鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第五話 本命チョコはフォンダンショコラ

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主婦向けファッション誌で読者モデルを務める専業主婦は、決まってきらびやかな生活をしている。

 家は都内のタワーマンション、もしくは湘南エリアの一戸建て。旦那は上場企業に勤めていて自分をちゃんと大事にしてくれていて、育児にも家事にも積極的に参加、記念日には高級ホテルでディナーを楽しむ。

子どもは有名幼稚園に入れて、ブランドものの子ども服なんて着せちゃって、自分はホームベーカリーでパンを焼いたり庭造りに精を出したり、その様子をブログで実況して全国に読者を獲得。ついでに、犬か猫がいれば完璧。

 私は湘南に分類される鎌倉の一戸建てに住んでいる専業主婦なのに、なんで朝からこんなに苛立っているんだろう。


「凛(りん)太朗(たろう)! いつまでもテレビ観てないでさっさと朝ごはん食べちゃいなさい! また遅刻するわよ!?」


 怒鳴っても、小一の凛太朗はテレビの前から動かない。

凛太朗には過剰なまでのルーティンがあって、それを崩されることで極度のストレスを覚えてしまう。今も七時半から放送の子ども向け番組に見入っていて、それを見終えるまで食卓につかない。

 こだわりが強いのは発達障害の特性のひとつだというけれど、ここまで扱いづらいとは。


「そんなに朝からきりきり怒らなくてもいいじゃない。里(り)英(え)はいつも朝からサラダだの味噌汁だのスクランブルエッグだの、凝った朝食を用意するけれど、パン一枚食べとけばお昼まで持つでしょ。それなら五分もかからない」

「それじゃ栄養バランスが崩れるでしょ!」


 すかさず言い返すと、夫の将司(まさし)は眉根を寄せ、んじゃ行ってくるね、とカバンを持ってさっさと出かけてしまう。

一緒に凛太朗をなだめて、食卓に座らせることすらしてくれない。凛太朗は他の子どもの何倍も手がかかる子なのに、万事がこの調子だ。


 やっと番組が終わって食卓についても、凛太朗はオレンジジュースを飲んで、すぐ顔をしかめた。

ちなみに凛太朗が朝、オレンジジュースを飲むコップはひよこの柄がついたマグカップだと決まっていて、違うものに入れると泣いて嫌がる。今朝はちゃんとひよこ柄なのに、なんでこんな反応をするのか。


「味が違う」
「え? そんなわけないじゃない。いつものオレンジジュースよ」
「味が違う」


 凛太朗は小一にしては口数が少ないけれど、コミュニケーションが取れないわけじゃない。しかし味が違う、と言われただけではこちらもどう対応していいかわからない。

 マグに口をつけてちょっとだけ飲んだ。昨日までと変わらない。


「ちっとも味、違わないよ。同じメーカーだし。気のせいだよ」
「味が違う」
「だから違わないって言ってるじゃない!」
「違うんだよ!」


 凛太朗の機嫌がどんどん悪くなっていって、これはまずい、と思った。時間を確認する。あと十五分以内に家を出ないと、遅刻する。

 冷蔵庫を開けてジュースのパックを確認する。ほら、やっぱり同じメーカーじゃないか、間違えてない。と思ったら、小さく「リニューアル」の文字が入っている。

まさかと思って成分表を確認したら、果汁の含有率が十パーセント減っていた。


 感覚過敏もここまで来ると、天才である。我が子ながらあっぱれ。いや笑いごとではない。

というか、リニューアルして果汁の含有率が減らすって何なのだろう。改良じゃなくて改悪じゃないか。コストカットするなら、もうちょっと別のところで出来ないものか。


「ねえ凛太朗、今日はオレンジジュースはやめて、牛乳にしよ?」
「牛乳嫌い。オレンジジュースがいい」
「そんなこと言わないで。昨日までと同じジュースはもう飲めないの」

「オレンジジュースがいい」
「だから無理なんだよ」
「オレンジジュースじゃないと嫌だ!!」


 ついに凛太朗の感情が決壊し、真っ赤な顔で泣きじゃくり始め、テーブルをばしばしと叩き始めた。

ひよこ柄のマグが倒れ、オレンジ色がどろりと床まで流れ落ちる。

わああああ、というより、ぎゃああああ。思わず耳を引き裂くような声が、脳の中心をぎりぎりと締め付ける。


 発達障碍児特有のこだわりの強さは、単なるわがままでは済まされない。問題なのは本人がそのこだわりのせいで、ストレスを感じ生きづらくなっていること。

だから少しずつ、違う考え方や方法をとることも教えていきましょうね、と児童心理士の先生に言われたけど。


 はっきり言ってそんな余裕ない。凛太朗がパニックを起こす度、それをなだめるのでせいいっぱい。

凛太朗のパニックはいつ何時、どんなきっかけで起こるかわからないから、常に爆発の可能性がある爆弾を抱えて生きているようなもので、そんな凛太朗の保護と監督を使命としている私には、それは何よりつらいことでーー。


「学校に電話するね」


 まだ泣いている凛太朗から離れて、職員室にかける。

担任の先生はすぐに出てくれて、朝からパニックを起こしたのでなだめるまで少し待ってください、申し訳ないですと伝えると、ぜんぜん気にしなくていいと言ってくれた。

三学期になってからもう五回もこんなことが起きている。内心、教育力のない親だとあきれているかもしれない。


「本当に申し訳ないです、失礼します」


 ため息を吐きそうになりながら電話を切っても、まだ凛太朗は吠えるように泣き叫んでいた。この泣き声のせいで、虐待を疑われたことは何度もある。

しかるべきお役所の人に事情を説明すると、みんな同情した顔をして労わってくれるけれど、そんなのなんの慰めにもならない。

 断言する。

 子どもは天使なんかじゃない、怪獣だ。
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