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タンポポ少女、その名も優希。

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『世の中は、全てクソッたれ。こんな無意味な世界に閉じ込められるくらいなら、自爆で壊してやる!』

 航生(こうき)は、胸の奥底でそう叫んでいた。

 中学校を卒業すれば、辛く長い勉強から解放されると思っていたのが馬鹿だったのだ。

 学習塾が、高校受験を終わらせた生徒が出ていくのを良しとするわけがない。一度入会してくれたお得意様は、引き留めておきたいと考えるのが企業というものだ。

 目標というものを決めると、人は簡単に寄ってくる。ゴキブリホイホイにつられるゴキブリを見ているかのように、餌に食いつくのだ。

 高校受験の次は、大学受験。それが終われば、就職活動に向けての講義。金儲けのバイブルは、永遠に続いていく。

 ……あくまで、俺の妄想の範囲内だけど。

 とある勉強嫌いの一高校生の、ちっぽけで的外れな指摘かもしれないが。

 敷地の広い緑豊かな公園には、市街地で目にすることのない虫がちらほらうろついている。女子に嫌われやすい幼虫も、土の中で眠っている。

 その中で、航生が居座っている芝生広場だけは比較的開けている。風通しがよく、春と言うこともあってほのかな暖気が辺りを取り巻いている。

 ……また家に帰ったら、塾に行けって言われるんだろうな……。

 時間ギリギリまで公園にタムロするつもりだが、その後のことを想像してみると吐きそうになる。昼前から昼食を持って通塾し、夜遅くまですし詰めにされるのだ。

 親からすれば、子供を良い大学に行かせたいという一心で学習塾に通わせているのだろう。それが親心であり、事実その通りにストーリーが進めば眩しい可能性が待っている。腐っても有名大学卒という肩書は効くのだ。

 ……それでも、休日の真昼間から勉強とか……。

 その感情を加味しても、航生は束縛されている。平日の夜間はもちろん、休日だからといって休みなど存在しない。ブラック企業もビックリの、公認三百六十五日学習だ。労働ではないので、法律に引っ掛かることも無い。

 どこからそれだけの財源が生み出されているのか、不思議でならない。生まれてこの方ゲーム機が家に置かれているのを見たことが無いのも、関係しているのかもしれない。

 閉じていなかったランドセルから教科書が雪崩れるように、航生はドサリと芝生に腰を下ろした。

 日曜日は家でゴロゴロ寝転びながらテレビ番組を見て過ごすステレオタイプな家庭が多いのか、ビニルボールを手に持って遊んでいる幼児が見当たらない。精神を逆なでされない点ではよろしいのだが、健康に影響はしないのだろうか。

 だだっ広い芝生に、航生は独りぼっち。この全世界から、一人残らず消えてしまったみたいだ。静寂さが、不安がらせてくる。

 ただ小石で敷き詰められている道の奥から砂利を蹴り飛ばす音はするので、かんぜんに無人と言うわけでもないようだ。

 大の字になって芝生に仰向けになることも考えたが、背中に泥汚れがついてこっぴどく叱られそうなだけなのでやめておいた。それに、大空が広がっているわけでもない。晴れ間は僅かしかなく、大半は灰色の雲が覆い隠してしまっていた。

 航生の視界に、黄色い花びらを大量につけた単独で生えている植物が目に留まった。根はコーヒーにできるらしいのだが、未だにコーヒーショップで売っているところを見たことが無い。

 当たり前のように咲いていて感激も美しさも覚えられなくなっている悲しい花だが、そんなこと気にしないとばかりに柵の合間を縫ってひょっこり顔をだしている。

 ……刺身についてるやつは……、似てるけど、あれは菊の花か……。

 あれも黄色いが、菊が刺身に供えられているのはれっきとした理由がある。殺菌作用のある物質を放出するため、生で当たりやすい魚の切り身とセットで出されているのだ。

 のうのうと、勉強ばかりに気を取られている航生を嘲笑うように天へと顔を向けているこの花は、タンポポである。

 タンポポと一くくりにしても、種類がいくつもある。大きく二グループに分けると、日本由来のものと海外出身のものになる。

 ……ここまでは図鑑で見たことあるけど、ここまでなんだよな……。

 詳しいことは、植物博士にでも聞いた方が手っ取り早い。

 ……なんで、また勉強をやらなくちゃいけないんだよ。

 選択権も無く机に向かわされて、勉強効率が上がると思っているのだろうか。学力が学習時間に比例して伸びていくのならば、宿題すら碌に解いてこない人がぶっちぎるはずだ。

 現実は、そんなやつでも上位にいることもあれば、一生懸命ハチマキを巻いて暗記をしていた真面目ちゃんが下位に沈むこともある。効率が伴わなければ、数をこなしてもそのままなのだ。

 人間は、いつから社会に縛られるようになったのだろう。好き勝手に狩猟をして移動生活をしていた時期はとっくに過ぎ、今や学歴が全てと戦争は加速度的に加熱してきている。

 それに引き換え、タンポポはなんとのんびりしているのか。宿題に追われず、綿毛になるのを待って悠々と空高く舞い上がっていく。それだけのタンポポ生。羨ましい事この上ない。

 ……全くよぉ……。

 行き場のない怒りが、知らぬ表情でそっぽを向くタンポポに向かって火を噴いた。

 花壇に植えてあるチューリップならば引っこ抜くと賠償問題につながりかねず、また人が丹精込めて育ててきたものを台無しにする勇気も無い。

 道端に生えている雑草もどきであれば、跡形も無く消え去っても見向きすらされない。土に還り、栄養分が循環していく。

 タンポポの寿命は、長くとも一年くらいだろう。そうなると、遅かれ早かれ死んでしまうことになる。それなら、ここでちぎられて死のうとも大差ない。

 航生は、タンポポの茎に手をかけた。握りつぶすだけで中の管が潰れるだろうが、それでは人間でいうところの半殺しになってしまう。

 ……お前も、ついてないな……。

 ここに生えなければ、広海に見つかって腹いせに摘み取られることも無かったのに。恨むなら、ここまで飛ばしてきた風を恨んでほしい。

「手、離して!」

 かん高い女子の悲鳴だった。電車内で痴漢をされたような、それくらいの声量だった。恥ずかしくてボソッとつぶやくのでなく、はっきり犯人をつるし上げれる程度の。

 慌てて声のした方に目をやると、紺色の短パンを履いた女子が遠くの方からランニングで向かってきていた。速度はかなり速く、航生の全力疾走並みなのではないだろうか。

 やめてと非難されては、おいそれと航生も無視は出来なくなった。命乞いに助けられたタンポポを手放す。

 あっという間に航生の下まで走って来た彼女は、息があまり上がっていなかった。何という持久力なのだろう。シャトル欄で五十回も持たない航生のスタミナからするとグラフが飛びぬけてしまいそうだ。

 春だと言うのに、彼女の額には汗がじんわりと出ていた。直射日光が無くとも、運動をしていて自然とそうなったのだろう。

「……いきなりなんだよ」

 腐れ縁の女子かと思ったが、そうではなかった。正体も分からない赤の他人ということもあり、結構無礼に入ってしまった。日があるとするならば航生なのだが、この時はストレスの発散しか頭には残っていなかった。

「タンポポだからって、ちぎっていいわけじゃないよ!」

 植物愛好家にしては、格好が陸上だ。ルーペの代わりにスポーツタオル、草むらに不適切な短パン、虫刺されなどどこ吹く風の露出した肌……。タンポポごときで、それほど起こる内容とも思えないのだが。

 ……というか、この短パン、どこかで見たような……。

 レディースの服集めが趣味だとか、女子の下半身に着目するのが癖などではない。特徴が無さすぎてつかみどころが無いが、どこかで見たことがあるはずなのである。

 航生の高校の女子制服はオーソドックスなスカートであり。色も地味系統だ。短パンはおろか、脚が見える事も無い。

 体育の時だけは例外で女子も体操服姿になるが、だからと言って注目することはない。蛍光色で人目を引くようなデザインならまだしも、光を吸収するタイプの色合いでは当然だ。

「……聞いてる? 植物にも命は宿ってる。それを、むやみにちぎったらダメ!」

 タンポポを航生から守る様に、腰を低くして構えられた。ドラマなら最愛の人が感動の目で後ろから見つめているのだろうが、そんなことはない。

 ……植物も生きてることくらい、分かってるよ。

 生きていない、つまりは無生物というものは、例えば石ころやアスファルトだ。生命活動と言われる行為をしておらず、雨風で削られることはあるが基本的になにも変わらない。

 植物は自力で移動することは出来ないが、光合成をしてエネルギーを補充している。そうして、種子を風に乗せて新天地へと運び、広がっていく。れっきとした生き物だ。

「……むしゃくしゃしてるんだから、一本ぐらい……」
「自分に置き換えてみて! もし自分がただのいたずらでケガさせられたら、どう思う?」

 どこかの宗教に属しているのかどうかは見当もつかないが、ありとあらゆるものの生命を大事にしていらっしゃることは雰囲気から感じ取ることが出来た。

 自己の行為に対する報復でも不可抗力でも傷を負うのはお断りしたいのだが、それが覚悟も何もないいたずらだったらどう感じるだろうか。

 おそらくは、犯人が許せなくなる。あるいは、この世の理不尽さをネット掲示板に嘆くか。どちらにせよ、プラスの感情が生まれる事は無い。

 が、それと植物を同一視することができるのか。人間の身が持ちうる複雑な感情と、自我を持たない土から体を出しているだけの花を、同格に扱えるのだろうか。

 この手の論者は『扱える』と言うが、それならば普段から実践してみろという話だ。畑に生えてくる雑草にも謝罪しながら抜いているのか、ということになる。表では『もっと植物のことも考えろ!』とプラカードを上げて更新しているくせに、人気が無くなると何食わぬ顔で野草を引きちぎっている人は少なくない。

「……人間と植物は別なんだよ。タンポポが『やめて』なんて思うわけないんだからさ……」
「声にでないだけ!」

 内なる叫びが外界に届いていないと、そうこの女子は主張している。

 学校で発生する陰湿なイジメには、被害者が事件を発覚させることでさらに加害されるのを恐れて泣き寝入りする、というパターンが一定数ある。ただしいイジメへの対処法を習うのは、そのためだ。

 しかしながら、タンポポはストライキする意味が無く、そんなことをすれば死んでしまう。

 ……それは、そうなんだけどさ……。

「……それじゃあ、普段から道端の草を踏んで、申し訳なく思ってる? ハンバーグを食べて、材料になった豚に感謝してる?」
「してるよ?」

 銃弾を食らって、後方の芝生に倒れ込んでしまった。天然を醸し出して取り入られようとするぶりっ子でも使わないだろう。

 肉を食べることは動物の殺傷に繋がるのでそれらの入っている料理を一切口にしない、ヴィーガンという人たちがいる。ダイエット目的で食生活に取り入れている人もいるので一概に断定は出来ないが、航生から言わせてもらうと茶番だ。

 ヴィーガンの意見に耳を傾けるとすると、彼らの主食となる野菜や果物も理論で行くと食べてはいけないことになる。どちらも元は呼吸をして生きていたものであり、成長過程で収穫されて絶命したものたちなのだから、可哀そうだろう。

 獲れた野菜にも一回一回感謝をして食しているというのなら、別に咎めやしない。問題は、そうでない人たちである。

 動物から命を奪ってはダメなのに、植物からはいいのか。その矛盾を解決させてくれる回答が、航生には見つけられなかった。

 ……でも、この子はそれをしてるだって? ありえない。

 一刀のもとに、彼女の発言を切って落とした。

 現実的に、自分より下位のものに時間を割くことは出来っこないのだ。意識付けで数日間は続くかもしれないが、それが一か月や一年となってくるとどこかでほころびが見えてくる。

 そんなことはない、と反論する人に逆質問する。あなたは、花壇の上をせっせと歩いているアリの一生を想像したことがあるだろうか。タンポポの綿毛になって、空旅をしたことはあるだろうか。

 自分より上位、例えば先輩や上司などには嫌でも気が向く。関係を拗らせてより良くなることが考えられないからだ。馬が合わなければ、圧力にやられてしまう。上手くやって初めて、次のステップが現れる。

 ところが、下位となると話は変わってくる。アリを間違って踏みつぶしてしまっても罪悪感は微塵も生まれず、兵士を駒だと思っても一家庭を持った夫や妻だとは思いもしない。

 航生は、それが悪い事だとは思わない。わざわざあーだこーだ考えるとメモリがパンクしてしまい、却って何も出来なくなる。兵士の人生を尊重していたのでは、無条件降伏しか出来ない。

 要するに、下位に意識が常に向いているということは起こるはずがないのである。

「……雑草には?」
「なるべく踏まないようにして、もし踏んじゃったら謝ってるよ?」

 ところが、目の前の彼女はその聖人のような人格が格納されていると言い張っている。

 ……芝生は、生き物じゃないのかよ。

 彼女の言い分が真実なら、彼女は天然記念物で保護される。どこかの研究所で、三食の食事を与えられて習性や行動を分析される。それほどの逸材だ。

 ただし、その運動靴は思いやりも無く芝生の草を踏みつけている。航生からタンポポを救うためと大義名分があっても、それを盾に許してはいけないことだろう。

 大義名分は、免責事項ではないのだ。全責任から解放されるものではない。暴力から子供を守ると謳っていても、必要以上の反撃をしてしまうと過剰防衛となって罪に問われる。

「……もちろん、この芝生さんも痛いだろうし……」

 航生の読みを先回りしてきている。自然とこの言葉が零れてきているのならば、今すぐ祝祭を開かなければならない。

 幼い子供は、生物だろうと無生物だろうと生きているように感じるらしい。『シャボン玉さんが飛んでいくー』や『小石さんは雨降ってるのに寒く無いのかな……』など、擬人化してしまうのである。

 航生を警戒しながら砂利道へと土台を戻した例の女子は、その幼児レベルの精神なのだろうか。余りにも失礼なのだが、そこに記憶が行きつくほどまでに言動が怪しいのだ。

 精神科の病院に連れていくか、虚言壁があるとして無視するか……。どちらを選ぶにせよ、彼女は航生を簡単に逃してくれはしないだろう。

「……いつも、その調子で?」
「いや、声にまでは出さないことも多いけど……。独り言で出ちゃうこともあるくらい、命は大切にしてる」

 なんと偉大なのだろう。この世にいるのが不思議な生命の女神か、はたまた金を巻き上げる宗教の勧誘に来ただけなのか。まだ判別できない。

「生きとし生けるもの、全部一生懸命生きてるんだよ? 敬わないなんて言う選択肢なんか、選べない」

 強くたくましい、腹の底から発生されたものだった。軽々しく命を扱うなというメッセージが、架空の画面に映し出されたかのようだ。タブ表示時の警告音が、頭の中で鮮明に鳴った。

 生物も植物も、力の限り這って前へと進もうとする。助かる見込みが無くとも、最後の一滴まで振り絞ろうとする。一見生にしがみついてみっともないと思われるかもしれないが、それの何が悪いのか。

 スポーツで年を取ってから現役にこだわるベテランを酷評する自称評論家は数多といる。それをとやかくは言わないが、引き際が潔いものが好まれてズタボロになるまでプレーを続けるものが心無いヤジを浴びせられるのは違う。

 ネズミだって、ネズミ捕りにかかって後は処分と言う道しか残っていないのに、鋼鉄の歯から脱出しようともがく。死に際のネコも、最後まで生を全うしようとする。

 賢くないから、死ぬ運命が分からずにもがいているだけだ、という意見も一定数はあるかもしれない。それは正しく、人間より動物の方が劣っているというのは事実だ。

 だが、賢い事が本当に良い事なのだろうか。人間は、しばしば自殺というものを考える。自分に価値が無いと決めつけて、容易に命を断とうとする。あるいは、目的なしに危害を加えようとする。

 自殺という概念は、人間が作り出した。高度な思考回路を持つヒトだからこそ、行く末に不安を抱いて逃げようとしてしまう。その結果、自死が発生する。

 ……命を敬え、か……。

 彼女が本心で語っているかは後回しにするとして、その言葉は全世界の人々に復唱してほしいものだ。

「……雑草は畑なんかに生えてると抜かれて死んじゃう。それは栽培してるものから養分を奪っちゃうから。……生えてくる場所は、選べないのにね」

 公園の一面に広がる芝生を見渡して、首を落とした。

 野山の斜面に芽を出していれば、除草剤で根ごと枯らされることも人の手で引っこ抜かれることも無かっただろう。悠々と土の栄養分を消費して成長していたはずだ。

 それが、盛り上がった土の地面だったからと言うだけで生を奪われる。他の作物が育ちにくくなるので仕方のない範囲だが、それでも彼女にとってはこたえるらしい。

 ……人もだよな……。

 つい先ほどまで『植物と人間を同程度のレベルに置いて考えるな』と持論を展開していた偉そうな航生は、どこかへ消えてなくなってしまっていた。

 人間も同じく、生まれてくる場所は選べない。貧困層が多く国が立ちいけない地域なのか、裕福で教育が十分に受けられる地域なのか。環境によって、生育は大きく左右される。

「……優希(ゆき)はさ、自虐する人の気持ちが分からないんだ」

 彼女の名前を、聞いた記憶があるような、無いような。まだクラスメートと顔を合わせてから日が浅く、ぼんやりとしか覚えていない。同じ学校かすらも、判断できない。

 自虐は、主に自己の失敗談を面白おかしく加工して出荷するものだ。笑いを取って、それで緩和してしまおうという狙いである。

 しかしながら、真っすぐ忠実に生きている他の生物を見ていると、どうにも曲がりくねっているようでならない。過去を掘り返して、蛇行している。

 犯罪は、絶対に許されてはならない行為だ。万引きやイジメはれっきとした犯罪であり、毎年検挙されている。

 一昔前は、自殺そのものが違法とされていた国があることはご存じだろうか。手伝いやそそのかすことが法に触れるということは知っていても、過去の話までは知らない人が多いのではないだろうか。

 そもそも、防げない自殺は存在しない。精神的な病気でも、理論上は治すことが出来る。義務感で自らを死の淵に追いやることなど、人間にはできない。社会的な原因がそうさせているのだ。

「……どうしたの、顔色が悪いよ?」
「なんでもない」

 彼女、優希は自殺というワードに触れていない。だけれども、そこまで想像させてしまうほどの重みがあった。普段はタブー視して直視しない部分に踏み込んだせいか、航生は胃もたれを起こしそうになっていた。

 タンポポをちぎることなど、もう出来そうにはなかった。細い茎が緑の首に見えてきて、とてもではないが上下に断裂させようとは思えなくなったのだ。

 相変わらず、芝生広場の周辺に人影は見当たらない。いるのは、航生と謎の女子である優希だけだ。

「……どーう? 優希が言いたいことも、分かってくれた……かな?」

 脳内世界に没頭していて現実を確認できていなかったものが、ようやく元に戻った。一時的に現場を離れていた作業員が、定位置へと到着したようだ。

 程よく眉に前髪がかからない程度の長さである髪の毛に、二次元の美少女をそのまま具現化したような目。この人、美人であった。

 優希は自分の発言を汲み取ってくれたかどうかでモヤモヤが隠せていない。柵に手を乗せて身を広場へ乗り出している。

「……少なくとも、もうタンポポを折りはしないかな」

 航生は、彼女と同一の考えを保持することは一生かかっても不可能だと思った。育ってきた世界が異なりすぎて、意志疎通が出来ない。給食や弁当の具材にお礼を言うこともないのだから、雑草に敬意を表するなど出来るわけがない。

 雑草など、滅びて欲しいと思っている人間が何人いる事やら。悪役に捉える人が大多数を占めるだろう。

「……優希が思ってることをそのまましろ、なんて言わないけど、むやみに生きてるものを死なせないで欲しいな、ってこと!」

 上手くまとめきれなかったのか、強引に締められた。

 ……振り返ってみたら、ストレスの発散方法なんて山ほどあるわけだしな……。

 何も弱い者いじめだけが溜まっている鬱憤を晴らす唯一の手段ではない。彼女がそうしてきたようなランニングだって、十分気分転換になる。

 人は、弱くなると自分より立場が下のものを見つけて徹底的に攻撃するのだそうだ。言葉が示す通り、航生も動けないタンポポに蹴りを入れていた。

「……じゃあね!」

 優希はそう言うと、コンディションの悪い石ころ道をスイスイと走り去っていってしまった。駅伝のテレビ中継に映っていても見劣りしない速さだった。

 名前しか分からなかった同学年くらいの女子に、物事の捉え方を教えられた。航生はショックを受けたし、今までの生き方にペケを付けられたような気分になった。

 ……でも、あんな人もいるんだなぁ……。

 草木を大切にと掲げる人ほど大切にせずに野菜サラダを生ごみに捨てているものだが、優希は純粋に生きていたものに尊さを見出している。素晴らしい事だ。

 彼女のような人は、学力が多少身に付かなくとも持ち前の性格で荒海を泳いで行ける。基礎が固まり切っているから、芯がぶれない。

 前々から空を覆いつくさんとしていた灰色の雲群は、もうギッシリとあたりを囲んでいた。雨が降るとは思っていなかったので、傘を持ってきていない。

 ……午後から、塾か……。

 大切な青春の一ページに、何を書き込んでいるのだろう。『今日は勉強ずくめ』『今日は模試があった』……。そんな箇条書きで、楽しめたとは到底言えない。

 勉学に励むことは、大学進学には重要。だが、やればやるだけ良いということでもない。気力が持たなければ、その効率は滝のように急転直下してしまう。

 高校の三年間はイベントも多く、高揚感を味わうならばここしかない。その期間に、誰からも引かれるような塾のハシゴで終わらせてしまっていいものか。

 ……いい訳ないだろ。

 自分の人生は、自分で決めるもの。敷かれたレールをひた走るも一興、脱線事故を起こして森に突っ込んでいくのもまた一興。操り人形にだけは、なってはいけない。

 塾代が勿体ないような気もするが、一度ストライキを敢行しようという気持ちになってきた。交渉がまとまらないのならば、実力行使で負担減少へと舵を切る要求めていくしかない。

 『よし』、と決意を固めて、航生は立ち上がった。優希のように自然のありとあらゆるものに感謝……とまでは行かないが、自らがこの地点にいられることを喜ぼうと決心した。

 ……あの紺色のやつ、体操服のズボンの色とおんなじだったような……。

 道中、そんなことが頭によぎった航生なのであった。
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