鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第五話 本命チョコはフォンダンショコラ

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親子ふたり、首を吊るならどこがいいだろうか。

 そんなことを考えて、鎌倉市内をドライブしているうちに、隣の横浜市栄区や藤沢市のほうまで行ってしまい、いくつか小さな児童公園も目についたけれど、終わりにする場所として適切かどうか考えると、結局スルーしてしまった。


 死ぬのが怖い、わけじゃない。

 首を絞めようとしたり包丁を突き付けたりしたら、凛太朗はかつてないほどの激しいパニックを起こすはずで、本当に安全な場所はどこにもないのだ。


「……家でやるしかないか」


 そしたら、三人で暮らしたあの家は事故物件になってしまい、売りに出そうとしても買い手がつかず、義母は最後まで迷惑かけやがってあの馬鹿嫁、と怒り狂うだろう。でも別にいい、いくら詰られても。その時私は死んでるんだから。


 家に戻ると、凛太朗はいつになく静かに遊び始めた。将司が買い与えたタブレットでゲームをやっていて、時折ぴこーん、という音が聞こえてくる。やっぱり、ちっとも楽しそうに見えない横顔。私が今何を考えているのかなんてぜったいわかっていない。

 凛太朗、あなたこの後死んじゃうんだよ。もうママと会えないんだよ。

 こんな時くらい、タブレットじゃなくてママとお話してよ。


「凛太朗、出かけるよ」


 声をかけると、凛太朗はびっくりするくらい素直にタブレットを放り出し、自分から支度を始めた。今さらいい子にしたってしょうがないのよ、と内心で意地悪く思ってしまう。

 死ぬ前にちょっとだけ出かけて、最後においしいものでも食べて、いい気分になろう。せっかく鎌倉に住んでいるのに、ろくに観光したことがないまま死んでしまうなんて、悲しいもの。

 来月春分を迎える午後の日差しは、ちょっとだけ春めいてきたけれどまだ空気は冷たい。バスに乗って鎌倉駅へ向かう間、車窓の向こうに花開いた黄色やピンクの梅がちらほら見える。凛太朗は唇を引き結んでじっと座っていた。

とにかく聞き分けのない子ではあるけれど、スイッチさえ入らなければ何時間だっておとなしくしていられる。


 八幡宮裏の停留所で降り、鳩サブレーの店横にある階段から境内へ。寒い時期で時間も遅めだからか、境内はそこまで人が多くない。

手水舎ちょうずしゃで手と口を清めていると、凛太朗が冷たい水を嫌がるので手を洗わせるのにひと苦労だった。その後、お気に入りのくまさんがプリントされたハンカチを取り出すと、ちょっと機嫌が良くなる。参拝に向かう人たちの中にはまだ首も座っていない赤ちゃんを抱っこしている人がいて、お宮参りなのかと思う。


 凛太朗のお宮参りも、ここに来た。あの頃はまだ、将司とも義母とも上手くやれていた。

将司は妊娠中、ちゃんと私を労わってくれたし、結婚に難色を示していた義母も、初孫のかわいさにコロッと態度を変えて、どこで見つけてきたのか、0歳児向けの英語教材を大量に送ってきたっけ。この子は将司に似たんだもの、必ず立派な人間になるんだから、なんて言って。

 あの頃は誰も、凛太朗がこんな難しい子どもなんて想像していなかった。私でさえ。

 手を合わせる人たちの列に並びながら、凛太朗に言う。


「ここはね、神様にお願いをする場所なの」
「お願い」
「そう、お願い。叶えたいことをなんでも、心の中で言ってごらん」


 言いながら、むなしいなと思ってしまう。神様にお願いしても凛太朗がいい子になるわけじゃないし、この状況はちっとも良くならない。

 私が願うのは、この子が苦しまず、命を終えることができますように。ただ、それだけ。

 参拝の後、凛太朗はおみくじに興味を示した。せっかくだから引いてみると、びっくりすることに大吉が出た。願い事 叶う 転居 今が吉 失せ物 すぐ傍にある――つまり、凛太朗を楽に死なせてくれるということなのか。だとしたら、神様も捨てたものじゃないのかもしれない。

 凛太朗が引いたおみくじは、末吉だった。末吉の意味を尋ねられ、ちょっと困った。


「末吉は吉のいちばん下だね。大吉、中吉、小吉、吉、その後が末吉。その下だと、凶になる」
「僕大吉がいい」
「そんなこと言っても、これ、運だめしだよ? いくら引いたって、出るとは限らない」
「大吉がいい」


 ああ、また始まった。うんざりしつつも、最後ぐらい凛太朗のわがままを叶えてやってもいいと思った。とはいえ、大吉なんてなかなか出るものじゃない。

次は小吉、次は吉、その後三回続けて凶。何回もおみくじを引いている私たちに、おばあちゃんが「大変ね」なんて声をかけてくる。なんだか情けない気分になっていると、十回目でようやく大吉が出た。


「凛太朗! これだよ! これが大吉!」
「いちばんいいの?」
「うん、いちばんいい。凛太朗は幸せになれるね」


 そう、幸せになれる――別の人間として、別の親の元に生まれた、次の人生で。

 ……ごめんね、凛太朗。

 お母さん、あなたをちゃんと育ててやれそうにない。


 日差しにオレンジ色が混ざる中を、凛太朗と手をつないで歩く。大吉を引けたせいか、凛太朗は機嫌がいい。このまま帰るのもあれだし、最後に親子でおいしいものでも食べよう。小町通りならしらす丼のお店があるし、イワタコーヒーのパンケーキは凛太朗も喜ぶはずだ。


「凛太朗、何食べたい?」

 聞いても凛太朗は反応がなく、じっと正面の一点を見つめている。その視線の先を追うと、毛つやのいい黒猫がこちらをじっと見つめていた。


「にゃあ」
 短く鳴いて、猫は歩き出す。凛太朗が私の手を振り払い、走り出す。


「待って、凛太朗!」


 いくら変わり者の凛太朗とはいえ、動物が好きなところは一般的なこの年頃の子どもと同じだ。動物が好きなのに、どうして教室で飼っているザリガニを放したのかはわからないけれど。


 凛太朗は黒猫を追い、追われている黒猫はとっとと逃げ出す。その辺の商店と商店の隙間に入っていくかと思えば、たたたたたっ、と歩道を駆けていく。

いつ黒猫が車道に飛び出さないか、凛太朗がそれを追いかけないかとひやひやしていたら、黒猫は住宅街の細い道へ入っていった。時々凛太朗を振り返り、にゃあ、と挑発するように鳴く。この子をいったいどこへ連れて行こうとしているんだろう。


「ちょっと、待ってよ……」


 はあはあと息を荒げ、ひとりと一匹を追う。ようやく凛太朗が足を止めた。黒猫は一軒の古民家カフェに入っていく。墨のように真っ黒い、純和風の外観にそぐわない『クロスオーバー』という洋風の店名。入口の引き戸に、何かの境界を示すようなしめ縄が張られている。


「待ってってば!」
 凛太朗は黒猫を追って、私の制止も聞かず店内に入っていく。仕方なく私も後を追った。


 店内はカウンターとテーブル席で構成され、どっしりと鎮座する大時計やアンティークの電話がモダンな雰囲気を漂わせている。壁に貼られた円覚寺や建長寺、成就院など鎌倉の名所を撮影した風景写真も美しい。ゆったりとカーペンターズの音楽がかかっている。


「いらっしゃいませ。二名様ですね。そちらのカウンター席にお掛けください」


 現れたお兄さんは、思わずはっとするくらいの美形だった。端正で涼しげな目鼻立ちは、隠れ家カフェという風情のこの店に相応しい。喫茶店の店員さんらしい黒いエプロンも、抜群のスタイルを強調している。歳は二十代後半くらいだろうか、眩しいくらいの若さに思わず目を瞑りたくなる。

 にゃあ、と声がして、振り返るとお店の隅にあるベッドにちょこんと黒猫が座っていた。凛太朗がさっさと撫でにいってしまう。
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