやかし譚

ススキ荻経

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第二章

吉田山の泥棒狐 5

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 紬は驚きの声を上げて後ろを振り返る。全身の毛を逆立てた千綾の体は瞬く間に膨れ上がり、黒豹と見紛うほどの大きさになった。「シャーッ!」と威嚇する千綾を前に、土蜘蛛は戸惑った様子で脚の動きを止める。だが、対峙する彼らの格の違いは明白で、千綾に勝ち目がないのは戦う前からはっきりしていた。

「ダメッ! あんな強い邪気にあてられたら、千綾までおかしくなっちゃう!」

 紬は動転して思わず引き返そうとする。しかし、

「よせっ! 自殺行為だ!」

と喬に腕を引っ張られ、阻止されてしまった。

「でもっ、私が土蜘蛛を祓わないと、千綾が……!」

 必死にもがく紬。喬の口調がはじめて厳しい叱責の色をはらんだのはその時だった。

「無理だっ! あきらめろっ!」

 非情な現実を突きつけられ、紬はガンッと頭を殴りつけられたような衝撃を覚える。そして、絶望的な気持ちで、千綾に襲いかかる土蜘蛛の動きを目で追った。
 次々に繰り出される土蜘蛛の脚。俊敏に敵の猛攻をかわす千綾――。しかし、すぐに千綾の動きは鈍くなってくる。よく見ると、千綾の体は少しずつ蜘蛛の糸に絡めとられているのだ。あれでは、千綾が捕まってしまうのは時間の問題だろう。

「じゃあ、どうしたらっ!?」

 紬は喬を振り返って声を荒らげる。それに対する喬の返事は早かった。

「鹿番に電話しろ! スピーカーモードで!」
「鹿番? あっ! そうか!」

 紬はピンときて、急いでスマホを取り出し、電話帳から鹿番の番号にすぐさま発信する。

(お願い……! 出て……!)

 紬は藁にも縋る思いで願った。と、その思いが通じたのか、数回の着信音の後、スピーカー越しに聞き覚えのある中年男性の声が聞こえてくる。

『はい。もしもし。鹿ケ谷です』
「鹿ケ谷さん! 緊急事態です!」

 紬は半ば叫ぶように言った。

『ど、どうしました?』

 当惑した声が返ってくる。紬はいよいよ土蜘蛛に捕らえられそうな千綾を見つめながら、早口にまくしたてた。

「私っ、今まさに、吉田山で敵の妖怪に襲われているんです! だから、神鹿に助けてほしいんですけど、どうすればいいですかっ!?」
『ええっ!? 吉田山で妖怪に襲われている!?』
「神鹿を呼ぶ方法があれば教えてください! 時間がありません!」
『わ、分かりました。ちょっと待ってください。こちらで鹿笛を鳴らしますので、スピーカーの音量を最大にしてもらえますか?』
「はい! 音量を上げました! 早く!」

 土蜘蛛の牙が千綾に迫る。
 刹那――。

 ビュイイーッ!! 

と甲高い笛の音が山中に響き渡った。
 土蜘蛛は何事かと顔をこちらに向け、ぴたりと動きを止める。
 笛の残響が消えると、周囲は再び静まり返り、時が止まったかのような錯覚に陥った。
 そんな動きのない世界に、ぽうっと神々しい光が灯ったのは突然のことだった。
 紬と土蜘蛛を隔てる空間にどこからともなく現れたそれは、みるみる大きくなり、次第に輪郭がはっきりしてくる。
 そうして露わになったのは、目を見張るほど美しい、日輪のように輝く一頭の牡鹿だった。

「し、神鹿……」 

 紬は息を呑む。牡鹿は優雅に枝角を振り立てると、自らの使命を理解しているかのような迷いのなさで土蜘蛛に突進した。
 牡鹿の角は土蜘蛛の胸部を深々と刺し貫き、眩い光がどす黒い霧を四散させる。
 ――決着はあっけなくついた。
 土蜘蛛は苦しそうに悶えながら、灰のように崩れて消えていく。神鹿もまた、なすべきことは果たしたと言わんばかりに高らかにひと声鳴き、そのまま虚空にすーっと溶けていった。
 周囲の邪気は薄れ、そこには糸でぐるぐる巻きにされた千綾だけが残される。その体は無傷で、邪気にも侵されていない。なんとか間に合ったようだ。

「はあっ……。ギ、ギリギリセーフ……」

 紬は脱力し、ぺたんとへたり込む。
 空が青い……。紬はしばし放心状態に陥った。
 それからややあって、

『……うまくいきましたか?』

 スマホから聞こえてきた声に、ハッと我に返った紬は、慌てて頭を下げ、心の底から感謝の意を表した。

「はい。おかげさまで助かりました……。鹿ケ谷さんは命の恩人です」
『ははっ。大袈裟ですよ。このくらいならいつでもご協力しますから、遠慮なくご連絡ください』

 鹿ケ谷の返事は軽い。その口ぶりからして、鹿ケ谷は、こちらがあんな恐ろしい大妖怪に追い詰められていたなどとはつゆとも思っていないようだ。無理もないだろう。紬自身でさえ、たった今起こったことが信じられないくらいなのだ。

「いや……。本当に危機一髪でした。ありがとうございます」
『いえいえ~。引き続きお仕事頑張ってください~』

 そんなやりとりを最後に、通話はあっさりと切れる。次に聞こえてきたのは、助けを求める千綾の声だった。
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