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カディラルの状態は、本当にひどかった。
内政はほとんど機能不全で、もちろんまともに仕事ができる人間もいない。唯一ましだったのは騎士団含め軍事部門で、それも結局ドリザンドを攻めるための準備中だったからにすぎない。
そのひどさといったら。
王太子の敏腕副官様が頭を抱えて無理だ!と発狂するくらいである。
あのときは全員、世界の終わりを迎えたような気分になっていた。
……まあ、それでも何とかなるもので。
デイルは変わらずレイリーの副官だった。協力すると言ったときも、混乱を招かないようにと間諜たちの件は内々に処理され、デイルもレイリー付きから変わることはなかった。
けれど、目的が達成された今、元敵国の間諜がいつまでもいていい立場ではないと、辞退しようとする――より早く、デイルは新しく編成された『カディラル再生対策部門』の人員に入れられていた。有無を言わさず仕事を押し付けられるので、つまり、離職させる気がないという無言の圧力だ。
拒めるはずもなく。
カディラルの新しい王朝は国内外どこからどう見てもドリザンドの傀儡だが、隣国の王太子が長居するために、それでも名目はいるらしい。戦後交渉の使節団という名前で、カディラルの内政を立て直していた。表向きは、賠償金を払えという要求が満たされないから、という難癖だ。
まあ、本当に本来の戦勝国の権利である賠償金は払われそうにない状態だけれども。
そんなわけで、デイルはレイリーのもと、カディラルで文官のような仕事をしている。
人生何が起こるかわからないものである。
「あっれ、めずらし、ひとりじゃん」
「ダーニャ」
城の廊下を歩いていると、ダーニャが後ろから声をかけてきた。だけれども、振り返ることができない。
ずっしりと資料やら報告書やらを両手で抱えて、おまけに大判の地図の三巻きをどうにか持っているので同じ姿勢しかできないのだ。
「……なにやってんの?」
ダーニャは不思議そうにして、足を止めて動かないデイルの横に並ぶ。
「見て分かんない?いっぱいいっぱいなんだけど」
「デイルってば力ないのに何でそんな持たされちゃったわけ」
「あっちこっちからあれこれ持たされちゃって……」
「ふーん」
「……いくつか持ってくれない?」
「やだ」
「そう……」
ダーニャは自分の仕事以外は絶対にしたがらない。
ダーニャを含め、カッシュや他の仲間たちは、ほとんどカディラルの城に残っている。
レイリーの采配だった。
間諜なら、その特技を生かしたらどうかという提案だった。
とはいっても、前のように敵国に潜入して命がけで秘密を探ってこいなんて、言うつもりはないとか。
立派な調査官という肩書を持たせられ、主に国内のあちらこちらを監査する役割だという。まあ『それ以上』を探ることもあるので、内偵というのだろうか。
主に国内の貴族の領地や、街の状態を見に行く。今はどこもかしこも穴の開いた桶のようにボロボロで、それを詳細に調べたいというレイリーの命を受けている。
危ないことはほぼないという。
以前間諜は存在しないとされ、危険があろうとなかろうと適当に敵地に送られ、何かあれば真っ先に見殺しにされた。
けれど、今は王命だという書状まで持たされ、堂々と調べられて命の危険はもちろんない。やりたくなければ辞職という形で正式に離れられる。
人質なんてものはない。
ならばと、だいたいがその新しい役職に就いたのだ。
そして――なぜか、その統括がデイルなわけである。
なんで!?と悲鳴を上げたけれど、王太子の副官付きの元間諜、おまけに妙にデイルを気に掛ける仲間の結束――呪いとレイリーは言っていた――がある、能力も問題ない。自分しか適任がいないと言われれば引き受けるしかなかった。
ダーニャはもちろんデイルが行くところに行くと、あっさりと調査官の仕事を請け負い、今は城のあちこちで監査をしている。
今は報告か仕事帰りか、のんびりとデイルについてくるダーニャ。
「ちょっと、何入れたんだよ」
「え?……そのへんに落ちてたゴミ」
言いながらデイルのポケットに何かねじ込んでくる。
「ゴミはゴミ箱に!僕のポケットはゴミ箱じゃない」
「探すの面倒じゃない?」
「それでも!」
まったく、なんといういいかげん。
そんな何でもないことをつらつら会話するだけで、幸せになる。
もう二度と会えないのかと絶望したこともある、大事な人だ、それがなんでもない日常にいる。
もうダーニャと再会してから数か月前経ったのに、まだ時々嬉しさに泣いてしまいそうだった。
ふざけあいながら、目的の部屋へ戻って来る。
「戻りました」
「レイリー様、報告に参りました」
デイルがいいかげん重さに痺れた腕でどうにか荷物をテーブルにおろしている横で、ダーニャは一礼している。
さっきまでのふざけた様子を一切見せない、見事な礼である。
そして、はた、と気づく。
すぐそばににこにこと笑ってソファーに座っている人物に。
麗しの王太子殿下である。
「殿下!失礼しました」
「いや、ご苦労」
跳び上がったデイルを気にせず、グレオルは片手を振った。
机に座って書類と格闘しているレイリーは、顔を一度上げると、
「ご苦労さまです。デイル、資料を分けて次に使えるようにしてください。ダーニャは報告を」
「はい」
「失礼します。まず、使用人棟の修理状況ですが――」
そつなく報告しているダーニャとそれを聞いているレイリー。
デイルは、どうしても作業を王太子の前でしなければならず、失礼します、と断りを入れて運んできた資料に手を付けた。内心は気まずさに泣いている。
まだ、ろくにグレオルとは関われない。
まがりなりにも王太子殿下にそっけなくしているという事実、けれどどうにも心が拒否してしまう。
頑固なはずのレイリーは、デイルを思いやってくださって、殿下など置物か何かだと思いなさいと……わりとめちゃくちゃだが、それでいいらしい。
王太子も、どうやらデイルを咎める気がないようで、今だって無視をしている状態なのに何も言わない。心なしか機嫌が良さそうにも見える。なぜ。
早く終わらせて退室したい――というデイルの願いは、無残にも打ち砕かれた。
「失礼します。お茶の用意をいたしました」
いないな、と思っていた従者のベイディが、メイドを連れて部屋に入ってきた。
「ああ、ありがとう。一度休憩しましょう」
数人のメイドがそれぞれお茶とお茶菓子をトレーに持っている。……王太子と副官のためだけにしては量が多い。
「ベイディ、デイル、ダーニャもこちらで休んでいきなさい」
「ありがとうございます!」
「お心遣い感謝します」
「……お言葉に甘えて」
嬉しいけれども。
メイドが茶を淹れてくれている間に、ダーニャが今日行ってきた監査について話が進む。
城ではあちこち問題が起きていて、その解決だけで1日が終わってしまうということもままある。
カディラルの王は、レイリーの実家の侯爵家と遠縁の、元はカディラルの侯爵家当主だが、現在の実権はドリザンドの王太子である。彼とその副官、直接の部下だと、揃えば国政の話ばかりだ。
小難しい話をなんとなく聞きながら、デイルはふと配られ始めたティーカップに目が行く。
今この城に王太子に用意されたティーカップは、3セットある。
王族に出せるものは限られている。おいそれと安物を使えるはずもなく、城に残っていて、まともで、品の良い(ここが重要視された)、高級なティーカップを厳選したら3つしか残らなかったという。
他の大量の下品で使いようのないものは、全部売り払った。
今並んだのは、花模様が美しく絵付けされた、繊細な白磁のカップとソーサー。たしか揃いの10客すべてが、木箱に入れて鍵がかかる棚に保管されている。
全員の前にお茶が配られ、茶菓子は焼き菓子を中心に色とりどりに美しく並べられていた。
漂う香りは紅茶だが、きっと飲んだことがない銘柄だ。
「……」
デイルは立ち上がった。
内政はほとんど機能不全で、もちろんまともに仕事ができる人間もいない。唯一ましだったのは騎士団含め軍事部門で、それも結局ドリザンドを攻めるための準備中だったからにすぎない。
そのひどさといったら。
王太子の敏腕副官様が頭を抱えて無理だ!と発狂するくらいである。
あのときは全員、世界の終わりを迎えたような気分になっていた。
……まあ、それでも何とかなるもので。
デイルは変わらずレイリーの副官だった。協力すると言ったときも、混乱を招かないようにと間諜たちの件は内々に処理され、デイルもレイリー付きから変わることはなかった。
けれど、目的が達成された今、元敵国の間諜がいつまでもいていい立場ではないと、辞退しようとする――より早く、デイルは新しく編成された『カディラル再生対策部門』の人員に入れられていた。有無を言わさず仕事を押し付けられるので、つまり、離職させる気がないという無言の圧力だ。
拒めるはずもなく。
カディラルの新しい王朝は国内外どこからどう見てもドリザンドの傀儡だが、隣国の王太子が長居するために、それでも名目はいるらしい。戦後交渉の使節団という名前で、カディラルの内政を立て直していた。表向きは、賠償金を払えという要求が満たされないから、という難癖だ。
まあ、本当に本来の戦勝国の権利である賠償金は払われそうにない状態だけれども。
そんなわけで、デイルはレイリーのもと、カディラルで文官のような仕事をしている。
人生何が起こるかわからないものである。
「あっれ、めずらし、ひとりじゃん」
「ダーニャ」
城の廊下を歩いていると、ダーニャが後ろから声をかけてきた。だけれども、振り返ることができない。
ずっしりと資料やら報告書やらを両手で抱えて、おまけに大判の地図の三巻きをどうにか持っているので同じ姿勢しかできないのだ。
「……なにやってんの?」
ダーニャは不思議そうにして、足を止めて動かないデイルの横に並ぶ。
「見て分かんない?いっぱいいっぱいなんだけど」
「デイルってば力ないのに何でそんな持たされちゃったわけ」
「あっちこっちからあれこれ持たされちゃって……」
「ふーん」
「……いくつか持ってくれない?」
「やだ」
「そう……」
ダーニャは自分の仕事以外は絶対にしたがらない。
ダーニャを含め、カッシュや他の仲間たちは、ほとんどカディラルの城に残っている。
レイリーの采配だった。
間諜なら、その特技を生かしたらどうかという提案だった。
とはいっても、前のように敵国に潜入して命がけで秘密を探ってこいなんて、言うつもりはないとか。
立派な調査官という肩書を持たせられ、主に国内のあちらこちらを監査する役割だという。まあ『それ以上』を探ることもあるので、内偵というのだろうか。
主に国内の貴族の領地や、街の状態を見に行く。今はどこもかしこも穴の開いた桶のようにボロボロで、それを詳細に調べたいというレイリーの命を受けている。
危ないことはほぼないという。
以前間諜は存在しないとされ、危険があろうとなかろうと適当に敵地に送られ、何かあれば真っ先に見殺しにされた。
けれど、今は王命だという書状まで持たされ、堂々と調べられて命の危険はもちろんない。やりたくなければ辞職という形で正式に離れられる。
人質なんてものはない。
ならばと、だいたいがその新しい役職に就いたのだ。
そして――なぜか、その統括がデイルなわけである。
なんで!?と悲鳴を上げたけれど、王太子の副官付きの元間諜、おまけに妙にデイルを気に掛ける仲間の結束――呪いとレイリーは言っていた――がある、能力も問題ない。自分しか適任がいないと言われれば引き受けるしかなかった。
ダーニャはもちろんデイルが行くところに行くと、あっさりと調査官の仕事を請け負い、今は城のあちこちで監査をしている。
今は報告か仕事帰りか、のんびりとデイルについてくるダーニャ。
「ちょっと、何入れたんだよ」
「え?……そのへんに落ちてたゴミ」
言いながらデイルのポケットに何かねじ込んでくる。
「ゴミはゴミ箱に!僕のポケットはゴミ箱じゃない」
「探すの面倒じゃない?」
「それでも!」
まったく、なんといういいかげん。
そんな何でもないことをつらつら会話するだけで、幸せになる。
もう二度と会えないのかと絶望したこともある、大事な人だ、それがなんでもない日常にいる。
もうダーニャと再会してから数か月前経ったのに、まだ時々嬉しさに泣いてしまいそうだった。
ふざけあいながら、目的の部屋へ戻って来る。
「戻りました」
「レイリー様、報告に参りました」
デイルがいいかげん重さに痺れた腕でどうにか荷物をテーブルにおろしている横で、ダーニャは一礼している。
さっきまでのふざけた様子を一切見せない、見事な礼である。
そして、はた、と気づく。
すぐそばににこにこと笑ってソファーに座っている人物に。
麗しの王太子殿下である。
「殿下!失礼しました」
「いや、ご苦労」
跳び上がったデイルを気にせず、グレオルは片手を振った。
机に座って書類と格闘しているレイリーは、顔を一度上げると、
「ご苦労さまです。デイル、資料を分けて次に使えるようにしてください。ダーニャは報告を」
「はい」
「失礼します。まず、使用人棟の修理状況ですが――」
そつなく報告しているダーニャとそれを聞いているレイリー。
デイルは、どうしても作業を王太子の前でしなければならず、失礼します、と断りを入れて運んできた資料に手を付けた。内心は気まずさに泣いている。
まだ、ろくにグレオルとは関われない。
まがりなりにも王太子殿下にそっけなくしているという事実、けれどどうにも心が拒否してしまう。
頑固なはずのレイリーは、デイルを思いやってくださって、殿下など置物か何かだと思いなさいと……わりとめちゃくちゃだが、それでいいらしい。
王太子も、どうやらデイルを咎める気がないようで、今だって無視をしている状態なのに何も言わない。心なしか機嫌が良さそうにも見える。なぜ。
早く終わらせて退室したい――というデイルの願いは、無残にも打ち砕かれた。
「失礼します。お茶の用意をいたしました」
いないな、と思っていた従者のベイディが、メイドを連れて部屋に入ってきた。
「ああ、ありがとう。一度休憩しましょう」
数人のメイドがそれぞれお茶とお茶菓子をトレーに持っている。……王太子と副官のためだけにしては量が多い。
「ベイディ、デイル、ダーニャもこちらで休んでいきなさい」
「ありがとうございます!」
「お心遣い感謝します」
「……お言葉に甘えて」
嬉しいけれども。
メイドが茶を淹れてくれている間に、ダーニャが今日行ってきた監査について話が進む。
城ではあちこち問題が起きていて、その解決だけで1日が終わってしまうということもままある。
カディラルの王は、レイリーの実家の侯爵家と遠縁の、元はカディラルの侯爵家当主だが、現在の実権はドリザンドの王太子である。彼とその副官、直接の部下だと、揃えば国政の話ばかりだ。
小難しい話をなんとなく聞きながら、デイルはふと配られ始めたティーカップに目が行く。
今この城に王太子に用意されたティーカップは、3セットある。
王族に出せるものは限られている。おいそれと安物を使えるはずもなく、城に残っていて、まともで、品の良い(ここが重要視された)、高級なティーカップを厳選したら3つしか残らなかったという。
他の大量の下品で使いようのないものは、全部売り払った。
今並んだのは、花模様が美しく絵付けされた、繊細な白磁のカップとソーサー。たしか揃いの10客すべてが、木箱に入れて鍵がかかる棚に保管されている。
全員の前にお茶が配られ、茶菓子は焼き菓子を中心に色とりどりに美しく並べられていた。
漂う香りは紅茶だが、きっと飲んだことがない銘柄だ。
「……」
デイルは立ち上がった。
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