ラインの向こう側

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8話

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 教室を先に出た後、衛二は早歩きでひたすら廊下を歩いた。
 正直、キスをいきなりされた時は自分を取り繕うことで精一杯だった。何でもない振りをしたが驚いたのと動揺を隠すのに懸命だった。本当ならすぐにやめさせるべきだったのだろうが、そんな余裕などなかった。なので無反応になってしまった。
 おまけに生智は「試しに付き合ってみて」などと言ってくる。それを聞いた時はほんの一瞬、自分の中で揺れる何かがあるのに気づいた。
 キスに対しての反応やそんな自分に、衛二はとてつもなく怪訝な気持ちになる。

 まさか、あの生徒に対して心が動いてるんじゃないだろうな。

 好きになりかけているとか、冗談じゃないと思う。衛二はため息を吐いた。
 あまりのしつこさに負け、生智に対して一か月の期間を設けてしまったが、間違いだったとしか思えない。早速調子に乗ってきた生智には帰るよう言うくらいしか衛二はできなかった。
 ただ、期間を設けるでもしないと生智は本当に諦めてくれない気がした。そこまで生智のことをなんでも把握しきっている訳ではないが、急に真面目な様子で授業を受けたり取り組んだりして成績も上がっている、そんな生智を見ているとそう思えてならなかった。
 ずっと諦めてくれず迫られ続けたりするよりは、期間を設けてその間は付き合い、後はスパッと諦めてもらうほうが確かに有効かなと思えたのだ。

「でも……俺、大丈夫なのか……?」

 思わずボソリと呟くと「英賀谷センセー、耳赤くしてなにブツブツ言ってんだよ、ヤバい人だろ」という声と共に腕がにゅっと伸びてきて衛二の首元に巻きついた。

「……森永先生、やめてもらえますか」

 後ろを見ずとも誰かわかり、衛二は微妙な顔をしながら淡々と言い放つ。

「え、何で。生徒サービスにもなるだろ」
「何の話だ」

 鬱陶しいとばかりに手を振り払い呆れた顔を基一へ向けた。

「え? 俺と阿賀谷センセーとの恋愛妄想?」
「……」
「今のお前の視線で俺のライフ半分以上削られたな、多分」

 楽しげに笑ってくる基一にため息を吐いた後、衛二は無視をしてまた歩き始めた。

「おいおい、無視かよ。つかほんとどしたんだよ。珍しく動揺してる感じだったけど。何かあったんか」
「いや、気のせいだと思う」
「えー。まあ阿賀谷がそう言うならそんでいいけどさ。お前はかったいからなー。もっと気軽に楽してよーぜ」
「森永先生は気軽すぎ」

 翌日の放課後、よそのクラスでの授業を終えて教室を出たところで生智がいた。

「正条……ちゃんと最後の授業受けてたんだろうな」

結構驚いたがそれを飲み込んで衛二が聞くと、生智がムッとしたような顔をしてきた。

「顔見た途端それかよ。いいからちょっと顔貸してよ先生」

 忙しい、と言おうかと思ったが、一か月の期限を自ら持ちかけておきながらそれも卑怯かもしれないと衛二は頷いた。

「ついでだから居残り授業でもするか」
「色気ねーなー……」

 ブツブツと言いながらも生智は素直に頷いてきた。
 いつものように自分が副担任をしている生智の教室で教科書とノートを開かせる。

「授業でも言ったが、ここの構文は応用が利くから覚えておくといい」
「うん……、なぁ、先生」

 ちゃんと真面目に話を聞きながらノートに英文を書いていた生智がふと顔を上げてきた。相変わらず軽薄そうだが綺麗な顔立ちをしている。そんな整った顔でじっと衛二を見てきた。

「……何だ」
「俺らって、一応付き合ってんだよな?」
「……試しだけどな」

 渋々頷くと生智が衛二の腕の部分をぎゅっと握ってきた。

「だったらさーとりあえず連絡とりやすいよう、連絡先くらい教えてよ」

 それは困ると一瞬思ったが、教えないとひたすら付きまとわれそうな気もしないではない。

「わかった、けど用もないのに何か送ってきたり電話かけてきたりするなよ」
「えっ、恋人なのにっ?」
「……仮の、な。あと、一か月後俺がその気にならなかった場合、連絡先消すと約束するなら教える」
「は? 何だよそれ」
「それが守れないなら教えない」
「っち。わかったよ。だりーなもう。でもいいよ、既読無視でも先生だしなって思うことにする」
「……。で、顔貸せっていう要件はこれか」

 衛二が聞くと、生智は微妙な顔をしてきた。

「ほんっと先生かったいよな。仮だろうが何だろうが、恋人なんだから少しでも一緒にいたり喋ったりとか、あんだろ」
「いや、俺は別に」
「んだよ。とりあえず今日はもう終わり? 帰るなら一緒に帰らねえ?」
「悪いけどこの後も仕事は残ってる」
「マジかよ。って俺にずっと時間作っててくれた分、もしかしていつも残業まみれになってた?」

 文句を言ってくるかと思えば、予想に反して生智が申し訳なさそうな顔をしてきた。

「お前はそんなこと気にするな。それにどのみち仕事がなくても一緒には帰られない」
「……気にするに決まってんだろ。つか、待て。それじゃあ俺、先生といつデートしたらいい訳?」
「別にしなくてもいいだろ」
「いい訳ねーだろ! だいたいそんじゃいつ先生を本気にさせんだよ。今、何かしていーの? キスとかそーゆーの」

 生智が真っ直ぐに衛二を見てくる。好きだと言いながらも照れることすらなくひたすらストレートにぶつかって来る。
 普段から照れ屋という片鱗すらないし、別に恥ずかしがって何もしてこないだろうとも思っていなかったが、衛二は正直なところここまでガンガンと気持ちをぶつけてくるとは思っていなかった。
 衛二はため息を吐いた後にあえて言い返した。

「俺を本気にさせる前にキスなのかお前は」

 すると生智は少しグッと喉を詰まらせるような表情をしてきたが、またすぐに言い返してくる。

「一応付き合ってんだから間違ってねーだろ。だいたいそんなもん、全力で何でもぶつけるしか俺できる訳ないだろ。先生に比べたら子どもなのはどうしようもないんだからな。会話だけで先生落とせんならそうしてる」

 その言葉を聞いて、内心少し笑いそうになった。何故か妙に微笑ましい気持ちになる。

「会話だけでは無理ならキスなのか。お前はキスでじゃあ逆に俺を落とせると思ってるのか?」
「や、やってみないとわからないだろ!」
「この間やってきただろ。でも俺は落ちてない」

 多分。

「まだ一回じゃねーか!」
「何度もしてきてたが」
「ああもう! 先生ってもしかしてちょっと意地悪なの? つか何かはぐらかされてる感じしかしねーんだけど。罰としてとりあえず今度の日曜日は俺とデートな」
「何の罰だ」
「かわいい生徒を苛めた罰。愛しい彼氏をいたぶった罰」
「……どっちも当てはまらないだろ」

 微妙な顔をして衛二は生智を見た。だが内心では笑っていた。全くちゃんとした会話になっていない気がするのに、何故か楽しいと思う自分がいた。
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