鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第五話 本命チョコはフォンダンショコラ

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次の日、凛太朗を学校に送り出した後、いてもたってもいられずスマホで求人情報を検索していた。

八年近くのブランクがあっていきなり社会復帰は難しいだろう、でも正社員や、好きな仕事にこだわらなければ、いくらでも仕事はある。これなんて、事務仕事の割に時給はいいじゃないか。


 でも――と、スマホに滑らせる指が止まる。離婚して仕事を始めたって、その間凛太朗はどうする? 

今のご時世、学童保育だってすんなり預けられない。預けられたとしても、凛太朗のような子は向こうからお断りされる可能性も高い。

となると結局、凛太朗の学校がある昼間だけ、時給の安いパートタイムで働くしかないし、それではとても親子二人、生きていけないじゃないかーー。


「何それ、詰んでるじゃない……」


 スマホを放り出し、頭を抱えた。私たちの味方にならない夫に愛されてると勘違いして結婚し、難しい子どもを産んだ時点で、私の人生はお先真っ暗だ。

結局、義母に頭を下げ、どうにか許してくださいと懇願して、将司の庇護の元、結婚生活を続けるしかないというのか。

 そんな地獄、どうやったら耐えられる?


 テーブルの上に追いやったスマホが細かく振動する。画面には学校の電話番号が表示されていて、悪い予感に心臓が凍り付く。


『もしもし、突然すみません。先ほど、二十分休みの最中、凛太朗くんが彼方くんに怪我をさせてしまいまして――』

「えっ……」


 かろうじて出てきた声は、それだけだった。

 頭が真っ白になりながら学校に向かい、指定された空き教室に行くと、そこにはもう真衣子さんがいた。彼方くんはおでこにも膝にも、痛々しく大きな絆創膏が貼られていて、不安そうにしていた。

 凛太朗はいつも通り、何も読み取れない目を宙に彷徨わせているだけ。

 その態度に煮えたぎるような怒りを覚え、気が付くと凛太朗に掴みかかっていた。


「お母さん! 落ち着いてください!!」


 担任の先生に制止され、ようやく我に返る。凛太朗はやっぱり何も言わず、黙っているだけ。


 将司と同じだ。


 この子も悪いことをしても、自分が悪いとわかっていない。


 謝りすらしない。


 ふつうと違うのは、もう仕方ないと思っていた。それでもふつうの人間に育てなければと、がんばってきた。


 でも、凛太朗はふつうになれないどころか、ふつう以外の人間に成り下がってしまった。


「本当に申し訳ございません――!!」

「ちょ、里英さん落ち着いてよ。見て、おでこも膝も、ちょっと擦りむいただけじゃない? 別に骨が折れてるとかじゃないんだし。これくらいの怪我、うちの彼方ならしょっちゅうなのよ、先生だって、親に連絡するほどのことじゃ」

「でも、うちの凛太朗が悪いんでしょうーー!?」


 ほとんど悲鳴みたいな声になった。先生が、事情を淡々と話す。


「本人たちに聞いたところ、ブランコで遊んでいた時の出来事だったんです。ほら、子どもってブランコを漕いで、そのまま勢いをつけて飛び降りたりするでしょう。凛太朗くんがそれやろうって、彼方くんに言ったらしくて。凛太朗くんは無事に着地できたけれど、彼方くんは着地に失敗してーー」


 一瞬覚えた違和感の正体がなんだか見定めることもなく、凛太朗を睨みつけていた。静かに目を逸らした息子に、罵声を浴びせてしまう。


「あなた、自分が何したかわかってないでしょう! 友だちにそんな危険なことをさせて、結果この怪我よ! よく平気な顔をしていられるわね!? お母さん、あなたをそんな子に育てた自分が恥ずかしいわ!!」

「お母さん、本当に落ち着いてください。これは事故なんですから」

「そうよ里英さん、そこまで言うほどのことじゃないわ。凛太朗くんは飛び降りようって言ったかもしれないけど、素直に実行しちゃったうちの彼方だって悪いのよ?」

「そうだけど、そういう問題じゃないんですよーー!!」


 涙を浮かべてそう言った私を、ふたりとも息を詰まらせて見つめている。


 何ひとつ上手くいかない。凛太朗の教育も、将司やお義母さんとの関係も、自分の気持ちをコントロールすることすら。


 こんなことになるなら、凛太朗を産まなきゃよかった。


 これから何度もこんなことがあるっていうなら、いよいよ凛太朗を育てていく自信がない。たぶんその前に、私は疲れ切って灰になってしまう。


「この度は本当にすみませんでした、うちでもよく言って聞かせますーー今日は早退させてください」

「……そうですね、凛太朗くんもショックを受けているようですし。どうかお気をつけて」


 凛太朗の手を引いて学校を後にする。校舎から楽しそうな子どもたちの声が聞こえてきて、また胸が苦しくなった。

 凛太朗に、ふつうになってほしいだけなのだ。あんなふうに子どもらしく、無邪気に笑って、遊んで、人並みの社会性を身に着けてほしい。

 たったそれだけのことすら、どうして叶わないの。


「お母さん」

 チャイルドシートに座った凛太朗が、口を開く。この子から私に話しかけるのは珍しい。


「あのね、僕……」

「いっつもだんまりなのに、こういう時だけ口が達者なのね。言い訳しようっていうの?」


 きつい声が出て、みるみるうちに凛太朗の顔が歪んでいく。

 もうパニックになろうが、どうなろうが関係ない。


 やめた。


 いくら導こうとしても、この子はふつうになれないんだから。


「あなたがしたのは最低のことだし、ぜったいに許されないこと。いくら謝ったって、お母さん許さないわよ。でも自分の何が悪いのか、言ってもあなたはどうせわからないでしょ。もう嫌よ、そんな子。お母さんはもう、無理」


 凛太朗はパニックにならなかった。


 静かに顔を崩し、すすり泣くようにしながら顔を覆う。泣くならいつも、そうしてよ。ぎゃあぎゃあ泣き喚いて、お宅大丈夫? って近所の人が不審そうな顔で訪ねてくることが、何度あったと思ってるの。


 ささくれだった気持ちで、私はめちゃくちゃに車を走らせた。
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