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Chapter1 謎の少女
File5:疫病神か否か
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鉛のように重くなった体を、やっとのことで持ち上げる。体育が入っていなくて助かった。喉の先っぽまで、食べ物の閉塞感が押し寄せている。
お騒がせ少女、美紀に勧められた自作弁当は、平らげられなかった。やはり、弁当を二つ分制覇するのは無理難題だった。
(普通だったから、余計に気になる……)
メシマズ属性でもなければ、隠し味狂でもない、平凡を地でいく味付け。ほのかな食の幸せが、いささか体に巡っている。
血流が消化に使われるせいで、目の焦点が合わない。授業中に当てられ、晒し者になった屈辱が、未だに小さい針となって心臓に突き刺さっている。
校則違反の制裁が、異様に厳しいことで有名な龍太郎の母校。低空飛行を良しとした社会不適合者一歩手前の群衆は、こうでもしないと規範順守が芽生えないのだろう。……教師の鬱憤晴らしな気がしてならないのは、錯覚には思えないのだが。
大あくびをかまし、涙にまみれた目をこする。ぼんやりとした視界には、何やら黒い靄がかかっていた。
「……おーい、指定席じゃないんだぞ、ここ……」
胸まで机にもたれかかり、溶けてスライムになっている龍太郎の『彼女(?)』。無言で押しかけたかと思えば、横取りされてしまった。
生気が、空気へと蒸発している。数分もしない内に、美紀は枯れてしまいそうだ。
「……ああ、何だかボーっとする……」
「まだ、残ってるんだろ、弁当。俺も手をつけてないし……」
「……あれは、キミのもの……。キミのためのもの……」
会話にならない。この調子を幾回も見届けてきたので、驚きは無かった。
彼女の言い分によれば、昼飯抜きが苦しいとのこと。純粋なエネルギー不足である。だから言わんこっちゃない。
(……昼休みに限定されてるからな、この高校……)
意味不明な校則は、しばしば生徒を理不尽な目に遭わせる。食べること全般が禁止されているのも、弁当忘れや時間切れを考慮しない悪法だ。
最も、美紀は弁当を広げるつもりがなさそうだが。
「意地なんか張らずに、今からでも……」
「……箸渡し、してくれるなら……」
「誰がするんだそんな事この場で」
使用済み箸を再利用するほど鬼畜にはなれない。自力で動けるのだから、授業を抜け出してでも調達してもらいたい。
彼女の奇行で、教室の一部の目が集まってしまっている。ただでさえ茨を引きずりながら進んでいるのに、熊用の罠を各所に仕掛けられてはたまらない。
(……なんなんだ、この子は……)
美紀は頑として、机の上を明け渡そうとしない。髪すだれの奥にある小粒な耳は付いているのだが、龍太郎の要請は無視される。
『彼女』属性をねじ込んできた少女の腕は、だらんとして側面の荷物掛けに引っかかっていた。長袖で守られていたのだろうか、手首あたりにくっきりと肌色の境界線が浮かんでいる。
(どうしようもない人だなあ……)
自己中心で、素性が闇に沈没している美紀。人をふざけた『愛情』で振り回し、やたらめったら『好き』を先行される、因果を取り違えた女子。龍太郎の選んだ道は、間違ったのか否か。
女の子が無防備で体を預ける姿には、古典から引き継がれる美貌がある。
彼女に、毛布をかけてあげたい。小さな温泉が、地中から噴出した。
(……よく考えろよ、俺……。この子が……、美紀が、何をしてきたのか……)
あらゆる背景は、人の心を弄ぶ理由に成りえない。積もってきた庇護欲も、幻から誘発された仮初かもしれないのだ。
「……登川くん。お腹すいた……」
「だから自分で食べろ、って……」
わがままな美紀を、少したしなめて。
彼女の潜っていた左手が、スカートの中で活発になり始めた。死角と踏んだのだろうが、龍太郎にはお見通し。何をしでかすか分からない重要人物だ、監視は怠っていない。
ほっそりとした色白の手に握られていたのは、先端が斜めになった刀。持ち手は、木製であった。
「……美紀、ストップ。手に持ってるもの、何だ?」
「……何のこと? キミがくれるごはん、待ってるだけの手だよ?」
緩慢な動きで、彼女の右腕が上がった。エネルギー不足はいよいよ深刻になってきたようだ。
龍太郎は、光の速さで彼女の左手首を確保した。
「言い逃れ、できなくなったな。白状、してもらう……」
「切り刻む、記念の刀だけど? 問題でもあった?」
言葉のドッヂボールで、いつも龍太郎が負ける。彼女は、変化球をいくつ有しているのだろうか。手加減の三文字がどこにも見当たらない。
口元を緩めたまま戻らなくなった龍太郎。美紀に、話の流れを引き寄せられた。
「……この机にね」
目を凝らしてみると、遥か彼方の世界で使ったことがあるもの。彫刻刀だった。
「私の名前と、キミの名前。ここに彫れば、一生モノになるよ」
「それで、責任は俺が背負う、と……」
よく出来た仕組みだ。美紀は愛を贈った『形跡』を残せ、龍太郎は教師に密告され処罰を受ける。彼女に責任は及ばない。
ただ、席替えで所有者が変更する事態までは頭が回らなかったようだ。詰めが甘いとは、彼女のために作られた言葉である。
突っ伏しながら一撃を加えようとする美紀の荒ぶる左手を、片手で楽々差し押さえた龍太郎。目視もせずに彫ろうとするとは、無謀な少女だ。
「……彫らせてくれないんだね。気持ちが切れちゃった?」
「……それだけ振り回してたら、赤い糸も時限爆弾のコードも、両方切ったと思うぞ……」
「そっかぁ……。それなら、この刀でオシマイにする?」
「しまえ、しまえ、そんな物騒なもの」
真偽と同様、冗談との区別も感覚なのが恐ろしい。龍太郎の指示に抵抗なく矛を鞘にしまったことが、せめてもの幸いである。
地雷を引き当てたラブコメ主人公が、ハッピーエンドを歩んだ例はあるのだろうか。爆弾と添い遂げ、少なからず不幸をもたらすのが専らの典型だ。
(……同情しかけたのが、バカらしい……)
端正な顔立ちやひょっこり見せる純情につられて後を追うと、袋小路に連れていかれる。亜希の事前情報と照らしても、彼女の前では油断も隙もあったものではない。
龍太郎は、カバンに取っておいた飴があることを思い出した。一粒を取り出し、美紀を起き上がらせる。
「……俺が持ってるのは飴しかないけど、食べるか? どうせ、その体たらくじゃクラスにすら戻れなさそうだし」
「……直接、食べさせて……」
「どうなっても知らないぞ……」
周囲から、白い目が飛び交う。雷雲が上空に設置してあっても、驚かない。
黄色くまん丸の飴を、机の上で頭を横にした美紀の口元に持っていく。彼女の目は、龍太郎の指を追うだけで、自ら食いつこうとはしない。
湿った彼女の唇に、龍太郎の指が触れた。べとつかない、素直な表面であった。
美紀は舌の先っちょでアメを嘗め回すだけで、取り入れようとはしない。焦らされて、くすぐったい感触が体全体をひた走った。
時計の数秒が、気の遠くなるほど遅かった。今すぐにでも、始業のチャイムが鳴ればいいのに。
「……ん、おいしい……」
彼女が受け取ってくれたのは、更に数秒後。嫉妬と憎悪の視線が、背中に突き刺さっている。龍太郎の命日は今日らしい。
マシュマロに例えられる、女性のふっくら蓄えられた唇。弾力で跳ね返そうとしてきた美紀の控えたモノが、指に残留して流れない。
アメを転がす彼女をもっと眺めていたい衝動を追い出し、龍太郎は切り出した。
「もう、気が済んだか? さあ、帰った、帰った」
「……ケチ……」
捨て台詞を土産に、美紀は踏みしめるのもままならない足で教室を出ていった。
教室に残された龍太郎。罵声大会が開かれる……と覚悟していたのだが、一向に声のかかる様子はない。
外見は学校を舐めている風でも、本質を見抜ける目は持っていた、ということか。そうなると、龍太郎は野心をむき出しにした節穴になってしまうのだが。
(……疫病神……?)
美紀を引き受けられるのは龍太郎が適任、と神がお告げでもしたのだろうか。明らかに釣り合っていない……とも言い切れない。
人目を集めて責任を擦り付けてくる特級呪物である一方で、『好き』が分からない迷宮に入り込んだ悲しき少女でもある。
(……美紀と付き合うの、どうすれば……)
心身共に疲弊して、寝込む可能性は高い。そうだとしても、きっと看病に彼女はやってくる。ラブコメヒロインの王道を進もうとする美紀が、突然彼女の演技を辞めはしないだろう。
少女の頬を落としそうな笑顔が、復唱される。台本そのままの台詞の中で光る、一滴の宝石。塗りたくられた嘘から見いだせる、僅かな真。
(……心をこじ開けることが、できるだろうか……)
真の意味で、美紀は『彼女』でない。アルゴリズムを組んだロボットと同じ、典型的行動しか示さないハリボテである。
龍太郎は、尚も白と黒の間で揺れ動いていた。
(……何か、断言できる要素も降ってこないのかよ……)
――授業のチャイムも、聞き逃してしまった。
お騒がせ少女、美紀に勧められた自作弁当は、平らげられなかった。やはり、弁当を二つ分制覇するのは無理難題だった。
(普通だったから、余計に気になる……)
メシマズ属性でもなければ、隠し味狂でもない、平凡を地でいく味付け。ほのかな食の幸せが、いささか体に巡っている。
血流が消化に使われるせいで、目の焦点が合わない。授業中に当てられ、晒し者になった屈辱が、未だに小さい針となって心臓に突き刺さっている。
校則違反の制裁が、異様に厳しいことで有名な龍太郎の母校。低空飛行を良しとした社会不適合者一歩手前の群衆は、こうでもしないと規範順守が芽生えないのだろう。……教師の鬱憤晴らしな気がしてならないのは、錯覚には思えないのだが。
大あくびをかまし、涙にまみれた目をこする。ぼんやりとした視界には、何やら黒い靄がかかっていた。
「……おーい、指定席じゃないんだぞ、ここ……」
胸まで机にもたれかかり、溶けてスライムになっている龍太郎の『彼女(?)』。無言で押しかけたかと思えば、横取りされてしまった。
生気が、空気へと蒸発している。数分もしない内に、美紀は枯れてしまいそうだ。
「……ああ、何だかボーっとする……」
「まだ、残ってるんだろ、弁当。俺も手をつけてないし……」
「……あれは、キミのもの……。キミのためのもの……」
会話にならない。この調子を幾回も見届けてきたので、驚きは無かった。
彼女の言い分によれば、昼飯抜きが苦しいとのこと。純粋なエネルギー不足である。だから言わんこっちゃない。
(……昼休みに限定されてるからな、この高校……)
意味不明な校則は、しばしば生徒を理不尽な目に遭わせる。食べること全般が禁止されているのも、弁当忘れや時間切れを考慮しない悪法だ。
最も、美紀は弁当を広げるつもりがなさそうだが。
「意地なんか張らずに、今からでも……」
「……箸渡し、してくれるなら……」
「誰がするんだそんな事この場で」
使用済み箸を再利用するほど鬼畜にはなれない。自力で動けるのだから、授業を抜け出してでも調達してもらいたい。
彼女の奇行で、教室の一部の目が集まってしまっている。ただでさえ茨を引きずりながら進んでいるのに、熊用の罠を各所に仕掛けられてはたまらない。
(……なんなんだ、この子は……)
美紀は頑として、机の上を明け渡そうとしない。髪すだれの奥にある小粒な耳は付いているのだが、龍太郎の要請は無視される。
『彼女』属性をねじ込んできた少女の腕は、だらんとして側面の荷物掛けに引っかかっていた。長袖で守られていたのだろうか、手首あたりにくっきりと肌色の境界線が浮かんでいる。
(どうしようもない人だなあ……)
自己中心で、素性が闇に沈没している美紀。人をふざけた『愛情』で振り回し、やたらめったら『好き』を先行される、因果を取り違えた女子。龍太郎の選んだ道は、間違ったのか否か。
女の子が無防備で体を預ける姿には、古典から引き継がれる美貌がある。
彼女に、毛布をかけてあげたい。小さな温泉が、地中から噴出した。
(……よく考えろよ、俺……。この子が……、美紀が、何をしてきたのか……)
あらゆる背景は、人の心を弄ぶ理由に成りえない。積もってきた庇護欲も、幻から誘発された仮初かもしれないのだ。
「……登川くん。お腹すいた……」
「だから自分で食べろ、って……」
わがままな美紀を、少したしなめて。
彼女の潜っていた左手が、スカートの中で活発になり始めた。死角と踏んだのだろうが、龍太郎にはお見通し。何をしでかすか分からない重要人物だ、監視は怠っていない。
ほっそりとした色白の手に握られていたのは、先端が斜めになった刀。持ち手は、木製であった。
「……美紀、ストップ。手に持ってるもの、何だ?」
「……何のこと? キミがくれるごはん、待ってるだけの手だよ?」
緩慢な動きで、彼女の右腕が上がった。エネルギー不足はいよいよ深刻になってきたようだ。
龍太郎は、光の速さで彼女の左手首を確保した。
「言い逃れ、できなくなったな。白状、してもらう……」
「切り刻む、記念の刀だけど? 問題でもあった?」
言葉のドッヂボールで、いつも龍太郎が負ける。彼女は、変化球をいくつ有しているのだろうか。手加減の三文字がどこにも見当たらない。
口元を緩めたまま戻らなくなった龍太郎。美紀に、話の流れを引き寄せられた。
「……この机にね」
目を凝らしてみると、遥か彼方の世界で使ったことがあるもの。彫刻刀だった。
「私の名前と、キミの名前。ここに彫れば、一生モノになるよ」
「それで、責任は俺が背負う、と……」
よく出来た仕組みだ。美紀は愛を贈った『形跡』を残せ、龍太郎は教師に密告され処罰を受ける。彼女に責任は及ばない。
ただ、席替えで所有者が変更する事態までは頭が回らなかったようだ。詰めが甘いとは、彼女のために作られた言葉である。
突っ伏しながら一撃を加えようとする美紀の荒ぶる左手を、片手で楽々差し押さえた龍太郎。目視もせずに彫ろうとするとは、無謀な少女だ。
「……彫らせてくれないんだね。気持ちが切れちゃった?」
「……それだけ振り回してたら、赤い糸も時限爆弾のコードも、両方切ったと思うぞ……」
「そっかぁ……。それなら、この刀でオシマイにする?」
「しまえ、しまえ、そんな物騒なもの」
真偽と同様、冗談との区別も感覚なのが恐ろしい。龍太郎の指示に抵抗なく矛を鞘にしまったことが、せめてもの幸いである。
地雷を引き当てたラブコメ主人公が、ハッピーエンドを歩んだ例はあるのだろうか。爆弾と添い遂げ、少なからず不幸をもたらすのが専らの典型だ。
(……同情しかけたのが、バカらしい……)
端正な顔立ちやひょっこり見せる純情につられて後を追うと、袋小路に連れていかれる。亜希の事前情報と照らしても、彼女の前では油断も隙もあったものではない。
龍太郎は、カバンに取っておいた飴があることを思い出した。一粒を取り出し、美紀を起き上がらせる。
「……俺が持ってるのは飴しかないけど、食べるか? どうせ、その体たらくじゃクラスにすら戻れなさそうだし」
「……直接、食べさせて……」
「どうなっても知らないぞ……」
周囲から、白い目が飛び交う。雷雲が上空に設置してあっても、驚かない。
黄色くまん丸の飴を、机の上で頭を横にした美紀の口元に持っていく。彼女の目は、龍太郎の指を追うだけで、自ら食いつこうとはしない。
湿った彼女の唇に、龍太郎の指が触れた。べとつかない、素直な表面であった。
美紀は舌の先っちょでアメを嘗め回すだけで、取り入れようとはしない。焦らされて、くすぐったい感触が体全体をひた走った。
時計の数秒が、気の遠くなるほど遅かった。今すぐにでも、始業のチャイムが鳴ればいいのに。
「……ん、おいしい……」
彼女が受け取ってくれたのは、更に数秒後。嫉妬と憎悪の視線が、背中に突き刺さっている。龍太郎の命日は今日らしい。
マシュマロに例えられる、女性のふっくら蓄えられた唇。弾力で跳ね返そうとしてきた美紀の控えたモノが、指に残留して流れない。
アメを転がす彼女をもっと眺めていたい衝動を追い出し、龍太郎は切り出した。
「もう、気が済んだか? さあ、帰った、帰った」
「……ケチ……」
捨て台詞を土産に、美紀は踏みしめるのもままならない足で教室を出ていった。
教室に残された龍太郎。罵声大会が開かれる……と覚悟していたのだが、一向に声のかかる様子はない。
外見は学校を舐めている風でも、本質を見抜ける目は持っていた、ということか。そうなると、龍太郎は野心をむき出しにした節穴になってしまうのだが。
(……疫病神……?)
美紀を引き受けられるのは龍太郎が適任、と神がお告げでもしたのだろうか。明らかに釣り合っていない……とも言い切れない。
人目を集めて責任を擦り付けてくる特級呪物である一方で、『好き』が分からない迷宮に入り込んだ悲しき少女でもある。
(……美紀と付き合うの、どうすれば……)
心身共に疲弊して、寝込む可能性は高い。そうだとしても、きっと看病に彼女はやってくる。ラブコメヒロインの王道を進もうとする美紀が、突然彼女の演技を辞めはしないだろう。
少女の頬を落としそうな笑顔が、復唱される。台本そのままの台詞の中で光る、一滴の宝石。塗りたくられた嘘から見いだせる、僅かな真。
(……心をこじ開けることが、できるだろうか……)
真の意味で、美紀は『彼女』でない。アルゴリズムを組んだロボットと同じ、典型的行動しか示さないハリボテである。
龍太郎は、尚も白と黒の間で揺れ動いていた。
(……何か、断言できる要素も降ってこないのかよ……)
――授業のチャイムも、聞き逃してしまった。
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