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2−6.2
しおりを挟むダンスが終わった。
礼をして、ふたりが離れたところをまた別の令嬢が王太子に近づいた。
けれど、彼は首を振ってその場から踵を返す。
(え?)
早足だった。
人混みに、一度姿を見失った。
しかも、デイルがいる位置から最も離れた出入り口から会場をあとにした――ようだ。
嫌な、予感がする。
デイルは急いで王太子を追う。
人混みを回らなければならず、会場を出るのが遅くなった。
真っすぐに広い廊下があり、まばらに侍従や衛兵の姿がある。この先は客室棟で、特に国の重臣が使うことになっている。廊下の内装は金がかかった派手なもので、中型のシャンデリアがいくつもぶら下がり、きらきらと明かりを散らしていた。
その突き当たり、左右に分かれた廊下の右へと、紫のマントが翻った気がした。
デイルはほとんど走って、右の廊下へ。
王太子は悠々と歩いていた。ヒルジットも護衛の騎士もいない。
「殿下!おひとりでは――」
ほっとした――次の瞬間。
ぞっと、悪寒が走る。
違和感。
――この廊下のすべての影が細かく揺らめいている。
「……!」
それがどういうことなのか、自分が何をしようとしているのか、分からないまま、デイルはさらに加速して走った。
王太子はこちらに気づいたのか、少し歩が緩みかけた――その、脇腹に、デイルは身を低めて飛び込んだ。
一瞬、宙に浮いた。デイルの足が床から離れ、王太子の大きな体が不意打ちを食らって斜めに傾いだ。
どんっ、と折り重なって床に倒れた、刹那。
轟音が、耳をつんざいた。
一度見たことがある、崖崩れで岩や石が谷底に落ちていくときの音を思い出す。
自分でも、何をしたのかわからないし、音に驚いて身体が硬直する。
ややあって――
「……デイル!しっかりしろ!」
王太子の声に、のろのろと顔を上げた。
切羽詰まったグレオルの目が、デイルのそれと合うとほっとしたように緩む。けれど、すぐに厳しい視線がデイルを飛び越え後ろに向いた。
「全員動くな!来い衛兵!この場の者を全員確保、隔離せよ!」
グレオルの腹から出す声に耳が痛くなりながら――さっきの轟音も耳の奥で残っている――、そろりと後ろを振り返る。
雪が、広い廊下に積もっていた。
いや、雪ではなく、透明度の高い細かい破片……
それが、ガラスの山だと気づいて、デイルはぞっとした。
シャンデリアが落ちている。
ようやく体の感覚が呼び覚まされて、手のあたりの痛みに気づく。小さな破片が右手の甲に刺さっていた。
グレオルはばたばたと集まってきた衛兵を見てから、こちらに再び目を戻した。
「無事か、デイル……」
「殿下、お怪我は」
声が重なった。
けれど、気にしている余裕がない。
「そっと立ち上がってゆっくりとマントを落としてください。どこかに痛みはないですか」
「あ、ああ、特には……」
デイルも立ち上がり、コートを脱ぐ。分厚い生地に傷があって、細かい破片がくっついている。ひやりとしながら、王太子のマントが肩から落ちる様子を見て、さらに絶句する。ざらざらと細かい破片は落ち、大きな破片がいくつも布に引っかかっていた。
幸いにも、背中などには刺さっているようには見えないが――
「湯殿へ、破片を落とします」
「あ、ああ、だが」
「行きましょう。残った破片でケガをしかねません」
手を払い、そっと破片を抜いてから、デイルはグレオルの手を引っ張り歩き出す。
「……殿下!」
「これから湯殿を使います。湯は?……では、しばらく人を近寄らせないでください。レイリー様へのご連絡もお願いします」
メイド長が慌てて近寄ってきたので、手早く伝えて小走りに湯殿へ向かう。
たまに国王や王妃が使う湯殿は、そのため毎日湯が張ってある。今回は悪いが緊急事態だ、使わせてもらう。
シャンデリアが落ちてきた。王太子の真上から。
時間が経ってくると、恐怖が大きくなる。
もう数秒でも、デイルが遅かったら。
立ち位置としては直撃ではないだろう。だが、無防備に立っていてさらに破片を被っていたはずだ。
もし、当たりどころが悪かったら。
――これが事故だとは、おそらくグレオルも思っていない。
手が震えている。
湯殿の部屋に入る。
準備をする浴室の手前の部屋を、そっとのぞき込む。どこかの神殿のような、凝った大理石のレリーフや柱で飾られた広い部屋に、くつろげるように椅子や寝台などが置いてある。ものが少ないため、誰もいないことは一目で分かった。
「殿下、どうぞ」
神経が尖っている。敵に追われているのと近い緊張で、デイルは肌寒さすら覚えている。
少し戸惑ったような、王太子の視線。
「なあ、幸い怪我はなかった……」
「髪に破片が絡んでいます。襟から入っていないとも言い切れません。洗い流します」
デイルはタイを外し、シャツの前を開けた。
ぎょっと、うろたえるようなグレオルは、後ずさりしかけて、デイルに襟を掴まれ、踏みとどまる。
「脱いでください。全部」
ぴたりと、グレオルの動きが止まる。
見開かれた黒い瞳をのぞき込む。
「はやく、グレオル様」
襟を引っ張り、その胸元の留め具に手をかけると、ばっと手を振り払われた。
「分かった、自分で、大丈夫だ……」
眉根が寄っている。やっとことの重大さに気づいたようだ。
留め具を外し始めた王太子を横目に、デイルはシャツを脱ぎ、その場に落とす。下手に移動させると破片が散ってしまう。ブーツを脱ぎ、少し離れてからボトムスに手をかけ――はた、と気づく。
(あれ?裸になるの?)
いや、これから湯を使うのだし、破片まみれの服をつけていては危ない、のだが。
(……殿下に、脱げって言ったよな?)
恐る恐る、後ろを振り返るのと、グレオルがシャツを脱ぎ落としたのは、同時だった。
大きな背だ、筋肉が滑らかに動き、抑えた明かりがその凹凸を浮かび上がらせる。やはり少し破片が肌にあって、きらきらと動きに合わせて光を弾く。
かあっ、と頬が熱くなる。
不意に思い出すのは、その体に押さえつけられ、撫でさすられ、足を、広げられたときの。
「……お前が脱げと言ったんだぞ」
憮然と、グレオルがこちらを見ていた。
彼は、びくりと震えたデイルから目をそらす。苦笑していた。
「下着もか?」
「は、……はい……」
いたたまれない。心臓がばくばくと音を立てて苦しくなる。
せめて高貴なる方が不必要に肌をさらさないよう、用意されていた手ぬぐいを取って、振り返る。
「殿下、こちらを、」
後悔した。
鍛えられて引き締まったグレオルの腰の、その下の、美しい彫刻のようなラインから、飛び出している……とても、大きな。
「……っ」
「見ないでくれ。仕方ないんだ」
恥ずかしそうな、少しかすれた王太子の声が、デイルの耳に響く。彼は腕を伸ばしてデイルの手から手ぬぐいを取り上げた。
「格好がつかんな……大丈夫だ、なにもしない」
「は、」
「湯に入れば、目立たんだろう」
手ぬぐいは王太子のくびれた腰に巻かれ、一部が不自然に持ち上がっている。
ひく、とデイルの喉が鳴った。
それが聞こえたかどうか――王太子は眉尻を少し、下げた。
「お前も破片が髪についているな。一緒に洗おう。それ以外は、誓ってなにもしない」
「……すみま、せん」
「謝るな」
ゆったりと言って、グレオルは湯殿への扉に近づいた。
かろうじて、それを押し留めて、先に中の検分ができたのは、奇跡だった。
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