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16:オデットの受難2
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「あっ、しまった停留所を過ぎた」
イワンがあたりを見回して驚いている。
爵位に応じて停留所が別れているのだが、ビリビオ家の子爵位はの場所はもう少し前に設けてあった。
「今日は仕方がないですわね……またゆっくり聞かせてくださるかしら」
「もちろんさ。僕もおさらいしないと、次のテストが気にかかる。じゃあ、今日はスミレを送るのは僕だから」
「はい。ミズリィ様、ごきげんよう、また明日」
「ごきげんよう」
「……」
スミレがお辞儀をやめてから、ふとオデットを見た。彼女はいつものくすぐるような笑みを浮かべて、スミレとイワンに手を振る。
「……じゃあ、また明日」
イワンはそっとスミレをエスコートする。
「行きましょうか」
オデットはするりとミズリィの腕に絡んで、歩き出した。
「オデット、歩きにくいですわ」
めずらしい。スキンシップが多い友人だが、人の目があるところで腕を組むなんてことはあまりない。
「あら、ごめんなさいね?久しぶりのふたりきりで、はしゃいでしまったわぁ」
「そうね……最近は皆といましたわね。オデットは最近お休みが多いですし」
ふと、オデットは陰るような目を伏せた。
「そうねえ、もうちょっとで『用事』は終わると思うんだけれど……」
「なんでも話してくださらない?わたくしは友達ですわ」
「……。ええ、ありがとう。でも――」
オデットがためらいがちにうなずき、いつもの笑顔になったときに。
違和感を感じた。
周囲は馬車の乗り場が伯爵家相当の場所のせいか、ひとが少なく、ぽつぽつと同じように歩いている。
ミズリィの視界の端に映ったのは、たまたまだった。自分たちの斜めうしろのさらに人がいないところで、学生には見えない、大人の男がふらりと歩いていた。
最初は守衛かと思ったのだ、身なりは良かった――なんとなく横目で見ていた。
その男が、突然こちらに走ってきた。
「え?」
「……? っ!?」
オデットが、その男に気づいて悲鳴を飲み込んで身を固くした。ミズリィははっと我に返って、彼女の腕を引いた。
そこに、オデットとすれ違うように、男が走り込んできた。
舌打ちと、どこからか誰かの小さな悲鳴。
そのまま走り去っていく男と、気がついた停留所の守衛が、警笛を鳴らして周囲の目を引くのを、ミズリィはオデットを抱きしめたまま呆然と見ていた。
はらりとその目の前に舞ったのは、黒い細い糸のようなものだった。
それは千切れて、地面に次々と落ちていく。
「――!」
それが、切られて落ちたオデットの髪だと気づいた。
彼女の、震える肩から流れ落ちる髪が、不自然に短い。
(許せない)
ミズリィが、そう思った瞬間、かなり向こうまで逃げていた男が、いきなり転んで、地面へと這いつくばる。
驚いた守衛が足を止めかけたが、職務を思い出したのか、そのまま男に向かって行く。
「……魔法か!?」
不審な男に組み付こうとした守衛が、不自然に這いつくばったまま動かない男に、手を出せずにうろたえている。
「……リィ、ミズリィ!」
オデットが叫んでいた。
「あなたでしょう?もう捕まえられるわ、魔法を止めて」
「……?あ、」
はっと気がつく。無意識に魔法を使っていたらしい。
守衛や、他にも保安部の騎士たちがやってきて男を拘束する。
「大丈夫でしたか?怪我は」
騎士の一人が声をかけてきた。
オデットは何事もなかったかのようにミズリィの腕からするりと抜け出した。
「ええ、無事ですわ」
「……守衛が気付くのが遅く、すまなかった」
頭を下げる騎士にやんわりとオデットは首を振った。
「ペトーキオ様が守ってくださいましたから」
「あの方は?」
明らかに、オデットを狙っていた。
「今から調べます」
「この、離せ、私を誰だと……ええい、そこの女が悪いんだ!貢いでやってるのに他の男を誑かしては――」
布で口を覆われるまで、男は喚いていた。
オデットはそれを見て顔を青くして、ぶるりと身震いする。
「……大丈夫?」
「ええ、助かりましたわ。気をつけていたんですけれど」
「気をつけて……?」
「――オデット!ミズリィ、無事か!?」
とうに馬車で帰ったかと思っていたイワンとスミレが、こちらに駆けて来る。
「馬車が混んでいていね。待っていたら――」
「オデット様!髪が……」
「仕方ないわ。怪我がないだけ良かったわ」
「くそ、学院内でこれか。どうしてそこまで……」
イワンは連れて行かれる男を憎々しげに眺めている。
「ペトーキオ様、ハリセール様、ビリビオ様。事情をお聞きしたいのですが」
真面目な顔つきの騎士の言葉は、まるきりミズリィの心の中の声だった。
ミズリィの固有魔法は、制御魔法という。
魔法を使う際にその目的を式化――たとえば、なにもないところから水をコップに満たしたいと思うことを、魔力に最適化した記号にする。
その記号はそのまま意志の強さだと考えられている。強ければ強いという記号に変わり、適度な調整は意志の強さの調整だ。
その記号――式をもとに、魔力を組み上げ変化させ、現象として現実世界に反映させる――これが、一般的な魔法の使い方だ。
意志を、魔力によって『魔法』に変えることを制御という。
ミズリィ・ペトーキオが頭角を現し、聖オラトリオ学院卒業までに稀代の魔術師と呼ばれるようになったのは、その魔力の高さと、制御が万能だったからだ。
水がほしいと思えば、一瞬で、それこそ本人が思うか思わないかのうちに適量が出せる。
結界を作りたいと思えば、どんなものを封じるか分からなくても、破られることがないような結界が瞬時に作られる。
意思の強弱の調整……目的意識の式化をほとんど必要とすることなく、現実への現象を過不足なく、正しく反映する魔力制御の持ち主。
友人を刺そうとした男を、許せないと思った瞬間に、地面に縛り付ける重力魔法を使っていた。
攻撃性がないのは、単に彼女が男を許されるような状況にしたくないという意志が反映したからだった。
これが、もしひとかけらでも罰を与えたいだとか、殺したいと――そんなことを思えば、男は即座に死んでいた。
「……どうしてわたくしには一言もくださらなかったの」
生徒会室の控えの間に、ミズリィと、スミレとイワンは待たされている。
オデットは、メルクリニに付き添われて別室で保安部と生徒会に事情を聞かれていた。
スミレとイワンは、ミズリィに責められながら、後悔しているようだった。
「すまなかった……まさか、ペトーキオ公爵令嬢のそばでなにかしようなんて思う人はいないと」
「そうでは、ありませんの」
もどかしい。
前世の、裏切られて処刑される瞬間の、あの時よりはショックはないけれど。
どうしてこんなにも、嫌な気分になっているのか、それもわからない。
「わたくしには、オデットが狙われていると何故言ってくださらなかったの」
「……余計なご心配をかけることになると、思ったんです」
スミレが囁くように言った。
「イワン様が言ったように、ミズリィ様のお側で事件を起こすような人はいないと思って。なら、いつもオデット様もご一緒にいていただければ――」
「そうではなくて……どうして、わたくしだけ、知らないの。そうですわ、スミレの送迎の馬車の件も。なぜ、わたくしだけが」
ミズリィがオデットを守ることになると、思ってくれたのは分かる。
実際そうだろう、本当ならミズリィの近くでそんな騒ぎを起こそうという人間は帝国にいないと、自分ですら思っていた。
けれど、そういうことではなくて――
「これでは、ただのお人形ですわ」
はっと、スミレとイワンが目を見開く。
「……!ミズリィ様、申し訳ありません!」
「すまなかった!そんなつもりじゃ――」
「どうしたの?」
オデットが部屋に戻ってきた。
付き添っていたメルクリニも不思議しそうな顔をするが、スミレが泣き出しそうな顔をしているのを見て、慌てたようだった。
「いいえ、それで、どういうことですの」
ミズリィの声も固い。
責めたいわけじゃない。
こんなことは公爵令嬢の振る舞いとしては正しくない。鷹揚に、悪意のない友人の失敗は、許すべきだ。
なのに、どうしても心が納得してくれない。
「教えてくださらないかしら。一体、どなたが、オデットを傷つけようとしたの」
ドアが開いて、騎士を伴った生徒会長が入ってきた。
ドミニク・ドニンガム侯爵令息。5期生の首席で、テリッツ皇子の従兄になる。面影がある目元に、やや厳つい顔立ちの、体の大きな青年だった。
「説明を私も聞きたい。教師方にあとから報告するので、同席を願いたい」
「――分かりましたわ」
オデットは落ち着いて、話し始めた。
イワンがあたりを見回して驚いている。
爵位に応じて停留所が別れているのだが、ビリビオ家の子爵位はの場所はもう少し前に設けてあった。
「今日は仕方がないですわね……またゆっくり聞かせてくださるかしら」
「もちろんさ。僕もおさらいしないと、次のテストが気にかかる。じゃあ、今日はスミレを送るのは僕だから」
「はい。ミズリィ様、ごきげんよう、また明日」
「ごきげんよう」
「……」
スミレがお辞儀をやめてから、ふとオデットを見た。彼女はいつものくすぐるような笑みを浮かべて、スミレとイワンに手を振る。
「……じゃあ、また明日」
イワンはそっとスミレをエスコートする。
「行きましょうか」
オデットはするりとミズリィの腕に絡んで、歩き出した。
「オデット、歩きにくいですわ」
めずらしい。スキンシップが多い友人だが、人の目があるところで腕を組むなんてことはあまりない。
「あら、ごめんなさいね?久しぶりのふたりきりで、はしゃいでしまったわぁ」
「そうね……最近は皆といましたわね。オデットは最近お休みが多いですし」
ふと、オデットは陰るような目を伏せた。
「そうねえ、もうちょっとで『用事』は終わると思うんだけれど……」
「なんでも話してくださらない?わたくしは友達ですわ」
「……。ええ、ありがとう。でも――」
オデットがためらいがちにうなずき、いつもの笑顔になったときに。
違和感を感じた。
周囲は馬車の乗り場が伯爵家相当の場所のせいか、ひとが少なく、ぽつぽつと同じように歩いている。
ミズリィの視界の端に映ったのは、たまたまだった。自分たちの斜めうしろのさらに人がいないところで、学生には見えない、大人の男がふらりと歩いていた。
最初は守衛かと思ったのだ、身なりは良かった――なんとなく横目で見ていた。
その男が、突然こちらに走ってきた。
「え?」
「……? っ!?」
オデットが、その男に気づいて悲鳴を飲み込んで身を固くした。ミズリィははっと我に返って、彼女の腕を引いた。
そこに、オデットとすれ違うように、男が走り込んできた。
舌打ちと、どこからか誰かの小さな悲鳴。
そのまま走り去っていく男と、気がついた停留所の守衛が、警笛を鳴らして周囲の目を引くのを、ミズリィはオデットを抱きしめたまま呆然と見ていた。
はらりとその目の前に舞ったのは、黒い細い糸のようなものだった。
それは千切れて、地面に次々と落ちていく。
「――!」
それが、切られて落ちたオデットの髪だと気づいた。
彼女の、震える肩から流れ落ちる髪が、不自然に短い。
(許せない)
ミズリィが、そう思った瞬間、かなり向こうまで逃げていた男が、いきなり転んで、地面へと這いつくばる。
驚いた守衛が足を止めかけたが、職務を思い出したのか、そのまま男に向かって行く。
「……魔法か!?」
不審な男に組み付こうとした守衛が、不自然に這いつくばったまま動かない男に、手を出せずにうろたえている。
「……リィ、ミズリィ!」
オデットが叫んでいた。
「あなたでしょう?もう捕まえられるわ、魔法を止めて」
「……?あ、」
はっと気がつく。無意識に魔法を使っていたらしい。
守衛や、他にも保安部の騎士たちがやってきて男を拘束する。
「大丈夫でしたか?怪我は」
騎士の一人が声をかけてきた。
オデットは何事もなかったかのようにミズリィの腕からするりと抜け出した。
「ええ、無事ですわ」
「……守衛が気付くのが遅く、すまなかった」
頭を下げる騎士にやんわりとオデットは首を振った。
「ペトーキオ様が守ってくださいましたから」
「あの方は?」
明らかに、オデットを狙っていた。
「今から調べます」
「この、離せ、私を誰だと……ええい、そこの女が悪いんだ!貢いでやってるのに他の男を誑かしては――」
布で口を覆われるまで、男は喚いていた。
オデットはそれを見て顔を青くして、ぶるりと身震いする。
「……大丈夫?」
「ええ、助かりましたわ。気をつけていたんですけれど」
「気をつけて……?」
「――オデット!ミズリィ、無事か!?」
とうに馬車で帰ったかと思っていたイワンとスミレが、こちらに駆けて来る。
「馬車が混んでいていね。待っていたら――」
「オデット様!髪が……」
「仕方ないわ。怪我がないだけ良かったわ」
「くそ、学院内でこれか。どうしてそこまで……」
イワンは連れて行かれる男を憎々しげに眺めている。
「ペトーキオ様、ハリセール様、ビリビオ様。事情をお聞きしたいのですが」
真面目な顔つきの騎士の言葉は、まるきりミズリィの心の中の声だった。
ミズリィの固有魔法は、制御魔法という。
魔法を使う際にその目的を式化――たとえば、なにもないところから水をコップに満たしたいと思うことを、魔力に最適化した記号にする。
その記号はそのまま意志の強さだと考えられている。強ければ強いという記号に変わり、適度な調整は意志の強さの調整だ。
その記号――式をもとに、魔力を組み上げ変化させ、現象として現実世界に反映させる――これが、一般的な魔法の使い方だ。
意志を、魔力によって『魔法』に変えることを制御という。
ミズリィ・ペトーキオが頭角を現し、聖オラトリオ学院卒業までに稀代の魔術師と呼ばれるようになったのは、その魔力の高さと、制御が万能だったからだ。
水がほしいと思えば、一瞬で、それこそ本人が思うか思わないかのうちに適量が出せる。
結界を作りたいと思えば、どんなものを封じるか分からなくても、破られることがないような結界が瞬時に作られる。
意思の強弱の調整……目的意識の式化をほとんど必要とすることなく、現実への現象を過不足なく、正しく反映する魔力制御の持ち主。
友人を刺そうとした男を、許せないと思った瞬間に、地面に縛り付ける重力魔法を使っていた。
攻撃性がないのは、単に彼女が男を許されるような状況にしたくないという意志が反映したからだった。
これが、もしひとかけらでも罰を与えたいだとか、殺したいと――そんなことを思えば、男は即座に死んでいた。
「……どうしてわたくしには一言もくださらなかったの」
生徒会室の控えの間に、ミズリィと、スミレとイワンは待たされている。
オデットは、メルクリニに付き添われて別室で保安部と生徒会に事情を聞かれていた。
スミレとイワンは、ミズリィに責められながら、後悔しているようだった。
「すまなかった……まさか、ペトーキオ公爵令嬢のそばでなにかしようなんて思う人はいないと」
「そうでは、ありませんの」
もどかしい。
前世の、裏切られて処刑される瞬間の、あの時よりはショックはないけれど。
どうしてこんなにも、嫌な気分になっているのか、それもわからない。
「わたくしには、オデットが狙われていると何故言ってくださらなかったの」
「……余計なご心配をかけることになると、思ったんです」
スミレが囁くように言った。
「イワン様が言ったように、ミズリィ様のお側で事件を起こすような人はいないと思って。なら、いつもオデット様もご一緒にいていただければ――」
「そうではなくて……どうして、わたくしだけ、知らないの。そうですわ、スミレの送迎の馬車の件も。なぜ、わたくしだけが」
ミズリィがオデットを守ることになると、思ってくれたのは分かる。
実際そうだろう、本当ならミズリィの近くでそんな騒ぎを起こそうという人間は帝国にいないと、自分ですら思っていた。
けれど、そういうことではなくて――
「これでは、ただのお人形ですわ」
はっと、スミレとイワンが目を見開く。
「……!ミズリィ様、申し訳ありません!」
「すまなかった!そんなつもりじゃ――」
「どうしたの?」
オデットが部屋に戻ってきた。
付き添っていたメルクリニも不思議しそうな顔をするが、スミレが泣き出しそうな顔をしているのを見て、慌てたようだった。
「いいえ、それで、どういうことですの」
ミズリィの声も固い。
責めたいわけじゃない。
こんなことは公爵令嬢の振る舞いとしては正しくない。鷹揚に、悪意のない友人の失敗は、許すべきだ。
なのに、どうしても心が納得してくれない。
「教えてくださらないかしら。一体、どなたが、オデットを傷つけようとしたの」
ドアが開いて、騎士を伴った生徒会長が入ってきた。
ドミニク・ドニンガム侯爵令息。5期生の首席で、テリッツ皇子の従兄になる。面影がある目元に、やや厳つい顔立ちの、体の大きな青年だった。
「説明を私も聞きたい。教師方にあとから報告するので、同席を願いたい」
「――分かりましたわ」
オデットは落ち着いて、話し始めた。
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