鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第二話 モンブランは地味だけど

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午後の授業は出席に厳しくないのをいいことにサボって、そのまま家に向かった。今日も夕方からバイト。

こんな時にとても働く気分じゃないけれど、仕事なんだからさすがにサボれない。

その前に一時間でも二時間でも、寝ておきたい。何も考えず、現実からログアウトしたい。


 玄関を開けると、三和土の隅っこにぴかぴかの革靴があった。リビングからお母さんとお兄ちゃんの楽しそうな声が聞こえてくる。

 お兄ちゃん……帰ってくるなんてひと言も聞いてないのに。


「すごいわねえ。弁護士さんってそんなことまでするの。お母さん、想像だにしなかったわ」
「まあ、うちの事務所の顧客って、大企業が多いからね。この前、商標名を巡って訴訟があってさあ……」


 ためらいながらリビングに入ると、そこでようやくあたしが帰ってきたことに気づいたようにお母さんがあらま、という顔をする。お兄ちゃんがにっこりした。


「お帰り、美波斗」
「……お帰りってむしろ、こっちの台詞じゃない? てか、こんな平日の昼間からなんでいるのよ」
「ちょっと近くまで来たから、寄っただけ。美波斗ももう大学生かあ。大きくなったなあ」


 兄貴というより親戚のおじさんみたいな言い方だけど、八歳も離れていると仕方ないのかもしれない。

 お兄ちゃんは小さい頃から神童扱いされていて、テストではずっと一番。通知表も見事なオール5。

国立大学の法学部に一発合格して、司法試験も無事突破して弁護士になった。お母さんはそんなお兄ちゃんのことを、親戚じゅうに自慢しまくっている。


 しかしそんなお兄ちゃんに、あたしはちっとも似なかった。とにかく、勉強の才能が致命的になかったのだ。


 掛け算の九九でつまずいたあたしに、お母さんは「なんでこんなこともわからないの! お兄ちゃんはすぐに覚えたのに!!」とヒステリックに怒鳴り、あたしの馬鹿を治すためだと、早いうちから塾に入れられた。

そこがまた、中学受験を見越した進学塾だったから、落ちこぼれのあたしは露骨に周囲と比べられ、さらに落ち込んだ。

それでもがんばらなかったわけじゃない。算数の文章題はどうしても解けなかったけれど、社会とか理科とか、暗記すればなんとかなる教科では、それなりに点を稼げた。

とはいえやっぱり、もともとの素質が悪かったんだろう。滑り止めの滑り止めの滑り止めの、いわゆる底辺私立といわれる中学にしか受からなかった。


「こんなとこ通わせるくらいなら、公立のほうがましね」


 お母さんは心底疲れ切って、あきれたというような顔で言った。

 地元の公立中学に通ったあたしは、潔く勉強に見切りをつけ、周りの子に合わせておしゃれに目覚めた。

髪の毛を彩るかわいいクリップ、トーンアップ効果のある日焼け止め、校則をぎりぎりすり抜けられるほどのメイク。

自分を飾ることにすっかり夢中になったけれど、お母さんはあたしが眉毛の手入れをしているだけで、またあきれたような顔をするのだ。


「そんなことがんばったって、将来なんの役にも立たないじゃない! もう少しお兄ちゃんを見習って、勉強に身を入れたらどうなの! まったくこんな歳から色気づいて、将来が心配だわ」――


 昔からお母さんの口癖は、「お兄ちゃんを見習いなさい」「お兄ちゃんは優秀なのに」「お兄ちゃんはできたのにあんたは……」。

ありのままの、そのままの、あたしを受け入れてくれたことなんて、一度としてなかったんじゃないか。


「美波斗はもう、どうしようもないわよ。こんな田舎の三流私大にしか受からなかったんだもの。ほんっと、どうして同じお腹から生まれてきたのに、こんなに差がついちゃったのかしら」


 あたしがわかりやすく嫌な顔をしているのに気づきもしないように、お母さんは言う。

お兄ちゃんがそのくらいにしといてやりなよと、あたしたちの顔色を窺って言う。お兄ちゃんに罪はない。頭が悪くて出来の悪いあたしが悪い。

親だって、優秀な子どものほうがかわいいに決まってるんだから。


「そういえば。美波斗、あんた泰治くんはどうしたの?」


 まさか話題が、今そこに飛ぶとは思わなかったので、つい肩がびくっとする。


「この前家に来たの、夏休みだったわよねえ。うちはいつでも歓迎なんだから、また連れてきなさいよ」
「いや、ちょっとそれは……」
「何? 駄目なの?」
「駄目じゃないけど、その……」


 別れたなんて、お母さんに言いたくない。自分の弱みを、この人に見せたくない。

 なのにお母さんはすべて察してしまったらしく、ははあん、と唇の端を歪めた。


「どうせフラれたんでしょ、その反応。お母さん、ぜったいそうなるって思ってたわよ。泰治くんは頭が良いしいいおうちの子だし、美波斗とはつり合いがとれないもの。あんたといて、退屈で仕方なかったんでしょうね」
「やめなよ、お母さん」


 お兄ちゃんが顔をこわばらせ、おろおろしている。お父さんもそうだけど、この家の男共は基本的に弱い。誰もお母さんがこのモードになると、止められないのだ。


「いくら学生っていっても、もうハタチ超えてるんだから、立派な大人だよ。ふたりの問題だし、口を挟むべきじゃない」

「口を挟むも何も、フラれたんでしょ? そりゃそうよ、こんな、頭すっからかんでおしゃれすることしか能がない子、面白みがないもの」

「そんな言い方しないであげてよ。美波斗には美波斗のいいところがーー」
「あたし、疲れたから寝る」


 ぴしゃりと言ってリビングを駆け抜け、まっすぐ部屋に向かう。お母さんはあんな感じだし、お兄ちゃんだって口ではやさしいことを言うけれど、こういう時追いかけてきてくれたりしない。


 泰治をこの家に連れてきたのは、あたしだって医学部の彼氏ができるんだぞって、見せつけてやりたかったから。

実際、お母さんも泰治が医学部だって聞いてびっくりしてたし、あきらかに態度が変わって、気持ちよかった。

悔しいけどあたしはお母さんの言うとおり、頭すっからかんでおしゃれすることしか能がない女。

そんな子が親を見返すなんて、こういう方法しかない。


 せっかく掴んだチャンスだったのに。幸せな未来へのチケットは、見事にあたしの手をすり抜け、千和子に横取りされた。


「……つらい」


 もう、怒りはなかった。本当に好きな人と付き合えば幸せになれる、そう思ってたのに。

泰治にも千和子にも裏切られ、残ったものは泰治と会う時のために揃えた山のような服とコスメ、脱毛サロンに課金してツルツルになった全身の皮膚。

 泰治が傍にいなかったら、そんなの何の意味もない。

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