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炎のごとく燃える君 5
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ウィリディスが朝から少し落ち着きがないのは見て取れた。
またリューイと何かあったのかと研究員たちもまた興味津々だった。
「教授、やっぱりあのパーティのとき何かあったよな」
「ありましたね、間違いなく」
うなずくレナータとセリーニだが、手を止めてもらっては困る。
今日から最後の思い出づくりにリューイたちとともに実家に戻るのだ。
また何日か研究が止まる。事故により壊れたものも再度発注し作り直した。
いくつもの研究者からの意見を元に細々とした基礎研究をやり直して今度は爆発の危険性が少ないものを選ぶ。
α細胞に対しての効果は現在調査中となる。十ほどあった薬品の候補を一つずつふるいにかけて絞り込む。
「リューイ…」
「リューイ青年は一足先に教授の実家でしょ。早く会いたいのならさっさと仕事してください」
「わかっている」
小さく息を吐き出したウィリディスは薬剤を複数持って自分の実験室へと向かって行く。
セリーニは持ってきた書類をほかの研究員へと渡しに行く。
レナータはその間に届いた郵便物を仕分けていた。
「セリーニ、今教授の研究がどのあたりかご存じですか」
「マリッサが言うには今現状絞り込みをした薬剤がどれだけα細胞を破壊するかっていうところに焦点を当てているらしい。α用の抑制剤と避妊剤を中心に、最近見つかった薬を試しているらしいぞ」
「どんな薬なんですか?」
「もとは肺の炎症を抑える薬だったらしい。性に関係なく使える薬だったはずなんだが、一部のαに対して過剰な攻撃が見られたからって持ってきたようだぞ。αの細胞なんてだいたい精液からΩは接種するはずだから肺の炎症の薬で対応できるのかと思っていたんだけど、薬に含まれている抗生物質が時折誤作動を起こして細胞への攻撃に転じるらしい」
戻ってきたセリーニに問いかければ返ってきた言葉はレナータではなかなか理解しえないものだった。
少し眉を寄せるとセリーニも苦笑する。αといえど学んできた分野が異なると難しいようである。
「研究員が誤作動を起こす原因を今調べているところだ。もし別の薬とともに接種することで起きる誤作動ならば人為的に起こすこともできるだろうしな…」
「体内に入りこんだα細胞は頑固ですね」
「出ていけって言って、出ていくなら教授も楽だろうさ」
そんなことになってしまっては世界中の研究者は存在している意味はないのではないだろうか。
少々くだらないことを考えてしまうもののマリッサを始めとした研究員たちは日々頭を抱えている。
薬が定まったとして、いかにして人体への影響を見るか悩ましいらしい。
「治験したとして、悪化するか回復するかすらわからないからな。方法を探ることも大事らしい」
「人体実験を気軽にはできないからですね」
この研究所における頭痛の種である。
ウィリディスは人体での実験をしたくはないという。
犯罪者を使えばいいというものもいる。そしてそれはこの都市に籍を置く研究者には認められた権利だった。教授の研究内容を考えれば特にである。
もちろん死刑が確定した犯罪者のみだが、ウィリディスはその権利を使おうとはしなかった。
「いい人ではあるんだがな」
「いっそ私達で申請して研究員で勝手にやるべきかと思うときがあります」
「安心しろ、俺もだ」
ため息を漏らした二人は書類を整理する。
今までの実験結果を方法ごとに大別し、それをさらに薬品単位で分ける。
山ほどあるそれはリューイがウィリディスのもとにきてから増えるペースを早めたように思う。
二人は黙々と仕分けを行っていたが階下にある警備室から連絡が入る。
「教授に客?わかりました。いま聞いてくるのでそのまま。名前は…わかりました」
セリーニはウィリディスのもとに向かう。少ししてから白衣を脱ぎながらウィリディスが部屋に戻ってきた。
二人でしていた作業の片付けを終えていたレナータはウィリディスを見る。
「二人分の紅茶を用意してくれ。少しふたりきりで話をしたいから、レナータとセリーニは別の仕事を…なければ済まないが、事務仕事を頼んだ」
「わかりました」
レナータは一度紅茶を淹れて戻った。
部屋には一人男性がいた。その顔をレナータは知っていた。
ウィリディスが事故により意識不明だった際治療に当たった医師である。
レナータが部屋を出ていけばウィリディスとその男性との間に僅かな沈黙が落ちた。
「それで、何のようだ?」
「あなたに話が聞きたくてきました」
「病院は」
「休みを取ってます。もちろん緊急の呼出には応じますが」
ウィリディスの前でそう話すのはスピロであった。
何の用事だろうかと考えるも思いつきはしない。自身の入院費用は支払い済みであるのはもちろんである。
「いきなりで申し訳ありません」
「構わない。何か急ぎの用事だろうか」
「……聞きたいことがあって」
ウィリディスはソファをすすめ、スピロはそこに腰を下ろした。
目の前に置かれた紅茶へと視線を向けることなくスピロは口を開いた。
「αをΩへと転向させることはできますか」
予期せぬ問いかけにウィリディスはカップに伸ばしかけた手を止めた。
スピロがどうしてそんなことを問いかけるのか、その理由に思い当たることがないわけではない。
カップを手にして紅茶をすする。
「転向できる」
「本当ですか?!どうやって」
「だが、この都市に生まれた人間には無理だ」
ウィリディスは静かに告げた。一瞬喜んだスピロは顔を曇らせる。
ソーサーにカップを置いたウィリディスは今一度口を開く。
「この都市に生きている人間は、環境が良すぎるために無理やりαをΩに転向させる必要がない。他の都市では生きる環境とαやΩの出生率の問題から、遺伝子そのものが転向可能となっているとも聞く」
「…遺伝子レベルですか」
「あぁ」
スピロはうなだれた。
ウィリディスは少し言葉を探した。自分自身聞きかじった話であるためどこまでが本当なのかはわからない。
しかし試そうという気持ちすら起きないのはきっと自分が通常のαと同じようにΩを番と決めてしまったからなのだろう。
「ここより離れたほかの都市では到底人間が生きていける環境ではなかったと聞き及んでいる。ゆえに当時の人間は動物の遺伝子とのかけ合わせを行い獣人を生み出した。獣人と人間の遺伝子は合わされば優秀な子孫を残すが、子供は生まれにくい。それもあって、獣人同士、人間同士でαが番っても子供ができるように転向の技術も会得したと聞いたことはある」
「ほかの都市にはどうやって…」
「……クラートは、ほかの都市へ行ってまでΩになるすべを見つけてきたとしても喜びはしないと思うが」
スピロが勢いよく顔を上げてウィリディスを見つめる。
その瞳にわずかな動揺が見て取れる。やはりそうか、とウィリディスは目を伏せた。
「どうして、わかるんですか」
「入院していたときの雑談でクラートから自分がαの男に焦がれていることを聞いたからな。誰とまでは言わなかったが、あの院内でクラートと距離が近いのはお前だけだっただろう」
ウィリディスはクラートから聞いた日を思い出す。
クラートが焦がれているのがαとは思いもしなかった。しかし一緒になるつもりはないという。
ウィリディスの両親のような財力があるわけでもなく、すべてを捨てたうえで都市から離れた場所で生きる力も覚悟もない。
クラートはそれをよくわかっていた。
「あいつは、己の夢のために医者になった。それをわかっていて」
「わかっている。あいつの母親が当時難病指定されていた病気で亡くなり、救えなかった自分を悔やんで医者になったことぐらい、好きになってからいろいろ知ったから。ならば俺がΩになれば一緒にいられると思ったんだ」
ウィリディスは言葉が続かなかった。
自分がリューイとのことで悩んでいるのと同じで彼はクラートとのことで悩んでいる。まるで自分だけが世界から見放されたようにどこかで思っていたがそれは間違いだったようである。
「どれだけ切望しても、この都市に生まれてしまった以上受け継がれた遺伝子を変えることはできない。できるとしたら、どちらかが番を得るその時まで心の底から愛していくほかないんじゃないのか」
「やはり、それしかないんでしょうか」
「少なくとも俺が知るクラートは芯がある。愛した存在が男で自分と同じα性であってもいつか別れが来るとわかっているならばその時が来るまで命を懸けてでも愛しぬくだろうな」
柄にもないことを口にしてしまった。
自分とは異なり好いた相手が同じα性であった。それも、男同士である。どう見積もったところで別れがくるのは目に見えている。
ならば後悔のないように過ごすべきだとウィリディスは思っていた。今の自分にもそれが当てはまる。
「誰かへの想いなどそう簡単に諦めきれるものではあるまい。クラートのことだからお前の考えなど見通していそうなものだがな」
「やはりそうですよね」
「……どう頑張っても、Ωにはなれないからそれについてはあきらめることだな」
スピロは小さくうなずいた。まだ彼の中では完全に納得しきれていないかもしれない。
しかしこれ以上ウィリディスにもどうしようもできない。膝の上で手を握り締めたスピロは顔を上げた。
予想外にも笑っていた。
「ありがとうございました。吹っ切れてはいませんが、この先の自分の道を決めようと思います」
「クラートは、間違いなくお前が幸せであることを一番に願うだろうな」
「えぇ。そうあってくれると思います。だから俺も、クラートが一番に幸せであるようにできることをしていきます」
「そうか…それがいい」
スピロは冷めかけの紅茶を飲み干して立ち上がる。
ウィリディスも併せて立ち上がれば彼を見送る。
「申し訳ありませんでした。教授の貴重なお時間を頂きまして」
「構わない。俺自身、見つめなおさなければならないものがあるからいい機会だった」
「あの、青年とのことですか」
「あぁ」
スピロは言いかけた言葉を飲み込んで微笑みを浮かべた。
それから何も言わずに小さく頭を下げると研究所を後にする。
ウィリディスは自分一人になった部屋で立ち尽くす。自分はどうする。自分とリューイはαとΩだ。スピロとクラートよりはハードルが低い。
ため息をこぼしてセリーニとレナータを探した。客人が帰ったのだ。自分も実験室に戻り、きりのいいところまで進めていきたい。
「レナータ、いいだろうか」
「お客様は帰られたのですか」
パソコンに向かいデータ入力を手伝っていたらしいレナータに声をかければすぐさま立ち上がってそばに寄ってくる。
うなずきを返せば片付けますね、とレナータはすぐに告げた。
「任せた。実験室にこもる。ほかの研究員たちの様子はどうだ」
「皆様いろいろと相談されながら実験を繰り返しています。予想と異なる結果が出るとそれを突き詰めておられるようですね」
「そうか…そのまま続けてもらってくれ」
「はい」
レナータに部屋の片づけを任せてそのまま実験室へと向かって行く。
α細胞への攻撃が見られるという薬品を取り寄せて成分を分析した。これといって変わったものはなかったのだが、やはり時折攻撃性が見られることが判明した。
その理由をたどらねばならない。いくつも条件を変えていたが、攻撃性が出ることに規則性はなかった。
頭を抱えつつ椅子に寄りかかる。ほかの研究員たちには候補として出している避妊薬や抑制剤の成分を精査したうえでより効果のあるものを探っていてもらった。
かゆいところに手が届かないというのはこういうことなのだろうか。
「いつまでもこんなことをしていてはリューイが心配してしまうな…」
ウィリディスは苦笑を盛らしてから結果を手早く紙に記していく。
戻ってきたときにどこからやるべきかも記した。
自分がいない間にセリーニとレナータから都市内にある病院で同様の事故が起きていないかを調査してもらってさらに精査をする必要がありそうである。
休みの間に薬品を絞ったとしてそのあとは入院する前のようにΩの体内環境を模した箱を使って実験を行う。これについてはクラートをはじめとした外部の研究者や科学者にいろいろと意見をもらってきたため失敗の確立は低いとみている。
ペンを止めて一息入れた。時計を見ればそろそろ移動したほうがいい時間である。結果を記入した紙を引きだしにしまい込み、薬品や器具を片付ける。
実験室に鍵を閉めれば今度はセリーニの姿を見つけた。
「教授、そろそろ行かれます?」
「あぁ」
「わかりました。教授がいない間の実験とかもろもろに関してはこちらで行います。教授の認可が必要な事案について、急ぎの場合は教授の端末に連絡を入れる予定です」
「それでいい。すぐに反応はできないかもしれないが気づけばすぐに折り返す」
「メッセージ入れておくので聞いてから判断してください。子供たちとの時間を邪魔はしたくないので」
主にリューイ青年とだけど、とセリーニは告げる。
わずかに動きを止めたウィリディスを見て何か反論が来るかと身構えるもののウィリディスはわずかに顔を赤くしてそっぽを向いただけだった。
目を丸くするセリーニだが、やがて吹き出せばいってらっしゃい、と告げる。咳払いを一つしてからウィリディスは研究所を離れた。
先に実家に連絡を入れる。リューイからのメッセージも写真付きで届いていた。
笑顔でケーキを食べているものだ。アクティナからも、楽しいわ、とメッセージがきていた。
少し逸る心を抑え、ウィリディスは電車に乗るべく駅へと向かっていった。
またリューイと何かあったのかと研究員たちもまた興味津々だった。
「教授、やっぱりあのパーティのとき何かあったよな」
「ありましたね、間違いなく」
うなずくレナータとセリーニだが、手を止めてもらっては困る。
今日から最後の思い出づくりにリューイたちとともに実家に戻るのだ。
また何日か研究が止まる。事故により壊れたものも再度発注し作り直した。
いくつもの研究者からの意見を元に細々とした基礎研究をやり直して今度は爆発の危険性が少ないものを選ぶ。
α細胞に対しての効果は現在調査中となる。十ほどあった薬品の候補を一つずつふるいにかけて絞り込む。
「リューイ…」
「リューイ青年は一足先に教授の実家でしょ。早く会いたいのならさっさと仕事してください」
「わかっている」
小さく息を吐き出したウィリディスは薬剤を複数持って自分の実験室へと向かって行く。
セリーニは持ってきた書類をほかの研究員へと渡しに行く。
レナータはその間に届いた郵便物を仕分けていた。
「セリーニ、今教授の研究がどのあたりかご存じですか」
「マリッサが言うには今現状絞り込みをした薬剤がどれだけα細胞を破壊するかっていうところに焦点を当てているらしい。α用の抑制剤と避妊剤を中心に、最近見つかった薬を試しているらしいぞ」
「どんな薬なんですか?」
「もとは肺の炎症を抑える薬だったらしい。性に関係なく使える薬だったはずなんだが、一部のαに対して過剰な攻撃が見られたからって持ってきたようだぞ。αの細胞なんてだいたい精液からΩは接種するはずだから肺の炎症の薬で対応できるのかと思っていたんだけど、薬に含まれている抗生物質が時折誤作動を起こして細胞への攻撃に転じるらしい」
戻ってきたセリーニに問いかければ返ってきた言葉はレナータではなかなか理解しえないものだった。
少し眉を寄せるとセリーニも苦笑する。αといえど学んできた分野が異なると難しいようである。
「研究員が誤作動を起こす原因を今調べているところだ。もし別の薬とともに接種することで起きる誤作動ならば人為的に起こすこともできるだろうしな…」
「体内に入りこんだα細胞は頑固ですね」
「出ていけって言って、出ていくなら教授も楽だろうさ」
そんなことになってしまっては世界中の研究者は存在している意味はないのではないだろうか。
少々くだらないことを考えてしまうもののマリッサを始めとした研究員たちは日々頭を抱えている。
薬が定まったとして、いかにして人体への影響を見るか悩ましいらしい。
「治験したとして、悪化するか回復するかすらわからないからな。方法を探ることも大事らしい」
「人体実験を気軽にはできないからですね」
この研究所における頭痛の種である。
ウィリディスは人体での実験をしたくはないという。
犯罪者を使えばいいというものもいる。そしてそれはこの都市に籍を置く研究者には認められた権利だった。教授の研究内容を考えれば特にである。
もちろん死刑が確定した犯罪者のみだが、ウィリディスはその権利を使おうとはしなかった。
「いい人ではあるんだがな」
「いっそ私達で申請して研究員で勝手にやるべきかと思うときがあります」
「安心しろ、俺もだ」
ため息を漏らした二人は書類を整理する。
今までの実験結果を方法ごとに大別し、それをさらに薬品単位で分ける。
山ほどあるそれはリューイがウィリディスのもとにきてから増えるペースを早めたように思う。
二人は黙々と仕分けを行っていたが階下にある警備室から連絡が入る。
「教授に客?わかりました。いま聞いてくるのでそのまま。名前は…わかりました」
セリーニはウィリディスのもとに向かう。少ししてから白衣を脱ぎながらウィリディスが部屋に戻ってきた。
二人でしていた作業の片付けを終えていたレナータはウィリディスを見る。
「二人分の紅茶を用意してくれ。少しふたりきりで話をしたいから、レナータとセリーニは別の仕事を…なければ済まないが、事務仕事を頼んだ」
「わかりました」
レナータは一度紅茶を淹れて戻った。
部屋には一人男性がいた。その顔をレナータは知っていた。
ウィリディスが事故により意識不明だった際治療に当たった医師である。
レナータが部屋を出ていけばウィリディスとその男性との間に僅かな沈黙が落ちた。
「それで、何のようだ?」
「あなたに話が聞きたくてきました」
「病院は」
「休みを取ってます。もちろん緊急の呼出には応じますが」
ウィリディスの前でそう話すのはスピロであった。
何の用事だろうかと考えるも思いつきはしない。自身の入院費用は支払い済みであるのはもちろんである。
「いきなりで申し訳ありません」
「構わない。何か急ぎの用事だろうか」
「……聞きたいことがあって」
ウィリディスはソファをすすめ、スピロはそこに腰を下ろした。
目の前に置かれた紅茶へと視線を向けることなくスピロは口を開いた。
「αをΩへと転向させることはできますか」
予期せぬ問いかけにウィリディスはカップに伸ばしかけた手を止めた。
スピロがどうしてそんなことを問いかけるのか、その理由に思い当たることがないわけではない。
カップを手にして紅茶をすする。
「転向できる」
「本当ですか?!どうやって」
「だが、この都市に生まれた人間には無理だ」
ウィリディスは静かに告げた。一瞬喜んだスピロは顔を曇らせる。
ソーサーにカップを置いたウィリディスは今一度口を開く。
「この都市に生きている人間は、環境が良すぎるために無理やりαをΩに転向させる必要がない。他の都市では生きる環境とαやΩの出生率の問題から、遺伝子そのものが転向可能となっているとも聞く」
「…遺伝子レベルですか」
「あぁ」
スピロはうなだれた。
ウィリディスは少し言葉を探した。自分自身聞きかじった話であるためどこまでが本当なのかはわからない。
しかし試そうという気持ちすら起きないのはきっと自分が通常のαと同じようにΩを番と決めてしまったからなのだろう。
「ここより離れたほかの都市では到底人間が生きていける環境ではなかったと聞き及んでいる。ゆえに当時の人間は動物の遺伝子とのかけ合わせを行い獣人を生み出した。獣人と人間の遺伝子は合わされば優秀な子孫を残すが、子供は生まれにくい。それもあって、獣人同士、人間同士でαが番っても子供ができるように転向の技術も会得したと聞いたことはある」
「ほかの都市にはどうやって…」
「……クラートは、ほかの都市へ行ってまでΩになるすべを見つけてきたとしても喜びはしないと思うが」
スピロが勢いよく顔を上げてウィリディスを見つめる。
その瞳にわずかな動揺が見て取れる。やはりそうか、とウィリディスは目を伏せた。
「どうして、わかるんですか」
「入院していたときの雑談でクラートから自分がαの男に焦がれていることを聞いたからな。誰とまでは言わなかったが、あの院内でクラートと距離が近いのはお前だけだっただろう」
ウィリディスはクラートから聞いた日を思い出す。
クラートが焦がれているのがαとは思いもしなかった。しかし一緒になるつもりはないという。
ウィリディスの両親のような財力があるわけでもなく、すべてを捨てたうえで都市から離れた場所で生きる力も覚悟もない。
クラートはそれをよくわかっていた。
「あいつは、己の夢のために医者になった。それをわかっていて」
「わかっている。あいつの母親が当時難病指定されていた病気で亡くなり、救えなかった自分を悔やんで医者になったことぐらい、好きになってからいろいろ知ったから。ならば俺がΩになれば一緒にいられると思ったんだ」
ウィリディスは言葉が続かなかった。
自分がリューイとのことで悩んでいるのと同じで彼はクラートとのことで悩んでいる。まるで自分だけが世界から見放されたようにどこかで思っていたがそれは間違いだったようである。
「どれだけ切望しても、この都市に生まれてしまった以上受け継がれた遺伝子を変えることはできない。できるとしたら、どちらかが番を得るその時まで心の底から愛していくほかないんじゃないのか」
「やはり、それしかないんでしょうか」
「少なくとも俺が知るクラートは芯がある。愛した存在が男で自分と同じα性であってもいつか別れが来るとわかっているならばその時が来るまで命を懸けてでも愛しぬくだろうな」
柄にもないことを口にしてしまった。
自分とは異なり好いた相手が同じα性であった。それも、男同士である。どう見積もったところで別れがくるのは目に見えている。
ならば後悔のないように過ごすべきだとウィリディスは思っていた。今の自分にもそれが当てはまる。
「誰かへの想いなどそう簡単に諦めきれるものではあるまい。クラートのことだからお前の考えなど見通していそうなものだがな」
「やはりそうですよね」
「……どう頑張っても、Ωにはなれないからそれについてはあきらめることだな」
スピロは小さくうなずいた。まだ彼の中では完全に納得しきれていないかもしれない。
しかしこれ以上ウィリディスにもどうしようもできない。膝の上で手を握り締めたスピロは顔を上げた。
予想外にも笑っていた。
「ありがとうございました。吹っ切れてはいませんが、この先の自分の道を決めようと思います」
「クラートは、間違いなくお前が幸せであることを一番に願うだろうな」
「えぇ。そうあってくれると思います。だから俺も、クラートが一番に幸せであるようにできることをしていきます」
「そうか…それがいい」
スピロは冷めかけの紅茶を飲み干して立ち上がる。
ウィリディスも併せて立ち上がれば彼を見送る。
「申し訳ありませんでした。教授の貴重なお時間を頂きまして」
「構わない。俺自身、見つめなおさなければならないものがあるからいい機会だった」
「あの、青年とのことですか」
「あぁ」
スピロは言いかけた言葉を飲み込んで微笑みを浮かべた。
それから何も言わずに小さく頭を下げると研究所を後にする。
ウィリディスは自分一人になった部屋で立ち尽くす。自分はどうする。自分とリューイはαとΩだ。スピロとクラートよりはハードルが低い。
ため息をこぼしてセリーニとレナータを探した。客人が帰ったのだ。自分も実験室に戻り、きりのいいところまで進めていきたい。
「レナータ、いいだろうか」
「お客様は帰られたのですか」
パソコンに向かいデータ入力を手伝っていたらしいレナータに声をかければすぐさま立ち上がってそばに寄ってくる。
うなずきを返せば片付けますね、とレナータはすぐに告げた。
「任せた。実験室にこもる。ほかの研究員たちの様子はどうだ」
「皆様いろいろと相談されながら実験を繰り返しています。予想と異なる結果が出るとそれを突き詰めておられるようですね」
「そうか…そのまま続けてもらってくれ」
「はい」
レナータに部屋の片づけを任せてそのまま実験室へと向かって行く。
α細胞への攻撃が見られるという薬品を取り寄せて成分を分析した。これといって変わったものはなかったのだが、やはり時折攻撃性が見られることが判明した。
その理由をたどらねばならない。いくつも条件を変えていたが、攻撃性が出ることに規則性はなかった。
頭を抱えつつ椅子に寄りかかる。ほかの研究員たちには候補として出している避妊薬や抑制剤の成分を精査したうえでより効果のあるものを探っていてもらった。
かゆいところに手が届かないというのはこういうことなのだろうか。
「いつまでもこんなことをしていてはリューイが心配してしまうな…」
ウィリディスは苦笑を盛らしてから結果を手早く紙に記していく。
戻ってきたときにどこからやるべきかも記した。
自分がいない間にセリーニとレナータから都市内にある病院で同様の事故が起きていないかを調査してもらってさらに精査をする必要がありそうである。
休みの間に薬品を絞ったとしてそのあとは入院する前のようにΩの体内環境を模した箱を使って実験を行う。これについてはクラートをはじめとした外部の研究者や科学者にいろいろと意見をもらってきたため失敗の確立は低いとみている。
ペンを止めて一息入れた。時計を見ればそろそろ移動したほうがいい時間である。結果を記入した紙を引きだしにしまい込み、薬品や器具を片付ける。
実験室に鍵を閉めれば今度はセリーニの姿を見つけた。
「教授、そろそろ行かれます?」
「あぁ」
「わかりました。教授がいない間の実験とかもろもろに関してはこちらで行います。教授の認可が必要な事案について、急ぎの場合は教授の端末に連絡を入れる予定です」
「それでいい。すぐに反応はできないかもしれないが気づけばすぐに折り返す」
「メッセージ入れておくので聞いてから判断してください。子供たちとの時間を邪魔はしたくないので」
主にリューイ青年とだけど、とセリーニは告げる。
わずかに動きを止めたウィリディスを見て何か反論が来るかと身構えるもののウィリディスはわずかに顔を赤くしてそっぽを向いただけだった。
目を丸くするセリーニだが、やがて吹き出せばいってらっしゃい、と告げる。咳払いを一つしてからウィリディスは研究所を離れた。
先に実家に連絡を入れる。リューイからのメッセージも写真付きで届いていた。
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