シロツメクサと兄弟

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6.兄の日常

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「兄ちゃんあのね……」

 小さな利央が律の耳に手を添えてくる。

「んー? なーに?」

 律はニコニコと体を傾けた。

「兄ちゃん大好き」
「俺も大好きだよりお」
「ほんと? あのね、大好きだからね、兄ちゃんのこと将来およ……」
「……ん? どうした? 声ちっちゃくなって兄ちゃん聞こえなかったよ?」
「へへ、やっぱりひみつ!」

 利央がニッコリ笑い律を見上げてきた。



 そこで目が覚めた。
 懐かしい夢。
 両親を亡くした後、もう笑ってくれないかもしれないと危惧さえした弟、利央はだが暫くするとちゃんと笑ってくれるようになった。その上、元々律に懐いていた利央はさらに懐いてくれるようになった。大好きだと何度も言われた。

「……夢の、実際そういう時あったよね、確か。あの時利央、何て言ってくれてたのかなぁ」

 下に降りてボソリと呟いていると既に起きて朝ごはんの準備をしてくれていた利央が「何が?」と怪訝そうに聞いてきた。

「あー、ううん、何でもないよ。味噌汁の匂いする。今日はパンじゃなくてご飯かあ。いつもありがとうね、りお」

 聞いてみようとも思ったがいくらなんでも覚えていないだろうと思い、律は首を振った後でニッコリした。

「礼なんていらないからほら、早く準備して食わないと遅刻するぞ兄貴」

 あんなにかわいかった利央だが、今では律よりも背が高いし性格もまるでこれではどちらが兄かわからない。

「うん。そういや、りおはいつから俺のこと兄ちゃんじゃなくて兄貴って呼ぶようになったんだろうね。それにもう大好きって言ってくれない……」

 洗面所から戻りつつそんなことを言うと「何言ってんだよ」と呆れたような利央の声がした。確かに利央も高校生だしいつまでも小さい利央ではない。それはわかっているしちゃんと成長してくれているのは嬉しい。しかし兄としてはどこかほんのり寂しくもあるなと思いながら律は仕事に行く準備を済ませ、食卓についた。
 一緒にご飯を食べた後洗い物をするのは律だ。これも自分がすると利央は言っていたのだが、元々食事だって作らせる気などなかった律は「家出るの、りおの方が早いだろ」と首を振って拒否していた。
 律は自転車ですぐの職場に対して、利央は電車に乗って通学なので朝は利央のほうが早い。毎朝「いってきます」と律儀に言った後、朝ごはんの準備のついでに作っていた弁当を鞄に入れて利央は先に出て行く。笑って見送った後、律も利央に作ってもらった弁当を持って家を出、自転車に乗って職場へ向かう。
 昔は朝、律のほうが早起きをして弁当や朝食を作っていたのだが、最近利央が食事を担当するようになってからは毎朝利央がどちらも作ってくれている。

「だから兄貴はゆっくり起きたらいい」

 ニッコリと言うよりはむしろ強制に近い雰囲気で言われたので律は苦笑しつつも、ありがたくそうさせてもらっていた。
 職場は本当に近いので家を出るのももう少しゆっくりしてもいいのだが、律はいつも早めについて職場の休憩室でのんびりしてから仕事をするようにしていた。慌ててギリギリに行くとミスをしかねない気がする。

「お、いつも早いな律」
「おはよう、藤堂さん。藤堂さんもいつも俺とあまり変わらないと思うけど」

 律の座っている隣に腰をおろしてきた海に、律はニッコリ笑いかけた。

「俺は仕事前に一服したいからな。お前いっつも座ってるだけで何もしてないだろ」

 海は笑いながら律に缶コーヒーを投げてよこした。

「また! いいって、いつも……」
「いつもじゃないだろ? たまにだ。それにあれだ、買いたいヤツ間違えたから。捨てるよりは飲んでもらった方がいいだろ」

 困ったように律が海を見ると、海はシレッとした表情のまま既に開けた自分の分のコーヒーを飲んでいる。

「……ありがとう、いただきます」
「おう」

 缶コーヒーは甘くて美味しかった。海はいつもブラックを飲んでいるので間違えて甘い缶コーヒーのボタンを押すわけないとわかっているが律はありがたく味わった。
 別に缶ジュースを買えないほど生活に困っているのではないが、毎日のことだし積み重なると結構な値段になる。ずっと節約してきた律にとって、どうしても飲みたいという欲求よりはもったいないからいいかという気持ちの方が勝ってしまう。

 ……でも貰ってばかりは悪いし今度何かでお返ししよう。それと水筒でも持ってこよう。

 心の中で律は思った。昼食の時は食堂のお茶を飲んでいるので水筒は持参してなかった。だが飲み物を持っていたら海も律の分まで買ってこないだろう。

「また変に色々気にしたり考えてんの?」

 煙草に火を付けながら海が苦笑している。

「考えてないよ」
「嘘つけ。まあいいけどさ。でもお前はもう少し甘えること覚えてもいいと思うよ?」
「え?」

 ポカンと律が海を見上げると頭をくしゃりと撫でられた。

「あ、藤堂さんいた! ちょ、のんびり煙草なんて吸ってないで持ち場入って入って!」

 律がまだ海を見ていると、探していたのか他の従業員が休憩室の入り口から顔をのぞかせている。

「何で。まだ始業時間じゃないっしょ? 煙草くらいゆっくり吸わせてよ」
「昨日から例の機械調子悪いって言ってたろ。きたわエラー。ちょっと弄るくらいじゃ直らんみたいでさー、藤堂さんしか無理っぽい」
「まーじーでー。ったく、後でじゃあまた煙草吸う時間くれ」

 ため息をつきながら海は灰皿にまだあまり短くなっていない煙草を押しつけ立ち上がった。

「直したらな」
「それが人に頼む態度?」

 そんな軽口をたたきながら海は缶を捨てた後に呼びにきた従業員と一緒に歩いていった。

 やっぱり藤堂さんカッコいいと思うし皆から頼られてて凄いな。

 律はそっと思いながら自分も立ち上がった。そして飲み終えた缶コーヒーを専用のゴミ箱に入れると同じように工場内へ向かう。
 三つしか変わらないのに全然大人だと律はしみじみ思った。後三年経てば自分も海のようになっているだろうかと考えてみたが、三年前を思い返しても海はあんなだったし律も今と変わっていないように思える。

「……こんなだから、りおも俺に甘えてくれないのかなぁ……」

 思わずボソリと呟いた後で首を振り、作業服の袖から素肌が出ないよう手袋をしっかりはめた。
機械を洗浄したりする時に皮膚につくと荒れたりするのでそれなりに気を使っている。安全靴も見た目よりは性能を重視したものを選んでいた。
 勿論そういった気遣いも体が資本だからだし、元をただせば利央が大切、という気持ちからきている。利央に心配をかけたくないし、何らかで仕事を休んだりして迷惑をかけたくない。
 それを幼馴染であり親友の志水 翔(しみず しょう)に言うと、心の底から呆れられた。

「ねぇわ、お前」

 微妙な顔で言われたのだが、何が無いのかさっぱりだったし弟が大切な気持ちはおかしくないと思たた。翔の兄、亨に同意を求めたところ「あはは」とただ笑われたのを覚えている。
 それを思い出してたからだろうか、昼休みに律が利央に作ってもらった弁当を味わって食べていると翔からメールが来た。

『今日仕事終わったら久しぶりに飯食わね?』

 律はそっと笑うと返信する。

『いいね。でもこの間会社の人と飲んだばかりだし外食あまりしたくないから、よかったらウチ来ない?』

 小さい頃から傍にいる友だちだから、外食は云々といったことも遠慮なく言える。

『そーだな了解、次はじゃあ外でな。何か適当に買っていくから利央に飯の準備いいって言ってて』
『ありがとう』

 とりあえず礼だけ返信する。そして買ってきてくれるのはありがたいが、今日こそは割り勘、いやむしろ代金を全部払いたいと気合いを入れた。
 家の近所に勤めている律と違って、所謂ビジネス街で働いている翔は「デパ地下とかで変わったもん買いてーから買わせろ」等と言ってたまに何やら買ってきてくれる。もちろんその度に割り勘を提案するのだが「めんどくさい」と受け取ってもらえない。

「細かいこと嫌いだから。代わりに今度おごってくれよ」

 いつもそう言われるのだがその機会は今のところ特にない。一度だけ休日にファーストフードにたまたま行った時おごったが、本当にそれくらいしか覚えがない。

「何変な顔してんの。メール、誰から? 弟とか言うなよ。彼女からとか言ってくれよ」

 そこへ先に既にもう昼を食べていた海が通りかかった。

「してないよ。それに何それ。俺の友だちからだよ。翔っていう」

 苦笑しながら答えると、海が頷いてきた。

「ああ、翔くん」
「あれ? 藤堂さん知ってたっけ?」

 それほど自分の友だちの話を職場でした覚えがない。律がポカンとしながら見上げると「まあね」と海がニッコリ笑いかけてきた。
 ますます怪訝な顔をしていると「俺の彼氏の名前思い出して?」とこっそり告げた後で律の頭をくしゃりと撫で、休憩室に向かって行った。

 ……名前。

 律はこの間飲みに行った時の事を思い出そうとした。

「とおるて名前じゃピンとこない? 亨は男だよ。俺の恋人、男」

 ニッコリ言ってくる海の顔が過る。

 ……とおる。……亨。
 …………ああっ?
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