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5:それは小麦と恋の香り
ソルティナイト
しおりを挟む「──イヴっっ!!」
「ごっごめんなさい!」
急いでパン屋に帰ったイヴを待っていたのはシェリーからの怒声と説法だった
しこたま怒られて食事は質素なものが並ぶ事になってしまった。テーブルに並んでいる料理の内イヴの近くにあるのは今までの半分程であった。抜きではなく減らすという辺り慈悲が窺えるが、シェリーは何も言わずに淡々と準備していた。イヴはその背中から怒りを感じ取って、手伝いなどをすることが出来ず椅子に座って反省して縮こまっていた
かといって事情を話す訳にはいかない。町の人々が恐れる黒竜を助けに行って、若者達を止めようとしたら斬られて黒竜に助けられたなどと。何一つ言えそうにない
何も言えず神妙な顔をしてイヴはパンをちぎって口に運ぶ。売れ残りの、それでも美味しいいつものパンだがなかなか飲み込めず何度も噛んだ。飲み下してシェリーを盗み見た。シェリーはスープを掻き混ぜている
イヴが萎縮しているのをグレンは気にして何度も瞥見していた
シェリーが鍋の様子を見ているのを見てから、自分の器に入った肉を少しこっそりとイヴの器へと入れた
イヴが目を瞬かせてグレンを見ると「シェリーには内緒だよ」と声を潜めて言ってグレンは微笑んだ
食事を終えるとイヴは就寝のための準備をし、あとは自室で体を休めるだけだ
ふとシェリーが気になって探してみる。シェリーは店舗の方におらず、キッチンダイニングにも見付けられなかった。イヴの頭を掠めるのは帰って来た時の激怒する姿と食事の時の背中だ
―─もう、寝ちゃったのかな。眠るなら挨拶したかった……けど、明日も早いんだし寝るよね……。早い……
「わたしも寝よう……」
シェリーが見付からず肩を落としてイヴは自室に向かおうとした
体を方向転換したところで背後から扉が開く音がして頭を巡らせた。グレンが普段パンを焼いたりと作業をする部屋が開いており、中からグレンが出てきた
グレンはイヴの姿を見て眉を上げる
「イヴ君か。まだ寝ていないのかい?」
「あ……今から寝ます。グレンさんはまだ寝ないんですか?」
「ああ。明日の仕込みをしないといけないからね」
「そう……なんですか。大変ですね」
「なあに、もう日課さ」
グレンの言葉を聞いたイヴが俯いた
「あの……今日は、本当にごめんなさい。朝すごく忙しいからわたしを雇ってくれたのに」
「……イヴ君」
ぎゅっと服を掴んでイヴは俯いたままだ。言えない事情の事はともかく、あの時真っ直ぐに帰って来ていれば開店準備には間に合っていたかもしれない
そう考えれば失念した挙句すぐに戻らなかった自分に非があるとイヴは思い至っていた
「昨日出て行って、朝まで帰ってこなくて心配したよ。……もちろん、妻も」
はっとしてイヴは顔を上げた。目を丸くしてグレンを見るとグレンは優しい目をしてイヴを見ていた
「服も濡れていたし……何があったのかはわからないが、それでも無事で何よりだよ。店に関してはシェリーは多忙を極めただろうが、その分明日はイヴ君が出来うる限り頑張りなさい」
「―─はい」
イヴはきゅっと唇を一文字に結んだあと、はっきりと返事をした
返事を聞いたグレンは穏やかに目を細めてから息をつく。振り返って自身が出てきた扉を見遣った
「それじゃあ私は作業に戻るよ」
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
挨拶を交わすとグレンの背は遠ざかっていく。扉を開け、足で扉を閉まらないように支えて入り口付近で作業している。荷物の移動なんかもしており、何をどこまでするのかイヴにはわからないがすぐには終わらなさそうに見えた
イヴはそれを見ていたが自室に向かっていった
自室に繋がる廊下のあるドアの前でイヴは一度止まって後ろを顧みる。明日に向けて準備をしているグレンを見据え、届くか届かないかくらいの声量で「ありがとうございました」と言って深く拝礼した
自室へと入ったイヴは寝所に体を横たえる。体を休めると目を閉じた。今日の出来事が頭に過ぎっていく
朝の黒竜との会話、ミランダとの再会と約束。そして、先程の会話
胸の辺りを片手で掴んだ。服が寄って皺が寄せたのを感じながら物理的ではない胸苦しさを感じていた
―─わたし、間違えた。お仕事の事だけじゃなくて、心配をかけてしまった事を謝らなくちゃいけなかった
昨日言ったのは用事があるということだけ。まるですぐに帰って来るような言い方で。森に行く時点ですぐには帰って来られない事はわかっていたはずなのに
イヴはふうっと大きく息を吐く。同時に肩から力を抜いた
―─明日は挽回しなきゃ……!
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