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「どうしたのです?」
「ちょっと……」
レイリーの言葉には濁して、王太子の側に行くと彼の前のカップを持ち上げた。グレオルは座ったまま、ぽかんとこちらを見上げている。
「毒見を」
ダーニャが立ち上がった。彼女がこちらにくる前に、カップに口をつけた。
一口より多めに、口に含んで、舌で確かめる。
(わからないな、このお茶飲んだことないから)
味が決定的におかしいという気がしないが、苦味が強い気がする。飲み下す。
ダーニャがこちらに走ってきて、デイルの手からカップを取り上げた……その短い間に、あっさりと反応は出た。
胸と喉が、焼けるように熱い。
「ぐ、」
「デイル!」
悲鳴のようなダーニャの声。
痛みが強くて、その場で膝をつく。
ダーニャの手がデイルの口元にかかる。理解して顎の力を緩めた。よかった、痺れて手が動かなかったから。
「水の用意を!新しいもの!」
叫ぶダーニャはデイルの喉に指を突っ込む。
えずくデイルを、誰かが支えてくれた。
二度吐いて、ダーニャはさらに水を飲ませてくれた。
もう一度吐いて、それで症状は緩やかになったのを感じて、ダーニャを押し留めた。
首を振って、視線をカップに移すだけで、彼女はデイルが何を言いたいのかわかったようだ。
「お医者か薬師に連絡してください。毒の特定を」
ダーニャの声を聞きながら、デイルは目を閉じた。少し視界がぼんやりしている。
おそらく、新種の毒物だ。
少し前まで毒を慣らす訓練を受けていたデイルが、この症状。味も判別できないほどの無味無臭。なのに効果はすさまじい。
ただ、大量に摂取しないと命までは危なくないだろう。痺れと、多少の炎症か。それでもおそらく普通の人間が飲めば、半年は寝たきりではないだろうか。
「……デイル、悪いが触れるぞ」
ふと、耳元で深い声が聞こえた。
ふわりと浮き上がるような感覚に、少しめまいがした。
「医者を呼べ」
「恐れながら、呼んでも大して役に立ちません」
ダーニャの硬い声。
「なに?」
「新種の毒の可能性が高いです。つまり解毒剤も役に立たないかと。症状は治まったようですから、大丈夫でしょう。これ以上診療は無意味です」
「どういう……いや、ともかくデイルを休ませる」
グレオルが、デイルを抱き上げているらしい。
どうにもできずに、彼の腕に身を任せるしか出来ない。力が入らなくて困ってしまう。
「グレオル様」
「心配するな、寝室に運ぶだけだ」
「いえ、さすがに疑ってませんが」
「……そうか」
そんな訳の分からない主従の会話と一緒に、デイルはゆっくりと揺られた。
森林の香りと、動物っぽい饐えた匂いが少し。
温かな体温。
逃げ出したいのに、安心する。
戸惑うデイルをグレオルが、どこか近くの部屋にだろう抱きかかえて、ベッドに下ろす。
どこかで似たようなシーンがあった気がするけれど、あの時よりは恐怖も混乱もない。
「……お前に助けられた、ありがとう」
そっと額を撫でられた。温かい手。
ゆったりと低い声が、震えていた。
心地良い、と思ってしまう自分が少し嫌だった。
それはそうと、おかしなことがあるものだ。毒見ほどではないが、王太子の飲食物の検査は厳密にされているはずだ。それをかいくぐって、どうやって毒を盛ったのだろうか。
犯人は一体誰なのか、何の目的で。
まあ、レイリーが徹底的に調べてくれるだろう。
「……大丈夫なんだよな?お前に何かあったら、俺は……」
息を詰まらせたようなグレオルの声。
(大丈夫です、すぐに動けるようになりますって)
やはり胃洗浄もやれたからか、一瞬の反応は大きかったけれどそこまで重症ではない。
あと数時間で痺れは抜けるだろうし、問題はない。
(あ、仕事放り出しちゃったな)
まあ、残業すればいいのだ。
ともかく、王太子になにもなくてよかった。
毒のことは、単純に、ただの予感だった。
どうも説明出来ない、なんとなく嫌な予感がした、という程度。
外れれば不敬罪になったかもしれないが、大当たりだった。
(役に立てて何より)
あまりいい育ちではないが、少しはいいことがある。
そんなとりとめないことをとろとろと考えているうちに、少し眠ってしまったらしい。
目を覚ますと、もう宵の口だった。
腕を持ち上げると、少し震えているが動きはする。
「……デイル!」
近くで声が上がってぎょっとする。薄暗い部屋、王太子がすぐ近くの椅子に座っていた。
「起きたのか、大丈夫か、どこかおかしなところは」
立ち上がって焦ったような顔をする美しい人に、おかしくなってデイルは笑った。何とか上半身を起こす。
「……大丈夫、です」
声がかすれてガサガサだ。たぶん毒の炎症の影響だろう。
「少しまだしびれてますが……えっ」
突然、抱き締められた。
ぎょっと固まったデイルの肩口に、こつりと王太子の高い鼻が当たる。
「……良かった……」
「……あの、殿下」
「ああ、すまない、いや、本当に悪い!」
ばっとすぐに離れた大きな体に、ほっとするようなもやっとするような。
グレオルは、苦く笑って俯いた。
「……このまま、起きなかったら、どうしようかと」
「……」
なぜか、もやもやが大きくなる。
(それをあなたが言うの?)
人の気持ちも、状況も考えずに、デイルを犯した人が。
そんなことをふと思って、少し焦りが出てきた。
気分がおかしい、と、自覚ができる。
感情がささいなことで過敏になっている気がする。
(……毒のせいかな)
そう頭の片隅で考えている間にも、どろどろと暗い気持ちが胸に広がっていく。
(いまさら、関係ないでしょう)
デイルが毒で倒れようが、死のうが、このお方には。
そもそも、彼がいまだにデイルに構おうとする理由が分からない。
罪悪感だろうか。そんなものを覚えるくらいなら、最初からしなければいいのに。
王太子から離れなければ、と、まだ残っている冷静な部分が叫んでいる。何を言い出すか自分でも分からない。
このままでは、取り返しがつかないことになりそうだ。
「殿下、もう大丈夫ですので、執務にお戻り……」
「いや、お前をひとりにするわけにいかない。まだ休んでいろ、俺はここで番をする。……誓って、この椅子から動かない」
「そうではなくて……」
いてほしくないのだ。
レイリーはどうしたのだろう、とちらりと思ったが、おそらくこの件で元から忙しかったのにさらに忙しくなったのだろう。グレオルがここになぜいるのかは、想像がつくようなつかないような。
なぜか必死の様相で、グレオルは言った。
「これくらいはさせてほしい。お前には……助けられたのだから」
「いえ必要ないです」
「デイル、頼む、」
「今さらなんのつもりですか」
言いたくない言葉が、デイルの口からするりと出た。
やっぱり、こうなってしまった。
もう止まらない。
「今さらそんなに心配するなら、どうしてあのとき、僕の言葉を聞いてくれなかったんですか」
あのとき、がなんなのか、グレオルにすぐに伝わったようだ。黒い瞳が見開かれた。
「僕は、嫌だって言いました。僕がどう思っていようが関係なかったんですよね」
「デイル、それは、」
「放っておいてください。殿下には関係ないです。毒見くらい、僕が勝手にすることです」
「違う、デイル、それは違う」
グレオルは立ち上がった。
「ずっと謝りたかった。何も考えていなかった、お前がどんな立場で、どんな気持ちであのときいたのか。ダーニャのことなど、俺は何一つ知らず」
「ええ、だって、言うつもりはなかったですし」
「デイル……!」
「いいかげんにしてください!」
とうとう、抑え込んでいたものが爆発した。
腹が立つ、悲しい、苦しい、痛い。
グレオルへの感情を、全部忘れたように振る舞って、それで隠そうと思っていたのに。
苦くて痛いそれらに混じって、まだ消えないものがあるのはデイル自身気づいている。
大事にしたかった、誰にも見せずに、隠して、時々取り出して眺めるくらいで、ちょうどよかった。
なのに。
デイルはグレオルを恨みを込めて睨みつけた。
憎らしい。
「言うつもりがなかったんだ!それを無理やり言わせて、ぼく、僕は、本当に死んでしまいたかった!」
「デイ、」
「馬鹿、馬鹿王子!僕の初恋を返せ!言いたくなかったのに!」
言うの言わないのではない。
そんな些細なことはどうだっていいはずなのに、口を突いて出たのは意味不明の詰り。
涙があふれた。
馬鹿みたいだ、こんなちっぽけな、どうでもいいものが大事だなんて。
どうしても、惜しくて手放せない。
「どれだけ僕が、こわくて、我慢して、必死に、ああもうどうでもいい、あんたが僕にすること全部が嫌だ、苦しい、消えて、僕の前から、」
「デイル」
グレオルが、その場で膝をついていることに、しばらく気づかなかった。
叫んで傷めた喉が、熱いし痛い。けふ、と出た咳で、口の中に血の味が広がる。
「すまない。謝っても許されないだろう」
グレオルは胸に手を当てて、ぎゅっと肩をすぼめた。
「許さないでくれ。俺は最低の人間だ。いや、ケダモノだ」
「……わかってるじゃないですか」
「だけど、これだけは」
頭を垂れたグレオルが絞り出すように、
「お前を愛している」
「……そういえば許されると?」
「いや、関係ない。でも……俺は、お前の初恋を返してやれない」
「どうでもいいです、もう、」
「良くない……こんなに、俺は、嬉しくて」
ほとんど座り込むように姿勢を崩したグレオルの、頭しか見えなくなった。
普段はゆったりとした深い声が、ひどくかすれて、無様にひっくり返っている。
「最低最悪だ、好きだ、愛している、デイル」
涙がまた増えた。
嘘だと叫びたい。
だけれども、彼が本気だと、分かってしまった。
憎らしい。
どうして、うれしいと、思ってしまったんだろう。
デイルの震える喉が、また血を増やした。
「どうしろっていうんだ、どうすれば、」
「どうもしなくていい」
「う、ひっ……、馬鹿、さいてい、ひどいぃ」
「そうだ、何でも言ってくれ」
「ばか、ごうかんま、けだもの、ばか、ばか」
「ああ」
「ばか……なんで、まだすきなの」
「……、抱きしめていいか」
ふと、グレオルが顔を上げた。
その黒い瞳はもう暗闇に溶けているのに、そこに弾ける光だけは見つけられる。
「お前をひとりで泣かせたくない」
「……、ひっ」
また泣けてきて、デイルは顔をうつむかせた。ぼたぼたと涙がシーツに落ちていく。
「嫌なら言ってくれ、それ以上はしない、今度こそ、我が王家の名に誓って」
肩にためらいがちに触れた大きな手は、温かい。
おおげさな、と少し戻ってきた理性が囁くけれど、わけのわからない感情に身体が動かなくて、声を上げて、泣いた。
嫌も何も言えなかったから、当然グレオルはデイルを抱き締めた。
そういうところが、嫌いで、好きだった。
彼は強引なのに、優しい。
温かい大きな体が触れて、タガが外れたように泣き喚く。
さんざん悪口を言って、いろんな液体が王太子の服にくっついたけれど気にしないことにした。
……ところで、わりと喉が痛かった。
「げふ」
「……!?デイル!?血が、しっかりしろ、死ぬな!」
X◆X◆X◆X◆X
(20250123)加筆しました
「ちょっと……」
レイリーの言葉には濁して、王太子の側に行くと彼の前のカップを持ち上げた。グレオルは座ったまま、ぽかんとこちらを見上げている。
「毒見を」
ダーニャが立ち上がった。彼女がこちらにくる前に、カップに口をつけた。
一口より多めに、口に含んで、舌で確かめる。
(わからないな、このお茶飲んだことないから)
味が決定的におかしいという気がしないが、苦味が強い気がする。飲み下す。
ダーニャがこちらに走ってきて、デイルの手からカップを取り上げた……その短い間に、あっさりと反応は出た。
胸と喉が、焼けるように熱い。
「ぐ、」
「デイル!」
悲鳴のようなダーニャの声。
痛みが強くて、その場で膝をつく。
ダーニャの手がデイルの口元にかかる。理解して顎の力を緩めた。よかった、痺れて手が動かなかったから。
「水の用意を!新しいもの!」
叫ぶダーニャはデイルの喉に指を突っ込む。
えずくデイルを、誰かが支えてくれた。
二度吐いて、ダーニャはさらに水を飲ませてくれた。
もう一度吐いて、それで症状は緩やかになったのを感じて、ダーニャを押し留めた。
首を振って、視線をカップに移すだけで、彼女はデイルが何を言いたいのかわかったようだ。
「お医者か薬師に連絡してください。毒の特定を」
ダーニャの声を聞きながら、デイルは目を閉じた。少し視界がぼんやりしている。
おそらく、新種の毒物だ。
少し前まで毒を慣らす訓練を受けていたデイルが、この症状。味も判別できないほどの無味無臭。なのに効果はすさまじい。
ただ、大量に摂取しないと命までは危なくないだろう。痺れと、多少の炎症か。それでもおそらく普通の人間が飲めば、半年は寝たきりではないだろうか。
「……デイル、悪いが触れるぞ」
ふと、耳元で深い声が聞こえた。
ふわりと浮き上がるような感覚に、少しめまいがした。
「医者を呼べ」
「恐れながら、呼んでも大して役に立ちません」
ダーニャの硬い声。
「なに?」
「新種の毒の可能性が高いです。つまり解毒剤も役に立たないかと。症状は治まったようですから、大丈夫でしょう。これ以上診療は無意味です」
「どういう……いや、ともかくデイルを休ませる」
グレオルが、デイルを抱き上げているらしい。
どうにもできずに、彼の腕に身を任せるしか出来ない。力が入らなくて困ってしまう。
「グレオル様」
「心配するな、寝室に運ぶだけだ」
「いえ、さすがに疑ってませんが」
「……そうか」
そんな訳の分からない主従の会話と一緒に、デイルはゆっくりと揺られた。
森林の香りと、動物っぽい饐えた匂いが少し。
温かな体温。
逃げ出したいのに、安心する。
戸惑うデイルをグレオルが、どこか近くの部屋にだろう抱きかかえて、ベッドに下ろす。
どこかで似たようなシーンがあった気がするけれど、あの時よりは恐怖も混乱もない。
「……お前に助けられた、ありがとう」
そっと額を撫でられた。温かい手。
ゆったりと低い声が、震えていた。
心地良い、と思ってしまう自分が少し嫌だった。
それはそうと、おかしなことがあるものだ。毒見ほどではないが、王太子の飲食物の検査は厳密にされているはずだ。それをかいくぐって、どうやって毒を盛ったのだろうか。
犯人は一体誰なのか、何の目的で。
まあ、レイリーが徹底的に調べてくれるだろう。
「……大丈夫なんだよな?お前に何かあったら、俺は……」
息を詰まらせたようなグレオルの声。
(大丈夫です、すぐに動けるようになりますって)
やはり胃洗浄もやれたからか、一瞬の反応は大きかったけれどそこまで重症ではない。
あと数時間で痺れは抜けるだろうし、問題はない。
(あ、仕事放り出しちゃったな)
まあ、残業すればいいのだ。
ともかく、王太子になにもなくてよかった。
毒のことは、単純に、ただの予感だった。
どうも説明出来ない、なんとなく嫌な予感がした、という程度。
外れれば不敬罪になったかもしれないが、大当たりだった。
(役に立てて何より)
あまりいい育ちではないが、少しはいいことがある。
そんなとりとめないことをとろとろと考えているうちに、少し眠ってしまったらしい。
目を覚ますと、もう宵の口だった。
腕を持ち上げると、少し震えているが動きはする。
「……デイル!」
近くで声が上がってぎょっとする。薄暗い部屋、王太子がすぐ近くの椅子に座っていた。
「起きたのか、大丈夫か、どこかおかしなところは」
立ち上がって焦ったような顔をする美しい人に、おかしくなってデイルは笑った。何とか上半身を起こす。
「……大丈夫、です」
声がかすれてガサガサだ。たぶん毒の炎症の影響だろう。
「少しまだしびれてますが……えっ」
突然、抱き締められた。
ぎょっと固まったデイルの肩口に、こつりと王太子の高い鼻が当たる。
「……良かった……」
「……あの、殿下」
「ああ、すまない、いや、本当に悪い!」
ばっとすぐに離れた大きな体に、ほっとするようなもやっとするような。
グレオルは、苦く笑って俯いた。
「……このまま、起きなかったら、どうしようかと」
「……」
なぜか、もやもやが大きくなる。
(それをあなたが言うの?)
人の気持ちも、状況も考えずに、デイルを犯した人が。
そんなことをふと思って、少し焦りが出てきた。
気分がおかしい、と、自覚ができる。
感情がささいなことで過敏になっている気がする。
(……毒のせいかな)
そう頭の片隅で考えている間にも、どろどろと暗い気持ちが胸に広がっていく。
(いまさら、関係ないでしょう)
デイルが毒で倒れようが、死のうが、このお方には。
そもそも、彼がいまだにデイルに構おうとする理由が分からない。
罪悪感だろうか。そんなものを覚えるくらいなら、最初からしなければいいのに。
王太子から離れなければ、と、まだ残っている冷静な部分が叫んでいる。何を言い出すか自分でも分からない。
このままでは、取り返しがつかないことになりそうだ。
「殿下、もう大丈夫ですので、執務にお戻り……」
「いや、お前をひとりにするわけにいかない。まだ休んでいろ、俺はここで番をする。……誓って、この椅子から動かない」
「そうではなくて……」
いてほしくないのだ。
レイリーはどうしたのだろう、とちらりと思ったが、おそらくこの件で元から忙しかったのにさらに忙しくなったのだろう。グレオルがここになぜいるのかは、想像がつくようなつかないような。
なぜか必死の様相で、グレオルは言った。
「これくらいはさせてほしい。お前には……助けられたのだから」
「いえ必要ないです」
「デイル、頼む、」
「今さらなんのつもりですか」
言いたくない言葉が、デイルの口からするりと出た。
やっぱり、こうなってしまった。
もう止まらない。
「今さらそんなに心配するなら、どうしてあのとき、僕の言葉を聞いてくれなかったんですか」
あのとき、がなんなのか、グレオルにすぐに伝わったようだ。黒い瞳が見開かれた。
「僕は、嫌だって言いました。僕がどう思っていようが関係なかったんですよね」
「デイル、それは、」
「放っておいてください。殿下には関係ないです。毒見くらい、僕が勝手にすることです」
「違う、デイル、それは違う」
グレオルは立ち上がった。
「ずっと謝りたかった。何も考えていなかった、お前がどんな立場で、どんな気持ちであのときいたのか。ダーニャのことなど、俺は何一つ知らず」
「ええ、だって、言うつもりはなかったですし」
「デイル……!」
「いいかげんにしてください!」
とうとう、抑え込んでいたものが爆発した。
腹が立つ、悲しい、苦しい、痛い。
グレオルへの感情を、全部忘れたように振る舞って、それで隠そうと思っていたのに。
苦くて痛いそれらに混じって、まだ消えないものがあるのはデイル自身気づいている。
大事にしたかった、誰にも見せずに、隠して、時々取り出して眺めるくらいで、ちょうどよかった。
なのに。
デイルはグレオルを恨みを込めて睨みつけた。
憎らしい。
「言うつもりがなかったんだ!それを無理やり言わせて、ぼく、僕は、本当に死んでしまいたかった!」
「デイ、」
「馬鹿、馬鹿王子!僕の初恋を返せ!言いたくなかったのに!」
言うの言わないのではない。
そんな些細なことはどうだっていいはずなのに、口を突いて出たのは意味不明の詰り。
涙があふれた。
馬鹿みたいだ、こんなちっぽけな、どうでもいいものが大事だなんて。
どうしても、惜しくて手放せない。
「どれだけ僕が、こわくて、我慢して、必死に、ああもうどうでもいい、あんたが僕にすること全部が嫌だ、苦しい、消えて、僕の前から、」
「デイル」
グレオルが、その場で膝をついていることに、しばらく気づかなかった。
叫んで傷めた喉が、熱いし痛い。けふ、と出た咳で、口の中に血の味が広がる。
「すまない。謝っても許されないだろう」
グレオルは胸に手を当てて、ぎゅっと肩をすぼめた。
「許さないでくれ。俺は最低の人間だ。いや、ケダモノだ」
「……わかってるじゃないですか」
「だけど、これだけは」
頭を垂れたグレオルが絞り出すように、
「お前を愛している」
「……そういえば許されると?」
「いや、関係ない。でも……俺は、お前の初恋を返してやれない」
「どうでもいいです、もう、」
「良くない……こんなに、俺は、嬉しくて」
ほとんど座り込むように姿勢を崩したグレオルの、頭しか見えなくなった。
普段はゆったりとした深い声が、ひどくかすれて、無様にひっくり返っている。
「最低最悪だ、好きだ、愛している、デイル」
涙がまた増えた。
嘘だと叫びたい。
だけれども、彼が本気だと、分かってしまった。
憎らしい。
どうして、うれしいと、思ってしまったんだろう。
デイルの震える喉が、また血を増やした。
「どうしろっていうんだ、どうすれば、」
「どうもしなくていい」
「う、ひっ……、馬鹿、さいてい、ひどいぃ」
「そうだ、何でも言ってくれ」
「ばか、ごうかんま、けだもの、ばか、ばか」
「ああ」
「ばか……なんで、まだすきなの」
「……、抱きしめていいか」
ふと、グレオルが顔を上げた。
その黒い瞳はもう暗闇に溶けているのに、そこに弾ける光だけは見つけられる。
「お前をひとりで泣かせたくない」
「……、ひっ」
また泣けてきて、デイルは顔をうつむかせた。ぼたぼたと涙がシーツに落ちていく。
「嫌なら言ってくれ、それ以上はしない、今度こそ、我が王家の名に誓って」
肩にためらいがちに触れた大きな手は、温かい。
おおげさな、と少し戻ってきた理性が囁くけれど、わけのわからない感情に身体が動かなくて、声を上げて、泣いた。
嫌も何も言えなかったから、当然グレオルはデイルを抱き締めた。
そういうところが、嫌いで、好きだった。
彼は強引なのに、優しい。
温かい大きな体が触れて、タガが外れたように泣き喚く。
さんざん悪口を言って、いろんな液体が王太子の服にくっついたけれど気にしないことにした。
……ところで、わりと喉が痛かった。
「げふ」
「……!?デイル!?血が、しっかりしろ、死ぬな!」
X◆X◆X◆X◆X
(20250123)加筆しました
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