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26.あと数センチ(後編)
しおりを挟むそれから数日後。
セリーヌは、契約終了後の生き方について考え始めていた。
離婚後、自分はどう生きるのか。
以前は、離婚の慰謝料で田舎に家を買い、ひっそりと暮らすつもりだった。
だが今は、どうしてもその選択を取る気にはなれなかった。
(これ以上、一方的に与えられるだけの存在にはなりたくない)
慰謝料は、受け取らないと決めた。
そうなると、先立つものがない自分を支えるのは、知識しかない。
幸い、公爵令嬢として求められる以上の教育を叩き込まれてきた。
礼法、語学、歴史、算術——学だけはある。
そして、鏡に映るアッシュブロンドの髪。
(……隣国のルヴァニア王国なら、目立たない)
そう考えたとき、ひとつの道が浮かんだ。
ルヴァニア王国で、貴族の家庭教師になる。
決して楽ではないだろう。
だが、自分の力で生きる選択肢だった。
セリーヌはミシェルに頼み、ルヴァニア語の書籍を集めてもらった。
「随分本格的に勉強なさるのですね」
「ええ。軽く学んだ程度だから……もっと、きちんと使えるようになりたいの」
机に向かい、発音をなぞり、文法を書き写す。
未来のために勉強する時間は、不思議と心を落ち着かせた。
◇◇◇
「……最近、奥様は領地の歴史のほかに、ルヴァニア語も学びはじめたようです」
執事からの報告に、ロランは眉をひそめた。
「旅行にでも行きたいと?」
「いえ、相変わらず屋敷の中にいることに不満はないようです」
気分転換だろう、と最初は思った。
だが、どこか引っ掛かる。
ルヴァニア語の書籍。
学習の頻度。
そして——彼女の容姿。
ルヴァニアの貴族によく見られる、アッシュブロンドの髪。
(……隣国の血、か)
セリーヌは明らかに、帝国の人間とは異なる特徴を持っている。
彼女のルーツを探るべきか。
一瞬、その考えが頭をよぎった。
だが、すぐに打ち消す。
(たとえ実の親が生きていようと——渡す気などない)
彼女の親が誰であろうと関係ない。
彼女は、自分の妻だ。
——例え、本人がそれを望まなくとも。
◇◇◇
ほどなくして、かねてより噂されていた、皇太子の結婚式の日取りが正式に決まった。
流石にこの規模の国家行事で、大公妃であるセリーヌの欠席は許されない。
重厚な招待状を手に、セリーヌは応接室で一人ため息をついた。
これからエリックも交えて、当日ラリサとセリーヌが直接対面しないよう、対策を話し合うらしい。
(いくら激しい気性の方とはいえ、まさか実の兄の結婚式で何かするとは思えないけど……)
しかも結婚のお相手は、ルヴァニア王国の王女様だ。
何か問題が起これば、国際問題にまで発展しかねない。
この過保護にも思える徹底的な対策も、ロランの自分に対する愛情なのかもしれないと思うと、先日のロランの眼差しを思い出し、一人赤面してしまった。
その時。
帰還が遅れているロランから応接室で待つように言われていると、セリーヌが待つ応接室に現れたのは、エリックだった。
慣れた調子でセリーヌの向いに腰掛けると、エリックはすっかり仮面をかぶることをやめたのか、軽薄な調子で言った。
「先日は驚いたよ。君たち、本当に良い夫婦になったようだ」
その言葉に、セリーヌは曖昧に微笑む。
今は、夫婦という言葉が重い。
「……どうした。浮かない顔をしているぞ」
冗談めかした声が、次第に真剣さを帯びる。
「何かあったのか?」
その問いに、セリーヌはしばらく黙り込んだ。
先日、エリックに感じた不思議なシンパシーが胸をよぎる。
この人は、自分を偽り続ける苦しみを知っている。
そして——決意した。
「……殿下」
「ん?」
「私は、本当は公爵令嬢ではありません」
エリックの表情が、静かに固まった。
「私は……クロエ様の代わりとして育てられた、ただの奴隷のセリーヌです」
その告白は、静かな応接室に、重く落ちた。
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