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5話-4
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翌日、またいつものように気怠い月曜日がやってきた。どんよりと暗い空が、更に気持ちを低下させていく。集中できない頭をなんとか動かして午前中を過ごし、昼休みにお弁当を食べ、再び眠気と戦いながら午後を過ごす。
隣の席の飯塚さんは相変わらず怠けている。
「雨の日ってさ、やる気出ないよな。これはもう仕方がないと思うんだよ、うん」
気持ちは分かるけれど、それを堂々と口にするのが凄い。実際、二人で分担している仕事のほとんどが私に周ってきているので、そのやる気の無さは伝えてくれなくてもちゃんと分かっている。
「飯塚さんて、子供みたいですよね」
「なにそれ、子供みたいに可愛いってこと?」
「大人とは思えないってことです」
「ひでぇ」
無意識に、頭の中に浮かんだ葵くんと比べてしまう。彼ならきっと、こんなふうにあからさまに怠けたりしない。黙って仕事をして、それでも少し不機嫌が出てしまって、頑張ろうって声をかければ、うん、と頷いてくれる。私に負担が偏っていれば、当たり前のように手を差し出してくれる。
あり得ない妄想じみた考えに、思わず自嘲した。彼は高校生だ。今頃、学校で授業を受けている。こんなことを想像してしまうのは、傍にいて欲しいと思っているからかもしれない。
定時になり、広げていたパソコンや書類を片付け始めた。今までであれば、とっくに机の上は綺麗になり、鐘の音と同時に席を立つほどだったが、今日からもう、その必要もなくなった。学童で顔を合わせなくなるのは寂しいけれど、反面、ゆっくりできるという解放感はある。
「今日は急いで帰んないの?」
私の動きが遅いことに気付き、飯塚さんが不思議そうに言う。
「先週で用事が終わったんですよ」
「じゃあ飲み行こうぜ」
「……月曜ですが」
「いいじゃん。一杯だけ。他も誘ってみるから先に下降りてて」
まだ承諾していないのに、有無を言わせぬ勢いでそう言うと近くの席の方へと明るい声で駆け寄って行ってしまった。そこにいる人たちの反応を見ると、それなりの人数が集まりそうだ。まぁいいか、たまには。会社帰りに飲み行くなんて、本当に久しぶりだ。
言われた通りに先に部屋を出てエレベーターで一階に降りる。小さなビルの一フロアだけに入っている会社なので、知り合いに会うこともなく入口まであっという間に着く。
外は暗く、湿った空気が漂っている。雨粒は見えづらいが、通行人が傘を差していた。小雨が降っているようだ。
「花」
耳に、這うような声が届いた。途端に身体が硬直し、息が吸えなくなる。周囲が無音になったかのように、ただ呼ばれた声だけが繰り返し脳の中で響いて暴れる。
「花、お疲れ様」
声のした方をおそるおそる見た。思いのほか近くにいた黒い影に、心臓が大きくびくつく。やっぱり来た。そんな気はしていた。学童と、会社、どちらかに現れるなら、この人は会社に来る。より確実な方を選んで、足もとを固めていく。
ビルの中から騒がしい声が聞こえてきた。振り向くと、飯塚さん達が店の名前を挙げながら近づいてきていた。私に気付き、笑顔を見せる。
「お待たせ、どこ行く……、って、あれ、知り合い?」
なんの疑いも見せずにそう聞く同僚に、助けを求めたくなってしまう。口を開き、何かを言おうとしたその時、手首を握られた。痛くはないが、決して逃さないと言わんばかりの力強さに、出てくる言葉は息となって消える。
不思議そうに見つめてくる皆の目が、私の心を迷わせる。もしここで、助けて、なんて言ったら、手首を掴むこの手は彼らに向いてしまうのだろうか。二人きりの時にしか手を上げなかったし、あからさまなことはしないだろうが、陰湿な行為はするかもしれない。
「宮丘? どした?」
何より、この職場を失いたくない。
「……すみ、ません。友達と、約束してるの、忘れてて」
「あー、そうなんだ。友達もくる?」
「い、いえ!」
「冗談だって。じゃあまた今度な」
お疲れ、と軽快に言って背を向ける姿を、笑顔で見送った。ちゃんと笑えてるのか怪しい。けど、まぁ、この場はしのげたからいいか。
「友達なんて、酷いな」
握られ続けていた手首が、ぐっと絞まった。身体が当時の痛みを思い出し、急速に恐怖心が増大する。
あの時、私はこの人から逃げた。何も言わず、荷物をまとめ、連絡先を断ち、姿を消した。当時はそれが精いっぱいで、後の事など考えている余裕が無かった。けれど、ちゃんと別れを告げなかったのは間違いだったのかもしれない。
本当は友達だとも思っていない。もう一生会いたくなかった。楽しい思い出なんて全て消えてしまった。今だって逃げ出したい。
でも、と葵くんの顔が浮かぶ。このままでは、いけない。
「……話、しよう。私も、伝えたいことがあるから」
顔が見れず、俯いたまま言った私の言葉に、手首の圧が弱まった。
「うん、そうだね、話をしよう」
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