ラインの向こう側

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2話

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 職員室では現在授業中のため、ほとんどの教師が不在だった。回収した一人一人の課題とプリントをチェックしていく。たまたま授業のないコマであってもこうしてやることは沢山ある。
 英賀谷 衛二(あがたに えいじ)は一枚のプリントを見て、ため息を吐いた。名前の欄を確認すると「正条 生智」とある。またこいつか、とさすがに少々イラっとする。
 普段から授業をあまり聞いていない上に英語の成績も悪い。今回も課題が未提出の上に英語で書く解答欄にローマ字読みの日本語を書いている。

「……馬鹿にしてんのか」

 ボソリと呟くと「やだやだ、英賀谷センセーがお怒り?」と軽いノリの声が聞こえてきた。

「森永先生、体育の授業は?」
「ねぇからここにいんだろ」
「……口調」
「えー、煩いセンセー方もいねーんだしいーじゃん」
「そんなだから他の先生方とあまり合わないんだろ、全く」
「合うセンセー結構いんぞ。つかここの学校のセンセーはやりやすい人が多い。前の学校じゃ教官室に引きこもるほうがマシだったくらいだわ」

 森永 基一(もりなが もとかず)は保健体育の教師をやっている。そのせいもあるが、衛二からすれば主に軽い性格のせいで前の学校では教師の中で浮いていたらしい。
 おまけにやることや拘束時間は多いのに、他の教師からは「楽でいいですね」と言われたこともあるらしく、この学校に転任してきた時の歓迎会で速攻、大いに憤慨していたようだ。

「つか、その解答ひでーな」

 話を聞きながらも衛二が先ほどのプリントを見ていたら基一が覗き込んできた。

「笑える」
「笑いごとじゃない。だいたいお前が担任だろ」
「まぁ教師の立場からしたら笑いごとじゃねーけど。でもまあ、わからねーでもない」

 クックと抑えるように笑いつつ言っていた基一だが、途中からは堪えることもなく笑ってきた。

「笑い過ぎだよ」
「だって。で、どーすんの、英賀谷センセー」
「まぁ、居残ってもらうしかないな」
「がんばれ」

 ポンと衛二の肩を叩くと、基一は元々あった用事を済ませに行く。
 衛二はこのろくでもない回答用紙を提出してきた生徒のクラスの副担任であるが、基一は担任だった。

 ……居残りなんて俺が生徒だとしても嫌だろうけど、仕方ない。

 ため息を吐くと、衛二は残りのプリントもチェックしていった。
 放課後、その生徒が帰ってしまう前に急いで教室へ出向く。
 案の定、生徒である生智はとてつもなく嫌そうだった。しかもその気持ちを隠そうともしない。だが思っていたよりは素直に言うことを聞いてきた。課題を出さなかったり授業を真面目に聞かない割に、文句を言いながらも居残り授業もサボることはない。
 派手な金に近い茶色に染めている髪に反抗的な言動、おまけに成績もあまりよくないために少々問題児かと思っていた衛二は妙に微笑ましく思えた。
 この学校の学力レベルは高いが校則が緩い分、髪の色は問題児まではいかなくとも皆わりと自由にしている。ピアスを開けたりもしているが、よほど派手じゃない限り教師もあまり何も言わない。なので見た目だけで問題児かそうでないかという判断を他所の学校よりはしない分、態度が決め手となる。
 派手な恰好をしていても大抵の生徒は成績がいいし授業も真面目に受ける。出された課題もきちんとこなす。
 生智は違った。見た目も真面目でない上に態度も真面目でない。そのため衛二も何となく自分の中での問題児の枠に生智を入れていた。

「意外にもちゃんと来るんだな」
「は? 先生が来いっつっときながら何それ。来なくていーなら喜んで来ねーよ」

 英語を本当に嫌いなのか衛二のことが何か気に食わないのか、生智とは今までほぼ接触することはなかった。
 居残りを言い渡してから暫くは全然丁寧でもなんでもない、体育会系とでも言うのかわからないが取って付けたような敬語もどきで話されていたが、最近は慣れてきたのか敬語もどきすらなくなった。だが変な話し方をされるよりは、むしろこちらの方が衛二としてはいい。

「お前にとっちゃ迷惑かもだけど、ちゃんとお前の身につくものだ」
「つか英語の成績悪い俺に恨みでもあんのかと思ったけど」
「そりゃ恨みたくもなる成績だしな」
「ぁあ?」

 衛二が頷くとムキになって睨んでくる。問題児というか、子どもだなと衛二は内心そっと笑う。

「じゃあやっぱマンツーマンで嫌がらせしてんの」
「俺も暇じゃない。お前に嫌がらせする暇があったら家でゆっくりしてるよ」
「っち。んだよそれ。じゃあゆっくりしてなよ。俺もゆっくりするから」
「お前がちゃんと真面目に授業聞いて成績も上がったらな」

 少し笑みを見せながら答えると生智はとてつもなく微妙な顔で衛二を見てきた。
 成績に関してはだが既に少しずつ結果が出ているような気がする。この間行った小テストでも、まだまだ他に比べるとこちらが泣きたくなるような点ではあったがそれなりに理解しての回答という感じがした。
 恐らく元は悪くないはずだと衛二は思う。まだまだ授業中は心ここにあらずといった感じだし、英語の成績の危うさからは脱してはいないが、このまま定期的に居残り授業を続けていたらなんとかなりそうだ。

 全く。こちとらサービス残業みたいなもんなんだぞ。

 そう思いつつも提案したのは自分だし、生徒にとってはありがた迷惑でしかないのだろうとは思う。

「まーそりゃ迷惑だわな」

 居残り授業のない日、学校帰りに基一と寄った居酒屋でニヤリと言われた。

「お前だって学生の頃思い出したらそーなるだろ」
「……あいにく俺は居残りしたことないんでね」

 微妙な顔で言えば「俺、めっちゃさせられたことある!」と基一は楽しげに笑う。
 大抵の教師は真面目にやってきた者が多いと思うので、こういうタイプは普通だと珍しいのかもしれない。ただ衛二と基一が今勤めている今の学校は、わりと変わった教師が多い。基一は「いい同僚が揃ってる」と嬉しそうだ。
 衛二はよくいる真面目にやってきたタイプの教師なので他人事のように「よかったな」と言えば「大丈夫、英賀谷もその内の一人だから」と肩を組まれ笑って言われた。
 ちなみにあまり酒は強くない。そのため飲みに行くと翌日に少々響いてしまう。
 それを考慮して途中からは飲むのを基一に任せ、衛二はウーロン茶と共にひたすら焼き鳥に専念していたのだがやはり翌日、少々だるかった。
 今日も幸いとでも言うのだろうか、居残り授業の日ではないのでよかったとは思う。というか居残り授業がある前日には行かないようにしている。
 案の定、副担任をしている教室で一人、放課後に課題のプリントを作成していたらもの凄い眠気に襲われてしまった。
 早く片付けて職員室へ戻り、コーヒーを飲もう。
 そう思っていたが、あまりに眠くてついウトウトとしてしまった。
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