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兵法者としてのこれから!
第6話 目指すは豊後の国
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武蔵は一度熊本に立ち寄ると、今度は山を越え、由布院を目指すことにした。急ぐ旅でもないし、夏の間は山を越えならが、少し涼もうかという腹でもあった。が、いかんせん九州の夏は暑い。
熊本から阿蘇のわきをすり抜けるように東へと向かうと、そこは豊後の国。まだそれほど発達していない村などが点在していた。
「父上、この辺りは……」
「豊後の国、大分郡と呼ばれる辺りで、一部は熊本藩の領地らしいが。関ヶ原以後、豊後高田領主、竹中重利様の領地になっているようだ。儂はこの北にある日出藩に向かうつもりなのじゃが……」
「日出藩、ですか」
三喜之介は、日出藩の名に少し何かを覚えた様だが……記憶が定かではなく、思い出せないでいた。武蔵はその様子を見て、ニヤリとほくそ笑むと、敢え
[
てその目的には触れないようだった。
「まあ、急ぐ旅ではない。後学のため、この辺りを見物しながら北へ向かおうではないか」
武蔵はそういって歩き出した。
この辺りは時折、硫黄の独特の臭いが漂ってくる。そして立ち上る白い湯気。
「そうか。この辺りは天然の温泉がわき出てるのか。少し見ていこう」
武蔵はそう呟くと、湯気の立ち上る方へと足を向ける。
湯気が立ち上りはしているが、一向に温泉らしきものが見あたらない。辺りを歩いていると、不意に轟音と共に地下から蒸気が噴き出した。
間欠泉がそこにはあった。辺りは少し熱気がこもり。わずかな時間で蒸気は収まる。
「これは蒸気だけでも熱い」
「そうですね。父上。まるで竜巻の様な……」
「竜巻か。これはいい」
三喜之介の一言に、武蔵は笑いながらその場を去る。少し歩いていくと、また湯気の立ち上るところが遠巻きに見えた。
「今度は温泉か?」
二人が歩いていく先には、貯水池のようなところから湯気が立ち上っていた。
「しかし、父上、ここはなんだか、気味が悪いですね」
それもそのはずである。温泉には違いなさそうだが、その温水は真っ赤に濁っていた。おそらくは温泉が湧くときに、赤土のようなものと一緒に噴出しているのだろう。そして、湯は人が入れるような暑さではなかった。
うっかり湯に触ってしまった三喜之介は慌てて手を引っ込める。一瞬のことなので、少し手が赤くなっているようだが、できればすぐに冷やしたいところだ。
幸い、近くに小川が流れていて、そこで冷やすことができたのだが、三喜之介は迂闊に手を伸ばしたことを後悔していた。
「何事も経験だ」
澄まし顔でいう武蔵だが、内心手を出さなくて良かったと、ホッと胸をなで下ろしていた。三喜之介も火傷というほどではなく、大したこと無かったのは、幸いだったであろう。
「熱いというのもありますが、この色はまさに地のような赤。地獄にある血の池地獄というものはこんな感じなのでしょうか?」
三喜之介の何気ない一言。武蔵は鼻で笑いつつも、三喜之介の感性に、自分にはない新鮮さを覚えていた。若者の感性とはこういうものであろうか。
彼が特別なのか。いや、あるいは武蔵自身は剣の道で身を立てることしか考えていなかった。時代がまだ、乱世だったということもあるかも知れない。
下克上。
一国の主に。はては天下統一。武蔵の生まれた時代は、戦国の世から豊臣政権の世へと移ろうとしていたが、まだ、もしかすると……そんなことを思わせる時代でもあった。豊臣軍の一兵として参加した関ヶ原。戦場も地獄。生きるも地獄。そんな体験をしてきた武蔵は、だからこそ今の世の中。武蔵は武者修行の旅を続けながらも、どん底の経験があったから苦ではなかった。
神仏は尊し、されど神仏に頼まず。
武蔵は自訓としてそれを心に、ずっと生きてきた。彼にとっては地獄とは生きている今こそで、死を迎えてからの事など、これまで考えてきたことすらなかった。
地獄こそ現世。そんな思いすらある。だが、三喜之介は戦が終わりを迎えて生を受けた。だから、武蔵の体験した生き地獄を知らない。それがまた、今このような表現に繋がったのだろう。
武蔵はそれを面白く受け止めていた。自分にない新しい感性。それがまた、この先の太平の世を作り上げていくのだろう。
また、少し歩いていくと湯気が立ち上る。二人はもはや、温泉で骨休め……なんて期待はしていなかった。
「三喜之介。今度はどんな湯があるのだろうな?」
「想像もつきません。しかし、我々が疲れを癒す様なゆでは無さそうですね」
三喜之介は武蔵の問いにあっさりと答えた。
武蔵も頷くと、「覗いていこう」と、呟いた。
今度は二人の目の前に広がったのは、真っ青な湯だった。強烈な硫黄の臭いと湯気が立ちこめている。
「やはり、ここも湯浴みには向かぬようだな」
「海よりも、いや晴天の空のような青い湯ですね。まるで吸い込まれそうです」
「空地獄?」
「いや、海では? 海地獄」
「はっはっはっ」
武蔵は声を上げて笑う。
しばらくその青い湯を眺めた二人は再び歩み始めた。半刻ほど歩いただろうか。丁度昼下がり。この辺りの宿場町と、遠くに天守閣が見える。まだ、日出藩ではないだろうが、どこかの城下町には違いない。
歩みを進めてもいいのだが、日出藩の城下に着く前に夜になる可能性も高いだろう。
「丁度小さな城下町も見えてきたことだ。今日はこの町で宿をとることにしよう」
「はい」
武蔵の言葉に、三喜之介は呟く。心なしか、足取りが軽くなっているのだった。
熊本から阿蘇のわきをすり抜けるように東へと向かうと、そこは豊後の国。まだそれほど発達していない村などが点在していた。
「父上、この辺りは……」
「豊後の国、大分郡と呼ばれる辺りで、一部は熊本藩の領地らしいが。関ヶ原以後、豊後高田領主、竹中重利様の領地になっているようだ。儂はこの北にある日出藩に向かうつもりなのじゃが……」
「日出藩、ですか」
三喜之介は、日出藩の名に少し何かを覚えた様だが……記憶が定かではなく、思い出せないでいた。武蔵はその様子を見て、ニヤリとほくそ笑むと、敢え
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てその目的には触れないようだった。
「まあ、急ぐ旅ではない。後学のため、この辺りを見物しながら北へ向かおうではないか」
武蔵はそういって歩き出した。
この辺りは時折、硫黄の独特の臭いが漂ってくる。そして立ち上る白い湯気。
「そうか。この辺りは天然の温泉がわき出てるのか。少し見ていこう」
武蔵はそう呟くと、湯気の立ち上る方へと足を向ける。
湯気が立ち上りはしているが、一向に温泉らしきものが見あたらない。辺りを歩いていると、不意に轟音と共に地下から蒸気が噴き出した。
間欠泉がそこにはあった。辺りは少し熱気がこもり。わずかな時間で蒸気は収まる。
「これは蒸気だけでも熱い」
「そうですね。父上。まるで竜巻の様な……」
「竜巻か。これはいい」
三喜之介の一言に、武蔵は笑いながらその場を去る。少し歩いていくと、また湯気の立ち上るところが遠巻きに見えた。
「今度は温泉か?」
二人が歩いていく先には、貯水池のようなところから湯気が立ち上っていた。
「しかし、父上、ここはなんだか、気味が悪いですね」
それもそのはずである。温泉には違いなさそうだが、その温水は真っ赤に濁っていた。おそらくは温泉が湧くときに、赤土のようなものと一緒に噴出しているのだろう。そして、湯は人が入れるような暑さではなかった。
うっかり湯に触ってしまった三喜之介は慌てて手を引っ込める。一瞬のことなので、少し手が赤くなっているようだが、できればすぐに冷やしたいところだ。
幸い、近くに小川が流れていて、そこで冷やすことができたのだが、三喜之介は迂闊に手を伸ばしたことを後悔していた。
「何事も経験だ」
澄まし顔でいう武蔵だが、内心手を出さなくて良かったと、ホッと胸をなで下ろしていた。三喜之介も火傷というほどではなく、大したこと無かったのは、幸いだったであろう。
「熱いというのもありますが、この色はまさに地のような赤。地獄にある血の池地獄というものはこんな感じなのでしょうか?」
三喜之介の何気ない一言。武蔵は鼻で笑いつつも、三喜之介の感性に、自分にはない新鮮さを覚えていた。若者の感性とはこういうものであろうか。
彼が特別なのか。いや、あるいは武蔵自身は剣の道で身を立てることしか考えていなかった。時代がまだ、乱世だったということもあるかも知れない。
下克上。
一国の主に。はては天下統一。武蔵の生まれた時代は、戦国の世から豊臣政権の世へと移ろうとしていたが、まだ、もしかすると……そんなことを思わせる時代でもあった。豊臣軍の一兵として参加した関ヶ原。戦場も地獄。生きるも地獄。そんな体験をしてきた武蔵は、だからこそ今の世の中。武蔵は武者修行の旅を続けながらも、どん底の経験があったから苦ではなかった。
神仏は尊し、されど神仏に頼まず。
武蔵は自訓としてそれを心に、ずっと生きてきた。彼にとっては地獄とは生きている今こそで、死を迎えてからの事など、これまで考えてきたことすらなかった。
地獄こそ現世。そんな思いすらある。だが、三喜之介は戦が終わりを迎えて生を受けた。だから、武蔵の体験した生き地獄を知らない。それがまた、今このような表現に繋がったのだろう。
武蔵はそれを面白く受け止めていた。自分にない新しい感性。それがまた、この先の太平の世を作り上げていくのだろう。
また、少し歩いていくと湯気が立ち上る。二人はもはや、温泉で骨休め……なんて期待はしていなかった。
「三喜之介。今度はどんな湯があるのだろうな?」
「想像もつきません。しかし、我々が疲れを癒す様なゆでは無さそうですね」
三喜之介は武蔵の問いにあっさりと答えた。
武蔵も頷くと、「覗いていこう」と、呟いた。
今度は二人の目の前に広がったのは、真っ青な湯だった。強烈な硫黄の臭いと湯気が立ちこめている。
「やはり、ここも湯浴みには向かぬようだな」
「海よりも、いや晴天の空のような青い湯ですね。まるで吸い込まれそうです」
「空地獄?」
「いや、海では? 海地獄」
「はっはっはっ」
武蔵は声を上げて笑う。
しばらくその青い湯を眺めた二人は再び歩み始めた。半刻ほど歩いただろうか。丁度昼下がり。この辺りの宿場町と、遠くに天守閣が見える。まだ、日出藩ではないだろうが、どこかの城下町には違いない。
歩みを進めてもいいのだが、日出藩の城下に着く前に夜になる可能性も高いだろう。
「丁度小さな城下町も見えてきたことだ。今日はこの町で宿をとることにしよう」
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