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第一話 あの子と食べたかぼちゃプリン
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「宗川! まったくお前はどれだけ俺の足を引っ張ったら気が済むんだ!!」
会社に戻るなり、フロアぜんたいに矢嶋の怒号が響き渡っていた。
怒られている宗川さんは首を絞められる直前の鶏みたいな顔でうつむいており、他の社員たちはそちらを見ないようにしながら、必死でキーボードを叩いている。
「お前はよう、数も数えられないのか!? なんでこの注文書、コピー機三台のところが四台になってるんだよ! 先方からクレーム電話かかってきたぞ! 謝らなきゃいけないこっちの立場も考えろよなあ!!」
「申し訳ありません……」
僕ら営業三課の仕事は、本来企業に赴いて契約を取ってくることだけなのだが、人手不足のこのご時世は、他の課のこまごまとした仕事までなぜかやらされる。
すっかり小さくなっている宗川さんに、矢嶋は蛇みたいなぎらついた目を向ける。
「明日謝りに行くけど、もちろんお前もついてくるよなあ?」
「はい、ぜひご同行させてください」
「その時はこんなパンツスーツじゃなくて、ちゃんとスカート履いてこいよ。お前みたいな女は、それくらいしか使いどころがねえんだから」
なんて言いながら、矢嶋の手がさりげなく、宗川さんの膝あたりに触れた。
いくらパンツで覆い隠されているとはいえ、矢嶋の体温がしっかりと感じられているのだろう、宗川さんの頬が引きつっていく。
「最近は男女平等だの、女性が輝く社会だのさんざん言ってるが、それは美人で仕事ができるやつの話だ、お前みたいな無能は無能らしく、自分の立場考えて仕事すんだぞ。言っとくけどお前なんか、かんたんにクビにできるんだからなーー」
「すみません、今日も契約取れませんでした!!」
僕はふたりの間に割って入るように言った。
矢嶋が僕を睨みつけ、宗川さんがびっくりした顔をしている。
今朝は宗川さんを庇えなかった。一緒に働いている仲間で、大切な僕の同期なのに。
もっともこんなことをしたからといって、宗川さんは僕を許さないだろうけど。
「せっかく矢嶋さんに叱っていただいたのに、成果を上げられなくてすみません! 鎌倉まで足を伸ばして、一軒一軒訪問しましたが、話すら聞いてもらえませんでした。不甲斐ないです。本当に申し訳ありません!!」
「お前なあ……」
セクハラしているのを邪魔されたのが、よっぽど心外だったのか。矢嶋の顔が今にも火を噴きだしそうなほど、赤く染まっていく。
「謝ればいいとか思ってんじゃねえよ! 俺があれだけ言ったのに、今日も成果なしで帰ってきて、はいそうですか、じゃあ明日がんばれよ、ってなるわけねーだろ! まったくどいつもこいつも、この課は無能ばっかりかよ!!」
矢嶋の怒りは見事、横槍を入れた僕に移っていく。いつものように怒られているだけなのに、不思議なくらい爽快だった。
例のごとく残業を押し付けられ、一階の自販機でコーヒーを買って休憩していると、隣に宗川さんが来た。
「さっきはありがとう。私のこと、庇ってくれたんだよね」
「いや……それより、朝はごめんね。あんなふうに矢嶋に同調しちゃうなんて、自分が情けなくて」
「ううん、小磯崎くんだってああするしかなかったんでしょう。私だってわかってるもの、気にしないで」
少し距離を空けてベンチに座り、宗川さんはお砂糖がたっぷり入ったミルクティーのプルタヴを開ける。
後ろで束ねた長い髪、化粧っけのない顔の上部でやたらと主張している眼鏡。
どことなく既視感のある顔だけど、どこで見たのか思い出せない。
「女の人は大変だね。僕はパワハラだけだけれど、女の人はセクハラまでされるんだから」
「女が社会に出ると大変だって意味が、今になってよくわかった」
宗川さんがミルクティーの缶を両手で握り、語りだす。四月、入社直後の飲み会で挨拶をしたくらいで、同じ課の宗川さんとこうしてじっくり話すことなんて今までなかった。
「私、母子家庭なの。幼稚園の頃にお父さんが出ていっちゃったんだけど、ひどい人だった。お母さんにも私にもずっと暴力奮って、お母さんは離婚してからひとりで私を育ててくれた。
昼も夜も働いて……それでも大学まではなんとか出させてくれたから、お母さんには感謝してる。だから仕事はつらいけど、こんなことで辞めたくないんだよね」
僕の境遇ときれいなほど重なるので、びっくりした。学生時代、周りにいるのはごくふつうの、両親揃った家庭で育った人ばかりで、バイトだって僕のように生活のためじゃなく、欲しいものを買うためにするもの。
僕が人見知りになったのは、そういう人たちの前にいると自分をどうしても憐れんでしまって、卑屈になってしまうからというのもある。
でも、似たような思いを抱えながら生きている人は、目の前にいた。
「矢嶋のことはほんとにムカつくし、私に言ってることも時代錯誤なセクハラが混じってる。
我慢しなくていい、我慢しちゃいけないことなのかもしれない。
でも私、いざ矢嶋が目の前にいると、怒れないんだよね。
ただ怖くて気持ち悪くて、へこへこしちゃう。おかしいことを言われてるってわかってるのに、嫌って言えない。こういう性格が、すごく嫌い」
「僕も、そうだよ。理不尽に怒られてるのに、嫌って言えない。怒り返せない。なかなか、怒るのって勇気いるよね」
「結局、私たち新入社員だもんね……」
そこで、環境を変える……という、マスターの言葉を思い出した。
また転職サイトに登録して、就活やり直しなんて気が遠くなるけれど、「逃げてもいい」という言葉を前向きに捉えるとしたら、今しかないのではないか。
「宗川さん、転職は考えてないの?」
「んー、そりゃ考えてもいるけれど。新卒ですぐに辞めると、問題ある人物と思われそうだし」
「僕も就活大変だったから、慎重になるよね……けどさ、大人って、自分の身体だけじゃなく心にも、責任を持つべきだと思うんだ。
この会社に無理してずっとい続けたら、どんどん自分が惨めになって、自分のことが嫌いになるだけだと思う。
そうならないために逃げるのは、悪いことじゃないよ」
この場合の逃げる、は環境を変えるという意味であり、勇気が必要なことで、大きなリスクを伴う。
でも自分の心と命を守る以上に、優先させなきゃいけないことなんてないんじゃないのか。
宗川さんはじっと考え込んだ後、僕の目をじっと見据えて言った。
「小磯崎くんの言ってることはもっともだし、間違ってないと思う。でもさ、思っちゃうんだよね。悪いのは向こうなのに、どうしてこっちが逃げなきゃいけないの、って」
「それは……たしかに僕も、思う」
「だよね。だからさ、辞める前に、ちょっとだけがんばってみない?」
「がんばる?」
僕の言葉に宗川さんが頷いて、その顔にはちいさく笑みが浮かんでいた。
会社に戻るなり、フロアぜんたいに矢嶋の怒号が響き渡っていた。
怒られている宗川さんは首を絞められる直前の鶏みたいな顔でうつむいており、他の社員たちはそちらを見ないようにしながら、必死でキーボードを叩いている。
「お前はよう、数も数えられないのか!? なんでこの注文書、コピー機三台のところが四台になってるんだよ! 先方からクレーム電話かかってきたぞ! 謝らなきゃいけないこっちの立場も考えろよなあ!!」
「申し訳ありません……」
僕ら営業三課の仕事は、本来企業に赴いて契約を取ってくることだけなのだが、人手不足のこのご時世は、他の課のこまごまとした仕事までなぜかやらされる。
すっかり小さくなっている宗川さんに、矢嶋は蛇みたいなぎらついた目を向ける。
「明日謝りに行くけど、もちろんお前もついてくるよなあ?」
「はい、ぜひご同行させてください」
「その時はこんなパンツスーツじゃなくて、ちゃんとスカート履いてこいよ。お前みたいな女は、それくらいしか使いどころがねえんだから」
なんて言いながら、矢嶋の手がさりげなく、宗川さんの膝あたりに触れた。
いくらパンツで覆い隠されているとはいえ、矢嶋の体温がしっかりと感じられているのだろう、宗川さんの頬が引きつっていく。
「最近は男女平等だの、女性が輝く社会だのさんざん言ってるが、それは美人で仕事ができるやつの話だ、お前みたいな無能は無能らしく、自分の立場考えて仕事すんだぞ。言っとくけどお前なんか、かんたんにクビにできるんだからなーー」
「すみません、今日も契約取れませんでした!!」
僕はふたりの間に割って入るように言った。
矢嶋が僕を睨みつけ、宗川さんがびっくりした顔をしている。
今朝は宗川さんを庇えなかった。一緒に働いている仲間で、大切な僕の同期なのに。
もっともこんなことをしたからといって、宗川さんは僕を許さないだろうけど。
「せっかく矢嶋さんに叱っていただいたのに、成果を上げられなくてすみません! 鎌倉まで足を伸ばして、一軒一軒訪問しましたが、話すら聞いてもらえませんでした。不甲斐ないです。本当に申し訳ありません!!」
「お前なあ……」
セクハラしているのを邪魔されたのが、よっぽど心外だったのか。矢嶋の顔が今にも火を噴きだしそうなほど、赤く染まっていく。
「謝ればいいとか思ってんじゃねえよ! 俺があれだけ言ったのに、今日も成果なしで帰ってきて、はいそうですか、じゃあ明日がんばれよ、ってなるわけねーだろ! まったくどいつもこいつも、この課は無能ばっかりかよ!!」
矢嶋の怒りは見事、横槍を入れた僕に移っていく。いつものように怒られているだけなのに、不思議なくらい爽快だった。
例のごとく残業を押し付けられ、一階の自販機でコーヒーを買って休憩していると、隣に宗川さんが来た。
「さっきはありがとう。私のこと、庇ってくれたんだよね」
「いや……それより、朝はごめんね。あんなふうに矢嶋に同調しちゃうなんて、自分が情けなくて」
「ううん、小磯崎くんだってああするしかなかったんでしょう。私だってわかってるもの、気にしないで」
少し距離を空けてベンチに座り、宗川さんはお砂糖がたっぷり入ったミルクティーのプルタヴを開ける。
後ろで束ねた長い髪、化粧っけのない顔の上部でやたらと主張している眼鏡。
どことなく既視感のある顔だけど、どこで見たのか思い出せない。
「女の人は大変だね。僕はパワハラだけだけれど、女の人はセクハラまでされるんだから」
「女が社会に出ると大変だって意味が、今になってよくわかった」
宗川さんがミルクティーの缶を両手で握り、語りだす。四月、入社直後の飲み会で挨拶をしたくらいで、同じ課の宗川さんとこうしてじっくり話すことなんて今までなかった。
「私、母子家庭なの。幼稚園の頃にお父さんが出ていっちゃったんだけど、ひどい人だった。お母さんにも私にもずっと暴力奮って、お母さんは離婚してからひとりで私を育ててくれた。
昼も夜も働いて……それでも大学まではなんとか出させてくれたから、お母さんには感謝してる。だから仕事はつらいけど、こんなことで辞めたくないんだよね」
僕の境遇ときれいなほど重なるので、びっくりした。学生時代、周りにいるのはごくふつうの、両親揃った家庭で育った人ばかりで、バイトだって僕のように生活のためじゃなく、欲しいものを買うためにするもの。
僕が人見知りになったのは、そういう人たちの前にいると自分をどうしても憐れんでしまって、卑屈になってしまうからというのもある。
でも、似たような思いを抱えながら生きている人は、目の前にいた。
「矢嶋のことはほんとにムカつくし、私に言ってることも時代錯誤なセクハラが混じってる。
我慢しなくていい、我慢しちゃいけないことなのかもしれない。
でも私、いざ矢嶋が目の前にいると、怒れないんだよね。
ただ怖くて気持ち悪くて、へこへこしちゃう。おかしいことを言われてるってわかってるのに、嫌って言えない。こういう性格が、すごく嫌い」
「僕も、そうだよ。理不尽に怒られてるのに、嫌って言えない。怒り返せない。なかなか、怒るのって勇気いるよね」
「結局、私たち新入社員だもんね……」
そこで、環境を変える……という、マスターの言葉を思い出した。
また転職サイトに登録して、就活やり直しなんて気が遠くなるけれど、「逃げてもいい」という言葉を前向きに捉えるとしたら、今しかないのではないか。
「宗川さん、転職は考えてないの?」
「んー、そりゃ考えてもいるけれど。新卒ですぐに辞めると、問題ある人物と思われそうだし」
「僕も就活大変だったから、慎重になるよね……けどさ、大人って、自分の身体だけじゃなく心にも、責任を持つべきだと思うんだ。
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そうならないために逃げるのは、悪いことじゃないよ」
この場合の逃げる、は環境を変えるという意味であり、勇気が必要なことで、大きなリスクを伴う。
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「小磯崎くんの言ってることはもっともだし、間違ってないと思う。でもさ、思っちゃうんだよね。悪いのは向こうなのに、どうしてこっちが逃げなきゃいけないの、って」
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