この声が、聞こえるあいだに

小野紅白

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三話

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「まぁ、ドアは静かに閉めるほうが素敵でしてよ」

 誰のせいだよ……と言いかけたけどやめて、自転車に乗って学校への道を急ぐ。蝉がうるさい。

「改めて考えると、紺のハンケチも悪くないですわね」

「何だよそれ」

「だって、女子は紺のハンケチはたいてい選びませんでしょ?とすると、殿方から差し出されたハンケチのイメージが強く残りますわ」

「だから誰に差し出すんだよ…」

「まぁ、誰にと申されましても……運命の幕が上がるその瞬間まで、わたくしにもわかりませんわ」

 自転車のペダルを漕ぎながらため息をつく。


 学校の駐輪場に自転車を置き、一息つくと汗がぶわっと出てきた。絶対にいつもよりしっかり締めたネクタイのせいだ。
 ポケットからハンカチを出して汗を拭く。…まぁ、なんだ。あると便利だ。

「うふふ、様になっておりますわよ」

 またマダムが話しかけてくる。

「うるさいなぁ」

 無造作にハンカチをポケットに突っ込むと、クラスメイトの伊藤と目が合った。たまに喋る。落ち着いた陽キャみたいなやつ。

「おう、おはよう山中。何か言ったか?」

「おはよう。何も言ってないよ」

 危ない。陽キャに変人認定されたら生きていけない。

「そっか。それよりお前ハンカチなんて使うんだな。何か意外だわ」

「お、おう。何かな。父さんがわりとそう言うの用意してくれんだわ」

「へー。俺だったら用意されても使わなさそうだけどな」

「あ、まぁ、そうなんだけど、何か、たまたま?」

「ははっ、何だそれ」

「おーい!伊藤!」

 向かうから伊藤を呼ぶ声がする。

「おー!今行くー!山中、じゃな!」

「お、おう」

 何か、すごいなって思った。何がってわけじゃないんだけどさ。…何か。ね。


 教室に入ると、三分の二くらいの人が来てて、グループ毎に喋ったり朝の用意をしてたりする。
 透き通るような声が聞こえる。窓際で話しているのは、たぶん加賀谷さん。クラスの女子の中では、ちょっと落ち着いた雰囲気の子だ。地味ってほどじゃないけど、なんか清楚って感じで——いや、だから何だって話だ。

 席に着いて、カバンを置く。エアコンがついてても、さっきの汗はまだ引かない。ハンカチをもう一度取り出して、首の後ろを拭いた。
 そのとき、背後から軽い声が飛んできた。

「え、ハンカチって持ち歩くタイプだったっけ?」

 振り返ると、加賀谷さんがいた。

「え? あ、うん、なんか……たまたま?」

 急に話しかけられて、脳の処理が遅れる。

「へー、何か、ちょっといいね」

「え、あ、ありがとう?」

「ふふ」

 それだけ言って席に戻って行った。気付けばチャイムが鳴り始めている。

 授業の準備をするのに鞄からノートを取り出す手が少し震えている。さっき拭いた汗がまた出てきている気がする。

 ……ちょっといいねって何だよ。いいってことは悪く無いってことだからいいのか?いいって何だ?しかもちょっとって更に何?マジでJK難しい。

 頭をぐるぐるさせながら一日を過ごす。
 ハンカチ一枚でこんなに振り回されるなんて思ってもなかった。

 放課後、自転車に跨ってバイト先を目指す。
 父さんが夜遅い日が多いから、賄いを狙ってバイトしてる。お小遣いも稼げるし、Win-Winな関係ってやつだ。……あれ、これは僕だけ勝ってる感じ?…まぁいいや。

 自転車に乗って到着したバイト先は駅前のカフェ。「おはようございまーす」と言いながらロッカーへ向かう。まだまだ外は暑いから汗がヤバい。ポケットからハンカチを取り出して汗を拭く。

「何気に大活躍じゃん…」

「そうですわね!私も嬉しいですわ」

「いや、黙ってて」

「あら、失礼。学校では黙っておりましたのにね。つい嬉しくて」

 軽くため息をつきながらカフェのエプロンに着替えて、休憩スペースで業務連絡ノートをパラパラめくっていたら店の方から先輩がやって来た。

「お、圭太君お疲れー」

「お疲れ様でーす」

「おっ、ポッケからハンカチはみ出てるよー。…あれ、ハンカチ使う系男子だったっけ?」

 まただ。ハンカチ持ってるってそんなに気になるもんなのかな?

「あ、ああ、なんか、今日はたまたま。あは」

 はみ出たハンカチをぎゅうぎゅうと押し込む。

「いいじゃんいいじゃん。ハンカチ持ってる男子。ポイント高いよ」

「は、はぁ…」

 何て答えたらいいのかわからないまま業務連絡ノートを閉じて店の方へ行く。

「ハンケチの威力が高いですわね」

「黙っててって」

 小声で返して働き始める。
 マダムは「あら失礼。おほほほほ」なんて言って黙ってしまった。

 なんとか無表情を保ちながら仕事に集中する。オーダーを通して、食器を下げて、飲み物を運んで。
 カフェにしては遅い時間までやってる店だからお酒なんかもあるし、カレーパンにあんなに驚いていたマダムがいつ喋り出すか心配だったけど、大丈夫だった。やればできるじゃん。

「お疲れさま~。もうすぐ賄い出来るよー」

 closeの看板を出して更衣室に戻ろうとしたら先輩が声をかけてくれた。「ありがとうございまーす!」と、ロッカーにエプロンを戻して、いつものように小さなテーブル席へ。

 今日の賄いは、サラダとチキンソテーと小鉢とスープ。それと山盛りのお米。最高。


「野菜があるのは、たいへんよろしいことですわ」

 喋ると思った。とりあえず無視して食べ進める。

「しかも彩りも整っておりますわね。健康と美の両立、これぞ理想の献立……!」

 サクッと食べ終えて店長と先輩に挨拶して自転車に跨る。

「良い方々ですのね」

 夜風をうけて走っているとマダムが話しかけてくる。

「うん。まぁ、ご飯も美味しいし」

「そうですわ。あのお料理。とても美味しそうでしたわ。お野菜もしっかり摂れますし、毎日あちらでお夕食を頂いてはいかがですの?」

「いや、家からだと意外と遠いし、何より一人で行くにはちょっとお洒落過ぎるって…」

「そんなものなのかしら…」

 ちょうど家との中間地点にあるコンビニで明日の朝食と飲み物を買おうと立ち寄ると伊藤が居た。

「よく会うな」

 コンビニの前で焼き鳥を食べながら伊藤が喋りかけてくる。

「そうだな」

「どっか行ってたのか?」

「バイト。伊藤は?」

「空手帰り。腹減っちゃって。山中も何か食うのか?」

「いや、バイト先で食べてきたから。明日の朝ごはん買おうと思って」

「野菜ジュースですわ!」

「うわ!」

「どした?」

「いや、なんでもない。ちょっと買い物思い出しただけ」

「そっか」

「うん。…じゃ」

「おう。また明日」

 軽く手を挙げてコンビニに入る。さっきのお叫びマダムのせいで心臓がちょっとドキドキしてる。

「急に叫ばないで」

「失礼いたしましたわ。でも野菜ジュースを買うって言ってらしたのを思い出したのですわ」

「はいはい」

 小さい声で返事をして店内を物色する。

 とりあえず小さい紙パックの野菜ジュース。「二本ですわ」と言われたので三本買う。小さな抵抗だ。マダムは満足そうだけど、これはあくまでも抵抗だ。

 牛乳が無くなってたのでそれと、チーズとベーコンのパン。非常食のカップラーメンに手を伸ばしかけて…隣にあったカップそばをカゴに入れる。

「まぁ、お蕎麦なんかもありますのね」

 非常食だから。これは。何の問題も無いんだよ。蕎麦だし。更に問題なし。完璧。

 今のは何の言い訳だったんだろ。って心で思いながら他にもいくつかカゴに入れて会計する。
 父さんから貰ったお金で支払いをして外に出る。
 伊藤はもう居なくなっていた。帰ったのかな。

 自転車に跨って夜空を見上げる。
 星が綺麗だ。
 明日も暑くなるんだろうか。

「明日は白いハンケチになさってはいかが?」

 急に聞こえた声に、つい、声を出さずに笑ってしまった。

 なんだよそれ、って思いながらも、なんだか負けた気がした。
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