僕の初恋を返せ

鹿音二号

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とても広い湯殿だった。
何代か前の王妃が湯を使うのが好きだったらしく、作らせたのだとか。黒い石のタイルを縁にはめ込み、底はきらりとした鉱物が混じる薄緑の石のタイル。
何十人も入れそうなその中央に、狼を従えた女神をかたどった像があり、その足元から湯が流れ出て湯槽に注ぐ。
結局勇気が出なくて、デイルは下着はつけたまま入ってしまった。ともかく、はやく終わらせてしまおう。
まずは手桶を使い、湯を体にかける。何度もかけて破片を流し、グレオルを湯槽に浸からせた。
グレオルは湯につかって、やっと一息ついたようだった。

「このまま頭とお体を洗わせていただきます」
「……ああ」
「そのまま、外側にお体を預けていただいて……」

湯槽の縁の手前に膝をつき、仕事だ、と言い聞かせて、黒髪に触る。グレオルは目を閉じて、素直にデイルに任せている。
精悍な顎が少し上がり、白い額が濡れてあらわになる。
そっと毛先から湯をかけていき、破片を流し落とす。何度も何度も。

「……お前に助けられたのは2度目だな」
「そうなりますかね」
「ありがとう。感謝してもしきれない」

薄く黒い瞳が開いた。ふわりと微笑むグレオル。赤く染まった目元に濡れた頬は、色っぽくてどきりとする。

「すべて片付いたあかつきには、何か褒賞を出そう。考えておけ」
「そのお言葉だけで十分です」
「俺の気が済まない。それに、忠臣に何かしてやらねば他に示しもつかない」
「……僕は元敵ですよ」
「だからなんだ」
「……」

さて、どう断ろうか。
考えておきます、と言ったら、絶対だぞと念を押されてしまった。見透かされている気がする。
洗髪用の石けんを泡立てて、やはり毛先から撫でるようにつけていく。王太子の髪は、見た目以上にしっとりとしていて、とても手触りが良い。
無防備に顎を上げて目を閉じ、デイルに何の警戒もしていないグレオルを見ると、じわりと胸に満足感と切ない痛みが広がる。
どうして、敵だった自分を――

「どうして、僕だったんですか」

好きだと言われた。
王太子が、たかが平民の部下の足元で、頭を垂れて。
あのときは錯乱していて思い至らなかったが、今思えばありえない光景だった。
国の2番目のお方に、許されるはずがない。
けれど彼はなんのてらいもないのだと、全身で語って。
それは、いくらなんでも演技でもなく嘘でもなく、否定はできなかった。

「……そうだなあ」

曖昧な聞き方だったけれど、グレオルはちゃんと分かってくれたらしい。

「……正直に答えるつもりだが……殴られる覚悟必要だな」
「なんでですか」
「俺が最低のゲスだからに決まっているだろう」

一瞬、切なそうな黒い瞳がデイルをまっすぐにとらえた。

「お前は、俺のことがずっと好きだっただろう。出会ったときから」
「……――はい」
「その、きらきらと俺を見る目が好きだった」

デイルは、息を呑んだ。
とうに、知られていたのだ、自分がグレオルをどう思っていたのか。

「自慢じゃないが、俺にそういう目を向けてくるやつらは多い。けど、下心があるのが見えすいているものばかりだ――だが、お前は、純粋に俺を見ていた。見返りも求めず、卑怯な打算もせず……」
「……」
「だから、俺はお前が好きになった、何も俺に要求しないお前が、好ましかったし嬉しかった。単純だ、好きだと言われたとき、やっと言ってくれたと、……何も考えずお前を抱いた」

グレオルの目元が歪む。

「このときは、もちろんダーニャのことも知らなかったし、お前が泣いて嫌がるのは……ありていにいえば、よくなっている証拠だと」
「殿下、おかしいでしょう、それは」
「ああまったくだ。目の前で自害しようとされて、ようやくおかしいと気がついた。それまで俺が思っていたのは、お前はどうせ仲間になるのだから……と」
「殿下」
「後で幾らでも殴っていい、今は聞いてくれ」

腹が立つが、それは思ったより小さい怒りだった。以前に一度喚き散らしたから、すこし目減りしているのかもしれない。

「俺がレイリーにお前の尋問をかわるように言ったのは、レイにやってほしいことは山積みだったし、俺を好いているお前に、俺が適任だと思ったからだ。お前の好意を利用しようとした……というより、自惚れだったな、俺が口説けば落ちないはずがないってな」

自嘲を、口の端に刻むグレオル。

「いつだったかお前の見た目に騙されるという話をしたな。まさにそれだった。こんな……純粋で、裏も表もなさそうな目。親しみやすい笑顔。俺はお前みたいなのがタイプだった」

ふと、グレオルは目を開けじっとデイルを見つめた。
洗髪は終わった。次は、体だ。
無言で布巾を持ち上げると、グレオルはごく自然に腕を上げる。

「俺の今までの相手は、俺が王太子であること、俺の寵愛をいっときでも受けることを計算に入れて近付いてきた、要は都合のいい相手だった。それを――」

グレオルは大きくため息をついた。

「お前に施そうとした、いつものように。お前は……すべて拒絶していたのに……つらかっただろう。何も聞こうとしない男に……」
「……」
「……それに、本当にお前を好きになったのは、俺のせいで自失したお前を見たときだ」
「――殿下、腕にお怪我を」
「放っておけ」

少し血の滲む浅い切り傷。見た感じ、破片が残っているようなことはなさそうだから、そっと湯で流して触らずにおいた。
グレオルはその傷を一瞥し、冷たい表情になる。

「……こんな傷くらい。むしろ、もっと刺されば良かった、死なない程度に」
「何の話ですか」
「いや。ともかく……俺はお前に対して、ようやく罪悪感を感じた。事情を知って、さらにいたたまれなかった。まだ、好きだと……こんなクズを」
「……」
「初恋と言ってくれた。あんな、うれしかったことはない」
「……僕のせい、ってことですか」

憧れと恋慕の目で見続け、初恋だと打ち明け、まだ好きだと言った。
それを真に受けたグレオルのうぬぼれだと言っているのだ。

「いいや、俺の問題だ」

じっと、黒い瞳が穏やかにデイルを見つめた。

「お前は、俺の被害者だ。その事実すら、喜ぶ俺は本当に救いようがないな」

グレオルの体を拭おうとしたデイルの手が、彼の大きな手に握られる。

「こんな男で悪かった。せっかく好きになってくれたのに。何度も言うが、お前はどうもしなくていい。俺は……デイル、お前のことを忘れることは出来ないだろうが。それは関係ないんだ」

手は、すぐに離れた。

「愛してくれと言う資格は俺にはない。ただ、叶うなら、お前が近くにいてくれるなら嬉しい。今はそれだけだ」

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