ふらっとお立ち寄りください〜ココア専門店『フラット』〜

高羽志雨

文字の大きさ
24 / 36
4話『逃げてきた唯人』

息子の告白

しおりを挟む
 渇いた音が聞こえ、ドアベルが揺れたことに気づいた。
 扉の方を見ると、唯人がテイクアウトボックスを手に店に入ってきていた。休日だった先日とは違い、白いカッターシャツの上からダークブラウンのエプロンを身に着けている。千帆は腕を大きく動かして、角田たちの方へ指を向けた。

「こちらの方です」

 唯人は口角を上げてうなずき、奥へと歩いて行く。
 蒼市は腕を組んだまま、目の前にある『らぶち』のメニュー表を見つめている。その後ろを過ぎて、角田と蒼市の間に立った唯人が2つのボックスを差し出した。

「お待たせしました。こちらがガトーショコラで、こちらが鯖サンドです。中におしぼりとフォークが入っていますので、お使いください。料金は合わせて1100円になります」

 角田が財布を手に振り返った。先にボックスを受け取ってカウンターに置き、財布からお金を出している。
 隣に座る蒼市は身動き一つせず、メニュー表を見つめたままだ。少し眼光が鋭くなっているのは気のせいだろうか。

 この隙に千帆はビターココアを2人の前にそれぞれ置いた。
 角田とお金の受け渡しをしている唯人は、いつになく落ち着かない様子だ。受け取ったお金をエプロンのポケットに入れて、お礼の言葉もそこそこに立ち去ろうとした。

 蒼市の後ろを通り抜けた瞬間、唯人が何かに引っ張られるように歩みを止めた。
 不自然な動きに千帆は目を見張る。蒼市がメニュー表に目を置いたまま、唯人の腕をつかんでいた。

「ここにいたんだな」

 唯人はうつむいて壁のほうに顔を向け、蒼市から背けるように立っている。その背中を見るように顔を上げた蒼市の横顔はゆがんでいた。

「話がある」

 蒼市が発したのは先ほどまでとは全く違う地を這うような声だった。
 千帆は自分に向けられたものではないのはわかっているけれど、蒼市の声に胸が苦しくなる。悲しげな声に聞こえたのだ。

 蒼市の方を振り返った唯人は唇を噛み、つかまれた腕を振りほどく。

「店を放っておくわけにはいきません」

 やっとの思いで絞り出した感じの声は消えそうだった。
 唯人は振り返ることなく、自分の店に戻っていった。
 ただならぬ空気を感じたのか、入り口近くに座っていた主婦3人組は席を立ち始める。

「千帆ちゃん、カウンターに代金は置いたから。ぴったりだからお釣りはないわよ」

 常連同士、顔見知りの角田に3人は会釈をして出て行った。
 千帆はカウンターに置かれたお金を回収して、レジに入れる。

 その間、角田も蒼市も黙ったままだった。蒼市は両肘をついた手に額を乗せている。うつむいているから表情はわからない。その姿を角田は見つめていた。
 その場の空気は呼吸する音が漏れるのでさえ、気を使うほどになっている。
 昭和のアイドルグループが歌う歌謡曲が流れる。明るく爽やかな曲は今の店の雰囲気には場違いに感じる。
 千帆は体の前で小さくこぶしを握った。

「ココア、冷めちゃいますよ。温かいうちに飲んでください。軽食もどうぞ」

 明るめに出した声に角田が反応して、ココアに手を伸ばした。一口飲んで、蒼市の腕をつつき、飲むように促している。
 少しの間があり、蒼市も顔を上げてココアのカップを手に取った。

 角田が唯人から受け取ったボックスを開け、入っていた使い捨てのフォークでガトーショコラを切り取る。しばらく見つめてから口に放り込んだ。

「うん、おいしい。甘いものを食べると、ほっこりするな。蒼市も食べるか」

 一口分を切り取って、フォークを蒼市に渡す。
 ガトーショコラが溶けそうなほど見つめていた蒼市は、ゆっくりと口に入れた。じっくりと味わっているのがよくわかる。
 その様子を角田が瞬きせずに見ていた。

「今の人は知り合いか。おだやかな関係じゃなさそうだが」

 場違いでも明るい曲が流れているおかげで、3人しかいない店内の空気が重くなりすぎない気がする。
 蒼市は角田を見つめ返したまま、何も発しない。
 居心地の悪さを感じたのか、角田が蒼市の肩を軽くたたいた。

「ああ、お前も30歳の良い大人だからな。親に言えないこともあるよな。まあ、自分じゃどうにもできないトラブルになるようなら相談しなさい。そんなことじゃないなら、無理に話さなくていいよ」

 そう言って、角田はガトーショコラにフォークを刺した。

 ドアベルがかすかに鳴り、扉が揺れたことを告げる。
 空が陰って風が強くなってきているらしかった。
 蒼市が鯖サンドの入ったボックスを開け、一切れを角田に渡し、一切れは自分でかぶりついた。こちらも味わうように、しっかりと咀嚼している。

「鯖サンド、俺が昔トルコで食べて、すっごく気に入ったんだよ」

「えっ」

 思わず上げた千帆の声に蒼市と角田が顔を上げる。
 千帆は口元を両手で抑えて、表情で謝罪の意を示した。
 唯人が話していた元恋人とは、蒼市なのかもしれない。
 角田が鯖サンドをかじり、その味にうなずいている。

「うん、うまいな。ココアには合わないが」

 小さく声を出して笑う。この場の空気を和まそうとしているようだ。そんな角田の表情を見た蒼市は顔を緩めた。が、すぐに引き締める。

「親父、あいつだよ。俺の恋人」

 水が入ったコップに口をつけていた角田はむせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...