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男にはね、利子まできっちり返してもらう、それが女として生きるための真っ当な道だよ
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「あっ、沙原璃子だ」
小田香ナーナが上げたそんな声は爽には聞こえていなかった。
渡良瀬繭の手紙の余韻が重すぎて勢いよく立ち上がったものの痛いほどの胸の高鳴りと足の震えでその場を一歩も動けないでいた。
部室の窓際のソファの上に置かれたスヌーピーのセーターから香る微かな香水の匂い。それは東京で彼女が確かに生きた証。
何もないところ、誇れるのは越後の山と信濃川だけ、自分の故郷を渡良瀬繭はそう言った。自虐的に故郷をディスってるように見えるけどそこで育った自分が大好きだとそれをわかってくれと叫んでるようにしか爽には思えなかった。
ただそんな彼女を、シャネルの50番を漂わせ、ピンクのルージュを塗って、夜の街に向かわせたのは何だったのか。そんなことを爽はずっと考えていたものだった。
( 何だったのか?誰のためだったかって言いたいの? 別にあの人の為じゃないよ、自分が自分らしく生きるため。そう、越後の女はね、強くなくちゃあ生きれないのよ)
自分に言い聞かせるような彼女の精一杯のやせ我慢、それを聞き流していたのが爽たちの罪だったのか。
けれどみんなが歌うためには、その一歩を踏み出す為には、彼女の笑顔がいる、そんなことはみんなが知っている。 彼女が描いた夢と希望の詩(うた)、そのなかに繭さんの悲しみなんてどこにもない。
── だから、私はまゆさんの誇りを、プライドを取り戻す、女としてのプライドを。
すべての話は・・それからなんだ。
「ちょっと、あんた、聞こえてんの!?なに一人で黄昏てんのよ!!」
ひときわ大きな、空気を切り裂くようなその声に爽は我に返った。
小田香ナーナが彼女に指を差しながら目くばせをして、しきりにその口元だけがせわしなく動く。
(勝手に入ってきた)そう言いたいらしい。
その叫び声の主は沙原璃子。「まゆっていう子いる?」
誰に聞いているのかもわからない、彼女は天井を見上げながらそう言っていた。
そして思わず身を乗り出そうとするナーナをを手で制しながら、砂原璃子はそのぎらつく黒い瞳を私に向けた。
「あなたね、山音爽って」
「そう‥やけど…」
できるだけ平静を装って手を握り締めお腹に力を入れながら爽は答えた。胸のどきどきと手の震えを悟られないように。
(これが、あのサハラリコか)心の中で爽は三度はそう呟いた。
毎日毎朝、爽たちは彼女に会っていた、大学の正門前で。時には拡声器で大きな声を響かせ、時には大量のビラを両手に抱え、時には大学関係者と禅問答のような押し合いを繰り返していた。その横をギターをもって足早にすり抜ける爽達に、決まって彼女は鋭い視線を投げかけた、(何やってんだよお前らは)とでも言いたげに。
「な、なんか用なん?」
大丈夫、大丈夫、言っても同じ大学生、別に取って食おうとはしないはず、そう自分に言い聞かせた。
「勝手に入らないでくださいね!!」
(こらこら)ナーナの声に思わず爽は目で合図を送る。
構わず続ける、小田香ナーナ。
「ノックもせずにいきなり入ってきてぇ」
ぷっと頬を膨らましながら、いつもより1オクターブ高いナーナの声が室内に響く。
どうも彼女は沙原璃子という人間をもうこの短い間に見切ってしまったらしい。
懐に飛び込んでしまえばそんなに怖い人間じゃない、
無闇矢鱈に噛み付く人でもない。
筋さえ通っていれさえすればこちらが噛み付いても甘噛みで返してくれる
そんな対動物的な本能がナーナには備わっているのかも知れない
爽達がいつも思うことだが、彼女の人を見る感性には本当に目を見張るものがある。
「詩集を返しに来ただけだから」
ナーナのクレームを気にするでもなく、砂原璃子はそう言った。
ヘルメットの下にのぞく黒い瞳は少し笑っているようにも見えた。
── 嫌いじゃない、この人は
その時爽はそう思った。何故だかわからない、けれどナーナを子供のようにあしらう沙原璃子のなかに微かな母性と、もしかしたら怪しげな異性までをも、その時、爽は感じていたのかもしれない。
「じゃあ、これ」砂原璃子はそう言うと胸をまさぐりながら、お腹とジーンズの間に挟んでいた渡良瀬繭の黄色い表紙の詩集を取り出した。
「ありがとうは言わないんですね、璃子さんという人は」
そんなナーナの止まらない煽りに、じゃれる子犬をあやすように璃子は彼女の頭をそっと撫でた。
「ありがとうなんて言葉はここ三年ほど、沙原はつかったことがないのよ。悪いけど」
「ありがとうとか、そんなものは使わなくても生きていける、そんな世の中が私の理想なのよ。わかる、オダカナーナちゃん。」
「へっ?なんで私の名前を・・?」
「知ってるのって?」
沙原璃子は黙って傍らに置いてあるギターケースを指さした。そこに書かれている、
ODAKA NA-NA…。
「自分の持ち物に名前書くんだ、ナーナちゃんは。赤ちゃんみたいだね、あんた」
そう言って、ビー玉をのどの奥で転がすような小さな笑い声を上げると、沙原璃子はまた頬を膨らまして唇を噛むナーナの視線をかわしながら、辺りを警戒する様子で出口のドアをゆっくりと開けた。
けれど一歩踏み出したところで何かを思い出したようにその足が止まる。
「あのさ、有希って子知ってるよね」
ナーナが首を傾げると爽がその頭越しに答えた。
「樫脇有希さん?」
「そう、その有希ちゃん。繭って子のお金どうなったのか、気にしてたんだけど?」
「・・・」
「言えないか?言えないよね、やっぱり」
「・・・」
「だよね。けど、どうでもいいことだろうけど、詩集のお礼の代わりに一応言っとくわ。
男にはね、利子まできっちり返してもらう、それが女として生きるための真っ当な道だよ。
人は知んないけどさ、そうしてきたわけよ、これまで砂原は。 」
そして彼女は何故か満足そうな笑みを浮かべると、「楽しかったよ」とナーナにそう一言囁くと、再び出口のドアに手をかけた。
「沙原さん!!」
ナーナの震える声にふたたびサハラリコの脚が止まった。
小田香ナーナが上げたそんな声は爽には聞こえていなかった。
渡良瀬繭の手紙の余韻が重すぎて勢いよく立ち上がったものの痛いほどの胸の高鳴りと足の震えでその場を一歩も動けないでいた。
部室の窓際のソファの上に置かれたスヌーピーのセーターから香る微かな香水の匂い。それは東京で彼女が確かに生きた証。
何もないところ、誇れるのは越後の山と信濃川だけ、自分の故郷を渡良瀬繭はそう言った。自虐的に故郷をディスってるように見えるけどそこで育った自分が大好きだとそれをわかってくれと叫んでるようにしか爽には思えなかった。
ただそんな彼女を、シャネルの50番を漂わせ、ピンクのルージュを塗って、夜の街に向かわせたのは何だったのか。そんなことを爽はずっと考えていたものだった。
( 何だったのか?誰のためだったかって言いたいの? 別にあの人の為じゃないよ、自分が自分らしく生きるため。そう、越後の女はね、強くなくちゃあ生きれないのよ)
自分に言い聞かせるような彼女の精一杯のやせ我慢、それを聞き流していたのが爽たちの罪だったのか。
けれどみんなが歌うためには、その一歩を踏み出す為には、彼女の笑顔がいる、そんなことはみんなが知っている。 彼女が描いた夢と希望の詩(うた)、そのなかに繭さんの悲しみなんてどこにもない。
── だから、私はまゆさんの誇りを、プライドを取り戻す、女としてのプライドを。
すべての話は・・それからなんだ。
「ちょっと、あんた、聞こえてんの!?なに一人で黄昏てんのよ!!」
ひときわ大きな、空気を切り裂くようなその声に爽は我に返った。
小田香ナーナが彼女に指を差しながら目くばせをして、しきりにその口元だけがせわしなく動く。
(勝手に入ってきた)そう言いたいらしい。
その叫び声の主は沙原璃子。「まゆっていう子いる?」
誰に聞いているのかもわからない、彼女は天井を見上げながらそう言っていた。
そして思わず身を乗り出そうとするナーナをを手で制しながら、砂原璃子はそのぎらつく黒い瞳を私に向けた。
「あなたね、山音爽って」
「そう‥やけど…」
できるだけ平静を装って手を握り締めお腹に力を入れながら爽は答えた。胸のどきどきと手の震えを悟られないように。
(これが、あのサハラリコか)心の中で爽は三度はそう呟いた。
毎日毎朝、爽たちは彼女に会っていた、大学の正門前で。時には拡声器で大きな声を響かせ、時には大量のビラを両手に抱え、時には大学関係者と禅問答のような押し合いを繰り返していた。その横をギターをもって足早にすり抜ける爽達に、決まって彼女は鋭い視線を投げかけた、(何やってんだよお前らは)とでも言いたげに。
「な、なんか用なん?」
大丈夫、大丈夫、言っても同じ大学生、別に取って食おうとはしないはず、そう自分に言い聞かせた。
「勝手に入らないでくださいね!!」
(こらこら)ナーナの声に思わず爽は目で合図を送る。
構わず続ける、小田香ナーナ。
「ノックもせずにいきなり入ってきてぇ」
ぷっと頬を膨らましながら、いつもより1オクターブ高いナーナの声が室内に響く。
どうも彼女は沙原璃子という人間をもうこの短い間に見切ってしまったらしい。
懐に飛び込んでしまえばそんなに怖い人間じゃない、
無闇矢鱈に噛み付く人でもない。
筋さえ通っていれさえすればこちらが噛み付いても甘噛みで返してくれる
そんな対動物的な本能がナーナには備わっているのかも知れない
爽達がいつも思うことだが、彼女の人を見る感性には本当に目を見張るものがある。
「詩集を返しに来ただけだから」
ナーナのクレームを気にするでもなく、砂原璃子はそう言った。
ヘルメットの下にのぞく黒い瞳は少し笑っているようにも見えた。
── 嫌いじゃない、この人は
その時爽はそう思った。何故だかわからない、けれどナーナを子供のようにあしらう沙原璃子のなかに微かな母性と、もしかしたら怪しげな異性までをも、その時、爽は感じていたのかもしれない。
「じゃあ、これ」砂原璃子はそう言うと胸をまさぐりながら、お腹とジーンズの間に挟んでいた渡良瀬繭の黄色い表紙の詩集を取り出した。
「ありがとうは言わないんですね、璃子さんという人は」
そんなナーナの止まらない煽りに、じゃれる子犬をあやすように璃子は彼女の頭をそっと撫でた。
「ありがとうなんて言葉はここ三年ほど、沙原はつかったことがないのよ。悪いけど」
「ありがとうとか、そんなものは使わなくても生きていける、そんな世の中が私の理想なのよ。わかる、オダカナーナちゃん。」
「へっ?なんで私の名前を・・?」
「知ってるのって?」
沙原璃子は黙って傍らに置いてあるギターケースを指さした。そこに書かれている、
ODAKA NA-NA…。
「自分の持ち物に名前書くんだ、ナーナちゃんは。赤ちゃんみたいだね、あんた」
そう言って、ビー玉をのどの奥で転がすような小さな笑い声を上げると、沙原璃子はまた頬を膨らまして唇を噛むナーナの視線をかわしながら、辺りを警戒する様子で出口のドアをゆっくりと開けた。
けれど一歩踏み出したところで何かを思い出したようにその足が止まる。
「あのさ、有希って子知ってるよね」
ナーナが首を傾げると爽がその頭越しに答えた。
「樫脇有希さん?」
「そう、その有希ちゃん。繭って子のお金どうなったのか、気にしてたんだけど?」
「・・・」
「言えないか?言えないよね、やっぱり」
「・・・」
「だよね。けど、どうでもいいことだろうけど、詩集のお礼の代わりに一応言っとくわ。
男にはね、利子まできっちり返してもらう、それが女として生きるための真っ当な道だよ。
人は知んないけどさ、そうしてきたわけよ、これまで砂原は。 」
そして彼女は何故か満足そうな笑みを浮かべると、「楽しかったよ」とナーナにそう一言囁くと、再び出口のドアに手をかけた。
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