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4話『逃げてきた唯人』
息子の告白
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渇いた音が聞こえ、ドアベルが揺れたことに気づいた。
扉の方を見ると、唯人がテイクアウトボックスを手に店に入ってきていた。休日だった先日とは違い、白いカッターシャツの上からダークブラウンのエプロンを身に着けている。千帆は腕を大きく動かして、角田たちの方へ指を向けた。
「こちらの方です」
唯人は口角を上げてうなずき、奥へと歩いて行く。
蒼市は腕を組んだまま、目の前にある『らぶち』のメニュー表を見つめている。その後ろを過ぎて、角田と蒼市の間に立った唯人が2つのボックスを差し出した。
「お待たせしました。こちらがガトーショコラで、こちらが鯖サンドです。中におしぼりとフォークが入っていますので、お使いください。料金は合わせて1100円になります」
角田が財布を手に振り返った。先にボックスを受け取ってカウンターに置き、財布からお金を出している。
隣に座る蒼市は身動き一つせず、メニュー表を見つめたままだ。少し眼光が鋭くなっているのは気のせいだろうか。
この隙に千帆はビターココアを2人の前にそれぞれ置いた。
角田とお金の受け渡しをしている唯人は、いつになく落ち着かない様子だ。受け取ったお金をエプロンのポケットに入れて、お礼の言葉もそこそこに立ち去ろうとした。
蒼市の後ろを通り抜けた瞬間、唯人が何かに引っ張られるように歩みを止めた。
不自然な動きに千帆は目を見張る。蒼市がメニュー表に目を置いたまま、唯人の腕をつかんでいた。
「ここにいたんだな」
唯人はうつむいて壁のほうに顔を向け、蒼市から背けるように立っている。その背中を見るように顔を上げた蒼市の横顔はゆがんでいた。
「話がある」
蒼市が発したのは先ほどまでとは全く違う地を這うような声だった。
千帆は自分に向けられたものではないのはわかっているけれど、蒼市の声に胸が苦しくなる。悲しげな声に聞こえたのだ。
蒼市の方を振り返った唯人は唇を噛み、つかまれた腕を振りほどく。
「店を放っておくわけにはいきません」
やっとの思いで絞り出した感じの声は消えそうだった。
唯人は振り返ることなく、自分の店に戻っていった。
ただならぬ空気を感じたのか、入り口近くに座っていた主婦3人組は席を立ち始める。
「千帆ちゃん、カウンターに代金は置いたから。ぴったりだからお釣りはないわよ」
常連同士、顔見知りの角田に3人は会釈をして出て行った。
千帆はカウンターに置かれたお金を回収して、レジに入れる。
その間、角田も蒼市も黙ったままだった。蒼市は両肘をついた手に額を乗せている。うつむいているから表情はわからない。その姿を角田は見つめていた。
その場の空気は呼吸する音が漏れるのでさえ、気を使うほどになっている。
昭和のアイドルグループが歌う歌謡曲が流れる。明るく爽やかな曲は今の店の雰囲気には場違いに感じる。
千帆は体の前で小さくこぶしを握った。
「ココア、冷めちゃいますよ。温かいうちに飲んでください。軽食もどうぞ」
明るめに出した声に角田が反応して、ココアに手を伸ばした。一口飲んで、蒼市の腕をつつき、飲むように促している。
少しの間があり、蒼市も顔を上げてココアのカップを手に取った。
角田が唯人から受け取ったボックスを開け、入っていた使い捨てのフォークでガトーショコラを切り取る。しばらく見つめてから口に放り込んだ。
「うん、おいしい。甘いものを食べると、ほっこりするな。蒼市も食べるか」
一口分を切り取って、フォークを蒼市に渡す。
ガトーショコラが溶けそうなほど見つめていた蒼市は、ゆっくりと口に入れた。じっくりと味わっているのがよくわかる。
その様子を角田が瞬きせずに見ていた。
「今の人は知り合いか。おだやかな関係じゃなさそうだが」
場違いでも明るい曲が流れているおかげで、3人しかいない店内の空気が重くなりすぎない気がする。
蒼市は角田を見つめ返したまま、何も発しない。
居心地の悪さを感じたのか、角田が蒼市の肩を軽くたたいた。
「ああ、お前も30歳の良い大人だからな。親に言えないこともあるよな。まあ、自分じゃどうにもできないトラブルになるようなら相談しなさい。そんなことじゃないなら、無理に話さなくていいよ」
そう言って、角田はガトーショコラにフォークを刺した。
ドアベルがかすかに鳴り、扉が揺れたことを告げる。
空が陰って風が強くなってきているらしかった。
蒼市が鯖サンドの入ったボックスを開け、一切れを角田に渡し、一切れは自分でかぶりついた。こちらも味わうように、しっかりと咀嚼している。
「鯖サンド、俺が昔トルコで食べて、すっごく気に入ったんだよ」
「えっ」
思わず上げた千帆の声に蒼市と角田が顔を上げる。
千帆は口元を両手で抑えて、表情で謝罪の意を示した。
唯人が話していた元恋人とは、蒼市なのかもしれない。
角田が鯖サンドをかじり、その味にうなずいている。
「うん、うまいな。ココアには合わないが」
小さく声を出して笑う。この場の空気を和まそうとしているようだ。そんな角田の表情を見た蒼市は顔を緩めた。が、すぐに引き締める。
「親父、あいつだよ。俺の恋人」
水が入ったコップに口をつけていた角田はむせた。
扉の方を見ると、唯人がテイクアウトボックスを手に店に入ってきていた。休日だった先日とは違い、白いカッターシャツの上からダークブラウンのエプロンを身に着けている。千帆は腕を大きく動かして、角田たちの方へ指を向けた。
「こちらの方です」
唯人は口角を上げてうなずき、奥へと歩いて行く。
蒼市は腕を組んだまま、目の前にある『らぶち』のメニュー表を見つめている。その後ろを過ぎて、角田と蒼市の間に立った唯人が2つのボックスを差し出した。
「お待たせしました。こちらがガトーショコラで、こちらが鯖サンドです。中におしぼりとフォークが入っていますので、お使いください。料金は合わせて1100円になります」
角田が財布を手に振り返った。先にボックスを受け取ってカウンターに置き、財布からお金を出している。
隣に座る蒼市は身動き一つせず、メニュー表を見つめたままだ。少し眼光が鋭くなっているのは気のせいだろうか。
この隙に千帆はビターココアを2人の前にそれぞれ置いた。
角田とお金の受け渡しをしている唯人は、いつになく落ち着かない様子だ。受け取ったお金をエプロンのポケットに入れて、お礼の言葉もそこそこに立ち去ろうとした。
蒼市の後ろを通り抜けた瞬間、唯人が何かに引っ張られるように歩みを止めた。
不自然な動きに千帆は目を見張る。蒼市がメニュー表に目を置いたまま、唯人の腕をつかんでいた。
「ここにいたんだな」
唯人はうつむいて壁のほうに顔を向け、蒼市から背けるように立っている。その背中を見るように顔を上げた蒼市の横顔はゆがんでいた。
「話がある」
蒼市が発したのは先ほどまでとは全く違う地を這うような声だった。
千帆は自分に向けられたものではないのはわかっているけれど、蒼市の声に胸が苦しくなる。悲しげな声に聞こえたのだ。
蒼市の方を振り返った唯人は唇を噛み、つかまれた腕を振りほどく。
「店を放っておくわけにはいきません」
やっとの思いで絞り出した感じの声は消えそうだった。
唯人は振り返ることなく、自分の店に戻っていった。
ただならぬ空気を感じたのか、入り口近くに座っていた主婦3人組は席を立ち始める。
「千帆ちゃん、カウンターに代金は置いたから。ぴったりだからお釣りはないわよ」
常連同士、顔見知りの角田に3人は会釈をして出て行った。
千帆はカウンターに置かれたお金を回収して、レジに入れる。
その間、角田も蒼市も黙ったままだった。蒼市は両肘をついた手に額を乗せている。うつむいているから表情はわからない。その姿を角田は見つめていた。
その場の空気は呼吸する音が漏れるのでさえ、気を使うほどになっている。
昭和のアイドルグループが歌う歌謡曲が流れる。明るく爽やかな曲は今の店の雰囲気には場違いに感じる。
千帆は体の前で小さくこぶしを握った。
「ココア、冷めちゃいますよ。温かいうちに飲んでください。軽食もどうぞ」
明るめに出した声に角田が反応して、ココアに手を伸ばした。一口飲んで、蒼市の腕をつつき、飲むように促している。
少しの間があり、蒼市も顔を上げてココアのカップを手に取った。
角田が唯人から受け取ったボックスを開け、入っていた使い捨てのフォークでガトーショコラを切り取る。しばらく見つめてから口に放り込んだ。
「うん、おいしい。甘いものを食べると、ほっこりするな。蒼市も食べるか」
一口分を切り取って、フォークを蒼市に渡す。
ガトーショコラが溶けそうなほど見つめていた蒼市は、ゆっくりと口に入れた。じっくりと味わっているのがよくわかる。
その様子を角田が瞬きせずに見ていた。
「今の人は知り合いか。おだやかな関係じゃなさそうだが」
場違いでも明るい曲が流れているおかげで、3人しかいない店内の空気が重くなりすぎない気がする。
蒼市は角田を見つめ返したまま、何も発しない。
居心地の悪さを感じたのか、角田が蒼市の肩を軽くたたいた。
「ああ、お前も30歳の良い大人だからな。親に言えないこともあるよな。まあ、自分じゃどうにもできないトラブルになるようなら相談しなさい。そんなことじゃないなら、無理に話さなくていいよ」
そう言って、角田はガトーショコラにフォークを刺した。
ドアベルがかすかに鳴り、扉が揺れたことを告げる。
空が陰って風が強くなってきているらしかった。
蒼市が鯖サンドの入ったボックスを開け、一切れを角田に渡し、一切れは自分でかぶりついた。こちらも味わうように、しっかりと咀嚼している。
「鯖サンド、俺が昔トルコで食べて、すっごく気に入ったんだよ」
「えっ」
思わず上げた千帆の声に蒼市と角田が顔を上げる。
千帆は口元を両手で抑えて、表情で謝罪の意を示した。
唯人が話していた元恋人とは、蒼市なのかもしれない。
角田が鯖サンドをかじり、その味にうなずいている。
「うん、うまいな。ココアには合わないが」
小さく声を出して笑う。この場の空気を和まそうとしているようだ。そんな角田の表情を見た蒼市は顔を緩めた。が、すぐに引き締める。
「親父、あいつだよ。俺の恋人」
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