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第1章
第13話 決断の時——未来への選択
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封印の間を後にしたリュークたちは、険しい山道を慎重に抜け、ようやく村へ戻った。
影獣との死闘、封印の崩壊、スキルクリスタルとの遭遇――。
ほんの数日間の出来事とは思えない。胸にのしかかる重さは、何年も戦場を渡り歩いた兵士の記憶にも匹敵するようだった。
広場には、すでに多くの村人たちが集まっていた。
焚かれた松明が夜気を揺らし、その灯りの下で、不安げな人々がざわめきながら彼らを待ち受けている。
「リューク……!」
誰かが名を呼び、群衆から数人が駆け寄ってきた。焦りと恐怖の入り混じった視線が、彼の全身に突き刺さる。
「封印の石は、どうなったんだ?」
リュークは小さく息を整え、重く口を開いた。
「……封印は、すでに破壊されていました」
その一言が落ちた瞬間、広場はざわめきで揺れた。
肩を寄せ合う者、子を抱き寄せる者、顔を覆って震える者――恐怖が目に見える形を取り、人々の声は焦りへと変わっていく。
「人の手で……?」
「じゃあ、また影獣が……!」
空気が一気に張りつめた、そのとき。
「……最近な」
その緊張を割るように、村人の一人が口を開いた。傷だらけの指が膝の上でわずかに震えている。
「旅の商人が妙なことを言っていた。数週間前、村の近くで“黒衣の男”を見たと」
「黒衣の男……?」
リュークの目が細く鋭くなる。
「顔は見えなかったらしい。ただ、村の外れ――祠の方へ向かっていったそうだ」
「祠に……?」
「じゃあ、本当に誰かが封印を……」
「呪いを解き放ったってことか……?」
村人たちのざわめきは、見えない「誰か」への怯えへと形を変える。
目に見えない犯人像が、それぞれの脳裏で勝手に膨らんでいくのが分かった。
(黒衣の男……あの影を解き放った張本人、か)
得られたのは、断片にすぎない。
だが、「誰かが意図的に動いた」という事実だけは、はっきりと刻み込まれる。
リュークはざわめく広場を見渡し、村人たちの不安をまっすぐに受け止めるように、一歩前へ出た。
「影を完全に封じるには、強力な結界の再構築が必要です」
静かに、しかしよく通る声で告げる。
「でも今は、それよりも――まず、この村を守ることです。
黒衣の男の正体を追うにしても、防衛を固めなければ、同じことが繰り返されるかもしれません」
淡々とした言葉の奥に、揺るぎない決意が宿っていた。
その響きに、村人たちは互いに顔を見合わせ、一人、また一人と頷いていく。
「……そうだ。今は、自分たちで守るしかない」
「村長、どうします?」
視線が一斉に集まる。
村長ロッドは深く眉を寄せ、しばし思案したのち、静かに頷いた。
「よし。すぐに見張りを強化する。昼夜交代での巡回を徹底だ」
短く区切り、さらに続ける。
「黒衣の男とやらが本当にいるなら、なおさらだ。武器の点検、防壁の修繕も急がせる。動ける者はすぐに集まれ!」
「「おうっ!」」
村人たちは一斉に動き出した。
松明の炎が大きく揺れ、広場は慌ただしく熱を帯びていく。
その様子を眺めながら、リュークはふっと目を伏せた。
(……少なくとも、今この瞬間は、守る側に回れた)
かすかな安堵が灯る。
だがそれと同時に、痛いほどの実感もあった――今の自分には、まだ力が足りない。
(黒衣の男……必ず突き止める。そのための力も、手段も)
静かに燃え上がる決意が、胸の内側からじわりと熱を広げていった。
けれど、この村のためにできることは、まだある。
そしてそれは、記憶を失った自分という存在を、少しずつ「何か」に近づける道でもあった。
風に揺れる松明の灯りの下。
村は、再び立ち上がろうとしていた。
やがて、リュークは村長の家へと招かれた。
木の匂いが染み込んだ小さな室内に入ると、ほっとするような温もりが迎えてくれる。
古びた椅子に腰を下ろすと、陶器のカップが差し出された。湯気の立つスープから、根菜と香草のやわらかな香りが立ちのぼる。
リュークは無言でスプーンを取り、そっとかき混ぜた。
(……あったかい)
口に含むと、その温もりが張り詰めた肩の力を、ほんの少しだけ解きほぐしていく。
「……すまなかったな、若いの」
村長が、深く沈んだ声で口を開いた。
皺の刻まれた手を膝に置き、正面からリュークを見据える。
「お前さんがいなければ、この村は……影に呑まれていたかもしれん。本当に、感謝している」
「俺は、できることをしただけです」
リュークは静かに返し、スープを一口すする。
熱が喉を伝い、冷え切った身体の芯へとゆっくり染み込んでいく。
「ただ……」
スプーンを碗の縁に置き、リュークは村長へ視線を向けた。
「まだ、やるべきことが残っている気がします」
短い言葉に、重たい沈黙が落ちる。
村長はその意味を汲み取り、目を伏せ、火の落ちかけた暖炉へと視線を向けた。
「……異端に厳しいのはな、この村が滅びかけたことに理由がある」
その声音には、忘れようとしても消えぬ痛みが宿っていた。
「……理由、ですか」
村長は深く息を吐き、記憶を掘り起こすように言葉を紡ぐ。
「昔、この地には“影の呪い”が広がっていた。
村の半分が黒い影に呑まれ、人も家も、輪郭だけ残して塗りつぶされたようになってな……。
その中から這い出してきた連中は、もう『いつものあいつ』じゃなかった。家族同士で刃を向け合うような有り様だった」
静かな声が、暖炉の残り火のように小さく揺れる。
「そのとき現れたのが、“加護なき者たち”だ。
神の加護も祈りも通じぬ者が、独自の力で状況をねじ曲げた。たしかに、影は消えた。だが、その過程で村はさらに壊され、多くの者が命を落とした。
影を祓った先に残ったのは、焼け跡と、戻らない者たちの名だけだった」
だから、と村長は目を細める。
「だから村の者は、それを『救い』とは呼べなかった。
そして――神の外側にいる力を、心の底から恐れるようになった」
リュークはうつむき、スープの残り香と共に、胸に重く沈む言葉を噛みしめた。
この村の「異端への恐怖」は、ただの偏見ではなく、失われたものの記憶だ。
暖炉の火がぱちりと小さく弾ける。
「今後、お前さんは……どうするつもりだ?」
静かな問い。
その声には、ただの好奇心ではなく、選ばなかった過去と、選びたかった未来とが、にじんでいた。
リュークはしばし考え、やがて迷いのない声で答える。
「都市へ向かいます」
「都市へ……?」
村長がわずかに眉をひそめる。驚きと、どこか寂しげな響きが混じっていた。
「資金と情報が必要なんです。
影獣が現れた理由、封印を壊した者の正体……この村だけを見ていても、根本は分からない気がします。
この村を守りたければ、ここを離れてでも、“元を断つ方法”を見つける必要がある。
そのためには、もっと大きな場所で、もっと多くの記録と人に触れないといけないと思うんです」
そこでリュークは言葉を一度切り、迷うようにカップの縁へ視線を落とした。
「それと……もうひとつ、探しているものがあります」
「ほう?」
「“神殿へ”とだけ記された紙切れを持っていました。目覚めたときには、それしか手がかりがなかったんです」
自分でも正体のつかめない違和感がある。
そして――すべてを語れるわけではない。
それでも今伝えられる部分だけを選び、リュークは神殿に関するわずかな情報を簡潔に述べた。
「もしかしたら、あの封印や影と同じように……神殿も何か関係しているのかもしれません。
このあたりに、“神殿”と呼べるような場所はありませんか?」
村長は腕を組み、しばし黙り込んだあと、ゆっくりと首を横に振った。
「残念だが、この一帯にそんな立派なものはないな。
せいぜい、あの祠や、小さな教会が点々とある程度だ。“神殿”と呼べるような場所は聞いたことがない」
「そう、ですか……」
わずかな期待がしぼみ、胸の中に小さな空洞が生まれる。
だが同時に、「ならばどこを目指すべきか」という問いが、かすかに浮かび上がった。
「……なるほど」
村長は小さくうなずき、湯気の立つカップに目を落とした後、再び顔を上げる。
「ならば、お前さんに勧めたい場所がある」
「どこでしょう?」
リュークは自然と身を乗り出す。その瞳には、さっきよりもはっきりした覚悟が宿っていた。
「商業都市ベルハイムだ」
「ベルハイム……」
「人も物も噂も、あらゆるものが集まる街だ。影獣や封印の情報もそうだが、“神殿”とやらを探すにも、まずはああいう場所を拠点にした方がいい。
行商人も学者も、各地の神殿や教会の話を持ち込む。手がかりを探すには、うってつけだろう」
村長は少し表情を引き締める。
「だが、便利なだけの場所でもない。
力も金も持たぬ者は、簡単に踏みにじられる。噂と嘘と欲が、同じ顔で並ぶような街だ。
それでも行くというなら……覚悟しておきなさい」
ベルハイム――その名を心の中で繰り返しながら、リュークはゆっくりと息を吸い込んだ。
(封印の謎も、黒衣の男も、神殿も……すべて、ベルハイムから追うことになる)
交易と物流の中心地でもある。
そこには多くの商人や冒険者、腕の立つ職人たちが集まる。
情報も、金も、そして新しい災いさえも――すべてが集まる場所。
「ベルハイムへは、どの道を?」
「村の北の街道をたどれ。途中にいくつか集落があるから、無理はするな。
しっかり休みながら行っても、五日もあれば着けるはずだ」
「……分かりました」
リュークは静かに返事をした。その声音には、確かな意志と、わずかな不安が同居していた。
改めてスプーンを取り、冷めかけたスープをひと口すする。
温もりは舌よりも心に残り、ここでの出会いと別れ、そして新たな旅立ちを告げる味となった。
「それと……」
リュークは懐からスキルクリスタルを取り出した。
掌に載せると、青白い光が脈動し、呼吸のように明滅を繰り返す。
「これについて、教えてほしいんです」
村長は一度頷き、椅子の背に体を預けながら、ゆっくりと語り出した。
「スキルクリスタルは、超古代の遺物だ。
特定の力を“封じた”魔法結晶でな……触れて魔力を流し込めば、その力が使用者に“刻まれる”と伝わっている」
「……どうやって使うんですか?」
リュークの眼差しは鋭く真剣だった。
「難しいことではない。
ただ結晶に触れ、自分の魔力を流し込む。それだけで、眠る力が目覚める……と古い記録には書かれておる」
「使用条件や、代償は?」
問いに、村長はわずかに目を細め、沈黙を挟んだ後、首を横に振った。
「わしの知る限り、代償は記されていない。特別な制約もなかったはずだ」
リュークは言葉を飲み込み、黙ってクリスタルの表面をなぞった。
ひんやりとした感触の奥から、“意思”のようなうねりがかすかに伝わってくる。
まるで――彼の存在に応じて震えているかのように。
(……俺は“金貨”を要求された。
だが、村長はそのことを知らない……)
胸の奥に、冷たい疑念が広がっていく。
(スキルクリスタルそのものの性質じゃない……?
それとも、この世界の“当たり前”から、俺だけが外れているのか)
喉の奥がじわりと渇いた。
だが今は、言葉にしない。ただ、記憶の奥底に、その異常だけを深く刻みつける。
「スキルクリスタルから得られる力って……どんなものなんですか?」
「そればかりは、使ってみなければ分からん。
ただ……昔から、戦いに特化した能力が多いとは聞いておる」
村長の声には慎重さと、わずかな畏れが混じっていた。
リュークは小さく息を吐き、結晶をしっかりと握り直す。
手の中で脈動する光は、「今ではない」と告げるように、彼の鼓動と静かに重なっていた。
(いずれ――試す時が来る。その時まで、軽々しく触れるわけにはいかない)
「……ありがとうございます」
「うむ。……気をつけて行くんだぞ。
お前の旅路に、神の加護があることを願っておる」
村長の声は静かだったが、その皺深い顔にはわずかな安堵と希望が滲んでいた。
リュークはクリスタルをそっと懐に収め、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
木の背もたれから伝わる冷えた感触が、妙に現実を引き戻してくる。
けれど、その足はもう止まらなかった。
こうして――リュークの新たな旅路が始まった。
その背には、過去の影と失われた記憶を抱えたまま、しかし確かに前へ進もうとする意志が宿っていた。
次回:小さな村に残した、温もり
予告:進む前に知る、“この場所にしかない”もの
影獣との死闘、封印の崩壊、スキルクリスタルとの遭遇――。
ほんの数日間の出来事とは思えない。胸にのしかかる重さは、何年も戦場を渡り歩いた兵士の記憶にも匹敵するようだった。
広場には、すでに多くの村人たちが集まっていた。
焚かれた松明が夜気を揺らし、その灯りの下で、不安げな人々がざわめきながら彼らを待ち受けている。
「リューク……!」
誰かが名を呼び、群衆から数人が駆け寄ってきた。焦りと恐怖の入り混じった視線が、彼の全身に突き刺さる。
「封印の石は、どうなったんだ?」
リュークは小さく息を整え、重く口を開いた。
「……封印は、すでに破壊されていました」
その一言が落ちた瞬間、広場はざわめきで揺れた。
肩を寄せ合う者、子を抱き寄せる者、顔を覆って震える者――恐怖が目に見える形を取り、人々の声は焦りへと変わっていく。
「人の手で……?」
「じゃあ、また影獣が……!」
空気が一気に張りつめた、そのとき。
「……最近な」
その緊張を割るように、村人の一人が口を開いた。傷だらけの指が膝の上でわずかに震えている。
「旅の商人が妙なことを言っていた。数週間前、村の近くで“黒衣の男”を見たと」
「黒衣の男……?」
リュークの目が細く鋭くなる。
「顔は見えなかったらしい。ただ、村の外れ――祠の方へ向かっていったそうだ」
「祠に……?」
「じゃあ、本当に誰かが封印を……」
「呪いを解き放ったってことか……?」
村人たちのざわめきは、見えない「誰か」への怯えへと形を変える。
目に見えない犯人像が、それぞれの脳裏で勝手に膨らんでいくのが分かった。
(黒衣の男……あの影を解き放った張本人、か)
得られたのは、断片にすぎない。
だが、「誰かが意図的に動いた」という事実だけは、はっきりと刻み込まれる。
リュークはざわめく広場を見渡し、村人たちの不安をまっすぐに受け止めるように、一歩前へ出た。
「影を完全に封じるには、強力な結界の再構築が必要です」
静かに、しかしよく通る声で告げる。
「でも今は、それよりも――まず、この村を守ることです。
黒衣の男の正体を追うにしても、防衛を固めなければ、同じことが繰り返されるかもしれません」
淡々とした言葉の奥に、揺るぎない決意が宿っていた。
その響きに、村人たちは互いに顔を見合わせ、一人、また一人と頷いていく。
「……そうだ。今は、自分たちで守るしかない」
「村長、どうします?」
視線が一斉に集まる。
村長ロッドは深く眉を寄せ、しばし思案したのち、静かに頷いた。
「よし。すぐに見張りを強化する。昼夜交代での巡回を徹底だ」
短く区切り、さらに続ける。
「黒衣の男とやらが本当にいるなら、なおさらだ。武器の点検、防壁の修繕も急がせる。動ける者はすぐに集まれ!」
「「おうっ!」」
村人たちは一斉に動き出した。
松明の炎が大きく揺れ、広場は慌ただしく熱を帯びていく。
その様子を眺めながら、リュークはふっと目を伏せた。
(……少なくとも、今この瞬間は、守る側に回れた)
かすかな安堵が灯る。
だがそれと同時に、痛いほどの実感もあった――今の自分には、まだ力が足りない。
(黒衣の男……必ず突き止める。そのための力も、手段も)
静かに燃え上がる決意が、胸の内側からじわりと熱を広げていった。
けれど、この村のためにできることは、まだある。
そしてそれは、記憶を失った自分という存在を、少しずつ「何か」に近づける道でもあった。
風に揺れる松明の灯りの下。
村は、再び立ち上がろうとしていた。
やがて、リュークは村長の家へと招かれた。
木の匂いが染み込んだ小さな室内に入ると、ほっとするような温もりが迎えてくれる。
古びた椅子に腰を下ろすと、陶器のカップが差し出された。湯気の立つスープから、根菜と香草のやわらかな香りが立ちのぼる。
リュークは無言でスプーンを取り、そっとかき混ぜた。
(……あったかい)
口に含むと、その温もりが張り詰めた肩の力を、ほんの少しだけ解きほぐしていく。
「……すまなかったな、若いの」
村長が、深く沈んだ声で口を開いた。
皺の刻まれた手を膝に置き、正面からリュークを見据える。
「お前さんがいなければ、この村は……影に呑まれていたかもしれん。本当に、感謝している」
「俺は、できることをしただけです」
リュークは静かに返し、スープを一口すする。
熱が喉を伝い、冷え切った身体の芯へとゆっくり染み込んでいく。
「ただ……」
スプーンを碗の縁に置き、リュークは村長へ視線を向けた。
「まだ、やるべきことが残っている気がします」
短い言葉に、重たい沈黙が落ちる。
村長はその意味を汲み取り、目を伏せ、火の落ちかけた暖炉へと視線を向けた。
「……異端に厳しいのはな、この村が滅びかけたことに理由がある」
その声音には、忘れようとしても消えぬ痛みが宿っていた。
「……理由、ですか」
村長は深く息を吐き、記憶を掘り起こすように言葉を紡ぐ。
「昔、この地には“影の呪い”が広がっていた。
村の半分が黒い影に呑まれ、人も家も、輪郭だけ残して塗りつぶされたようになってな……。
その中から這い出してきた連中は、もう『いつものあいつ』じゃなかった。家族同士で刃を向け合うような有り様だった」
静かな声が、暖炉の残り火のように小さく揺れる。
「そのとき現れたのが、“加護なき者たち”だ。
神の加護も祈りも通じぬ者が、独自の力で状況をねじ曲げた。たしかに、影は消えた。だが、その過程で村はさらに壊され、多くの者が命を落とした。
影を祓った先に残ったのは、焼け跡と、戻らない者たちの名だけだった」
だから、と村長は目を細める。
「だから村の者は、それを『救い』とは呼べなかった。
そして――神の外側にいる力を、心の底から恐れるようになった」
リュークはうつむき、スープの残り香と共に、胸に重く沈む言葉を噛みしめた。
この村の「異端への恐怖」は、ただの偏見ではなく、失われたものの記憶だ。
暖炉の火がぱちりと小さく弾ける。
「今後、お前さんは……どうするつもりだ?」
静かな問い。
その声には、ただの好奇心ではなく、選ばなかった過去と、選びたかった未来とが、にじんでいた。
リュークはしばし考え、やがて迷いのない声で答える。
「都市へ向かいます」
「都市へ……?」
村長がわずかに眉をひそめる。驚きと、どこか寂しげな響きが混じっていた。
「資金と情報が必要なんです。
影獣が現れた理由、封印を壊した者の正体……この村だけを見ていても、根本は分からない気がします。
この村を守りたければ、ここを離れてでも、“元を断つ方法”を見つける必要がある。
そのためには、もっと大きな場所で、もっと多くの記録と人に触れないといけないと思うんです」
そこでリュークは言葉を一度切り、迷うようにカップの縁へ視線を落とした。
「それと……もうひとつ、探しているものがあります」
「ほう?」
「“神殿へ”とだけ記された紙切れを持っていました。目覚めたときには、それしか手がかりがなかったんです」
自分でも正体のつかめない違和感がある。
そして――すべてを語れるわけではない。
それでも今伝えられる部分だけを選び、リュークは神殿に関するわずかな情報を簡潔に述べた。
「もしかしたら、あの封印や影と同じように……神殿も何か関係しているのかもしれません。
このあたりに、“神殿”と呼べるような場所はありませんか?」
村長は腕を組み、しばし黙り込んだあと、ゆっくりと首を横に振った。
「残念だが、この一帯にそんな立派なものはないな。
せいぜい、あの祠や、小さな教会が点々とある程度だ。“神殿”と呼べるような場所は聞いたことがない」
「そう、ですか……」
わずかな期待がしぼみ、胸の中に小さな空洞が生まれる。
だが同時に、「ならばどこを目指すべきか」という問いが、かすかに浮かび上がった。
「……なるほど」
村長は小さくうなずき、湯気の立つカップに目を落とした後、再び顔を上げる。
「ならば、お前さんに勧めたい場所がある」
「どこでしょう?」
リュークは自然と身を乗り出す。その瞳には、さっきよりもはっきりした覚悟が宿っていた。
「商業都市ベルハイムだ」
「ベルハイム……」
「人も物も噂も、あらゆるものが集まる街だ。影獣や封印の情報もそうだが、“神殿”とやらを探すにも、まずはああいう場所を拠点にした方がいい。
行商人も学者も、各地の神殿や教会の話を持ち込む。手がかりを探すには、うってつけだろう」
村長は少し表情を引き締める。
「だが、便利なだけの場所でもない。
力も金も持たぬ者は、簡単に踏みにじられる。噂と嘘と欲が、同じ顔で並ぶような街だ。
それでも行くというなら……覚悟しておきなさい」
ベルハイム――その名を心の中で繰り返しながら、リュークはゆっくりと息を吸い込んだ。
(封印の謎も、黒衣の男も、神殿も……すべて、ベルハイムから追うことになる)
交易と物流の中心地でもある。
そこには多くの商人や冒険者、腕の立つ職人たちが集まる。
情報も、金も、そして新しい災いさえも――すべてが集まる場所。
「ベルハイムへは、どの道を?」
「村の北の街道をたどれ。途中にいくつか集落があるから、無理はするな。
しっかり休みながら行っても、五日もあれば着けるはずだ」
「……分かりました」
リュークは静かに返事をした。その声音には、確かな意志と、わずかな不安が同居していた。
改めてスプーンを取り、冷めかけたスープをひと口すする。
温もりは舌よりも心に残り、ここでの出会いと別れ、そして新たな旅立ちを告げる味となった。
「それと……」
リュークは懐からスキルクリスタルを取り出した。
掌に載せると、青白い光が脈動し、呼吸のように明滅を繰り返す。
「これについて、教えてほしいんです」
村長は一度頷き、椅子の背に体を預けながら、ゆっくりと語り出した。
「スキルクリスタルは、超古代の遺物だ。
特定の力を“封じた”魔法結晶でな……触れて魔力を流し込めば、その力が使用者に“刻まれる”と伝わっている」
「……どうやって使うんですか?」
リュークの眼差しは鋭く真剣だった。
「難しいことではない。
ただ結晶に触れ、自分の魔力を流し込む。それだけで、眠る力が目覚める……と古い記録には書かれておる」
「使用条件や、代償は?」
問いに、村長はわずかに目を細め、沈黙を挟んだ後、首を横に振った。
「わしの知る限り、代償は記されていない。特別な制約もなかったはずだ」
リュークは言葉を飲み込み、黙ってクリスタルの表面をなぞった。
ひんやりとした感触の奥から、“意思”のようなうねりがかすかに伝わってくる。
まるで――彼の存在に応じて震えているかのように。
(……俺は“金貨”を要求された。
だが、村長はそのことを知らない……)
胸の奥に、冷たい疑念が広がっていく。
(スキルクリスタルそのものの性質じゃない……?
それとも、この世界の“当たり前”から、俺だけが外れているのか)
喉の奥がじわりと渇いた。
だが今は、言葉にしない。ただ、記憶の奥底に、その異常だけを深く刻みつける。
「スキルクリスタルから得られる力って……どんなものなんですか?」
「そればかりは、使ってみなければ分からん。
ただ……昔から、戦いに特化した能力が多いとは聞いておる」
村長の声には慎重さと、わずかな畏れが混じっていた。
リュークは小さく息を吐き、結晶をしっかりと握り直す。
手の中で脈動する光は、「今ではない」と告げるように、彼の鼓動と静かに重なっていた。
(いずれ――試す時が来る。その時まで、軽々しく触れるわけにはいかない)
「……ありがとうございます」
「うむ。……気をつけて行くんだぞ。
お前の旅路に、神の加護があることを願っておる」
村長の声は静かだったが、その皺深い顔にはわずかな安堵と希望が滲んでいた。
リュークはクリスタルをそっと懐に収め、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
木の背もたれから伝わる冷えた感触が、妙に現実を引き戻してくる。
けれど、その足はもう止まらなかった。
こうして――リュークの新たな旅路が始まった。
その背には、過去の影と失われた記憶を抱えたまま、しかし確かに前へ進もうとする意志が宿っていた。
次回:小さな村に残した、温もり
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帰って来た勇者、現代の世界を引っ掻きまわす
黄昏人
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ハヤトは15歳、中学3年生の時に異世界に召喚され、7年の苦労の後、22歳にて魔族と魔王を滅ぼして日本に帰還した。帰還の際には、莫大な財宝を持たされ、さらに身につけた魔法を始めとする能力も保持できたが、マナの濃度の低い地球における能力は限定的なものであった。しかし、それでも圧倒的な体力と戦闘能力、限定的とは言え魔法能力は現代日本を、いや世界を大きく動かすのであった。
4年前に書いたものをリライトして載せてみます。
老衰で死んだ僕は異世界に転生して仲間を探す旅に出ます。最初の武器は木の棒ですか!? 絶対にあきらめない心で剣と魔法を使いこなします!
菊池 快晴
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10代という若さで老衰により病気で死んでしまった主人公アイレは
「まだ、死にたくない」という願いの通り異世界転生に成功する。
同じ病気で亡くなった親友のヴェルネルとレムリもこの世界いるはずだと
アイレは二人を探す旅に出るが、すぐに魔物に襲われてしまう
最初の武器は木の棒!?
そして謎の人物によって明かされるヴェネルとレムリの転生の真実。
何度も心が折れそうになりながらも、アイレは剣と魔法を使いこなしながら
困難に立ち向かっていく。
チート、ハーレムなしの王道ファンタジー物語!
異世界転生は2話目です! キャラクタ―の魅力を味わってもらえると嬉しいです。
話の終わりのヒキを重要視しているので、そこを注目して下さい!
****** 完結まで必ず続けます *****
****** 毎日更新もします *****
他サイトへ重複投稿しています!
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
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クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
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