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8 無価値なリリエッタ
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それは、突然のことでした。
「明日、おまえにはこの屋敷を出ていってもらう」
「……え?」
数週間ぶりにお父様の部屋に呼び出されて、そう命じられたのです。
その場には、お母様も同席していました。
「あ、明日、ですか……?」
「そうだ。この屋敷を出て、ラングリフ殿下のお屋敷に行ってもらう」
――ラングリフ殿下。
サミュエル殿下の弟君で、生来笑ったことがない『断崖の君』と呼ばれる方。
武勇に優れ、現在は第一騎士団を任されているとのこと。
貴族の間では『笑わないこと』が噂になってはいます。
けれど、殿下御本人のお話は、私はそれほど聞いたことがありません。
伝え聞くところによると、今までに幾つもの武勲を挙げられている、とか。
他にも、王族でありながら最前線で剣を振るい多くの魔物を屠っている、とか。
パーティーにもほとんど顔を出さず、私も一度もお会いしたことがありません。
それだけに、私の中には強い不安がありました。
そのような御方に嫁入りして、果たしてやっていけるのか、と。
誰にも相談できず、その不安は今日まで私の胸の中に蟠っていました。
「……さすがに、性急すぎるのでは?」
胸の内の不安が、私にそのような言葉を紡がせます。
すると、お父様は苛立たしげに顔をしかめて、声を大きくして私に言うのです。
「これはすでに決まったことだ。おまえはただ従えばいい」
「で、ですが……」
「『ですが』? ……何だ、おまえは私に口答えする気か? 女の分際で!」
急に怒りを露わにするお父様に、私は「ひ」と声をあげて身を竦ませました。
お父様は強く拳を握り締めて、こちらを睨みつけてきます。
「そもそも、おまえが悪いのだ、リリエッタ!」
「私が、ですか……?」
「そうだ。おまえがサミュエル殿下のお心を射止められる女でなかったから、あの御目見えの場で私が恥をかくこととなったのだぞ! わかっているのか!」
「な――」
それは、学のない私でもわかる、完全な言いがかりでした。
私はあの日までお父様の言いつけに従い続けてきたのに、そんな言い草。
「何だその顔は? 何か不満があるのか? サミュエル殿下に選ばれなかったのはおまえ自身の魅力が足りなかったからではないか。それは私の責任ではない!」
込み上げる憤激をそのまま私にぶつけて、お父様は私を罵り続けました。
「家のために役に立つのがおまえとシルティアの役割だ。だがおまえは、それができなかった。おまえの責任だ! ならばせめて、ラングリフ殿下に嫁ぐことで、最低限でも役に立て! 今のおまえの存在価値などそれだけだ!!」
それは、あまりといえばあまりな言い方でした。
私も貴族社会に生きる者です。
自分が果たすべき役目はわかっています。貴族社会において、女は道具です。
わかっています。
そんなこと、言われずともわかっています。
だから、面と向かって言われると辛いのではありませんか!
自分が道具であると知っていても、人間扱いされなければ人は傷つくのですッ!
「……お母様」
私は、ずっと押し黙ったままのお母様に助けを求めました。
お母様とは、普段はあまり話したりはしません。
ずっとお父様のもとで貴族の女としての役割を学ばされてきたのが、私です。
けれど、今、お父様は私を捨てようとしています。
私がラングリフ殿下のもとに嫁ぐことは、すでに決まったことです。
それに抗ってもどうしようもないことはわかっています。
でも、この場でのお父様の言いようは、さすがに私も納得できかねます。
だけど私一人では、お父様に反論することもままなりません。だから、お母様。
私を少しでも哀れと思うなら、助けてください。
たった一度、この場で味方になってくれたのなら、それだけで私は救われます。
お願いします、お母様。どうか、どうか――、
「……リリエッタ」
お母様が、私の名を呼びます。
助けてもらえる。そう思いました。でもそれは、浅はかな考えでした。
「よかったわね、リリエッタ。ラングリフ殿下に嫁げるなんて光栄なことね」
お母様の言葉は、私を祝福してくれているようでした。
しかし、そこにあるニュアンスは、明らかに私を突き放すものだったのです。
「お母、様……?」
「リリエッタ、私はね、私によく似ているあなたのことが前から好きではなかったのよ。あなたは今の今まで、ずっと知らずにいたのでしょうけどね」
お母様?
何を、何を言っているのですか、お母様!?
「あなたは私と同じ『ただの道具』なのよ、リリエッタ。お父様のもとで『花の令嬢』として育っていくあなたを見て、私は嫌悪感を覚えていたわ。だって、あなたはこの家に嫁ぐ前の私と変わらないから。本当に、私はあなたが嫌いだったわ」
そう言って、お母様は私に笑顔を見せるのです。
それはまさしく、私が普段から見せているもに酷似した空っぽな笑顔でした。
「おい……」
お父様が、不満を露わにしてお母様をねめつけます。
けれどお母様はそれをサラリとかわして、勝ち誇ったように言うのです。
「何か問題でも? シルティアはあなたと私なら、私の側につくと言っておりましたよ? それはあなたも御存じでしょうに。ねぇ、未来の王妃様のお父様?」
「……チッ! わかっている!」
今までお父様に従うだけだったお母様が、今はとても生き生きとしていました。
ああ、そうなのですね。お母様は私がお嫌いだったのですね。
だからこの人は、シルティアの修道院行きにも反対したのですね。
遅まきながらの納得が私の心を占めました。
そして、お父様は私を見て、叩きつけるように言ってくるのです。
「まだいたのか! 話は終わった! さっさと部屋に戻れ、愚図めが!」
お母様は、罵られるわたしをニヤニヤと笑いながら眺めていました。
この人達にとって、今の私はただの邪魔者でしかないと、痛感させられました。
翌日、私は言いつけ通りに屋敷を出ました。
「明日、おまえにはこの屋敷を出ていってもらう」
「……え?」
数週間ぶりにお父様の部屋に呼び出されて、そう命じられたのです。
その場には、お母様も同席していました。
「あ、明日、ですか……?」
「そうだ。この屋敷を出て、ラングリフ殿下のお屋敷に行ってもらう」
――ラングリフ殿下。
サミュエル殿下の弟君で、生来笑ったことがない『断崖の君』と呼ばれる方。
武勇に優れ、現在は第一騎士団を任されているとのこと。
貴族の間では『笑わないこと』が噂になってはいます。
けれど、殿下御本人のお話は、私はそれほど聞いたことがありません。
伝え聞くところによると、今までに幾つもの武勲を挙げられている、とか。
他にも、王族でありながら最前線で剣を振るい多くの魔物を屠っている、とか。
パーティーにもほとんど顔を出さず、私も一度もお会いしたことがありません。
それだけに、私の中には強い不安がありました。
そのような御方に嫁入りして、果たしてやっていけるのか、と。
誰にも相談できず、その不安は今日まで私の胸の中に蟠っていました。
「……さすがに、性急すぎるのでは?」
胸の内の不安が、私にそのような言葉を紡がせます。
すると、お父様は苛立たしげに顔をしかめて、声を大きくして私に言うのです。
「これはすでに決まったことだ。おまえはただ従えばいい」
「で、ですが……」
「『ですが』? ……何だ、おまえは私に口答えする気か? 女の分際で!」
急に怒りを露わにするお父様に、私は「ひ」と声をあげて身を竦ませました。
お父様は強く拳を握り締めて、こちらを睨みつけてきます。
「そもそも、おまえが悪いのだ、リリエッタ!」
「私が、ですか……?」
「そうだ。おまえがサミュエル殿下のお心を射止められる女でなかったから、あの御目見えの場で私が恥をかくこととなったのだぞ! わかっているのか!」
「な――」
それは、学のない私でもわかる、完全な言いがかりでした。
私はあの日までお父様の言いつけに従い続けてきたのに、そんな言い草。
「何だその顔は? 何か不満があるのか? サミュエル殿下に選ばれなかったのはおまえ自身の魅力が足りなかったからではないか。それは私の責任ではない!」
込み上げる憤激をそのまま私にぶつけて、お父様は私を罵り続けました。
「家のために役に立つのがおまえとシルティアの役割だ。だがおまえは、それができなかった。おまえの責任だ! ならばせめて、ラングリフ殿下に嫁ぐことで、最低限でも役に立て! 今のおまえの存在価値などそれだけだ!!」
それは、あまりといえばあまりな言い方でした。
私も貴族社会に生きる者です。
自分が果たすべき役目はわかっています。貴族社会において、女は道具です。
わかっています。
そんなこと、言われずともわかっています。
だから、面と向かって言われると辛いのではありませんか!
自分が道具であると知っていても、人間扱いされなければ人は傷つくのですッ!
「……お母様」
私は、ずっと押し黙ったままのお母様に助けを求めました。
お母様とは、普段はあまり話したりはしません。
ずっとお父様のもとで貴族の女としての役割を学ばされてきたのが、私です。
けれど、今、お父様は私を捨てようとしています。
私がラングリフ殿下のもとに嫁ぐことは、すでに決まったことです。
それに抗ってもどうしようもないことはわかっています。
でも、この場でのお父様の言いようは、さすがに私も納得できかねます。
だけど私一人では、お父様に反論することもままなりません。だから、お母様。
私を少しでも哀れと思うなら、助けてください。
たった一度、この場で味方になってくれたのなら、それだけで私は救われます。
お願いします、お母様。どうか、どうか――、
「……リリエッタ」
お母様が、私の名を呼びます。
助けてもらえる。そう思いました。でもそれは、浅はかな考えでした。
「よかったわね、リリエッタ。ラングリフ殿下に嫁げるなんて光栄なことね」
お母様の言葉は、私を祝福してくれているようでした。
しかし、そこにあるニュアンスは、明らかに私を突き放すものだったのです。
「お母、様……?」
「リリエッタ、私はね、私によく似ているあなたのことが前から好きではなかったのよ。あなたは今の今まで、ずっと知らずにいたのでしょうけどね」
お母様?
何を、何を言っているのですか、お母様!?
「あなたは私と同じ『ただの道具』なのよ、リリエッタ。お父様のもとで『花の令嬢』として育っていくあなたを見て、私は嫌悪感を覚えていたわ。だって、あなたはこの家に嫁ぐ前の私と変わらないから。本当に、私はあなたが嫌いだったわ」
そう言って、お母様は私に笑顔を見せるのです。
それはまさしく、私が普段から見せているもに酷似した空っぽな笑顔でした。
「おい……」
お父様が、不満を露わにしてお母様をねめつけます。
けれどお母様はそれをサラリとかわして、勝ち誇ったように言うのです。
「何か問題でも? シルティアはあなたと私なら、私の側につくと言っておりましたよ? それはあなたも御存じでしょうに。ねぇ、未来の王妃様のお父様?」
「……チッ! わかっている!」
今までお父様に従うだけだったお母様が、今はとても生き生きとしていました。
ああ、そうなのですね。お母様は私がお嫌いだったのですね。
だからこの人は、シルティアの修道院行きにも反対したのですね。
遅まきながらの納得が私の心を占めました。
そして、お父様は私を見て、叩きつけるように言ってくるのです。
「まだいたのか! 話は終わった! さっさと部屋に戻れ、愚図めが!」
お母様は、罵られるわたしをニヤニヤと笑いながら眺めていました。
この人達にとって、今の私はただの邪魔者でしかないと、痛感させられました。
翌日、私は言いつけ通りに屋敷を出ました。
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