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149話
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相手はリックだと頭のどこかでわかっているにも関わらず、ニルスは咄嗟に剣を抜いていた。
「ちょ、待っ、待て待て待て! 待ちなさい! 一旦冷静になって。落ち着こう」
冷静に?
俺はいたって冷静だが。
ニルスは冷静に、エルヴィンに何かをした上で今エルヴィンを抱きしめている相手をどうにかしようと思っているだけだ。
「ああ、そうか」
「そう、そうだよニルス」
「確かに執務室を血で汚すのも忍びないな。こぶしで……」
「違うな……! 違うから! そうじゃなくて……と、とにかくほら、エルヴィンが苦しそう。お前が抱きしめてやって」
エルヴィンが苦しそうと言われ、ニルスは慌てて支えられたままのエルヴィンを見た。顔を真っ赤にさせ、眉も閉じられた目元も苦痛に歪んでいる。唇は何とか堪えようとしているのか、ぎゅっと噛みしめられているが、呼吸が荒いため開けがちだ。そしてそこから時折喘ぐような声が漏れる。
「……エルヴィン」
ニルスがまずエルヴィンに手を差し伸べると、エルヴィンを支えていた相手がソファーから退いた。苦しそうなエルヴィンを少しでもどうにかしてやりたくて、代わりにそこへ座ったニルスはエルヴィンをぎゅっと抱きしめる。
真っ赤な顔と比例するように体が熱い。そしてエルヴィンの呼吸はひたすら荒く乱れていた。
苦しんでいるエルヴィンを見て血の気が引いたからだろうか、ニルスは目の前に立つ自分の幼馴染兼上司を見上げた。
「リック。これはどういうことだ」
「……はぁ。とにかくニルスが冷静になってくれてよかったよ」
「ある意味さっきより冷静じゃない」
「まあ、そうだろうね。とにかくエルヴィンがつらそうだから手短に説明する。詳しくはまた明日にでも改めて言うから」
明日?
後でじゃなく?
「後でじゃなく。実はね」
リックの話を聞いて、エルヴィンが買っていた果物をニルスは思い浮かべた。そういえばいくつか買ったものの中で皮が硬めだから後で食べよう的なことをエルヴィンが言っていたが、その後事態が変わったこともあり忘れていた。
「ああ、あれか……」
かいつまんで説明してくれたリックいわく、ザイフォンクプアスは通常のクプアスと違って口にする時にはすでに発酵した果物であり、強い催淫効果が含まれているという。ほんのひと切れでもかなり影響されるらしい。発酵しているためか日持ちはするので、それ目的で購入する人もほんの少しずつ口にするものだという。子どもが欲しい夫婦や淡白な関係になってしまった夫婦に食べさせるとよいと言われているようだ。
それをエルヴィンは何切れも食べた。
「俺も多分動揺しちゃったんだと思う。是が非でも奪い取って食べるのをやめさせるべきだったのに」
誤ってとはいえあれほど食べてしまっては、リックの魔法を応用するくらいでは焼け石に水なのだという。とはいえ普通に魔法をかけたら力が強すぎてエルヴィン自身に怪我をさせるなり悪い影響を与えかねない。できることと言えばひたすら欲を放たせることしかないとリックは申し訳なさそうに言ってきた。
リックが何故知っているのかとニルスは思ったが、後日聞くと「魔術具として使うこともあるんだ。だからだよ」と苦笑していた。
「ゼノガルトには折を見てザイフォンクプアスなんて果物を旅人とかに詳しい説明もなく販売しないよう忠告するよ。とりあえず今はエルヴィンだ。この部屋と繋がってる寝室を使えばいいよ」
「連れて帰……」
「移動させるの? そんな状態のエルヴィンを?」
確かにあまりに辛そうだというのにまださらに堪えさせる上、誰かにこんな状態のエルヴィンを見られてしまう危険がある。ニルスとしては絶対に見られなくない。
こんなエルヴィンを誰かに、など……。
本人は本当に苦しいのだろう。だが申し訳ないことに、とてつもなく扇情的すぎてザイフォンクプアスを口にしていないニルスですらあてられそうだ。
「……使わせてもらう」
「了解。俺はもう一つの執務室で仕事してから最近使ってる寝室で休むよ」
「わかった。ついてなくて問題ないか?」
今回の事件により、念のため寝室も日替わりで使用している。こんな状況でむしろこんなところにまで侵入してきてリックを襲うような者はまさかいないとは思うものの、警戒するに越したことはない。
「大丈夫。……エルヴィンを楽にしてあげて」
「ああ」
「冷静になってくれたし、わかってると思うけど、俺、何もしてないからね?」
「ああ。むしろ剣を向けて悪かった」
「ほんとだよ。普通王子に向ける? 全く。じゃあ、先に言っておくよ。おやすみ」
「ああ。警戒は怠るなよ」
「誰に向かって言ってるの?」
リックは笑みを浮かべると、目でニルスに訴えてからそっとエルヴィンの額に触れた。向ける表情はとても優しい。
「おやすみ、エルヴィン」
そして部屋から出ていった。おそらく少し離れたところで待機している執事が別の執務室までリックに付き添うだろう。
エルヴィンと気持ちが通じ合う前から、ニルスは時折思っていたことがある。
やはりリックはエルヴィンを好きなのではないだろうか。
ニルスが片思いしていた頃は何度も本気でそう考えたりした。その後あまり考えなくなったものの、改めてそう思ってしまう。
取り越し苦労だったらいい……じゃないと、大事なリックであっても俺は絶対譲れないから……。
小さく息を吐いてから、ニルスは苦しむエルヴィンを抱き上げた。そして隣の部屋まで連れて行く。
「エルヴィン」
そっと名前を呼びかけるが、エルヴィンはすでに上の空というか、意識を保っているかも定かではなかった。
こんな状態のエルヴィンを愛するなんて……普通だったら俺には絶対できそうにない。
ただし今は非常事態だった。
「ちょ、待っ、待て待て待て! 待ちなさい! 一旦冷静になって。落ち着こう」
冷静に?
俺はいたって冷静だが。
ニルスは冷静に、エルヴィンに何かをした上で今エルヴィンを抱きしめている相手をどうにかしようと思っているだけだ。
「ああ、そうか」
「そう、そうだよニルス」
「確かに執務室を血で汚すのも忍びないな。こぶしで……」
「違うな……! 違うから! そうじゃなくて……と、とにかくほら、エルヴィンが苦しそう。お前が抱きしめてやって」
エルヴィンが苦しそうと言われ、ニルスは慌てて支えられたままのエルヴィンを見た。顔を真っ赤にさせ、眉も閉じられた目元も苦痛に歪んでいる。唇は何とか堪えようとしているのか、ぎゅっと噛みしめられているが、呼吸が荒いため開けがちだ。そしてそこから時折喘ぐような声が漏れる。
「……エルヴィン」
ニルスがまずエルヴィンに手を差し伸べると、エルヴィンを支えていた相手がソファーから退いた。苦しそうなエルヴィンを少しでもどうにかしてやりたくて、代わりにそこへ座ったニルスはエルヴィンをぎゅっと抱きしめる。
真っ赤な顔と比例するように体が熱い。そしてエルヴィンの呼吸はひたすら荒く乱れていた。
苦しんでいるエルヴィンを見て血の気が引いたからだろうか、ニルスは目の前に立つ自分の幼馴染兼上司を見上げた。
「リック。これはどういうことだ」
「……はぁ。とにかくニルスが冷静になってくれてよかったよ」
「ある意味さっきより冷静じゃない」
「まあ、そうだろうね。とにかくエルヴィンがつらそうだから手短に説明する。詳しくはまた明日にでも改めて言うから」
明日?
後でじゃなく?
「後でじゃなく。実はね」
リックの話を聞いて、エルヴィンが買っていた果物をニルスは思い浮かべた。そういえばいくつか買ったものの中で皮が硬めだから後で食べよう的なことをエルヴィンが言っていたが、その後事態が変わったこともあり忘れていた。
「ああ、あれか……」
かいつまんで説明してくれたリックいわく、ザイフォンクプアスは通常のクプアスと違って口にする時にはすでに発酵した果物であり、強い催淫効果が含まれているという。ほんのひと切れでもかなり影響されるらしい。発酵しているためか日持ちはするので、それ目的で購入する人もほんの少しずつ口にするものだという。子どもが欲しい夫婦や淡白な関係になってしまった夫婦に食べさせるとよいと言われているようだ。
それをエルヴィンは何切れも食べた。
「俺も多分動揺しちゃったんだと思う。是が非でも奪い取って食べるのをやめさせるべきだったのに」
誤ってとはいえあれほど食べてしまっては、リックの魔法を応用するくらいでは焼け石に水なのだという。とはいえ普通に魔法をかけたら力が強すぎてエルヴィン自身に怪我をさせるなり悪い影響を与えかねない。できることと言えばひたすら欲を放たせることしかないとリックは申し訳なさそうに言ってきた。
リックが何故知っているのかとニルスは思ったが、後日聞くと「魔術具として使うこともあるんだ。だからだよ」と苦笑していた。
「ゼノガルトには折を見てザイフォンクプアスなんて果物を旅人とかに詳しい説明もなく販売しないよう忠告するよ。とりあえず今はエルヴィンだ。この部屋と繋がってる寝室を使えばいいよ」
「連れて帰……」
「移動させるの? そんな状態のエルヴィンを?」
確かにあまりに辛そうだというのにまださらに堪えさせる上、誰かにこんな状態のエルヴィンを見られてしまう危険がある。ニルスとしては絶対に見られなくない。
こんなエルヴィンを誰かに、など……。
本人は本当に苦しいのだろう。だが申し訳ないことに、とてつもなく扇情的すぎてザイフォンクプアスを口にしていないニルスですらあてられそうだ。
「……使わせてもらう」
「了解。俺はもう一つの執務室で仕事してから最近使ってる寝室で休むよ」
「わかった。ついてなくて問題ないか?」
今回の事件により、念のため寝室も日替わりで使用している。こんな状況でむしろこんなところにまで侵入してきてリックを襲うような者はまさかいないとは思うものの、警戒するに越したことはない。
「大丈夫。……エルヴィンを楽にしてあげて」
「ああ」
「冷静になってくれたし、わかってると思うけど、俺、何もしてないからね?」
「ああ。むしろ剣を向けて悪かった」
「ほんとだよ。普通王子に向ける? 全く。じゃあ、先に言っておくよ。おやすみ」
「ああ。警戒は怠るなよ」
「誰に向かって言ってるの?」
リックは笑みを浮かべると、目でニルスに訴えてからそっとエルヴィンの額に触れた。向ける表情はとても優しい。
「おやすみ、エルヴィン」
そして部屋から出ていった。おそらく少し離れたところで待機している執事が別の執務室までリックに付き添うだろう。
エルヴィンと気持ちが通じ合う前から、ニルスは時折思っていたことがある。
やはりリックはエルヴィンを好きなのではないだろうか。
ニルスが片思いしていた頃は何度も本気でそう考えたりした。その後あまり考えなくなったものの、改めてそう思ってしまう。
取り越し苦労だったらいい……じゃないと、大事なリックであっても俺は絶対譲れないから……。
小さく息を吐いてから、ニルスは苦しむエルヴィンを抱き上げた。そして隣の部屋まで連れて行く。
「エルヴィン」
そっと名前を呼びかけるが、エルヴィンはすでに上の空というか、意識を保っているかも定かではなかった。
こんな状態のエルヴィンを愛するなんて……普通だったら俺には絶対できそうにない。
ただし今は非常事態だった。
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