【語るな会の記録】鎖女の話をするな

鳥谷綾斗(とやあやと)

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第3部/語るな会・会場

末路

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 そのときだった。

 ガサガサガサ!

 さっきから耳についた枯れ葉を踏む音が、地響きみたいになった。
 何人何十人もが同時に地面を踏みまくったように。

 ガラス戸に目を転じる。真横のよみっちが「ぎゃあ」と潰された蛙みたいに喚く。

 ガラス一枚隔たった向こう、風光明媚なグリーンガーデンに、
 何十人もの人影が並んでいた。

 シルエットからして女、
 ボサボサの髪、
 ズタボロの赤い服、
 そして、頭と言わず手足と言わず胴体と言わず巻きついた、大小数多の鎖。


 鎖女


 市井の朗読を聴いて、頭の中で描いたイメージ通りの姿で。


 バン!
 ガラスを叩きつける手、手、鎖に縛られた手。
 それに混じって、苦しげな呼吸音と鎖が擦り合う金属音。

 どうしてそんな呼吸の仕方なのか鎖がどこから出ているのか今のオレなら理解できて苦痛が想像できるから――叫んだ。


「鎖女ぁあああ!」
「バカな、本物!?」
「もちろん。わたくしを狙って、やってきた鎖女たちです」

 市井の答えに、会場内は大混乱だ。
 引き攣った笑顔のよみっちがスマホを構えた。

「うは、ははは……ホンモノ、初めてちゃんと見ちゃった。うつさなきゃ、動画アップして、バズらせて……」
「無駄ですわ。鎖女は電子系記録機器と相性が悪いんですの。写真にも動画にもうつりません」

 市井の嘲るような忠告に、よみっちは「はあ? 最悪じゃん!」と地団駄を踏んだ。

 市井はオレを顧みる。


「言いましたでしょ。分からせるって。
 これでご理解いただけたかしら? 鎖女は不可侵の怪談だと」


 市井が髪を靡かせ、朗々と説く。


「ご安心なさって。この会場は結界を張ってあるので、鎖女たちはこちらに入れません。
 ですが、心身に『影響』を及ぼすことはあります……あら」

 市井の足元で、黒ずくめのオッサンが――最初に難癖をつけたやつが倒れた。
 激しく咳き込み、えずく。

「なんだっ、これは……ゲホ! オェッ、鎖……お、おれのくちから、くさりがぁッ……!」

 オッサンはそう言うけど、オレには何も見えない。
 ただオッサンが黄色い胃液を吐いているだけだ。

「あらあら、影響を受けやすいこと。こんな繊細な体質でしたら、オカルト研究なんかしない方がよろしいですわよ」


 そう言い捨てて、オレたちを見やる。


「昨今、ホラーブームとやらが起こり、怪談や怪異に近づく方が増えてきました。
 お金、承認欲求、選民願望……そういう欲望を抱えて、軽々しく。なんの覚悟も知識もないままで。
 あなた方のことですわよ、ちなみに」


 名指しされた気がした。というか、図星をさされた。


「人が増えるのは特にどうでもよいですが、せめて最低限のルールは学んできてからにしてほしいですわね。
 ええ、どうせあなた方は怪談なんて嘘っぱち、作り話、錯誤、陰謀や歴史の闇のメタファーだと思っているんでしょう。
 たしかにこの世に流布されている怪談は、ほとんどが意図や裏、カラクリがあるモノですわ。

 ですが、在るのです。

 ホンモノが。

 決して触れてはいけない、目覚めさせていけない怪談が」


 それをてめぇらみたいな素人が軽々しくさわって、面白がってエンタメとして消費したせいで。
 明るみには出ない裏側で、怪異による失踪だの死亡だのの事件が年々増えまくってんだよ。
 クソ迷惑なんだよ、ボケナスが。


 要約すると、市井の言いたいことはそれだった。

 でもみんな、聞いていない。
 鎖女に怯え、影響というものを受けて白目を剥いて痙攣したり、額を床にぶつけたり、全身の皮膚を掻きむしったりしている。
 よみっちは泡を吹いて、さっき倒れた。
 口を大きく開けて何か言ってるけど、どうでもよかった。


「では、最後にあなた方が好きそうな言葉で締めましょうか。

 〝力なきもの、覚悟なきものは引き返せ〟
 〝これより先は禁忌の異界、怪異の領域〟

 ――お後がよろしいようで」


 市井が優雅にお辞儀する。

「ちょっ……待ってくれよ!」

 スタッフルームに向かおうとする市井と受付だった無愛想な女を引き止める。

「これっ、この惨状、どうするんだよ! まさかこのまま放置か!」
「あら。あなたは平気なのですね。怪談師の素質がありますわよ。――ご心配なさらずとも、しばらくしたら鎖女たちは消えます」
「しばらくって、どれくらい!」
「夜明けですわ。たいていの怪異は、朝日に耐えられません」

 夜明けって。
 いま、何時だよ。……日付すら変わってねぇよ。

「眠らないでくださいましね。意識を手放した隙をついて、鎖女があなたの中に入り込みます。
 飲食もお勧めできませんわ。怪異の近くにある飲食物、特に水や酒は穢れに染まりやすい。
 スマホもいけません。電磁波を伝ってアクセスされる危険性があります。
 雪隠はあちらへ。排泄物は魔除けになるという説がありますし、……おそらく大丈夫でしょう」

 洒落怖で聞くような注意事項だ。
〈八尺様〉とか、マジでヤバいバケモノから逃れるためのお籠りの作法だ。
 籠城戦かよ、とついヘラッと笑っちまった。面白くもねーのに。


「カヨちゃん!」

 加賀夫婦だ。涙を撒き散らしならがガラス戸にかぶりついた。

「カヨ! カヨぉ! ああ、なんて姿に……」

 夫婦の目の先には、小柄な鎖女がいた。
 顔は見えない。でもきっと親には分かるんだろう。

 あのバケモノが、自分たちの娘だって。

 夫婦がガラス戸を開けようとして、ギョッとなったが。

「大丈夫。開けられません」

 市井が言ったとおり、どれだけ叩いても椅子でガラスを割ろうとしても、びくともしない。
 夫婦は泣き崩れた。娘らしい鎖女も、両親を恋しがって嘆いているようだった。


 これが鎖女の話をした者の末路――と思ったときだ。
 オレも気づいてしまった。


 大量にいる鎖女。
 その中に、ソレと分かる顔を見つけた。


「J!」

 オレの相方だった。
 いや、友達だった。

「嘘だろ、なあ……鎖『女』って言ったじゃねぇか」

 おまえ男だろ、J。
 なに鎖女になってんだよ。

 バカみたいなことを考える。
 涙が勝手にあふれていた。

 よく見ると……鎖女の体格や髪型が、少しずつ違う。
 オレと同じくらいの男も女も、老人も……コドモもいるじゃねぇか……。

 こいつらは、
 同じ姿で同じ行動で同じことを言い続ける、コピペさながらのこいつらは、
 みんな、元は別々の、自分の人生を生きていた人間だったのだ。

 その悲惨さに、オレは……もう立っていられなかった。
 それでも主催者は、冷徹に言い放つ。


「語るな会、終幕にございます」


 市井と受付女はスタッフルームに引っ込む。

 オレは、悲鳴と嗚咽、ゲロや小便、涙や鼻水、絶望と後悔にまみれた会場で。

 変わり果てたカタチの友達を眺めながら。

 時間が流れるのを待って。

 麻痺しきった頭で、バカみたいなことを考えていた。


 ――やっぱり、普通に就活しよう。


 あとはただ、夜明けをひたすら待ち望んだ。
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