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動揺

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「な、なんれすの……?」

「俺にもくれ」

「え……?」

「それ。アンタの手に持ってるやつ」

 ミレールは不思議そうに指さされた瓶を持ち上げると、ノアがその瓶を隣から奪うように掴んだ。

「あっ……!」

 ノアはごくごくと水でも飲むように、ワインを一気飲みしてしまった。
 
「あ、あ……! わたくしの、ワイン……」

 その様子をミレールは信じられない思いで見ていた。ノアが自分の隣に座り、自分に話しかけている。
 それだけで胸がドキドキしていた。
 いつ振りだろう。
 こんな風にときめいたのは……
 まるで学生時代にでも戻った気分だった。
 もう一生、こんな思いを味わうことはないのだと、諦めていた。

「ん? なんだよ。ケチケチするなって。俺もむしゃくしゃしてたんだ……」

「れも……」

 ノアが自分の飲んでいたワインに口を付けて飲んだ。いわゆる間接キスだ。
 普段のミレールには口を聞くのも嫌そうにしていたノア。だからこそあのノアがそんな行動をしていることが信じられなかった。

「あんたはもう飲まないほうがいい。……だいぶ、酔っ払ってるみたいだしな」

 持っていた空の瓶をベンチの脇に置いて、隣に座っているミレールを見ている。

「ッ! ほっといて、くらさい……!」

「会場まで送ってやる。行くぞ」

「……いやれふ」

「はっ?」

「れすからっ、ほっといて、くらさい! まだ飲むんれす!あらただけ勝手に戻れば、どうれすか!」

 いつも冷たい口調であしらわれるのに、自分がミレールだとわからないからノアの対応がまったく違う。
 その現実がとても悲しくて、ミレールの瞳からポロポロと涙があふれてくる。

「お、おい……」

「ひっく、っ……ふっ、ぅ……」

「泣くなよ」
  
 隣で困ったように声をかけてくるノアに、ミレールは早くどこかへ行ってほしいと願う。
 優しくされることに慣れていない杏。
 ノアは騎士だから紳士的にしてくれているだけ。
 そう思うのだが、長年一人で家庭を支え放置され続けて、夫にも他人にも優しくされたことのない杏には、少しの優しさだけでも泣きたくなるほど心に刺さった。
 それが好意のある男性なら尚更だった。
 
「……ほら」

 しばらく泣いていたミレールに、ノアがまた話しかける。ちらりと横に顔を向けると、ノアがミレールにハンカチを差し出している。

「うっ、ふぅっ……!」
 
 ノアの見せる優しさに、今度こそミレールの涙腺が決壊した。

 本気で泣き出したミレールに、ノアは驚いた樣子で狼狽うろたえている。

「おい! ちょっと、どうしたんだ!?」

「ひっく、ひっ、ずみば、ぜん……」

「おいおい……」

「うっ、く……ありがと、ございばず」

 受け取ったハンカチで涙と鼻水を拭き、ぐしゃぐしゃになったハンカチを見てミレールは少し落ち着きを取り戻した。

「申し訳、ありま、せんわ……」

「いや」

「もう二度と、お会いすることも、ありませんが……いつか、必ず、お返ししますわ」
 
 思いっ切り泣いたせいか、だいぶ気持ちが晴れてきた。
 まだ頭はふわふわしていて酔いは完全に冷めていないが、少しだけ冷静さは取り戻してきた。

「もう会わないって、ずいぶんはっきり断言するんだな」

「本当れす、もの。ハァ……ですが、あなたが、どなたかくらいは、わかりますわ」

「へぇ……? 俺のこと知ってるのか?」

「えぇ、まぁ。黒髪は珍しい、れすから……」

「ま、そうだな」

 意外にもあっさりノアは自らの正体を認めた。
 最終的に仮面を外すのだから、ここでバラさなくてもいずれわかること。おそらくそう思ったのだろう。

「アンタは? ここらじゃ、見かけない感じだが……」

 自分のことを尋ねられ、ギクッとする。
 
「仮面舞踏会で、身元を訪ねるなど、マナー違反れすわ」

「そうか。それは無粋なことをしたな。ただ、アンタの声……、俺が知ってる奴に良く似てるんだよなぁ」

 ミレールはギクッと内心驚いたが、酔いもあり意外と冷静さを装えた。

「あら、イヤれすわ……。そのような口説き落としは、通用しませんわ」

「あ? いや、そういう訳じゃないんだが……」

「仕方ありませんわね。……わたくしのことはビアンカとでもお呼びくらさい」

「ビアンカ?」

「えぇ。偽名れすわ」

「はははっ、随分はっきり言うんだなっ!」

「それは、もちろん。仮面舞踏会れすから……」
 
 何を隠そうこの小説の仮面舞踏会とは、意気投合した相手と睦み合う場でもある。
 小説でもレイリンとマクレインのいた庭園の周りには、そのような描写が曖昧に書かれていた。
 互いに婚約者などいる者もいたが、この時をばかりは現実から逃れるため、羽目を外す輩が多い。
 
 月明かり照らす庭園に、ノアとミレールは見つめ合いながら距離を詰めていく。

「ではビアンカ。俺と一曲踊ってくれないか?」

「っ……」

「俺とは嫌か?」

「い、いえ……。ただ……」
  
 ミレールは隣に迫るノアを見つめながら狼狽うろたえる。
 
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