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6. SNS奇談 ~#イイネ~
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「リオちゃん。もう一度聞くわね」
真剣な顔つきで、ナルミの母親はリオに言った。
消毒液の匂いが立ち込める薄暗い病室、清潔なベッドの上で、リオは項垂れていた。
「昨日の夜中、ナルミと栗須湖に行って……そこで何があったの? 何故ナルミは帰ってこないの?」
ベッドテーブルに置かれたスマホを、リオはじっと凝視した。
真っ暗な液晶画面に、リオの顔が映っている。
なんてひどい顔だろう。目の下には濃い隈が浮き、頰はげっそりと痩せこけて。たった一晩で人の顔はこんな風に様変わりするのか……
見ていられなくて、リオは目を伏せた。
「お願い、教えて。ナルミはどうしたの?」
ナルミの母親が再度尋ねる。青紫色の荒れた唇を、リオはゆっくり開いた。
昨夜のこと。
リオとナルミは、ネットの怪談サイトで、栗須湖にまつわる恐ろしい噂を知った。
――十三日の金曜日に栗須湖に行くと、湖の底に眠る〈怪物〉が現れ、殺戮の限りを尽くす――
「こんなの眉唾でしょ」
リオは鼻白んだが、ナルミは「行ってみよう」と提案した。動機は実にくだらないものだった。
「最近さぁ、『イイネ』の数、減っちゃったんだよね。ここらでちょっと盛り返したいんだぁ」
ナルミはインスタグラムにハマっていた。重度の中毒者だった。『イイネ』の数が彼女の人としてのステイタスであり、生き甲斐だった。
そうして八月十三日の金曜日、リオとナルミは車を走らせて栗須湖に向かった。夏休みの長い、ヒマを持て余した大学生。行動力だけはあった。
かつてはリゾート地として盛況した栗須湖は、今は廃墟同然までに落ちぶれていた。鬱蒼とした森に囲まれ湖は、不法投棄されたゴミだらけだ。いかにもナニカが出そうな、不気味な湖。
「うわー雰囲気ありすぎ。一枚撮ってアップしよっと。……えっ、マジ? 一瞬で十個もイイネきたよ! すご!」
ナルミの弾んだ声に返事しようとした、時。
……ぱしゃんっ。
微かな水音が立った。水面も、風のせいでなく揺れている。
一瞬で不穏に染められた空気の中、……ぱしゃんっ。
また、水音が。
湖の中央に目を転じると、丸いものがぷかりと浮かんでいた。徐々にこちらにスイーーーーと近づいてくる。まっすぐリオとナルミに向かってくる。
『それ』は人の頭だった。
暗いせいで顔の造形は分からないが、禿頭の……男。
男が陸に上がった。その人影はとんでもなく巨体だった。
男の手には、何やら棒状のものに扇形の金属の板を付けたものがある。あれは、
……斧、だ。
嘘でしょ――眼前の光景に信じられないでいると、耳にもっと信じられない音が届いた。
カシャカシャカシャカシャカシャ!!
ナルミが『それ』の写真を撮っているのだ。
「な、何やってんのよナルミ!」
だが、そのおかげでリオは正気を取り戻した。なおもカメラ画面をタップし続けるナルミの腕を引っ張り、車を停めた森の中までダッシュした。
息も絶え絶えで車に乗り込む。『あいつ』はまだ追ってこない。ひとまずは安心だ、早く逃げようと思った。
「リオ……ヤバイよ、これ」
ナルミが言った。
その声は震えていた。
「……一万イイネ、いっちゃった……」
ふふっ、ふふふ……ひひっ
喜びで震えるナルミの笑い声に、リオは血の気が引いた。
歪んだうすら笑いを浮かべるナルミは、車のドアを開け、元の場所――栗須湖の方へ疾走した。スマホを握りしめて。
「ナルミ! ナルミー!!」
リオの制止は届かなかった。
……そこまで話し終えたところで、ナルミの母親が、口角を上げて首を傾げた。
その表情は歪んだうすら笑いにも見え、あの時のナルミを思わせた。
「どういうことなの……?」
「……」
リオは無言で、母親にナルミのインスタグラムのホーム画面を見せた。
ナルミの最後の投稿にはーー間近に迫る人ならざるものの顔、まっくらな中にぎょろりと光る二対の眼、そして振り下ろされる斧が映っていた。
間違いなく、栗須湖に棲まう〈怪物〉の写真だ。そしてナルミはその餌食に……。
「ナルミは、イイネのために……その〈怪物〉の元に戻ったってこと……!?」
信じられない、理解できない、と母親は何度もかぶりを振った。
頭を抱えて喘ぐ母親を見ながら、リオは思った。
(……でもね、おばさん。ナルミはきっと満足してると思うよ)
その投稿には『イイネ!』の文字の横に、ハートマークと『37,564件』という数字が付けられていた。
真剣な顔つきで、ナルミの母親はリオに言った。
消毒液の匂いが立ち込める薄暗い病室、清潔なベッドの上で、リオは項垂れていた。
「昨日の夜中、ナルミと栗須湖に行って……そこで何があったの? 何故ナルミは帰ってこないの?」
ベッドテーブルに置かれたスマホを、リオはじっと凝視した。
真っ暗な液晶画面に、リオの顔が映っている。
なんてひどい顔だろう。目の下には濃い隈が浮き、頰はげっそりと痩せこけて。たった一晩で人の顔はこんな風に様変わりするのか……
見ていられなくて、リオは目を伏せた。
「お願い、教えて。ナルミはどうしたの?」
ナルミの母親が再度尋ねる。青紫色の荒れた唇を、リオはゆっくり開いた。
昨夜のこと。
リオとナルミは、ネットの怪談サイトで、栗須湖にまつわる恐ろしい噂を知った。
――十三日の金曜日に栗須湖に行くと、湖の底に眠る〈怪物〉が現れ、殺戮の限りを尽くす――
「こんなの眉唾でしょ」
リオは鼻白んだが、ナルミは「行ってみよう」と提案した。動機は実にくだらないものだった。
「最近さぁ、『イイネ』の数、減っちゃったんだよね。ここらでちょっと盛り返したいんだぁ」
ナルミはインスタグラムにハマっていた。重度の中毒者だった。『イイネ』の数が彼女の人としてのステイタスであり、生き甲斐だった。
そうして八月十三日の金曜日、リオとナルミは車を走らせて栗須湖に向かった。夏休みの長い、ヒマを持て余した大学生。行動力だけはあった。
かつてはリゾート地として盛況した栗須湖は、今は廃墟同然までに落ちぶれていた。鬱蒼とした森に囲まれ湖は、不法投棄されたゴミだらけだ。いかにもナニカが出そうな、不気味な湖。
「うわー雰囲気ありすぎ。一枚撮ってアップしよっと。……えっ、マジ? 一瞬で十個もイイネきたよ! すご!」
ナルミの弾んだ声に返事しようとした、時。
……ぱしゃんっ。
微かな水音が立った。水面も、風のせいでなく揺れている。
一瞬で不穏に染められた空気の中、……ぱしゃんっ。
また、水音が。
湖の中央に目を転じると、丸いものがぷかりと浮かんでいた。徐々にこちらにスイーーーーと近づいてくる。まっすぐリオとナルミに向かってくる。
『それ』は人の頭だった。
暗いせいで顔の造形は分からないが、禿頭の……男。
男が陸に上がった。その人影はとんでもなく巨体だった。
男の手には、何やら棒状のものに扇形の金属の板を付けたものがある。あれは、
……斧、だ。
嘘でしょ――眼前の光景に信じられないでいると、耳にもっと信じられない音が届いた。
カシャカシャカシャカシャカシャ!!
ナルミが『それ』の写真を撮っているのだ。
「な、何やってんのよナルミ!」
だが、そのおかげでリオは正気を取り戻した。なおもカメラ画面をタップし続けるナルミの腕を引っ張り、車を停めた森の中までダッシュした。
息も絶え絶えで車に乗り込む。『あいつ』はまだ追ってこない。ひとまずは安心だ、早く逃げようと思った。
「リオ……ヤバイよ、これ」
ナルミが言った。
その声は震えていた。
「……一万イイネ、いっちゃった……」
ふふっ、ふふふ……ひひっ
喜びで震えるナルミの笑い声に、リオは血の気が引いた。
歪んだうすら笑いを浮かべるナルミは、車のドアを開け、元の場所――栗須湖の方へ疾走した。スマホを握りしめて。
「ナルミ! ナルミー!!」
リオの制止は届かなかった。
……そこまで話し終えたところで、ナルミの母親が、口角を上げて首を傾げた。
その表情は歪んだうすら笑いにも見え、あの時のナルミを思わせた。
「どういうことなの……?」
「……」
リオは無言で、母親にナルミのインスタグラムのホーム画面を見せた。
ナルミの最後の投稿にはーー間近に迫る人ならざるものの顔、まっくらな中にぎょろりと光る二対の眼、そして振り下ろされる斧が映っていた。
間違いなく、栗須湖に棲まう〈怪物〉の写真だ。そしてナルミはその餌食に……。
「ナルミは、イイネのために……その〈怪物〉の元に戻ったってこと……!?」
信じられない、理解できない、と母親は何度もかぶりを振った。
頭を抱えて喘ぐ母親を見ながら、リオは思った。
(……でもね、おばさん。ナルミはきっと満足してると思うよ)
その投稿には『イイネ!』の文字の横に、ハートマークと『37,564件』という数字が付けられていた。
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