猫と鼠

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41.悩む鼠

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 どうしても気になってしかたなかった。

 何が? なぜ?

 自分でも正直よくわからない。ただ五月先生の怪我した手や、僕を明らかに避けようとしているところが気になっているのだと思う。
 でもなぜかはわからないし、何が気になるのかもよくわからない。それでも職場でとかじゃなく、ちゃんと向き合って話すればもしかしたらすっきりするのかもしれない。
 僕は休日の昼過ぎまで悩んだ挙句、車でしか連れて来て貰ったことのない五月先生の家へ何とか電車と徒歩で向かった。だがマンションの玄関まで来ると、自分は本当に何をしているのだろうと躊躇しだした。

 あれほど怖い人が放っておいてくれるのを、なぜそのままよしとしない? でも……。

 でもいくら怖くて苦手でも、散々構われた挙句急に避けられたらやはりどこか悲しいし、なぜだろうと思うのが人間だと思う。
 五月先生の事は今でも怖いし、苦手だ。でも嫌いなわけじゃない。ああいったタイプの方は本当に怖いけれども、人付き合いが苦手で内向的な僕に対し、いつもにこやかに接してくれていた。
 しょっちゅういたぶられていたような気もするけど。

 とりあえず、やっぱり……そうだよ……ここまで、来たんだし……。

 すでに避けられるほどもし嫌われているのだとしたら、いきなり来たからといってそれ以上嫌われることないかも、だよ。

 ……あるかな?
 ……いやいや、今はもう何も考えないようにして部屋番号を押そう。

 何とか気合い入れて部屋番号を押し、通話ボタンを押した。挙句、今僕は五月先生に会うこともなく帰路についている。

『……手のことでしたら本当に問題ありませんよ。たまたま切ってしまっただけです。それと、ちょっと今ごたついてましてね。本当は内藤先生を堪能させていただきたくて堪らないんですが、ちょっとそれどころじゃなくて』

 やはり何かあったのかもしれない。

 なぜ僕には言ってくれないんだろう?

 僕にあんなことまで教えてくれたのにと思ってしまうのは僕が情けないからだろうか。
 とはいえ、きっと何か大変なことがあったのだろうなと思う。僕がどうこうできるわけないのだろう。仕方、ない。
 僕は電車に乗り、ぼんやりしながら最寄駅で降りた。途中スーパーに寄るが、いつものように楽しく買い物はできなかった。
 途中で人にぶつかってしまうし。僕はどれだけぼんやりしているんだ。

「財布、落としましたよ」

 おまけに財布まで落とすなんて。というか何で落ちたのだろう。

「す、すみません。ありがとうございました……」

 拾ってくださった方にお礼を言うとジッと見られてしまった。僕のように何ていうか、大人しそうな人。そんな人にジッと見られてしまうほど、僕はぼんやりしていたか挙動不審だったのだろうか。恥ずかしいかもしれない。
 その場からまるで逃げるようにして買い物を早々に終わらせ、アパートへ戻った。玄関を開けようとしたところで神野さんが一階から覗きこむようにして声をかけてくれた。

「あ、内藤さん、帰ってたんだね。……ってどうしたの? 元気なさそうだけど、何かあった?」

 何となく辺りを見渡しているような様子を見せながら、神谷さんが聞いてくる。

「いえ……その、何も……」
「あ、そうだ。元気がない時は楽しくご飯作って、楽しく食べるのが一番だよ。俺の家においでよ」

 神野さんは優しく声をかけてくれる。

「ほら、遠慮しないで。そんな鳥の餌みたいなコーンフレーク……じゃなくてミューズリーかな。それじゃあ晩御飯にならないよ」

 そう言われて僕は改めて透明なスーパーの袋を見た。

 何これ? 何で僕はこれを買ったんだ? ミューズリー? そんなハイカラなもの、僕は食べ方すらわからないというのに。

「ほら」

 ニッコリ手を差し伸べられ、僕は家に入ることすらなく、また階段をふらふらと降りた。
 神野さんは快く僕を中に入れてくれ、そして美味しいお茶を出してくれた後に台所へ立たせてくれた。

「本当に、ありがとうございます……神野さん、本当にいい人ですね」

 一緒に作ったご飯を食べながら僕は頭をさげた。

「やだな、頭なんて下げないで欲しいなあ。俺はそれにいい人じゃないよ」

 神野さんの声のトーンが少しだけ下がった気がして、僕は神野さんを見た。

「だって内藤さんをある意味許可なく抱いたよ。今だって隙あらばと思っているよ」

 そう言われ、僕の顔が熱くなった。そういえば、神野さんにも、されたのだった。

「それに……」
「……? それ、に?」
「……それに、俺は内藤さんのこと、ある意味子どもの頃から知ってる。でもあえてそのこと何も言わなかったし」
「え?」

 僕を?

「俺の弟がね、内藤さんと友だちだった。とっても内藤さんを気に入っている弟を見ていたら、俺も凄く興味湧いてきてね。とは言え、ちゃんと知り合いになる前に引っ越しすることになっちゃったけど」

 神野さんの弟が、僕と、友達……? そして引っ越し……?

「まさ、か……」

でも、僕を気に入っているはずない。僕のこと、多分嫌いになってしまったはずだ。だからあの神野くんのはずが、ない。

「うん。小学校の時ね」
「……っ? で、でも、でも……神野くんは……」
「弟はとっても内藤さんが好きだったよ。ただ、内藤さんが好きだからこそ、どうしていいかわからなくなってしまったんだと思う。多分イジメるような態度になってしまったんだろうね? もしそれで内藤さんを傷つけていたとしたら本当にごめん。俺に代わりに謝らせて」

 僕は唖然とした。

「ねえ、内藤先生。大人ならこうやって例えば抱きしめたり、でも離してと言われたらちゃんと離したりもしますけどね。子どもならそもそも抱きしめるという表現なんかわからないだろうし、相手が何を喜ぶかなんてわからないまま無理やり自分の考えを押しつけたり、どうしていいかわからない思いをそのままぶつけたりすると思いませんか?」

 いつだったか五月先生が言っていた言葉を思い出す。

「神野くんは……じゃあ、僕を嫌いになったんじゃ……?」
「とんでもない。弟は引っ越した後もずっと後悔していたよ。本当にごめんね?」

 そんな。後悔だなんて。

「……神野くんは、今……?」
「ああ。今は奥さんがいて、そしてかわいい子どももいるよ」

 それを聞いて、なぜかわからないけどようやく心の底からホッとした思いが込み上げてきた。

「よかった……!」

 僕は嬉しくなって神野さんに微笑んだ。本当によかった。それに、嫌われていたのではなかった。
 五月先生のことでとても重かった胃のあたりにジワリと暖かいものが沁み込んでくる。

 五月先生もこのことおっしゃられてたんだ。それを僕に教えようとしてくれていたんだ。

 そう思っていると、いつの間にか近づいていた神野さんに引き寄せられ、僕はそのまま押し倒されていた。

「あ、あの……」
「ごめんね、内藤さん。内藤さんの笑顔見たら、ちょっと抑えられなくなっちゃって」
「で、でも、その、あの」

 僕がどもっていると、神野さんがニッコリした後僕に軽くキスしながら服を脱がせてきた。
 流れがよくわからない。なぜこうなるのか。世間の常識に僕はついていけていないのかもしれない。

 でも……。

 この間の神野さんにされた翌日、五月先生にされたことや言われたことを思い出す。あれだけは駄目なのだとそれで思い知ったし、五月先生のためにもせめて頑張って伝えないと。

「あ、あの! せ、せめてその、な、な、中には……その、だ、出さない、で……」
「……そこ? 内藤さん、そこなの?」

 神野さんが苦笑した。僕は何か間違えたのだろうか。
 ふと神野さんが心配気な表情を見せる。

「さっきやっぱり変なヤツ、いたよ……。内藤さん、職場の同僚さんの傍にいられない今はせめて、なるべく俺の傍から離れないようにしてね」
「……?」

 言っていることが皆目わからない。でももしかして五月先生が僕を避けていることに関係あるのだろうか。詳しく聞かなきゃと思っている僕の唇に神野さんの唇がしっかりと重なる。

 どうしよう。中で、とかじゃなくて……そうじゃなかった……。何ていうか……僕は……。
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