鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第四話 290円の贅沢チーズケーキ

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「あたしがああいう仕事始めたのは、二十三の時。社会人一年生で、なかなか仕事についていけなくて、毎日ミスして怒られてばっかで、ストレス溜まってる時に友だちに誘われてホスクラ行って、そこの担当にハマッちゃった。

彼氏なんて高校の時にひとりいたきりだったし、お金を捻出するために担当が紹介してくれた店で働くのも、昼職とのダブルワーク効率悪いじゃんって会社辞めたのも、別に嫌じゃなかったんだよ、ちっとも。

でも担当が店辞めて、それっきり。次は例の元彼ね」


「……そうなんだ」
「馬鹿だなって思ってるでしょ。ぜんぶ自分のせいだって」
「……ごめん」
「いいよ別に。親にもそう言われたし」


 吐き捨てるように言って、残りのサンドイッチを口に押し込むように食べる。目がすっかり、やさぐれていた。


「親はあの仕事のことは知ってるの?」
「さすがに知らないよ、言ってないし。でも勘付いてはいるんじゃないかな。なんか実家戻ってきてから、いっつも軽蔑したような顔であたしのこと見てくるもん」
「……そうなんだ」


「あんたの家庭事情のことはずっと聞いてたし、可哀想だとは思うけど。でも両親揃ってそこそこお金ある家に生まれたからって、みんなが幸せとは限んないからね? 

たしかにうちの親は大学まで出してくれて、欲しいものは買ってくれた。でも昔っから何かにつけてあたしのことグチグチネチネチ否定してくるし、それに対して言い返せばふた言めには育ててやったのに、って恩着せ発言! 

そんな人たちと一緒にいるより、利用されているってわかってても、自分のこと必要としてくれてる人といるほうが幸せなんだよ! 馬鹿だよ、本当に馬鹿! でもそれがあたしなの! 

変わりたいのに、変われない。変われないのが、しんどい」


 最後のほうは涙声になっていて、俺まで胸が詰まった。璃音がわっと顔を覆う。

 ……馬鹿なのは、俺のほうだ。

 俺は自分が最低な生まれだって自覚してたから、自分が、自分だけが、誰よりも不幸なのだと思い込んでいた。だから、すぐ傍にいる人の、大好きな人の悲しみさえ見えなくなっていた。見ようともしなかった。

 なんて視野が狭かったんだろう。

 璃音みたいな人は、きっとそこらじゅうにいる。もしかしたら、いつか説教してやりたいと思った、カフェでくっちゃべってたあの女子高生たちでさえ、そうだったのかもしれない。

 自分の苦しみしか見えていない傲慢な人間が、ひとに好きになってもらえるわけないじゃないか。


「……俺はさ、恋愛経験ないからよくわかんないけど」
「そうだろうね」


 涙声で、それでも璃音が負け惜しみみたいに言う。ふっ、とつい小さな笑い声が漏れた。


「でも、璃音ちゃんが幸せになれない人なんて思えない。だって俺、璃音ちゃんと一緒にいるの、幸せだったんだよ? いつも話聞いてくれて、やさしくしてくれて」
「そんなの当たり前でしょ。客なんだから」

「璃音ちゃんにとってはそうかもしれない。金で買えるやっすい幸せだったかもしれない。でも、間違いなく幸せだった。俺にとっては。だから」


 涙で濡れた目をはっきりと見て、言った。


「ひとを幸せにできる人間が、幸せになれないなんてこと、ないと思うんだよ」


 璃音がわずかに目を見開いて、そしてぶうたれた顔で言い放つ。


「……なんか言いくるめられてる気がする」
「ええ? そんなつもりじゃ、でもごめん……」
「いいよ。なんか、うれしい。ありがとう。ちっとも好きでやってた仕事じゃないのに、今はじめて、ちょっとだけ報われた気がする」


 璃音がぷい、と顔を背けた。頬が赤くなっているのは、チークとかいうやつのせいじゃないはずだ。
 やばい。やっぱりかわいい。
 フラれた身なのにそう思ってしまって、さらに言葉を重ねてしまう。


「細川清隆。これが俺の本名。山田じゃないんだ」
「は? 当たり前でしょそんなの、あんなとこで本名名乗る人なんていないし」
「そうだよね……璃音ちゃんの本名、教えてもらっていい?」


 璃音が思いきり眉根を寄せたので、また怒らせたかとあわてたたけれど、返ってきた言葉に一瞬唖然とした。


「……璃音」
「あ、やっぱ教えてくれない?」
「違う。本名が璃音」
「えっ、本名でやってたの!?」

「そうだよ、キラキラネームとかよく言われるから、気に入ってないんだよこの名前! ぜんっぜん似合ってないの知ってるし。でも面接行ったら、店長にかわいい名前だからこのままでいこうって言われて、なんかそのままズルズル、みたいな……」

「へえー。でも本当にかわいい名前だよ。二十四だよね? やっぱ俺の頃とは、名前の流行が違うんだなあ」
「あたし二十九だよ。あんたの一個下」
「へっ!?」

 いたずらがばれた子どものような顔で笑ってる璃音は、何も取り繕っていないかわいさがあって、抗いようのないときめきが胸を満たしていく。


「ああいうとこの女は名前だけじゃなくて、歳も嘘なんだよ、だいたい。知らなかった?」
「……知らなかった」
「あははっ、うけるー。清隆ってほんと遊び慣れてないんだね」
「……仕方ないでしょ、金ないんだから」


 あははっ、ともう一度璃音が笑った。

 さりげなく呼んでくれた、俺の名前。

 この子が俺を選んでくれる可能性は、まだ限りなく低いけれど。

 もう好きになってもらえるとかもらえないとか、そんなのどうでもいいと思えてしまう。

 一生ブサイク扱いされ、恋愛対象に入れてもらえなくても、俺はこの子の、傍にいたい。

 いつか、満たされない心を、本物の愛情でいっぱいにできる日まで。
 
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