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しおりを挟む自分の初恋は、いつだっただろうか。
グレオルが初めて女性を相手にしたのは、成人する前だった。
たしか、貴族を相手にする高級娼婦という地位の女性だった。美しい女性だったし、悪い記憶ではなかった。だが、初恋ではない。
その後も、多少とは言えない程度にはお付き合いというものをこなしたが、その中に何回も逢瀬の続いた愛らしい女性がいたのは間違いなく、そのうちの誰かだろう。
だが、どうせ終わりがある関係、惜しむ気持ちはあるが、この人であると強く思うことはなかった。
だから、デイルが初恋と泣き叫んだあの声は、あまりにも未知のものだった。
まったく知らない感情、言葉。
それをぶつけられる痛みと、恐怖と、悲しみと……歓喜。
胸が張り裂けるかと思った。
伝えられずにいられなかった。愛していると。
どれだけの思いを抱えて、彼はグレオルに抱かれていたのか。その時の絶望は、どう寄り添おうとしてもグレオルには分からないはずだ。
愛おしく、悲しく、かわいそうな、デイル。
自身を踏みにじって痛めつけた男に、まだ好きだと思ってくれる、健気で愛らしい。
あの時初めて、なぜ自分は王太子なのだろうと悔しくなった。
許されなくてもいい、すべてを捧げてしまいたい。
破滅的な贖罪と願望は、一国の王太子であるという自負を一瞬上回った。
そうか、これが真の恋なのだと。
物語にいくつもある身勝手な連中は、なるほど、これを知ってしまったのだ。
すべてを捨てて愛する者の手を取って逃げる卑怯者。すべてに絶望して愛しいものと永遠を誓って命を絶つ軟弱者。
一度ならず蔑んだ物語は、二度と読むことができなくなっただろう。
自覚して、我に返ってしまったのが惜しかった。
思えば、泣かせてばかりだ、その愛おしい者を。
その涙すら嬉しくなって思い返している自分は、最低最悪の、下賤な男だった。
どうしてこんな気色が悪い男がいいのだろう、と自分でも思っている。……今度聞いてみよう。
「はあ……」
多少手が止まりつつ、仕事を進めているが、手もとの書類も仕事も一向に減らない。
グレオルは今、執務室で延々とペンを手にしていた。
もう真夜中に近いが、今日の分はまだ残っている。頑張ったのに、だ。
やはり、1ヶ月でカディラルに戻ろうとするのが無茶だったか。
3ヶ月後にカディラルの建国祭がある。
新王を戴いて、何かと不安だろう領民臣民の不安を払拭するため、盛大に執り行う予定だ。
結局準備にドリザンドの力は必須で、グレオルもそれに合わせて動く必要がある。本国に戻ってほっとしている暇はないと、かなりタイトな予定で組んだ。
レイリーがいなくてもできる、と胸を張りたかったのもある。けれど、やはり副官の不在は大きい。文句は言っていられないが、悔しくもある。
ダメもとでその副官のデイルを貸してもらえないか……と頼んでみたが、まあ普通に駄目であった。
いろんな理由はもちろんある。だが、レイリーは自分の大事な副官をまた虐められないか心配だったのだ。
グレオルとしては、誓ってもう二度と、あんなことをしないと……
「……」
思い出す。
自分は最悪だな、と思うのは、こういうところだ。もぞりと覚えのある感覚が腰のあたりに漂って、頭を振って気持ちを切り替える。
ともかく、今は目の前の仕事を何も考えずこなすこと。
それしかない。
なんとか途切れ途切れにペンを進めていた書類を1枚書き上げ、処理済みの箱に入れたとき、ノックの音が響いた。
「夜分に失礼します」
「入れ」
従者のヒルジットだ。
ドアを開けて入ってきた彼は、表情は特に変わらないので緊急ではないようだ。
「申し訳ありません。明かりが見えたので、起きていらっしゃるだろうと……」
「ああ、まだ終わらなくてな。何か?」
「レイリー様から報告書が。どこかに紛れていたらしく、私の手元に来たのがついさっきでして……」
「そういえば、今日到着かもしれんと言っていたな。まあ見つかって良かった」
「侍従には管理の徹底を申し付けました。ともかくお渡しだけしようかと」
「ありがとう」
そっと机の上に手紙を置いて、ヒルジットは一礼する。
「なにかお飲み物でもお持ちしましょうか。……安全なものを」
ひょうひょうと言うのはやめてほしい。
「ふ……いや、今日はいい。お前は休んでくれ」
「しかし……いえ、では、下がらせていただきます。グレオル様も、ご無理はなさらず」
「ああ、おやすみ」
パタンと扉が閉まったのを見てから、手紙に手を伸ばす。
けっこうな分厚さで、そんなに報告することがあったかと少しひやりとする。
封蝋を外し、広げて読んでいく。
あちらはこちらの比ではない忙しさらしく、レイリーの直筆だと思われる部分は彼らしくない文章と筆跡の荒れ具合だった。そのうち代筆も混じるようになったため、本当に大変なのだろう。
……どうやら、最大目標の王太子が不在だと知られ、別のドリザンドの人間を狙い始めたらしい、推定旧王侯派の所業の記録だ。
グレオルは眉を寄せて読んでいく。
毒物に関しては徹底的に危機回避の方法を取れたが、その他に小さな事故や、多量の紛失物など、周囲に不穏なことが積み重なっているため、おそらく一連の出来事は同じ犯人だろうという予測だ。
決定的なものといえば、小火騒ぎがあった。
ダーニャが監査で連日出入りしていた騎士団の宿舎の一角で、小さな火事があった。
普段使わない部屋から出火、ひと部屋を焦がしただけだったが――もう1時間後には、ダーニャはその棟に足を踏み入れる予定だった。
このままでは業務に差し支えると、ドリザンドの一団は離宮を借りてそこで生活しながら仕事をすることにした。
そして――
「……なに?」
グレオルの黒い瞳は、大きく見開かれる。
食事も安全をとって、身内で料理のできるものが支度をすることになったらしい。
――デイルの料理は素朴でしたが、かなりの美味でした。
そこだけしっかりと自筆なあたり、レイリーの悪意を感じた。
「……うらやましい」
深々と、グレオルはため息をついた。
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