17 / 53
17話
しおりを挟む
天狐とは千歳を超えた強力な神通力を持つ狐のことで、神となった狐を言うらしい。ちなみに空狐は天狐からさらに二千年という年月を経た神通力を自在に操れる最強の大神狐を言うようだ。
「……想像もつかないな」
寿也はぼそりと呟いて携帯電話を下ろした。鈴が言っていた例の狐を差す「テンコ、クウコ」が何を言っているのかさっぱりだったのだが、鈴が話している時は聞く余裕もなかったというか、他のもっとわけがわからないことに気を取られていて後から「そういえば、何?」と思い至った。ネット検索して調べていたのだが、あまりに現実味を帯びなさ過ぎて調べてもピンとこない。ちなみに猫又についても検索したが「日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などにあるネコの妖怪」といった結局曖昧なことしか調べられなかった。一応山中に存在するパターンと人家で飼われ長生きした猫が化けるパターンがあるようだとはわかった。とはいえそれも人間が想像した内容でしかない。
それに猫又は尾が二又に分かれていることが語源らしいが、すずの尻尾は分かれるどころか「かぎしっぽ」と言われている短く丸まっている、まるでウサギの尾のような形をしている。あれでは分かれようがない。
「うーん、わからない」
調べることも諦めて伸びをしていると、家の中をうろうろしていたすずが戻ってきて「ニャー」と鳴いてきた。もちろん何を言っているのかわからない。そう思うと鈴の姿は便利だななどと浮かんだ。ついて行けないなどと言いながら、自分の都合がいいことには順応しているかのようで寿也は微妙な気持ちになる。
寿也の手に頭を擦り寄せてくるすずを見ていると、しかし改めて普通の猫にしか見えない。角が生えているわけでもないし、尻尾は相変わらず短い。撫でてもふかふか、もふもふと気持ちがいいだけだ。仏壇が置いてある広い畳の上に転がっていた寿也は体を起こしてすずを抱き上げた。そして逆にごろんと転がったゴロゴロ喉を鳴らしているすずのもふもふとした体に顔を埋めて息を吸い込んだ。もはや定期的に猫の匂いを嗅がないと禁断症状が出る体になっている。
とはいえ今回は思い切り吸い込んだところでふと我に返り、今自分が顔を埋めているのは猫又の腹なのか、とか鈴の腹なのか、とか頭に過って何となく微妙な気持ちになった。顔を上げてすずをじっと見る。だがやはり相変わらず可愛い可愛い寿也の愛くるしすぎる飼い猫にしか見えない。
「お前を見てると猫又で、あの鈴だって思えないよなあ……」
もしかしたら角は生えていないが気づいていなかっただけで牙は生えているかもしれない。むにっと寿也はすずの口に手を突っ込んで開けさせた。ただ、猫なので当然するどい犬歯が生えているのを再確認しただけだ。
「でもこうして見ると、猫の口の中って妖怪っぽい?」
上顎、下顎の中央に小さな切歯が左右三本ずつ生えている次にするどい犬歯がこれまた上下に生えている。臼歯の中でも特に上顎に生えている前臼歯もそれなりに鋭い。犬歯は横幅が広く、くさびのように獲物の首筋に食い込めばちょうど脊髄に当たって効率よく切断させることができるらしい。切断された獲物は即死だ。しかも獲物の脊髄を正確に嚙み切れる部分を犬歯で感じ取れるようになっている。小ぶりで間隔が開いていない切歯は櫛を通すように毛づくろいしやすいだけでなく、肉を引きちぎったり骨から削いだりしやすいよう生えている。臼歯は前臼歯と後臼歯に分かれていて、その中でも裂肉歯という上顎の第三前臼歯と下顎の第一後臼歯は鋏のように咬合して肉を切り裂ける。
歯を見ていると猫は肉食だと実感できるが、今の寿也としては妖怪っぽくも見えてきた。
見ていると、すずがもがき出して寿也の手から逃れる。
「あ、ごめんね。嫌だったね」
わりと不愉快そうな目つきをしているすずに気づくと、確かに無理やりだったしもしかしたら普通の猫なら思い切り噛みつかれるか爪で引っかかれていたかもしれないと寿也は思った。猫又で人間にも化けられるすずだから遠慮してくれたのかもしれない。
ふと、すずが体を少し震わせたかと思うとじわじわ大きくなっていく。
「って、ちょ、待って! もしかして人間の鈴になろうとしてるっ? こ、ここじゃ駄目だよすず……! せめて人目につかないとこじゃないと!」
また突然素っ裸の鈴が現れることに一瞬焦ったのだが、大の男が素っ裸で現れるのも問題ながらに何より猫が人間に化ける様子を当たり前のように人目につくところで堂々とさせるべきじゃない。
「ごめん。きっと文句でも言いたくて鈴になろうとしたんだろうけど、もうしないから。俺に正体ばらしたからって気を抜いちゃだめだよ……」
まだ少し不愉快そうな目をしたまま、すずは元の大きさに戻った。確かに歯医者に診てもらう以外でいきなり口の中に手を突っ込まれて歯をしみじみ見られたら寿也も嬉しくない。すずは一応猫だから歯医者に診てもらうことすらないだろうし、そもそも普通の猫なら無理やり何かをされることをあからさまに嫌がるだろう。
「ほんとごめんね」
手をそっと差し出すと、すずは手のひらをじっと見た後で匂いを嗅ぎ、そこにまた顔を擦りつけてきた。ホッとして寿也はすずの頭や体を撫でる。
「お兄ちゃん! 何かすっごい綺麗な人が来たちゃ。何? まさかお兄ちゃんの彼女……? まさか。まさかちゃね」
「……まさかまさか、言い過ぎ」
誰かが寿也を訪ねてきたことを驚きながら教えてくれた寿花を微妙な顔で見ながら、寿也は「もしかして九郎丸さん……?」と内心少し落ち着かなくなった。
「……想像もつかないな」
寿也はぼそりと呟いて携帯電話を下ろした。鈴が言っていた例の狐を差す「テンコ、クウコ」が何を言っているのかさっぱりだったのだが、鈴が話している時は聞く余裕もなかったというか、他のもっとわけがわからないことに気を取られていて後から「そういえば、何?」と思い至った。ネット検索して調べていたのだが、あまりに現実味を帯びなさ過ぎて調べてもピンとこない。ちなみに猫又についても検索したが「日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などにあるネコの妖怪」といった結局曖昧なことしか調べられなかった。一応山中に存在するパターンと人家で飼われ長生きした猫が化けるパターンがあるようだとはわかった。とはいえそれも人間が想像した内容でしかない。
それに猫又は尾が二又に分かれていることが語源らしいが、すずの尻尾は分かれるどころか「かぎしっぽ」と言われている短く丸まっている、まるでウサギの尾のような形をしている。あれでは分かれようがない。
「うーん、わからない」
調べることも諦めて伸びをしていると、家の中をうろうろしていたすずが戻ってきて「ニャー」と鳴いてきた。もちろん何を言っているのかわからない。そう思うと鈴の姿は便利だななどと浮かんだ。ついて行けないなどと言いながら、自分の都合がいいことには順応しているかのようで寿也は微妙な気持ちになる。
寿也の手に頭を擦り寄せてくるすずを見ていると、しかし改めて普通の猫にしか見えない。角が生えているわけでもないし、尻尾は相変わらず短い。撫でてもふかふか、もふもふと気持ちがいいだけだ。仏壇が置いてある広い畳の上に転がっていた寿也は体を起こしてすずを抱き上げた。そして逆にごろんと転がったゴロゴロ喉を鳴らしているすずのもふもふとした体に顔を埋めて息を吸い込んだ。もはや定期的に猫の匂いを嗅がないと禁断症状が出る体になっている。
とはいえ今回は思い切り吸い込んだところでふと我に返り、今自分が顔を埋めているのは猫又の腹なのか、とか鈴の腹なのか、とか頭に過って何となく微妙な気持ちになった。顔を上げてすずをじっと見る。だがやはり相変わらず可愛い可愛い寿也の愛くるしすぎる飼い猫にしか見えない。
「お前を見てると猫又で、あの鈴だって思えないよなあ……」
もしかしたら角は生えていないが気づいていなかっただけで牙は生えているかもしれない。むにっと寿也はすずの口に手を突っ込んで開けさせた。ただ、猫なので当然するどい犬歯が生えているのを再確認しただけだ。
「でもこうして見ると、猫の口の中って妖怪っぽい?」
上顎、下顎の中央に小さな切歯が左右三本ずつ生えている次にするどい犬歯がこれまた上下に生えている。臼歯の中でも特に上顎に生えている前臼歯もそれなりに鋭い。犬歯は横幅が広く、くさびのように獲物の首筋に食い込めばちょうど脊髄に当たって効率よく切断させることができるらしい。切断された獲物は即死だ。しかも獲物の脊髄を正確に嚙み切れる部分を犬歯で感じ取れるようになっている。小ぶりで間隔が開いていない切歯は櫛を通すように毛づくろいしやすいだけでなく、肉を引きちぎったり骨から削いだりしやすいよう生えている。臼歯は前臼歯と後臼歯に分かれていて、その中でも裂肉歯という上顎の第三前臼歯と下顎の第一後臼歯は鋏のように咬合して肉を切り裂ける。
歯を見ていると猫は肉食だと実感できるが、今の寿也としては妖怪っぽくも見えてきた。
見ていると、すずがもがき出して寿也の手から逃れる。
「あ、ごめんね。嫌だったね」
わりと不愉快そうな目つきをしているすずに気づくと、確かに無理やりだったしもしかしたら普通の猫なら思い切り噛みつかれるか爪で引っかかれていたかもしれないと寿也は思った。猫又で人間にも化けられるすずだから遠慮してくれたのかもしれない。
ふと、すずが体を少し震わせたかと思うとじわじわ大きくなっていく。
「って、ちょ、待って! もしかして人間の鈴になろうとしてるっ? こ、ここじゃ駄目だよすず……! せめて人目につかないとこじゃないと!」
また突然素っ裸の鈴が現れることに一瞬焦ったのだが、大の男が素っ裸で現れるのも問題ながらに何より猫が人間に化ける様子を当たり前のように人目につくところで堂々とさせるべきじゃない。
「ごめん。きっと文句でも言いたくて鈴になろうとしたんだろうけど、もうしないから。俺に正体ばらしたからって気を抜いちゃだめだよ……」
まだ少し不愉快そうな目をしたまま、すずは元の大きさに戻った。確かに歯医者に診てもらう以外でいきなり口の中に手を突っ込まれて歯をしみじみ見られたら寿也も嬉しくない。すずは一応猫だから歯医者に診てもらうことすらないだろうし、そもそも普通の猫なら無理やり何かをされることをあからさまに嫌がるだろう。
「ほんとごめんね」
手をそっと差し出すと、すずは手のひらをじっと見た後で匂いを嗅ぎ、そこにまた顔を擦りつけてきた。ホッとして寿也はすずの頭や体を撫でる。
「お兄ちゃん! 何かすっごい綺麗な人が来たちゃ。何? まさかお兄ちゃんの彼女……? まさか。まさかちゃね」
「……まさかまさか、言い過ぎ」
誰かが寿也を訪ねてきたことを驚きながら教えてくれた寿花を微妙な顔で見ながら、寿也は「もしかして九郎丸さん……?」と内心少し落ち着かなくなった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~
白亜凛
キャラ文芸
ときは平安。
ひっそりと佇む邸の奥深く、
祓い姫と呼ばれる不思議な力を持つ姫がいた。
ある雨の夜。
邸にひとりの公達が訪れた。
「折り入って頼みがある。このまま付いて来てほしい」
宮中では、ある事件が起きていた。
オヤジ栽培〜癒しのオヤジを咲かせましょう〜
草加奈呼
キャラ文芸
会社員である草木好子《くさきよしこ》は、
毎日多忙な日々を送り心身ともに疲れきっていた。
ある日、仕事帰りに着物姿の女性に出会い、花の種をもらう。
「植物にはリラックス効果があるの」そう言われて花の種を育ててみると……
生えてきたのは植物ではなく、人間!?
咲くのは、なぜか皆〝オヤジ〟ばかり。
人型植物と人間が交差する日常の中で描かれる、
家族、別れ、再生。
ほんのり不思議で、少しだけ怖く、
それでも最後には、どこかあたたかい。
人型植物《オヤジ》たちが咲かせる群像劇(オムニバス)形式の物語。
あなたは、どんな花《オヤジ》を咲かせますか?
またいいオヤジが思いついたらどんどん増やしていきます!
少年神官系勇者―異世界から帰還する―
mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる?
別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行)
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。
この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。
この作品は「pixiv」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる