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第2部/鎖女の話をした少女の話
金属音と呼吸音
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本能がそう判断した途端、あたしの足は地面に縫いつけられたように動かなくなった。
息が荒くなり、視界がチカチカする。
女のボサボサ髪に巻きついた鎖が、
顔面を覆う鎖が、
まっかな夕陽に照らされて、にぶい光沢を放つ。
〝……はあ――――、はあ――――……〟
……ジャラッ
近づいてくる。
苦しげな呼吸音が。耳をなぶる金属音が。
鎖女が、こっちに来る。
あたしは一歩も動けない。
生あたたかい吐息があたしの頬に触れた。
〝はあ――――…………ゃ…………め……………………〟
えっ……
いま、何か言って……
その時だ。遠くで、車のクラクションの音が鳴り響いた。
「……ぁっ!」
どこまでも現実的な音に、あたしの体が感覚を取り戻した。
(逃げなきゃ!)
踵を返して全力で駆け出す。
足がもつれそうになったけどなんとか堪える。
早く、早く人がいる場所へ――
角を曲がる。最近竣工したばかりの建売住宅エリアに出る。真新しい塗料の匂いがした。誰もいない。
また角を曲がる。ここは少し古い住宅が立ち並ぶエリアだ。出入り口前にある物干し竿に干された黄ばんだ洗濯物がパタパタはためく。誰もいない。
また角を曲がる。コンビニがあった。ガラス戸の向こうの店内には客の姿も店員の姿もない。
あたしの足音だけが、する。
それ以外は何の音も何の気配もなかった。
「なん、でっ……なんで誰もいないの!?」
今はまだ夕方の五時だ。
いつもなら、買い物帰りの人とか自転車で帰宅中の親子とか、たくさんの人とすれ違うのに!
何より。
「なんで……こんなに走ってるのに、家に着かないの!」
毎日通っている通学路だ。家までの道のりを間違えるわけがない。
まるで迷路に迷い込んだみたい……いや、違う。
……檻に、閉じ込められたみたいだ。
あたしは足に力を入れて、また走り出した。
いつまたあの『音』が耳に届くか、気が気じゃなかった。
走る。走る。なのに。
「……うそでしょ」
元の空き地に、戻ってしまっていた。
あの悍ましいカタチの化け物がいた場所に。
赤く染まった空き地、常緑樹の翳を見つめながら、後ずさりをすると、
〝……はあ――――……〟
耳裏に生ぬるく湿った吐息をかけられた。鎖がこすり合う金属音と同時に。
「ひぃっ!」
耳を押さえて前方へ飛び出す。右足がつんのめってそのまま前のめりに倒れた。
唇を強かに打って、熱い痛みが広がる。
上半身を起こすと、目の前に鎖女が移動していた。
(い、いやだ)
もちろん逃げようとした。でも、手が、足が、鎖で拘束されたように動かない。
〝……はあ――――……、……ろ……〟
鎖女の苦しげな呼吸に、何かの言葉が混ざっている。
〝……やめろ……〟
えっ?
言葉の意味を理解する前に、
〝やめろ〟
〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟
鎖女はひたすら繰り返す。
息も絶え絶えに、それだけ、バグった動画みたいに繰り返す。
〝やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめr〟
しわがれた声と金属音が重なって、共鳴しあって、鋭い針みたいになってあたしの鼓膜を刺した。
……女の鎖まみれの手が、
あたしの顔に伸びてきた。
とっさに目をつぶった時だった。
甲高い音が、赤く閉ざされた空間を破るように鳴り響いた。
息が荒くなり、視界がチカチカする。
女のボサボサ髪に巻きついた鎖が、
顔面を覆う鎖が、
まっかな夕陽に照らされて、にぶい光沢を放つ。
〝……はあ――――、はあ――――……〟
……ジャラッ
近づいてくる。
苦しげな呼吸音が。耳をなぶる金属音が。
鎖女が、こっちに来る。
あたしは一歩も動けない。
生あたたかい吐息があたしの頬に触れた。
〝はあ――――…………ゃ…………め……………………〟
えっ……
いま、何か言って……
その時だ。遠くで、車のクラクションの音が鳴り響いた。
「……ぁっ!」
どこまでも現実的な音に、あたしの体が感覚を取り戻した。
(逃げなきゃ!)
踵を返して全力で駆け出す。
足がもつれそうになったけどなんとか堪える。
早く、早く人がいる場所へ――
角を曲がる。最近竣工したばかりの建売住宅エリアに出る。真新しい塗料の匂いがした。誰もいない。
また角を曲がる。ここは少し古い住宅が立ち並ぶエリアだ。出入り口前にある物干し竿に干された黄ばんだ洗濯物がパタパタはためく。誰もいない。
また角を曲がる。コンビニがあった。ガラス戸の向こうの店内には客の姿も店員の姿もない。
あたしの足音だけが、する。
それ以外は何の音も何の気配もなかった。
「なん、でっ……なんで誰もいないの!?」
今はまだ夕方の五時だ。
いつもなら、買い物帰りの人とか自転車で帰宅中の親子とか、たくさんの人とすれ違うのに!
何より。
「なんで……こんなに走ってるのに、家に着かないの!」
毎日通っている通学路だ。家までの道のりを間違えるわけがない。
まるで迷路に迷い込んだみたい……いや、違う。
……檻に、閉じ込められたみたいだ。
あたしは足に力を入れて、また走り出した。
いつまたあの『音』が耳に届くか、気が気じゃなかった。
走る。走る。なのに。
「……うそでしょ」
元の空き地に、戻ってしまっていた。
あの悍ましいカタチの化け物がいた場所に。
赤く染まった空き地、常緑樹の翳を見つめながら、後ずさりをすると、
〝……はあ――――……〟
耳裏に生ぬるく湿った吐息をかけられた。鎖がこすり合う金属音と同時に。
「ひぃっ!」
耳を押さえて前方へ飛び出す。右足がつんのめってそのまま前のめりに倒れた。
唇を強かに打って、熱い痛みが広がる。
上半身を起こすと、目の前に鎖女が移動していた。
(い、いやだ)
もちろん逃げようとした。でも、手が、足が、鎖で拘束されたように動かない。
〝……はあ――――……、……ろ……〟
鎖女の苦しげな呼吸に、何かの言葉が混ざっている。
〝……やめろ……〟
えっ?
言葉の意味を理解する前に、
〝やめろ〟
〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟〝やめろ〟
鎖女はひたすら繰り返す。
息も絶え絶えに、それだけ、バグった動画みたいに繰り返す。
〝やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめr〟
しわがれた声と金属音が重なって、共鳴しあって、鋭い針みたいになってあたしの鼓膜を刺した。
……女の鎖まみれの手が、
あたしの顔に伸びてきた。
とっさに目をつぶった時だった。
甲高い音が、赤く閉ざされた空間を破るように鳴り響いた。
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