不機嫌な子猫

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60話

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「ご無事ですか」

 抱きかかえながらレッドが聞いてくる。人間の体ではこの高さなら打ちどころが悪ければ死ぬ。元魔王とはいえそれくらい把握しているウィルフレッドが今にも心臓を口から垂れ流しそうになりながら息を整えていると、レッドが気がかりだという風に覗き込んできた。

「だ、大丈夫だ。……その、助かった」
「いえ」
「……」
「……」
「……おい」
「はい」
「俺は大丈夫だと言ったんだ」
「よかったです」
「よかったです、じゃないんだよ! そうじゃなくて大丈夫だからいい加減下ろせ!」
「腰が抜けているかもしれませんし、俺が少なくともしばらくはこのまま運びます」
「俺を愚弄するのも大概にしろ。腰など抜かしておらんわ!」
「御意」

 何故ここで御意なのか、とウィルフレッドは下ろされながらじろりとレッドを睨んだ。タイミングや口にする状況がどうにもおかしいことが多々ある。今も、もし口にするなら、下ろせと言った時に口答えせず言うものだろうとウィルフレッドは思う。このタイミングだと一体何に対して「御意」と言ったのか分からない。一応は「下ろせ」という意思に対してだとは思うが、まるで「愚弄するのは大概にしろ」「腰など抜かしておらん」といった言葉に対して「そうですか」と小馬鹿にして言ってきているような気にさえなる。
 イライラとしながら自分の足で立とうとしたウィルフレッドは、その途端がくりと崩れ落ちそうになった。だがすぐにレッドが手を差し伸べて支えてくる。キッとレッドを見上げるも「ほら見たことか」といった表情は一切なくむしろレッドは無表情、無言のままだった。それが妙に一層苛立たしい。ウィルフレッドは礼を述べるどころか舌打ちをしてレッドの手を払った。そしてまだ少しガクガクしながらも今度はフェルを睨みつけた。

『貴様どういうつもりだ』
『何も。私は我が主のためを思って行動しただけのことです』
「どこがだよ……!」
「王子?」

 思わずまた声に出していたようでレッドが怪訝そうな顔を向けてくる。

「な、何でもない」

 慌ててそう返してからウィルフレッドはさらにフェルを睨んだ。

『貴様』
『本当のことですよ。私はあなたを崇めていますし、契約を交わした主なのです。当然、あなたのためにならないことは致しません』
『今のがどう見たら俺のためになる』
『結果です。何事も結果。今も結果的にウィルフレッド様は下りられましたし、レッドによって抱きしめられました』
『……待て。結果というが、最後のはおかしくないか?』
「ワフ」
『貴様! 勝手な時に犬に戻るな』
『犬などではありませんけどね』
『だから──』

 さらに文句を言おうとしているところにエメリーがロープも使わずに軽々と飛び降りてきた。恐らくレッドもこんな感じだったのだろうし小さな姿のフェルも軽々と着地していた。ウィルフレッドは次にエメリーを睨みつける。半分以上、いや、ほぼ完全なる八つ当たりではあるが、自分だけがロープを使わないと下りられないと判断された上に実際そうであり、その上でさらにロープを使っても結局自分だけでは下りられなかった。忌々しさしかない。
 だが何とか気を取り直す。忌々しさがなくなる訳ではないが、こんなことに時間を使ってはいられない。
 エメリーが下からルイに意志疎通を図ろうとして声が届かないと分かり、一旦そのロープを使って上へ戻り、また飛び降りてきた。上にいる時にウィルフレッドがレッドの声を聞くことが出来たのは歪の中を覗き込んでいたからだろう。体がその空間に入っていない状態では全く聞こえないようだ。

「何故か声は届かなくなりますが、戻ることは可能なようです」
「そうか。……っち。揃ったなら行くぞ」

 舌打ちをしながら言うと、レッドが「王子は俺の後ろを歩いてください」と言ってきた。この場合はそれが通常の流れでもあるとウィルフレッドも判断し、反論はせず渋々後ろにつく。ようやくガクガクしなくなったのもあり、むくれた表情のまま黙ってフェルを抱き上げた。エメリーがその後に続く。
 そこは妙に何もないような空間だった。広くはなさそうだ。道はある。変に硬い、岩を平らにしたような道だった。だが本当にそれだけだ。異様な雰囲気からも少なくともウィルフレッドたちの国、ケルエイダ王国とは違う次元ではないのかとウィルフレッドは何となく思った。とはいえ自分が元いた魔界とも違う。

「……よく分かりませんが、もしかしたら」

 エメリーが口を開いた。ウィルフレッドは歩きながら振り返って続きを促す。レッドは警戒を解くこともなく前を向いたままだが恐らく耳は傾けているのだろう。

「あくまでも私の想像でしかないのですが、術者が作り出した空間なのでは、と」
「術者はそんなことも出来るのか?」

 ウィルフレッドが聞くと「おそらくは」と頷く。

「……ではもし術者の念か魔法かで作られた空間とする。そうすると術者が俺たちが進入したと気づいてこの空間をすぐさま閉じるといったことも可能なのではないのか?」
「これも私の想像でしかありませんが、もしこの空間がそうだとした場合、クライド殿のような術者ならいざ知らず普通はこういったものを作り出すのも相当、力や時間が必要なのではと思うのです。現にこの中は至って荒涼とした雰囲気でいて思ったほど広くもなく単純な道でしかありません。だとすれば閉じるのも然りでは、と。あくまでも想像ですが。ただ、壊されていた魔法壁ですが、魔物たちがいくつかの場所から現れたのと違い、国境もこの村も一部だけでした。そして壊されてから少し時間が経っているようです。ルイ様はそこまで調べて怪訝に思っておられたようですが、もし私の想像通りなのだとすれば、魔法壁を壊して侵入したのは術者であり、そこからこの空間を作り、どうやったかは分かりませんが魔物を操ってそこから表に出したのでは、と」
「魔法壁をあえて壊して進入したのは魔物がそこから入り込んだと勘違いさせるためか?」
「ではないか、と」
「ふむ……回りくどいな……。もし操れるというならそうせずとも普通に最初から魔物に襲わせれば……いや、いくつかの歪を作って様々なところを襲わせるため、か? にしては今のところ大きな被害はあの村だけだったぞ。……まあ、とりあえずその話は後だな」
「そうですね」
「……」
「ウゥ」

 三人とそして一匹は同時に気配を察知していた。ウィルフレッドはフェルに促されたのもあり、フェルの首輪を外す。
 道の先から蛇の化物のような形状をした、何匹ものバシリスクがこちらへ向かってやってきていた。
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