【語るな会の記録】鎖女の話をするな

鳥谷綾斗(とやあやと)

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第2部/鎖女の話をした少女の話

こっちに来ないで

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 とっさに足が動いた自分を、褒めてやりたい。

(逃げなきゃ! 助けて先輩!)

 廊下に出て、がむしゃらに走る。
 また鎖女が現れた。
 昨日先輩にお祓いされて、消えたはずの鎖女が!


 ――「どういうわけか鎖女はすぐに復活する。何度でも噂話をした人間の前に現れるんだよ」


 先輩の言葉は本当だった。
 でも、どうして?

(なんで復活するの!?)

 バタン!
 水気を含んだ空気があたしを包み込む。
 思わず目についたトイレに逃げ込んでしまった。

「はぁっ、はぁ……死にそう……っ」

 一番奥、四つめの個室に入って、便座に座る。

 走りながら人の影を探したけど……
 他の教室も廊下も、誰もいなかった。

 耳をすませてみる。
 部活中の生徒や先生の声どころか、物音ひとつしない。

 昨日と同じ。鎖女が現れたからだ。

(あたしのバカ!)
 なんでゆうべ、通話で祐奈に鎖女の話なんかしたの!

 いや、後悔しても仕方ない。
 とにかくこの状況をどうにかしなきゃ。

 スマホを取り出す。
 でも柏木先輩の連絡先は……知らない。聞いておけばよかった。

(他の人……祐奈は……部活中だ)

 祈るようにママの番号を押した。
 お願い。出て!

 その祈りは虚しく、着信音のあとノイズが入った。

「圏外!? うそでしょ――」

 ふいに『その音』が聞こえて、思わず口元を手で押さえた。
 トイレの外扉が開く音。
 重くて冷たい金属音。
 
 ……よく考えたら。
 こういう状況でトイレに逃げ込むのって、最悪なんじゃ……?



 ……ジャラッ カチッ カツンッ……



 トイレの床タイルに、鎖がぶつかっている。
 鎖女が歩いている。

(お願い、こっちに来ないで)


 ぎぃ――――ばたんっ

 ぎぃ――――ばたんっ


 ひとつずつ、順番に個室を確認している。
 ひとつめ、ふたつめ……


 ぎぃ――――ばたんっ


 みっつめ……
 次が、あたしだ。

 冷え冷えとした金属音が鼓膜に突き刺さる。
 声を出さないように口を閉じようとするけど、歯が噛み合わなくてカチカチ鳴る。

 お願い来ないで。
 助けて、柏木先輩!


 ……

 ……?


 ……来ない……?


(どうして? 諦めた?)


 まさか上!?


 天井を仰ぐ。
 何もなかった。

 助かった、と思って顔を正面に戻すと、〝……はあ――――、はあ――――……〟

「きゃああああああ!!」

 トイレのタンクの上に鎖女が立っていた。
 ボロい布キレでしかないスカートからは、傷だらけで汚れた裸足の足と、鎖がぶら下がっていた。

 後ろにのけぞり、本能で個室の扉を開けて、でも足がうまく動かなくて尻餅をついた。
 べちゃっと濡れたタイルが冷たい。


 〝……はあ――――……〟


 鎖女がタンクから一歩踏み出すと、次の瞬間にはあたしの目と鼻の先にいた。

 ジャラッ
 眼前に、黒ずんだ、血まみれの、太い鎖が垂れ下がる。

 ジャラジャラジャラッ!
 何本もの鎖女に巻きついている鎖がひとりでに暴れ回る。狂乱した蛇みたいに。

 鎖女の体が、鎖に……締めつけられている?


 〝……ろ……するな……〟
 〝やぁ……めぇ……ろぉ〟
 〝はなしを…………するな……〟

 息も絶え絶えで鎖女は続けた。

 〝あんたの……せいで……〟


(――えっ?)

 思わず恐怖すら忘れて、聞き入りそうになったとき。


「莉々子っ!」


 低くて頼もしい声が、あたしの名前を呼んだ。

「……っ、柏木先輩!」

 トイレの外扉から差し込む光を背に、柏木先輩が立っていた。
 彼は鎖女めがけて、あの水の入った小瓶を投げつけた。

 浄化の水というそれをモロに被った鎖女は、また、耳をつんざくような叫喚をあげた。


 〝……やめ、て……〟


 消えゆく刹那、鎖女はそう残したような――気がした。
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