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27話
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しかしこのまま食いちぎってやろうかと思ったところで「燃えてるじゃないか」という声がしてすずはひょいと持ち上げられた。瞬く間に体にまとわりついていた狐火が消えていく。野狐から離れたからというより持ち上げてきたこいつの力だろうと振り返れば、いつもの女ではなくずいぶん昔に見た覚えのある人間の男がニコニコとしている。
「……離せ、九郎」
「いいよ」
男に化けた九郎はさらりと答え、実際にすずをそっと下ろしてきた。
「でも、もう噛むな」
「は? こいつはオレの大事な寿也に呪いをかけたんだぞっ? お前だって寿也と遊んだりしてたくせに、この野狐の味方するのかっ?」
「そういうつもりはないけど、食べたらお腹壊すだろ。藻弧から話は聞いた。把握していなくてすまない」
「……」
『九郎様、何故そのような猫になど親しげに話すのですか』
野狐の声はうっかり人間が聞いてしまったら多分それだけで体の中が蝕まれるかもしれないものだった。あやかしのすずですら耳障りだ。
「……ヤコ」
名前、まんまかよとすずは内心微妙な気持ちで聞いていると、ヤコと呼ばれた野狐は素直そうに『はい』と答える。
「誰が人間や猫を襲えなどと言った?」
『で、ですがあんな人間やこんな猫ごときが九郎様を……』
「誰が言った?」
すずに対してにこやかに笑いかけていた九郎は人間の姿をずるずると崩していった。その様子は神だと知らなければすずから見ても呪詛か何かかと思えそうなほど禍々しく見える。いつもはあっという間に変化していたが、ゆっくりと変化する様はどう見てもこのまま呪言でも発してきそうだ。だが認めたくはないがさすがは神と言うのだろうか、禍々しくても威厳がある。九郎の持つ力にあてられて正直腰を抜かしそうだったが、すずは何でもない振りをした。九尾狐の姿となった今ですら、普段見ている様子と全く違う。
一方、ヤコは完全にひれ伏していた。先ほどまでヤコが放っていた禍々しい気は九郎を前にすると幼児のお遊びのようでしかない。
『も、申し訳、ありま、せん……。し、しかし』
「しかし? 反論があるのか?」
『っで、ですが九郎様ともあろう方が……』
九郎の周りの空気がとてつもなく冷たい。すずはぶるりと震えた。寿也と一緒に入るこたつが恋しかった。
「お前はまだ全くわかっていない。ここにいたくば理解しなければならないことだ。今回のことは仕置きを覚悟するのだな」
『も、申し訳ありません……』
「まず今すぐ人間と猫又にかけた呪いを解け」
そう、いくら九郎が神であってもこれは解けない。かけられた呪いはかけた者しか解けない。
『……』
「聞こえなかったか?」
九郎を取り巻く空気の温度が一段と下がった。
『は、はい……!』
ヤコがすずを見てきた。心底忌々しいといった目だ。すずも睨み返す。それに対して心から嫌そうに、ヤコは何やら呪文を唱えた。少しして、すずの中から力がじわじわと湧き上がってくるのがわかった。
「寿也の熱ももう下がったのか?」
『……呪いは解いた』
言い方に少し違和感があったが、すずはそれどころではなかった。九郎に「助かった」と言い放つと一目散に寿也の実家へ戻る。
「寿也、寿也」
ニャーニャーと鳴きながら駆けつけるも、家の前に白い車が止まっていて体が固まる。嫌な予感がしていると、そこへストレッチャーに乗せられた寿也が運ばれてきた。
「寿也……!」
すずの声に一瞬、寿也の腕がほんの少し動いたような気がした。だがいつものように「すず」と笑いかけてくる寿也はいなかった。顔すら見えないまま、寿也とその母親を乗せた白い車はサイレンを鳴らしながら走り去っていく。
「っそんな……寿也! 寿也っ」
「あっ、すずちゃん……!」
背後ですずを呼ぶ寿花の声がしたが、すずは構わず走り去った車の後を追うように走った。もちろん普通の猫なら現代の鉄でできた乗り物に追いつけるわけがない。体は大きくしないまま、すずは猫又に戻る。尻尾だけが伸びて二つに分かれた。額や足に火が灯るが、それは抑えながらひたすら後を追った。すぐに追いつき、すずは白い車に飛び乗る。中にはガラスを割らないことには入れそうになかったため、とりあえず車が止まるまでは何とか気を落ち着けようと努力しながら大人しく上に乗ったままでいた。
運ばれたのは多分、病院というところだった。普通の猫の姿であろうが見つかれば追い出されることは目に見えていたので、一旦人の目を避けて人間の姿になる。寿也を乗せたストレッチャーが入っていった場所へは外から入れそうになかったため鈴は一旦病院の中に入り、位置から寿也がいるであろう部屋を探った。おそらくこの辺りだろうと近づいたところで寿也の母親が出てくるのがわかった。
「おばさ……」
年末年始に顔を合わせているため普通に声をかけようとして、鈴はハッとなった。寿也の母親は目から水を零していた。
「……? ああ、浅見くん……なしてここに?」
「その、ちょっとした用事で……。あの、どう、されたんです、か? 泣いて、おられるようです、が……」
「あら……。ごめんなさいね。……、……寿也がね、ちょっと、危ないらしゅう、て……」
「えっ?」
呪いは解いた、とあの野狐は言っていたはずだ。鈴の足元がまるでぐらぐらと崩れているかのような感覚がした。
「浅見くんも知っちょったっけ、ね。初詣の後にあの子熱、出したん」
「は……い」
「あまりに高熱が続きすぎたごたってね。体の機能が、弱っ……」
寿也の母親はそれ以上話せないといった様子だった。ぎこちなく鈴は抱き寄せて背中を優しく撫でた。
「病院、連れてっいっちも……点滴するくらいしか、できんで……薬もろうて帰さるるだけで……でも全然熱、ひかんで、ね……」
集中治療室という部屋に運ばれた寿也は鈴のよくわからない器具などをたくさんつけられていて、まるで別人だった。よくわからない青く薄い変な被り物のような服や帽子、マスクを着させられて中に入れてもらえた鈴のことも、気づかないようだった。
「寿也……?」
小さく呼んでみたが、何の反応もなかった。
「……離せ、九郎」
「いいよ」
男に化けた九郎はさらりと答え、実際にすずをそっと下ろしてきた。
「でも、もう噛むな」
「は? こいつはオレの大事な寿也に呪いをかけたんだぞっ? お前だって寿也と遊んだりしてたくせに、この野狐の味方するのかっ?」
「そういうつもりはないけど、食べたらお腹壊すだろ。藻弧から話は聞いた。把握していなくてすまない」
「……」
『九郎様、何故そのような猫になど親しげに話すのですか』
野狐の声はうっかり人間が聞いてしまったら多分それだけで体の中が蝕まれるかもしれないものだった。あやかしのすずですら耳障りだ。
「……ヤコ」
名前、まんまかよとすずは内心微妙な気持ちで聞いていると、ヤコと呼ばれた野狐は素直そうに『はい』と答える。
「誰が人間や猫を襲えなどと言った?」
『で、ですがあんな人間やこんな猫ごときが九郎様を……』
「誰が言った?」
すずに対してにこやかに笑いかけていた九郎は人間の姿をずるずると崩していった。その様子は神だと知らなければすずから見ても呪詛か何かかと思えそうなほど禍々しく見える。いつもはあっという間に変化していたが、ゆっくりと変化する様はどう見てもこのまま呪言でも発してきそうだ。だが認めたくはないがさすがは神と言うのだろうか、禍々しくても威厳がある。九郎の持つ力にあてられて正直腰を抜かしそうだったが、すずは何でもない振りをした。九尾狐の姿となった今ですら、普段見ている様子と全く違う。
一方、ヤコは完全にひれ伏していた。先ほどまでヤコが放っていた禍々しい気は九郎を前にすると幼児のお遊びのようでしかない。
『も、申し訳、ありま、せん……。し、しかし』
「しかし? 反論があるのか?」
『っで、ですが九郎様ともあろう方が……』
九郎の周りの空気がとてつもなく冷たい。すずはぶるりと震えた。寿也と一緒に入るこたつが恋しかった。
「お前はまだ全くわかっていない。ここにいたくば理解しなければならないことだ。今回のことは仕置きを覚悟するのだな」
『も、申し訳ありません……』
「まず今すぐ人間と猫又にかけた呪いを解け」
そう、いくら九郎が神であってもこれは解けない。かけられた呪いはかけた者しか解けない。
『……』
「聞こえなかったか?」
九郎を取り巻く空気の温度が一段と下がった。
『は、はい……!』
ヤコがすずを見てきた。心底忌々しいといった目だ。すずも睨み返す。それに対して心から嫌そうに、ヤコは何やら呪文を唱えた。少しして、すずの中から力がじわじわと湧き上がってくるのがわかった。
「寿也の熱ももう下がったのか?」
『……呪いは解いた』
言い方に少し違和感があったが、すずはそれどころではなかった。九郎に「助かった」と言い放つと一目散に寿也の実家へ戻る。
「寿也、寿也」
ニャーニャーと鳴きながら駆けつけるも、家の前に白い車が止まっていて体が固まる。嫌な予感がしていると、そこへストレッチャーに乗せられた寿也が運ばれてきた。
「寿也……!」
すずの声に一瞬、寿也の腕がほんの少し動いたような気がした。だがいつものように「すず」と笑いかけてくる寿也はいなかった。顔すら見えないまま、寿也とその母親を乗せた白い車はサイレンを鳴らしながら走り去っていく。
「っそんな……寿也! 寿也っ」
「あっ、すずちゃん……!」
背後ですずを呼ぶ寿花の声がしたが、すずは構わず走り去った車の後を追うように走った。もちろん普通の猫なら現代の鉄でできた乗り物に追いつけるわけがない。体は大きくしないまま、すずは猫又に戻る。尻尾だけが伸びて二つに分かれた。額や足に火が灯るが、それは抑えながらひたすら後を追った。すぐに追いつき、すずは白い車に飛び乗る。中にはガラスを割らないことには入れそうになかったため、とりあえず車が止まるまでは何とか気を落ち着けようと努力しながら大人しく上に乗ったままでいた。
運ばれたのは多分、病院というところだった。普通の猫の姿であろうが見つかれば追い出されることは目に見えていたので、一旦人の目を避けて人間の姿になる。寿也を乗せたストレッチャーが入っていった場所へは外から入れそうになかったため鈴は一旦病院の中に入り、位置から寿也がいるであろう部屋を探った。おそらくこの辺りだろうと近づいたところで寿也の母親が出てくるのがわかった。
「おばさ……」
年末年始に顔を合わせているため普通に声をかけようとして、鈴はハッとなった。寿也の母親は目から水を零していた。
「……? ああ、浅見くん……なしてここに?」
「その、ちょっとした用事で……。あの、どう、されたんです、か? 泣いて、おられるようです、が……」
「あら……。ごめんなさいね。……、……寿也がね、ちょっと、危ないらしゅう、て……」
「えっ?」
呪いは解いた、とあの野狐は言っていたはずだ。鈴の足元がまるでぐらぐらと崩れているかのような感覚がした。
「浅見くんも知っちょったっけ、ね。初詣の後にあの子熱、出したん」
「は……い」
「あまりに高熱が続きすぎたごたってね。体の機能が、弱っ……」
寿也の母親はそれ以上話せないといった様子だった。ぎこちなく鈴は抱き寄せて背中を優しく撫でた。
「病院、連れてっいっちも……点滴するくらいしか、できんで……薬もろうて帰さるるだけで……でも全然熱、ひかんで、ね……」
集中治療室という部屋に運ばれた寿也は鈴のよくわからない器具などをたくさんつけられていて、まるで別人だった。よくわからない青く薄い変な被り物のような服や帽子、マスクを着させられて中に入れてもらえた鈴のことも、気づかないようだった。
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