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1巻
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痛みと異物感に息を殺して耐えていると、ふいにノアの動きが止まった。
「ふぅ……全部、挿入ったぞ……」
「あっ……ぁ、ほん、と、に……?」
「あぁ。……わかる、だろ?」
耳元でそう囁くノアは緩やかに腰を動かし、奥まで繋がったミレールの身体をぎゅうっと抱きしめる。
「んっ!」
「はぁ……ナカ、やば、いな……悦、すぎだっ」
汗ばんだ熱い素肌と、力強く抱きしめてくる逞しい腕。
そしていつも威嚇するように話す声は色を含み、素直にミレールに欲望を伝えていた。
ミレールは久しぶりに好きな人と結ばれた喜びに感極まり、堰を切ったようにまた涙があふれた。
「ふっ……ぅ!」
「悪い、痛むか?」
痛いからだと勘違いしたのか、ノアはミレールを心配そうに見やる。
ミレールはふるふると首を横に振り微笑んだ。
「違い、ますわ。……嬉しくてっ」
「っ! あんま、可愛いことばかり言ってると、ひどく、しそう、だっ」
「ひど、く?」
潤んだ瞳でノアを見ていると、ノアはまたため息をつき、止めていた腰をゆっくり動かした。
「――んッ! んぁッ!」
わずかな痛みとともに、じわりと擦れる膣内がそれとは違う感覚を覚えている。
「く、ぅ、ダメだ……! キツッ……!」
切羽詰まるように眉を顰め、ミレールの身体を抱きしめながら苦悶の表情を浮かべる彼の姿は、ミレールの胸を締め付ける。
「もっと、動、いても、平気、か?」
「うご、く?」
「あぁ。あんたの、ナカ……最高に気持ちいいっ」
「ッ!」
汗を滲ませ辛そうに見下ろすノアの凛々しい顔が一際艶めいて映り、自分の身体で感じているのだと思うと、ミレールの気持ちがさらに高揚していく。
「わたくしも、もっと……貴方を、感じたい、です」
「――ッ! はっ……はは、初めてのくせに、言ってくれるな」
止めていた腰を性急に動かされ、ミレールはノアに揺さぶられるまま声をあげた。
「きゃあ! あっ、アッ! ……んっ、んッ! んッ!!」
室内にミレールの喘ぎがこだまする。どちらともつかない荒い呼吸音が響き、グチュグチュと蜜口を出入りする男根が淫らな音を響かせる。
「あ、ぅッ、んッ、ああッ!!」
痛みが際立っていた膣内がノアに擦られるたびに、違う感覚にすり替わっていく。
子宮が疼くようなじわじわした快楽がもっと欲しくなり、ミレールはノアの身体に縋り、動きに合わせて膣内を貪欲に締めていく。
「う、くっ……、俺のほうが、食われそうだっ」
「あん! あっ、あッ! アッ!!」
ノアが呻くように囁き、ミレールの耳朶に舌を這わせる。
「んんっ!」
耳を舐められると背中がゾクゾクと震える。舌が耳を擽るように動くとさらに官能が刺激され、ミレールは耐えきれずに出入りしている男根をさらにきゅうっと締めつけた。
「クッ! す、げぇ……!」
「やぁッ! ふ、ぁっ……、だ、めっ!」
ノアは限界が近づいているのか、腰の動きを速め、ミレールの膣内を抉るように攻める。
「も、う……持ちそうに、ない!」
上下に身体を揺さぶるノアは汗を流しながら、追い込みをかけているようだった。
「ノアっ! んッ……す、き……好きっ!!」
「あぁ、く、そっ!! ダメ、だ……!」
ベッドの軋む音と、二人の荒い呼吸とミレールの喘ぎ声、そして混じり合う局部の水音。
部屋にはそれしか響いていなかった。
「あっ、あッ、アッ!!」
「っ、イク、ぞっ……!」
一層膣内を穿つ動きが速くなり、ノアは白濁を放った。
「もっ……! あ、あっ! ――んんッ!」
挿入で味わう初めての絶頂と好きな相手と繋がれた悦びで、ミレールはノアにしがみつきながら身体を激しく痙攣させる。
ノアも体を震わせ、ミレールの腟内に熱い飛沫を注いだのだった。
◇◆◇
翌朝。
ガンガンと響く頭の痛みで、ミレールは目を覚ました。
頭痛に加え、体の痛みと気持ち悪さから、二日酔いだと気づく。ここまで酷く二日酔いの症状が表れるのは久しぶりだと、頭の片隅で思った。
ふと隣を見ると、穏やかな寝息を立てているノアの寝顔が目に入る。
(――え? ノ、ア……?? なぜ、ここに!?)
しばらく硬直したまま、ミレールはノアの寝顔を呆然と見ていた。
訳がわからず思考を巡らせて、そういえばと思い出し、ミレールは慌てて体を起こした。
「痛ッ……!」
腰と局部に鈍い痛みが走った。
そして秘部からは注がれた残滓がドロッと流れ出てくる。
「なっ? や、な、に……?」
受け入れ難い現実を思い出し、思わず心の声が漏れてしまった。
(え……? えッ!? えええぇぇッーー!! う、嘘ですわァァッッ!?)
二日酔いが吹き飛ぶほど驚き、ミレールは起き上がったまま頭を抱えた。
あれだけ酩酊していたのに、憎らしいほど記憶は鮮明だった。自分で服を脱ぎ、好きだと言いながら思い切りノアに甘えて、最後まできっちり抱いてもらった。
しかもそのあとも、長年の欲求不満と酒による酔いの勢いもあってか、二度三度と求められるまま抱かれてしまった。
(やって、しまいました……)
冷や汗がどっと流れ、隣で寝ているノアを恐る恐る見下ろす。
うつ伏せて寝ているノアの寝顔は無防備で、こんな状況なのだが、きゅんとときめいた。
艶やかな黒髪もキリッとした凛々しい顔立ちも目を奪われるくらい整っている。
特に均整のとれたしなやかで美しい身体はミレールの劣情を再び誘い、思わず触れたくなるほど魅力的だった。
(こんなに素敵な人なのに……なぜレイリンはノアを選ばなかったのかしら? 王太子殿下も素敵だけれど、彼はノアには敵いませんわ)
自分だったら誰よりもノアを愛して、大切にしてあげるのに。
そう思うのだが、何しろノアはミレールをたいそう嫌っている。
父親同士の仲もすこぶる悪い。ミレールの父親はノアの父親を見下している節があり、だから小説のミレールもノアのことを下に見ていた。
幼い頃から長年培われた関係性はどう修正してもやり直せるはずがなく、嫌われることはあっても、これ以上好かれることはないのだ。
しばらくの間、すやすやと眠るノアを、ミレールは切ない気持ちで眺めていた。
(ダメね……そろそろ行かなくては。ノアに見つかったら、彼がショックを受けてしまいますもの)
自分の髪色が金色から栗色に戻ってしまっている。薬が切れている証拠だ。
一夜を過ごした相手がミレールだと知ったら、ノアはショックを受けて激怒するだろう。
その姿を想像するだけでミレールの胸がズキズキと痛む。それに、ノアが自分を非難するように詰ってきたら、それだけでミレールの心は壊れてしまいそうだ。
お互いのためにならないと、ミレールは慌てて昨晩脱ぎ捨てたドレスを捜した。
すぐに見つかったそれは床に無造作に置かれており、ミレールは軋む身体をおしてゆっくりとベッドから立ち上がった。
なんとかドレスを拾い、急いで着る。コルセットは紐がすべて切られていたので諦めた。
背中の留具はとめられないので、悪戦苦闘しながら腕を後ろに伸ばし、限界までなんとか自分で留める。
「――おい」
「ひっ!!」
突然背後からかけられた声に驚き、体が大きく跳ねた。
怖くて振り向くこともできず、ノアに背を向けたまま、ミレールは盛大に冷や汗を流している。
「どこへ行くつもりだ?」
焦りと緊張で固まっているミレールに近づくノアの足音が聞こえてくる。
その足音と共に、ミレールの心臓もバクバクと嫌な音を立てて忙しなく動いていた。
「ッ!」
背後から抱き寄せられ、ビクッと体が震える。
「逃がすわけないだろ?」
「ぅ、っ」
まだノアはミレールだと気づいてないのか、裸のまま抱きしめている。
ミレールの体が、動揺と焦りでカタカタと震え出す。
「ん? あんたの髪、こんな色だったか?」
そこでミレールの変化に気づいたのか、ノアはミレールの体をくるっと向き直らせた。
とっさに顔を背けるが、ミレールの容貌がすべて隠れるわけではない。無駄な抵抗だとわかっていたが、そうせずにはいられなかった。
「なっ!?」
ノアは瑠璃色の目を大きく瞠っている。
そしてしばらくの沈黙のあと、静かな怒りを湛えるように冷然と笑った。
「――へぇ? どういうことか、説明してもらおうか?」
ミレールは今、人生最大の危機を迎えていた。
ミレールは休憩室にあるテーブルセットの一人掛けソファーに腰掛け、両膝に手を置き俯いている。その顔はすっかり青褪めていた。
「――で? これは一体、どういうことだ?」
衣類を身につけたノアは対面で腕を組んで椅子に座り、いつも以上に低い声で話す。そして同時に、責めるようにミレールを睨んでいた。
「ど……どう、とは……?」
「あんたがわざわざ変装までして、仮面舞踏会に出席していたのか、ってことを聞いているんだがなぁ……」
「っ!」
ミレールの背中を流れる冷や汗がさらに酷くなる。
ノアの声音には明らかに怒気が含まれており、にもかかわらず責められないことがむしろミレールは辛かった。
俯いているのに、ミレールはノアの視線を痛いほど感じていた。
(やはり、昨日と全然違いますわ。ノアはミレールのことを本当に嫌っていますもの……。これまでのことを考えれば仕方がないのだけれど、わたくしもこれまでのわたくしとは違いますから、この対応は辛いですわ)
泣きたくなる気持ちをぐっと抑え、ミレールは短く息を吐き、覚悟を決めて顔を上げた。
「ちょっとした余興でしたの。仮面舞踏会なのですから、少しは普段の自分と変わらなくてはつまらないでしょ?」
平気そうな口調で話したが、語尾がわずかに震えた。
ノアはミレールの言葉の意味を考えるようにしばらく黙し、話し始めた。
「……確かに。昨日のあんたは全くの別人だった」
凛々しい顔にある整った眉を不機嫌そうに寄せ、ノアは腕を組む。
ミレールは俯いたまま膝のスカートを握り締めた。
「だが、俺はあんたを抱いた。責任も取ると言った。その言葉に、偽りはない」
続けて話したノアの言葉にミレールは衝撃を受けた。
呆然として目を大きく見開き、考える前に言葉が先に出ていた。
「――いりませんわっ!!」
「はっ……?」
ものすごい剣幕で立ち上がったミレールは、対面のノアに向かって叫んだ。
「貴方は相変わらず阿呆ですわね! そんなもの、黙っていれば誰にもわかりませんわ! バカ正直に責任を取るなど……今後の人生を棒に振ってもよろしいのっ!?」
呼吸を荒らげ、捲し立てるようにミレールは話す。自分でも驚くほどスラスラと、言葉が口をついて出てきた。
その様子にノアは呆気にとられていたが、しばらくして話し始めた。
「言っとくが、あんたはもう王太子妃候補にはなれない。あれだけ殿下に固執し、俺を嫌っていたあんたがそんなことを言うとはな」
「それはもう……、諦めていますもの」
「だが、あんたは純潔を失った」
「だからなんだと言うの? そんなものなくても、生きていけますわ!」
わざと強気に言い放ったミレールに、ノアは驚愕の表情を浮かべた。
「は? いや……だから、嫁ぐ時に――」
「ハッ! それこそ余計なお世話ですわ! 貴方には関係ないことではなくって?」
「関係なくはないだろ。俺があんたの……」
「ですから、何度も申し上げていますわ! わたくしは気にしていませんし、貴方に責任も求めておりません! これ以上の話し合いは無意味ですわ!」
はぁっ、とさらに短く息を吐いたミレールは、不機嫌さを装いながらそう言い放ちノアから顔を背けた。
「しかし……未婚の男女が婚前交渉をした場合、必ず責任を取らなければならない」
驚きながらもミレールの話を聞いていたノアは、そう呟く。振り向いたミレールは、端整な顔を歪めて話すノアを見て、ズキリと胸の痛みを覚えた。
「貴方のその耳は飾りですの!? お互い黙っていれば誰にもわかりませんわ! ……それに、貴方はわたくしを嫌っているのでしょ? そんな男性のもとに嫁いでも、不幸になるだけですもの……お互いのためになりません」
ノアのことは好きだが、無理やり自分に縛りつけたいわけではない。それに昨日の彼の行動から察するに、ノアは少なからずレイリンに好意を寄せているのだろう。
しかし性格上、彼はこう言わざるを得ないのだ。誠実で責任感が強いノアは曲がったことをとても嫌う。
だがミレールは、そんな義務を理由に、強引に婚姻を結びたくなかった。
「いいこと!? 昨日は何もなかった! 貴方はわたくしに会っていない。触れてもいない! ……おわかり?」
ミレールの放った言葉を聞きながら、ノアは立ち上がったまま呆然とミレールを見る。
「とりあえず、わたくしは帰りますわ。御者を待たせたままですもの」
「いや、おいっ……!」
彼は引き止めるように手を伸ばしたが、ミレールは構わず扉に向かって歩いた。
「それでは、ごきげんよう」
扉のすぐ前で振り返り、ノアに向かってにこりと笑うと、ミレールは部屋をあとにした。
◇◆◇
王宮の馬車乗り場に向かい侯爵家の馬車を探すと、御者は車内で寝ていた。
ミレールのノックの音に気づき、御者は飛び起きる。
「ひぇっ! あっ……お、お嬢様!! ご、ご無事でしたか!?」
「えぇ。言ったでしょ? 朝まで帰らないと思うと」
「ですが……お嬢様にもしものことがあったら、私が旦那様にお叱りを受けますので!」
御者もミレールの父が怖いのか、馬車から降りると涙目でミレールを見つめた。
「お父様にはわたくしからきちんと説明いたしますわ。……ひとまず馬車を出してちょうだい。疲れているの」
「これは、失礼をっ! すぐに出発いたします!!」
ミレールは馬車に乗り込むと、ふかふかの背もたれに体を預けて一息ついた。
(はぁ……これからどうしましょう。ノアとあんなことになってしまって、これでは原作からだいぶ外れてしまいますわ……)
疲れた体を休ませながら、ボーッと窓の景色を見て昨夜の出来事を思い返す。
ノアは相手がミレールだと気づかなかったから、口調も柔らかく笑顔も見せてくれた。
体に触れてくる骨張った手は見た目に反してとても繊細で丁寧に動き、ミレールを見つめる瞳も優しさであふれていた。
騎士団で鍛えているだろう身体には綺麗に筋肉がつき、手足も長くてスタイルもとても良くて、あの身体に抱かれたのかと思うとそれだけで幸せな心地になれた。
(それにしても……昨日のノアは本当にすごかったですわ。腕っぷしも強いけれど、アッチのほうもとても強くて……)
そこまで考えて、恥ずかしさのあまり頬を赤らめ、バッと体を起こす。
「イタっ……!」
昨日酷使した秘所と腰がズキッと痛む。ミレールは腰を擦り、再び背もたれに背中を預けた。
(あんなこと、もうこれっきりですわ……おそらく今回でさらにノアに嫌われてしまいましたし、これ以上見ていることもできなくなってしまいました。ですが、これで良かったのかもしれません。どのみちノアはわたくしに、興味などないのですから……)
馬車に揺られながらエボルガー侯爵邸に着くまでの間、ミレールは抱いてもらえた喜びと決して振り向いてもらえない哀しみの狭間で揺れていた。
「ミレール! こんな時間に帰宅するとはっ! 一体何があったのだ!?」
侯爵邸に着いてすぐ、待ち構えていた父親――ギルバートにものすごい剣幕で問いただされる。
「そ、そのドレスはどうしたのだっ!? 背中が裂けているではないかっ!?」
兄が二人いるミレールは、末っ子で紅一点。
しかも、いい年のギルバートが毎日のように愛を囁き四六時中ベタベタしている母親と瓜二つ。そんな彼女を彼は目に入れても痛くないほど溺愛していた。
ギルバートは四十過ぎだが渋めのイケオジだ。ミレールと同じく栗色の髪に彫りの深い濃い顔立ち、瞳の色は緑色だが耳の形や眉の辺りはミレールと似ている。
「ただいま帰りましたわ、お父様。遅くなってしまって申し訳ありません。コルセットがキツくて途中で具合が悪くなってしまいましたの……ですから王宮の侍女にお願いして、コルセットの紐を切ってもらっただけですわ」
「しかし、そのような格好で……! 着替えも用意されなかったのか!?」
「いえ、着替えも勧められましたが、気分が悪すぎて動けなかったので断りましたの。部屋で休んでいたら寝てしまって、いつの間にか朝になっていたので慌てて帰宅したまでですわ」
にこりと笑うと、ギルバートのテンションはようやく下がったようだった。
「そうか……具合はもういいのか?」
「まだ少し、体が怠くて……お父様には申し訳ありませんが、少し横になってきてもよろしいかしら?」
「なにぃ!? まだ具合が悪いのか!? よしっ!!」
「きゃあっ! お、お父様!?」
ギルバートはミレールを勢いよく抱え上げ、そのままミレールの部屋へ走り出すのだった。
着替えと湯浴みを済ませ、自分の部屋のベッドで横たわったミレールは、忘れていた現実にこれからどうしようか頭を悩ませていた。
というのも、ミレールは王太子妃候補の一人として挙げられている。
そこにはもちろんヒロインで、伯爵家出身のレイリンも入っている。
これから行われるこの王太子妃候補者選抜は三ヶ月ほどかかるのだが、選抜といっても試験のようにテストを受けるわけではない。ただ王太子妃候補として半年間王宮で暮らすだけだ。
しかし、実際には試験官のような侍女や侍従が至る場所で目を光らせており、陰で採点されているのだ。
もちろん王宮で不祥事など起こそうものなら大幅に減点され、不祥事の種類によってはその場で失格となる。それに広く公表されれば家門の恥となりうる厳しいものだ。
(マズいですわ。非常に、マズいですわっ……!)
すでに王太子妃候補として登録されているミレールは、今さらながら頭を抱えていた。
書類はすでに受理されており、候補を取り消すことはできない。
(これは軌道修正しなければっ! ひとまず候補者として王宮に通いつつ、レイリンを引き立てるようにサポートすればどうにかなるかしら? どうせミレールは王太子妃には選ばれませんし、わたくしはこれから他の候補者がどう行動するかわかっています。レイリンの邪魔さえしなければ、最悪の未来は防げるはずですわっ!!)
なんとか身の振り方を見出したミレールは、ベッドからガバッと起き上がった。
「つぅっ!」
まだ腰と局部が痛む。しかしその痛みを不快だと思わず、むしろその事実が嬉しかった。なぜならノアと結ばれた痛みだからだ。
ミレールの部屋をザッと見渡すと、ドレッサーにテーブルセット、広い天蓋付きベッドに大きなクローゼットと豪華な家具が並ぶ中、一際目を惹くものがある。
それは壁に飾られているマクレインの姿絵だ。以前のミレールがマクレインに相当惚れこんでいた時に購入して、毎日拝むように見ていたもの。
(これも、もう……必要ないわね……)
そう思うのだが、なぜか心の奥底がチクリと痛んだ。
ミレールはベッドに座ったまま蟠る感情を持て余し、服の胸元をぎゅっと掴んだ。
この感情は以前のミレールの気持ちなのかもしれない。だが、杏がミレールに転生したと同時にマクレインへの恋心は綺麗さっぱり消えてしまった。
(ミレール……ごめんなさい。けれど、どう転んでも貴女が王太子殿下と結ばれる未来は存在しませんの。貴女のためにも、原作通りにならないようにわたくしがどうにかしてみせますわ)
ミレールは純粋にマクレインに好意を寄せていた。昔からマクレインのことが大好きで、マクレインがミレールの人生における全てだった。
杏だって振られたことくらいあるし、見ているだけで終わった恋もたくさんあった。だからミレールの気持ちは痛いほどわかる。
だけど好きだからといって、誰にでも想いが届くわけではないし、何をしてもいいわけでもないのだ。
これだけの美人にあれだけ好きだと言われても、マクレインが靡くことは一度もなかった。
ミレールは幼い頃からマクレイン一筋で、マクレインのもとに嫁ぐことだけを夢見ていた。
そうしてミレールはレイリンを陥れ、自分がマクレインの隣に立とうと目論んでしまった。
相手を想うがゆえの悪事。
もちろん元のミレールが悪い。だが、そう思うと彼女がとても憐れに思えるのだ。
ミレールはまたベッドに横たわり、マクレインの姿絵を見ながら物思いに耽る。
(貴女も、ままならなかったのね。お互い、想いが通じることはありませんが……せめて潔く原作の舞台から降りられるように、わたくしが貴女の分まで尽力いたしますわ)
昨日の疲れもあり、ミレールはベッドに横たわったまま意識を手放した。
それから何事もなく、数日が平和に過ぎていた。
しかし、事態はなんの前触れもなく一変した。
「ミレールっ!! これは一体どういうことだぁっ!!」
自分の部屋でお茶を飲んでいたミレールは、ギルバートがドアを蹴破りそうなものすごい勢いで乗りこんできたのを、びっくりしながら見つめた。
「お、お父様!? どうなさいましたの!?」
「旦那様!?」
ギルバートは息を切らしたまま目を血走らせ、ミレールにズカズカと迫る。
「オルノスの倅が、お前に求婚状を送りつけてきたのだっ!!」
「ふぅ……全部、挿入ったぞ……」
「あっ……ぁ、ほん、と、に……?」
「あぁ。……わかる、だろ?」
耳元でそう囁くノアは緩やかに腰を動かし、奥まで繋がったミレールの身体をぎゅうっと抱きしめる。
「んっ!」
「はぁ……ナカ、やば、いな……悦、すぎだっ」
汗ばんだ熱い素肌と、力強く抱きしめてくる逞しい腕。
そしていつも威嚇するように話す声は色を含み、素直にミレールに欲望を伝えていた。
ミレールは久しぶりに好きな人と結ばれた喜びに感極まり、堰を切ったようにまた涙があふれた。
「ふっ……ぅ!」
「悪い、痛むか?」
痛いからだと勘違いしたのか、ノアはミレールを心配そうに見やる。
ミレールはふるふると首を横に振り微笑んだ。
「違い、ますわ。……嬉しくてっ」
「っ! あんま、可愛いことばかり言ってると、ひどく、しそう、だっ」
「ひど、く?」
潤んだ瞳でノアを見ていると、ノアはまたため息をつき、止めていた腰をゆっくり動かした。
「――んッ! んぁッ!」
わずかな痛みとともに、じわりと擦れる膣内がそれとは違う感覚を覚えている。
「く、ぅ、ダメだ……! キツッ……!」
切羽詰まるように眉を顰め、ミレールの身体を抱きしめながら苦悶の表情を浮かべる彼の姿は、ミレールの胸を締め付ける。
「もっと、動、いても、平気、か?」
「うご、く?」
「あぁ。あんたの、ナカ……最高に気持ちいいっ」
「ッ!」
汗を滲ませ辛そうに見下ろすノアの凛々しい顔が一際艶めいて映り、自分の身体で感じているのだと思うと、ミレールの気持ちがさらに高揚していく。
「わたくしも、もっと……貴方を、感じたい、です」
「――ッ! はっ……はは、初めてのくせに、言ってくれるな」
止めていた腰を性急に動かされ、ミレールはノアに揺さぶられるまま声をあげた。
「きゃあ! あっ、アッ! ……んっ、んッ! んッ!!」
室内にミレールの喘ぎがこだまする。どちらともつかない荒い呼吸音が響き、グチュグチュと蜜口を出入りする男根が淫らな音を響かせる。
「あ、ぅッ、んッ、ああッ!!」
痛みが際立っていた膣内がノアに擦られるたびに、違う感覚にすり替わっていく。
子宮が疼くようなじわじわした快楽がもっと欲しくなり、ミレールはノアの身体に縋り、動きに合わせて膣内を貪欲に締めていく。
「う、くっ……、俺のほうが、食われそうだっ」
「あん! あっ、あッ! アッ!!」
ノアが呻くように囁き、ミレールの耳朶に舌を這わせる。
「んんっ!」
耳を舐められると背中がゾクゾクと震える。舌が耳を擽るように動くとさらに官能が刺激され、ミレールは耐えきれずに出入りしている男根をさらにきゅうっと締めつけた。
「クッ! す、げぇ……!」
「やぁッ! ふ、ぁっ……、だ、めっ!」
ノアは限界が近づいているのか、腰の動きを速め、ミレールの膣内を抉るように攻める。
「も、う……持ちそうに、ない!」
上下に身体を揺さぶるノアは汗を流しながら、追い込みをかけているようだった。
「ノアっ! んッ……す、き……好きっ!!」
「あぁ、く、そっ!! ダメ、だ……!」
ベッドの軋む音と、二人の荒い呼吸とミレールの喘ぎ声、そして混じり合う局部の水音。
部屋にはそれしか響いていなかった。
「あっ、あッ、アッ!!」
「っ、イク、ぞっ……!」
一層膣内を穿つ動きが速くなり、ノアは白濁を放った。
「もっ……! あ、あっ! ――んんッ!」
挿入で味わう初めての絶頂と好きな相手と繋がれた悦びで、ミレールはノアにしがみつきながら身体を激しく痙攣させる。
ノアも体を震わせ、ミレールの腟内に熱い飛沫を注いだのだった。
◇◆◇
翌朝。
ガンガンと響く頭の痛みで、ミレールは目を覚ました。
頭痛に加え、体の痛みと気持ち悪さから、二日酔いだと気づく。ここまで酷く二日酔いの症状が表れるのは久しぶりだと、頭の片隅で思った。
ふと隣を見ると、穏やかな寝息を立てているノアの寝顔が目に入る。
(――え? ノ、ア……?? なぜ、ここに!?)
しばらく硬直したまま、ミレールはノアの寝顔を呆然と見ていた。
訳がわからず思考を巡らせて、そういえばと思い出し、ミレールは慌てて体を起こした。
「痛ッ……!」
腰と局部に鈍い痛みが走った。
そして秘部からは注がれた残滓がドロッと流れ出てくる。
「なっ? や、な、に……?」
受け入れ難い現実を思い出し、思わず心の声が漏れてしまった。
(え……? えッ!? えええぇぇッーー!! う、嘘ですわァァッッ!?)
二日酔いが吹き飛ぶほど驚き、ミレールは起き上がったまま頭を抱えた。
あれだけ酩酊していたのに、憎らしいほど記憶は鮮明だった。自分で服を脱ぎ、好きだと言いながら思い切りノアに甘えて、最後まできっちり抱いてもらった。
しかもそのあとも、長年の欲求不満と酒による酔いの勢いもあってか、二度三度と求められるまま抱かれてしまった。
(やって、しまいました……)
冷や汗がどっと流れ、隣で寝ているノアを恐る恐る見下ろす。
うつ伏せて寝ているノアの寝顔は無防備で、こんな状況なのだが、きゅんとときめいた。
艶やかな黒髪もキリッとした凛々しい顔立ちも目を奪われるくらい整っている。
特に均整のとれたしなやかで美しい身体はミレールの劣情を再び誘い、思わず触れたくなるほど魅力的だった。
(こんなに素敵な人なのに……なぜレイリンはノアを選ばなかったのかしら? 王太子殿下も素敵だけれど、彼はノアには敵いませんわ)
自分だったら誰よりもノアを愛して、大切にしてあげるのに。
そう思うのだが、何しろノアはミレールをたいそう嫌っている。
父親同士の仲もすこぶる悪い。ミレールの父親はノアの父親を見下している節があり、だから小説のミレールもノアのことを下に見ていた。
幼い頃から長年培われた関係性はどう修正してもやり直せるはずがなく、嫌われることはあっても、これ以上好かれることはないのだ。
しばらくの間、すやすやと眠るノアを、ミレールは切ない気持ちで眺めていた。
(ダメね……そろそろ行かなくては。ノアに見つかったら、彼がショックを受けてしまいますもの)
自分の髪色が金色から栗色に戻ってしまっている。薬が切れている証拠だ。
一夜を過ごした相手がミレールだと知ったら、ノアはショックを受けて激怒するだろう。
その姿を想像するだけでミレールの胸がズキズキと痛む。それに、ノアが自分を非難するように詰ってきたら、それだけでミレールの心は壊れてしまいそうだ。
お互いのためにならないと、ミレールは慌てて昨晩脱ぎ捨てたドレスを捜した。
すぐに見つかったそれは床に無造作に置かれており、ミレールは軋む身体をおしてゆっくりとベッドから立ち上がった。
なんとかドレスを拾い、急いで着る。コルセットは紐がすべて切られていたので諦めた。
背中の留具はとめられないので、悪戦苦闘しながら腕を後ろに伸ばし、限界までなんとか自分で留める。
「――おい」
「ひっ!!」
突然背後からかけられた声に驚き、体が大きく跳ねた。
怖くて振り向くこともできず、ノアに背を向けたまま、ミレールは盛大に冷や汗を流している。
「どこへ行くつもりだ?」
焦りと緊張で固まっているミレールに近づくノアの足音が聞こえてくる。
その足音と共に、ミレールの心臓もバクバクと嫌な音を立てて忙しなく動いていた。
「ッ!」
背後から抱き寄せられ、ビクッと体が震える。
「逃がすわけないだろ?」
「ぅ、っ」
まだノアはミレールだと気づいてないのか、裸のまま抱きしめている。
ミレールの体が、動揺と焦りでカタカタと震え出す。
「ん? あんたの髪、こんな色だったか?」
そこでミレールの変化に気づいたのか、ノアはミレールの体をくるっと向き直らせた。
とっさに顔を背けるが、ミレールの容貌がすべて隠れるわけではない。無駄な抵抗だとわかっていたが、そうせずにはいられなかった。
「なっ!?」
ノアは瑠璃色の目を大きく瞠っている。
そしてしばらくの沈黙のあと、静かな怒りを湛えるように冷然と笑った。
「――へぇ? どういうことか、説明してもらおうか?」
ミレールは今、人生最大の危機を迎えていた。
ミレールは休憩室にあるテーブルセットの一人掛けソファーに腰掛け、両膝に手を置き俯いている。その顔はすっかり青褪めていた。
「――で? これは一体、どういうことだ?」
衣類を身につけたノアは対面で腕を組んで椅子に座り、いつも以上に低い声で話す。そして同時に、責めるようにミレールを睨んでいた。
「ど……どう、とは……?」
「あんたがわざわざ変装までして、仮面舞踏会に出席していたのか、ってことを聞いているんだがなぁ……」
「っ!」
ミレールの背中を流れる冷や汗がさらに酷くなる。
ノアの声音には明らかに怒気が含まれており、にもかかわらず責められないことがむしろミレールは辛かった。
俯いているのに、ミレールはノアの視線を痛いほど感じていた。
(やはり、昨日と全然違いますわ。ノアはミレールのことを本当に嫌っていますもの……。これまでのことを考えれば仕方がないのだけれど、わたくしもこれまでのわたくしとは違いますから、この対応は辛いですわ)
泣きたくなる気持ちをぐっと抑え、ミレールは短く息を吐き、覚悟を決めて顔を上げた。
「ちょっとした余興でしたの。仮面舞踏会なのですから、少しは普段の自分と変わらなくてはつまらないでしょ?」
平気そうな口調で話したが、語尾がわずかに震えた。
ノアはミレールの言葉の意味を考えるようにしばらく黙し、話し始めた。
「……確かに。昨日のあんたは全くの別人だった」
凛々しい顔にある整った眉を不機嫌そうに寄せ、ノアは腕を組む。
ミレールは俯いたまま膝のスカートを握り締めた。
「だが、俺はあんたを抱いた。責任も取ると言った。その言葉に、偽りはない」
続けて話したノアの言葉にミレールは衝撃を受けた。
呆然として目を大きく見開き、考える前に言葉が先に出ていた。
「――いりませんわっ!!」
「はっ……?」
ものすごい剣幕で立ち上がったミレールは、対面のノアに向かって叫んだ。
「貴方は相変わらず阿呆ですわね! そんなもの、黙っていれば誰にもわかりませんわ! バカ正直に責任を取るなど……今後の人生を棒に振ってもよろしいのっ!?」
呼吸を荒らげ、捲し立てるようにミレールは話す。自分でも驚くほどスラスラと、言葉が口をついて出てきた。
その様子にノアは呆気にとられていたが、しばらくして話し始めた。
「言っとくが、あんたはもう王太子妃候補にはなれない。あれだけ殿下に固執し、俺を嫌っていたあんたがそんなことを言うとはな」
「それはもう……、諦めていますもの」
「だが、あんたは純潔を失った」
「だからなんだと言うの? そんなものなくても、生きていけますわ!」
わざと強気に言い放ったミレールに、ノアは驚愕の表情を浮かべた。
「は? いや……だから、嫁ぐ時に――」
「ハッ! それこそ余計なお世話ですわ! 貴方には関係ないことではなくって?」
「関係なくはないだろ。俺があんたの……」
「ですから、何度も申し上げていますわ! わたくしは気にしていませんし、貴方に責任も求めておりません! これ以上の話し合いは無意味ですわ!」
はぁっ、とさらに短く息を吐いたミレールは、不機嫌さを装いながらそう言い放ちノアから顔を背けた。
「しかし……未婚の男女が婚前交渉をした場合、必ず責任を取らなければならない」
驚きながらもミレールの話を聞いていたノアは、そう呟く。振り向いたミレールは、端整な顔を歪めて話すノアを見て、ズキリと胸の痛みを覚えた。
「貴方のその耳は飾りですの!? お互い黙っていれば誰にもわかりませんわ! ……それに、貴方はわたくしを嫌っているのでしょ? そんな男性のもとに嫁いでも、不幸になるだけですもの……お互いのためになりません」
ノアのことは好きだが、無理やり自分に縛りつけたいわけではない。それに昨日の彼の行動から察するに、ノアは少なからずレイリンに好意を寄せているのだろう。
しかし性格上、彼はこう言わざるを得ないのだ。誠実で責任感が強いノアは曲がったことをとても嫌う。
だがミレールは、そんな義務を理由に、強引に婚姻を結びたくなかった。
「いいこと!? 昨日は何もなかった! 貴方はわたくしに会っていない。触れてもいない! ……おわかり?」
ミレールの放った言葉を聞きながら、ノアは立ち上がったまま呆然とミレールを見る。
「とりあえず、わたくしは帰りますわ。御者を待たせたままですもの」
「いや、おいっ……!」
彼は引き止めるように手を伸ばしたが、ミレールは構わず扉に向かって歩いた。
「それでは、ごきげんよう」
扉のすぐ前で振り返り、ノアに向かってにこりと笑うと、ミレールは部屋をあとにした。
◇◆◇
王宮の馬車乗り場に向かい侯爵家の馬車を探すと、御者は車内で寝ていた。
ミレールのノックの音に気づき、御者は飛び起きる。
「ひぇっ! あっ……お、お嬢様!! ご、ご無事でしたか!?」
「えぇ。言ったでしょ? 朝まで帰らないと思うと」
「ですが……お嬢様にもしものことがあったら、私が旦那様にお叱りを受けますので!」
御者もミレールの父が怖いのか、馬車から降りると涙目でミレールを見つめた。
「お父様にはわたくしからきちんと説明いたしますわ。……ひとまず馬車を出してちょうだい。疲れているの」
「これは、失礼をっ! すぐに出発いたします!!」
ミレールは馬車に乗り込むと、ふかふかの背もたれに体を預けて一息ついた。
(はぁ……これからどうしましょう。ノアとあんなことになってしまって、これでは原作からだいぶ外れてしまいますわ……)
疲れた体を休ませながら、ボーッと窓の景色を見て昨夜の出来事を思い返す。
ノアは相手がミレールだと気づかなかったから、口調も柔らかく笑顔も見せてくれた。
体に触れてくる骨張った手は見た目に反してとても繊細で丁寧に動き、ミレールを見つめる瞳も優しさであふれていた。
騎士団で鍛えているだろう身体には綺麗に筋肉がつき、手足も長くてスタイルもとても良くて、あの身体に抱かれたのかと思うとそれだけで幸せな心地になれた。
(それにしても……昨日のノアは本当にすごかったですわ。腕っぷしも強いけれど、アッチのほうもとても強くて……)
そこまで考えて、恥ずかしさのあまり頬を赤らめ、バッと体を起こす。
「イタっ……!」
昨日酷使した秘所と腰がズキッと痛む。ミレールは腰を擦り、再び背もたれに背中を預けた。
(あんなこと、もうこれっきりですわ……おそらく今回でさらにノアに嫌われてしまいましたし、これ以上見ていることもできなくなってしまいました。ですが、これで良かったのかもしれません。どのみちノアはわたくしに、興味などないのですから……)
馬車に揺られながらエボルガー侯爵邸に着くまでの間、ミレールは抱いてもらえた喜びと決して振り向いてもらえない哀しみの狭間で揺れていた。
「ミレール! こんな時間に帰宅するとはっ! 一体何があったのだ!?」
侯爵邸に着いてすぐ、待ち構えていた父親――ギルバートにものすごい剣幕で問いただされる。
「そ、そのドレスはどうしたのだっ!? 背中が裂けているではないかっ!?」
兄が二人いるミレールは、末っ子で紅一点。
しかも、いい年のギルバートが毎日のように愛を囁き四六時中ベタベタしている母親と瓜二つ。そんな彼女を彼は目に入れても痛くないほど溺愛していた。
ギルバートは四十過ぎだが渋めのイケオジだ。ミレールと同じく栗色の髪に彫りの深い濃い顔立ち、瞳の色は緑色だが耳の形や眉の辺りはミレールと似ている。
「ただいま帰りましたわ、お父様。遅くなってしまって申し訳ありません。コルセットがキツくて途中で具合が悪くなってしまいましたの……ですから王宮の侍女にお願いして、コルセットの紐を切ってもらっただけですわ」
「しかし、そのような格好で……! 着替えも用意されなかったのか!?」
「いえ、着替えも勧められましたが、気分が悪すぎて動けなかったので断りましたの。部屋で休んでいたら寝てしまって、いつの間にか朝になっていたので慌てて帰宅したまでですわ」
にこりと笑うと、ギルバートのテンションはようやく下がったようだった。
「そうか……具合はもういいのか?」
「まだ少し、体が怠くて……お父様には申し訳ありませんが、少し横になってきてもよろしいかしら?」
「なにぃ!? まだ具合が悪いのか!? よしっ!!」
「きゃあっ! お、お父様!?」
ギルバートはミレールを勢いよく抱え上げ、そのままミレールの部屋へ走り出すのだった。
着替えと湯浴みを済ませ、自分の部屋のベッドで横たわったミレールは、忘れていた現実にこれからどうしようか頭を悩ませていた。
というのも、ミレールは王太子妃候補の一人として挙げられている。
そこにはもちろんヒロインで、伯爵家出身のレイリンも入っている。
これから行われるこの王太子妃候補者選抜は三ヶ月ほどかかるのだが、選抜といっても試験のようにテストを受けるわけではない。ただ王太子妃候補として半年間王宮で暮らすだけだ。
しかし、実際には試験官のような侍女や侍従が至る場所で目を光らせており、陰で採点されているのだ。
もちろん王宮で不祥事など起こそうものなら大幅に減点され、不祥事の種類によってはその場で失格となる。それに広く公表されれば家門の恥となりうる厳しいものだ。
(マズいですわ。非常に、マズいですわっ……!)
すでに王太子妃候補として登録されているミレールは、今さらながら頭を抱えていた。
書類はすでに受理されており、候補を取り消すことはできない。
(これは軌道修正しなければっ! ひとまず候補者として王宮に通いつつ、レイリンを引き立てるようにサポートすればどうにかなるかしら? どうせミレールは王太子妃には選ばれませんし、わたくしはこれから他の候補者がどう行動するかわかっています。レイリンの邪魔さえしなければ、最悪の未来は防げるはずですわっ!!)
なんとか身の振り方を見出したミレールは、ベッドからガバッと起き上がった。
「つぅっ!」
まだ腰と局部が痛む。しかしその痛みを不快だと思わず、むしろその事実が嬉しかった。なぜならノアと結ばれた痛みだからだ。
ミレールの部屋をザッと見渡すと、ドレッサーにテーブルセット、広い天蓋付きベッドに大きなクローゼットと豪華な家具が並ぶ中、一際目を惹くものがある。
それは壁に飾られているマクレインの姿絵だ。以前のミレールがマクレインに相当惚れこんでいた時に購入して、毎日拝むように見ていたもの。
(これも、もう……必要ないわね……)
そう思うのだが、なぜか心の奥底がチクリと痛んだ。
ミレールはベッドに座ったまま蟠る感情を持て余し、服の胸元をぎゅっと掴んだ。
この感情は以前のミレールの気持ちなのかもしれない。だが、杏がミレールに転生したと同時にマクレインへの恋心は綺麗さっぱり消えてしまった。
(ミレール……ごめんなさい。けれど、どう転んでも貴女が王太子殿下と結ばれる未来は存在しませんの。貴女のためにも、原作通りにならないようにわたくしがどうにかしてみせますわ)
ミレールは純粋にマクレインに好意を寄せていた。昔からマクレインのことが大好きで、マクレインがミレールの人生における全てだった。
杏だって振られたことくらいあるし、見ているだけで終わった恋もたくさんあった。だからミレールの気持ちは痛いほどわかる。
だけど好きだからといって、誰にでも想いが届くわけではないし、何をしてもいいわけでもないのだ。
これだけの美人にあれだけ好きだと言われても、マクレインが靡くことは一度もなかった。
ミレールは幼い頃からマクレイン一筋で、マクレインのもとに嫁ぐことだけを夢見ていた。
そうしてミレールはレイリンを陥れ、自分がマクレインの隣に立とうと目論んでしまった。
相手を想うがゆえの悪事。
もちろん元のミレールが悪い。だが、そう思うと彼女がとても憐れに思えるのだ。
ミレールはまたベッドに横たわり、マクレインの姿絵を見ながら物思いに耽る。
(貴女も、ままならなかったのね。お互い、想いが通じることはありませんが……せめて潔く原作の舞台から降りられるように、わたくしが貴女の分まで尽力いたしますわ)
昨日の疲れもあり、ミレールはベッドに横たわったまま意識を手放した。
それから何事もなく、数日が平和に過ぎていた。
しかし、事態はなんの前触れもなく一変した。
「ミレールっ!! これは一体どういうことだぁっ!!」
自分の部屋でお茶を飲んでいたミレールは、ギルバートがドアを蹴破りそうなものすごい勢いで乗りこんできたのを、びっくりしながら見つめた。
「お、お父様!? どうなさいましたの!?」
「旦那様!?」
ギルバートは息を切らしたまま目を血走らせ、ミレールにズカズカと迫る。
「オルノスの倅が、お前に求婚状を送りつけてきたのだっ!!」
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