この声が、聞こえるあいだに

小野紅白

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四話

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 マダムが現れて三日目の朝も、自然と目覚ましより早く起きた。
 昨日バイトだったからダルいんだけど。

「圭太さん、今朝の寝癖もまるで芸術のようですわ」

 昨日と似たような会話で朝が始まる。

「圭太さん、今朝は野菜ジュース、忘れずにお飲みになって?」

「わかってるよ。そのために買ったんだし」

 冷蔵庫に三本ある野菜ジュースに思わず顔をしかめてしまう。
 なにこの見た目。バイト帰りのテンションで買うもんじゃないな、こういうの。

 朝食のパンを齧りながらスマホをいじっていると、父さんから「今日は7時頃には帰る」とメールが届く。
 適当に返信を打っていると、「そういえば、それは何ですの?」と頭に声が響く。

 あ、やっぱ聞くよね。聞かれないとは思ってたけど。カレーパン知らないマダムがスマホをスルーできるわけがない。
 でもそういえば昨日も一昨日もあんまりスマホ触ってなかった。あれ、マダム三日目?…いつまで続くんだろ。この日々。

「圭太さん?」

「ん?あ、これね。スマホ。電話だよ。電話。ついでにメールが出来てネットも見れてゲームも出来る便利なやつ」

「……電話と便利しか理解できませんでしたわ」

「合ってるから良いんじゃない?」

「でも、わたくしの知っている電話とは随分と趣きが違いますのね」

「んー、でも今は殆どこの形だよ。一人一台持ってるし」

「……わたくし、好奇心には自信がありましたの。でもこれは……無理ですわ……」

「まぁ、諦めも肝心って言うしね」

「今朝は完敗ですわ。圭太さん」

 思わず噴き出しそうになった。


今朝もハンカチを待たされて学校へ行く。駐輪場に着くとまた伊藤がいた。

「おはよう」

「おう!おはよう山中!夜振りだな」

「うん」

「最近ちょっと早いのか?」

「へ?」

「昨日も朝会ったし」

マダム効果で十五分早く起こされてるからそのせいかな。

「まぁ、そうかも…?」

「はは。何で疑問系なんだよ。お前意外と面白いよな。ハンカチも持ってるし」

今朝も汗を拭いていたハンカチを慌ててポケットに押し込んで、引きつった笑いを返す。

「伊藤ー!」

「おー!じゃあな!」

「う、うん。また」

ちょっと手を挙げて挨拶する。

「いいお友達ですわね」

「友達…かなぁ…?」

「まぁ……数年後、成人のお祝いに乾杯しておられる姿が思い浮かびますわ。友情の杯、素敵でしてよ……!」

「……最近、成人十八歳なんだよね」

「あら?」

「でもお酒は二十歳から」

「やっぱり何だか今朝は勝てませんわ」


オホホホホと笑うマダムにもう黙っててねと言って教室へ向かう僕。


昨日と同じく引かない汗をハンカチで拭いていると背後からまた澄んだ声がした。

「今日は白なんだね。ハンカチ」

なんだか恥ずかしくなって視線を下に落とす。
……マダムに白をゴリ押しされたなんて言えるはずもないし。

「あ、ごめん。なんかいいなって思ってさ。私もハンカチこだわっちゃおっかな」

「これは、まぁ、父さんが用意したやつだから」

「あ、そうなんだ?」

「趣味の良いお父さんっていいね。憧れる。うちはほんっとダサいから」

「そう…なんだ」

「うん。お母さんはそんな事ないんだけどね」

ちょっとチクリとした。

「うちは母さん、居ないから」

「あれ、そうなの?なんかごめん」

「あ、ううん。こちらこそなんかごめん」

加賀屋さんには関係ないのに。

「え、じゃあご飯とか自分で作ってるの?」

「ううん。あんまり。駅前のカフェでバイトしてるからそこで賄い食べたりしてる。あとはカップラーメンとか…」

「え、駅前のカフェでバイトしてるの?あのお洒落なとこ?」

「多分、それ」

「えー、いいなー!一回行ってみたいんだよね!」

「ご飯、美味しいよ」

「やっぱり?!今度シフト入ってる時教えてよ!」

 そのとき、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。
幸せな時間は唐突に終わる。
…自然に話せた…と、思う。

シフト教えて…って本当かな…。
今朝も何だかぐるぐるしたまま一日が終わる。

…ハンカチに感謝する日が来るとは思わなかった…な。

学校の間はマダムは本当に静かにしてくれてるから助かる。一人で喋っちゃう怖い奴認定されたらほんとに生きていけないからね。

今日はバイトは入ってないし、父さんもちょっと早くに帰ってくるみたいだから晩ご飯を作ろうかな。って思って帰りにスーパーに寄ろうと自転車に乗る。

「今日は何か作られますの?」

「うん。父さん帰ってくるし。簡単なものだけど」

「まぁ、ご帰還のお祝いですわね。ではカリィなといかが?」

「あー、わりといいけど、一回作ると三日は食べなきゃいけなくなるから却下。せめて父さんが毎日帰ってくるって確定してる日程がいい」

「そうなのですね」

「まぁ、なんか安くなってる肉でも買うよ」

「お野菜も忘れずにですわ」

「へいへい」


スーパーに着いて物色していると声をかけられた。

「おー、圭太君だねー」

「あ、店長。お疲れ様です」

「今日は晩ご飯作るのかい?」

「はい。父さんが出張から帰ってくるみたいなんで」

「偉いねー。お父さん泣いちゃわない?僕なら確実に泣いちゃうね」

「そんな大層なもんじゃないですよ」

「そうかなー?僕は圭太君みたいな息子が欲しいよー?」

「あははは」

「で、今日は何作っちゃうの?」

「いや、特に何も決めてなくて」

「あ、それなら超簡単お勧めレシピ教えちゃおっか?」

「え、いいんですか?」

「うん。後でレシピメールしてあげるから、とりあえず炒める用のカット野菜と豚こま肉買っといて。後はサラダ用の千切りキャベツとコーン缶ね。ちなみにニンニクのチューブとお酢ってお家にある?」

「多分ありますよ」

「おっけー!レモン汁でもいいからね。何か酸っぱいやつ。あ、じゃあ僕は店に戻るね。急いでたんだった。あははは」

「じゃーねー!」って言って店長は去って行った。
相変わらず嵐みたいな人だな。

「良い方ですわねぇ」

マダムが思わずと言ったように呟く。

「そうだね」

小さく呟いて僕はカット野菜を探しに行った。


「このコールスロー、圭太が作ったのか?」

沢山のお土産と帰ってきた父さんに聞かれた。

「え、うん。スーパーでバイト先の店長に会って、なんか教えてくれたから」

「美味しいなこれ。このニンニクきいた野菜炒めとも合うわ」

「ほんと?あ、それも店長が教えてくれたんだよ。結構簡単だった」

「定番入りにするか」

「気に入ってくれて嬉しいよ。それより、何であんなにお土産買ってきたのさ」

リビングのソファに置かれたパンパンになったエコバッグを見る。

「ん?あれ?うん……なんか、お土産売り場のテンションに負けてな……」

「何そのテンション」

「いやぁ…試食させられたり、まとめて買うとエコバッグ貰えたりしたから……つい」

「ついって……あのエコバッグ?」

「あぁ。…あ、せっかくだからお土産バイト先にも持って行けばどうだ?こんなに美味しいレシピも教えてもらったんだろ?」

「まぁ、そうだね。週末バイトだからそん時持って行くわ」

「友達にも持って行っていいんだぞ」

「…いないって分かって言ってるよね」

ちょっとだけ、伊藤と加賀屋さんの顔がチラついた。いやいやいや。ないない。

「でもな、この時期に作った友達は一生物だぞ?父さんだって今でも付き合ってるじゃないか」

「和夫おじさんでしょ?でもあの人だけじゃん」

「細く長くだよ」

「なにそれ」

久しぶりな気がする、父さんとの晩ご飯。
コールスローの甘酸っぱさが妙に記憶に残った。

その日の夜、意識が落ちる直前。
「圭太さんは、とても良い方々に囲まれてらっしゃいますのね」
と、マダムの声で聞こえた気がした。
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