最強令嬢の秘密結社

鹿音二号

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7:わびしいお茶会

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 裸足の裏に冷たい石畳、小石、砂の感触。
 時折突き刺さる痛みに顔をしかめてうめいても、ミズリィの腕を掴んで引きずる男は歩くのをやめない。

 周囲にはものすごい人だかり。彼らは引きずられるミズリィを怒りや嘲笑の目で眺め、罵声を浴びせる。

 数百メートルは歩いただろうか。痛みと疲労で朦朧としながら、ようやく歩みが止まり、その場に座り込んだ。

「これより、ミズリィ・ペトーキオの異端審問を開始する――」

 そんな大声が聞こえて、驚いて顔を上げた。
 なんのことだかさっぱり分からなかった。捕まる前も、捕まってからも何も聞かされていないのに。

 異端審問――教会が人に混じって現れる悪魔の存在を認めて数百年、それを見つける裁判だ。

(悪魔?わたくしが!?)

 何も、していないのに。
 ミズリィは人間だ。

「何かの間違いですわ――」

 枯れた喉で叫んで、目の前にあるものを見て、息を呑む。
 柵で覆われた円形の土地に、山程の薪と藁が置いてある。その中心にそびえているのは、大きな十字架。
 男の声がさも恐ろしいことだと重々しく響く。

「ミズリィ・ペトーキオは、その邪悪な力を魔法と偽り、ペトーキオ公爵家に第一公女として身を潜めーー」

 なんのことだ。

 心臓が、緊張と恐怖で信じられないくらい早く鳴っている。
 首を巡らせ、自分を押さえている司祭服の男と魔導師、そして大勢の人に囲まれているのを呆然と見る。

 そして、少し離れた、高い舞台のようなところに。
 愛した人がじっとミズリィを氷のような目で見下ろしていた。



 困った。
 本当に困った。

(何を話せば良いの……)

 まさか婚約者の顔を見て、言葉に詰まることがあるとは夢にも思わなかった。

 一週間に一度は必ず婚約者――テリッツ・ロンダミオ・アメジスト皇子との逢瀬がある。

 義務ではないが、もう何年もの習慣だから、今さらやめたいなどと言えるはずもない。
 誰にも言えないことだけれど、前世から巻き戻って最初の逢瀬だ。仮病を、と思わないでもなかったのだ。しかし今後を考えるとこの一回を逃げても、次は学院での挨拶は、パーティーでは、とぐるぐると考えてしまって、どうすればいいのか分からなくなった。

 誰かに相談したい。

 テリッツとは、できれば会いたくなかった。
 婚約者として、20年近くお側にいたのに、結局彼のことを本当のところは知らなかったのだと、処刑されるときになってようやく気づいたのだ。

 最後の瞬間まで、冷たい目でミズリィを眺めていたテリッツ。彼が何を考えていたのか、ミズリィをどう思っていたのか――聞きたいけれど、聞きたくない。

 しかも、今朝見た夢が、その処刑される前の情景だ。
 目が覚めたとき、思わず泣いてしまった。まだ夜明け前で、ベッドの中で声を殺せばフローレンスたち使用人に気づかれずに済んだけれども。

 そして、いつものように皇宮でテリッツと会った。
 庭での二人きりのお茶会。飲んだお茶の味も、並んでいたお茶菓子が何だったかも覚えていない。ただ、時折テリッツが声をかけてくれるのに、必死に返事していただけ。
 当然、早くおしまいになってしまった。

 不甲斐なさとずっと感じている淡い恐怖に、なんだか体が固い。
 きれいに整備された庭をエスコートされながら歩いているのに、何度かつまずきそうになる。その度にテリッツに体に触れられる、それにもまた悲鳴を上げそうになる。
 失礼になることも分かっているのに、体が言うことを聞いてくれない。

「――やはり、体調が悪いのですか?会いに来てくださって嬉しいのですが、無理はしないでください」

 心配そうな、やや男性にしては高めの柔らかい声。
 背が高く、細身だがよく鍛えていて、やや女性にしては身長が高い上にドレスで着飾りよろけたミズリィを難なく支えてくれる。

 整ってはいるが、派手ではない顔立ちの、ふわりとしたクリーム色の髪を撫でつけている。
 言葉に詰まるミズリィを見る目は、薄い水色で――何を思っているのか、よく分からない。

「……ありがとうございます、せっかくのお茶会でしたのに、途中になってしまって」
「またですか。お気になさらず」

 何度か同じことを言っていたらしい。

 けれど呆れもせず、薄く微笑んでミズリィの腰に手を添えて、ゆっくりと歩いてくれるテリッツは、非の打ち所がない紳士だ。
 一つ年上だが、いつも落ち着いた皇子。

(――もしかしたら、わたくしのことは好きではなかったのかもしれない)

 婚約は家同士が決めたことだ。
 皇太子になるはずの第一皇子と、公爵家の公女。それは最良の縁談で、王家から持ちかけられたペトーキオ家は返事2つだったという。ミズリィが生まれた直後の話なので、詳しくは知らないけれど。

 ミズリィは――物心ついたときから将来の夫として目の前で微笑んでくれるテリッツを、好きだった。
 好きだったはずだ。
 けれど、なんの言葉も貰えないまま処刑され、戻ってきた今では、分からなくなってしまった。

 好きなはずなのに怖い。何を考えているのか気になって仕方がない。疑ってしまう。

 ――処刑の前の異端審問。
 ミズリィが悪魔であると、証明されたのは、聖山の大精霊を解き放ったという『事実』だった。

 それは誰かの嘘だ。

 封印が解けたのは、突然だった。理由は不明。けれど、ミズリィはまったく関係がないし、討伐隊にも参加した。調査について、指揮を取っていたオラトリオ学院の学院長と、希代の魔術師として参加したミズリィは、ちゃんと直接テリッツに最後の報告をしたのだ。意見を求められ、正直に話した。

 なのに、異端審問に臨席していたテリッツは、『大精霊を操って討伐隊を攻撃したミズリィ』という論拠に、一言も異議を唱えなかった。
 その時は、混乱して何も考えられなかった。

 けれど、今なら、こう考えてしまう。
 ミズリィが大精霊を操ったという嘘は、テリッツが吐いたのではないかと。

 そんな妄想のようなことを考えている間にも、テリッツは話しかけてくる。

「数日前も、学院を何度か休んだと聞きました。すみません、見舞いにも行けず」
「いいえ、もったいないお言葉ですわ」

 結局慣れないことに頭を使ったせいか、スミレと友達になった翌日、熱が出てまた休んでしまった。

「……学院では変わりなく?」
「ええ」
「そうですか」

 沈黙。

 ようやく庭を抜けて、皇宮の外側の廊下を歩いていると、まばらに人がいて、全員テリッツたちが去って行くまで頭を下げる。
 帝国の第一皇子とその婚約者へは、皇帝と皇后を別格にすると、最大限の敬意を払わなければならない。

 前世は、それが当たり前だった。けれど、今は虚しくてしようがない。
 数年後に、彼らはミズリィをありもしない罪で処刑台に追いやる。

 ぼうっと並ぶ侍従たちの姿を見ながら――ふと、その中に見覚えがある姿があるのを見つけた。

「……オデット嬢?」
「お久しぶりです、ミズリィ様。テリッツ殿下もご機嫌麗しゅう」

 深々ともう一度腰を折り、彼女、オデットは顔を上げた。
 黒い髪を結い上げ、白い肌に黒い瞳。一見愛らしい少女だが、けだるげな印象で、くすぐるような微笑みを浮かべている。

「まあ、オデット嬢!本当にお久しぶり」
「何度も学院をお休みして、お騒がせしております。お許しください」
「もう、ご用事は良くて?」

 ぴくりと周辺の人たちがお辞儀の姿勢のまま小さく体を揺らしたのを、ミズリィもテリッツも、もちろんオデットも見ていた。
 けれど、誰も何も言わない。
 オデットは曖昧にうなずく。

「……はい。もうしばらくは」
「――すまないが、私はこれで失礼します」

 テリッツが、当たり障りのない声で、そう言った。

「ミズリィ、最後までエスコートできなくて申し訳ない」
「いいえ、お忙しいのにお会いしてくださって感謝いたしますわ」

 ミズリィは、ほっとして別れの挨拶をする。
 気を使ってくれているのが分かる。ミズリィがオデットと話したいのは本当だ。

 微笑んで去っていくテリッツに、ふたりでお辞儀をし、それからそれぞれため息をつく。

「あら……ミズリィ様、ため息ですか」
「オデットこそ」
「私は仕方がないんですもの。でも……一週間お会いしない間に、ミズリィ様はずいぶんおやつれになって……」
「そうかしら」
「……お城をお暇して、二人っきりでお話しましょう?」

 流し目でミズリィを見つめ、腕をこちらに絡ませて、クスクスと笑うオデットに、ミズリィは苦笑した。

 今日は皇子のお茶会という名目があって皇宮に来ていたものだから、このまま人目に付く他のところでオデットと話すのも憚られた。

 そっと公爵家の馬車に乗り、ペトーキオ公爵邸へと帰ってきた。
 温室をティールーム代わりに、オデットと久しぶりの――ミズリィの感覚では1年ぶりの、対面。

「それで、どうなさったのかしら。殿下とご一緒だったのに、どうにもお疲れだったのね」
「……悪い夢を見たせいですわ」

 そおなの?とゆっくりと喋るオデットは、この先何年経ってもあまり変わったようには見えなかった。今でも同い年の少女のような、それでいて数歳上の女性にも見える。

「そういえば、お加減もどお?学院に顔を出したらミズリィは休んでいるってイワンに聞いて、びっくりしてしまったのよ」
「ご心配をおかけしましたわ。少し風邪を引いたみたいでしたの」
「そう、無理はしないでね。……ああ、そういえば、スミレ?」
「ええ」
「……平民と仲良くなるなんて驚きねえ」
「関係ありませんわ。わたくしが、スミレと、仲良くなっただけですわ」

 学院ではスミレとミズリィを巡って、いろんな噂が飛び交っている。
 イワンはそれを逐一調べているらしいけれど、誰から何を言われようが、スミレと友達であるということはもう絶対なのだ。

「いい子ですよねえ、スミレ」
「お話をされて?」
「ええ、イワンとメリーがべったりですもの」

 くすくすと笑い、オデットはお茶を飲む。

「……実のところ、どうなの?どうしてスミレと友達に?」
「どういう意味ですの?」
「……いいえ、忘れてちょうだい」

 不思議な笑い方をして、オデットは言葉を濁した。

「――私も、ミズリィのお友達ですよね?」
「ええ、もちろんですわ」

 当たり前のことだ。

 オデットと仲良くなったのは学院に入る直前だった。ミズリィの入学が決まった、そのペトーキオ家の祝賀会で引き合わされたのだ。
 パーティーの間にすっかり仲良くなったミズリィとオデットは、周りの騒ぎ――相当な大騒ぎだったらしいが、ミズリィは全然気づいていなかった――もものともせず、ずっと話していた。

 学院ではクラスも一緒になり、幼い頃に会ったイワンとの再会、すぐに打ち解けたメリー……メルクリニとも仲良くなった。
 今はスミレを加えて、彼女たちが一番の友達だった。

 公爵令嬢、皇子の婚約者としてそれなりの付き合いはあるものの、一緒にいられて楽しいのは、オデットたちだけだ。

「なら、いいのよ」

 満足そうに赤いルージュの唇を弓なりにして、オデットはカップを持ち上げた。

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