【メモリーバンク】記憶ゼロの俺が、量子の魔法で世界を変える ~封じられた過去が今、再構築をはじめる~

カイワレ大根

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第5章

第97話 封印の祠に続く光

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 塔の空間は、深い静寂に包まれていた。

 詩の旋律が消えたあとも、その最後の響きだけが、まだ空気に残っているようだった。
 影のようだった存在は、ただその場に立っていた。
 もう揺れていない。
 霧のように曖昧だった輪郭は、いつの間にか、はっきりとした形になっている。

 ただ――その“顔”は、まだ伏せられたまま。
 こちらを見ようとはしなかった。

 リュークは、静かに一歩を踏み出した。
 その足音が塔の床に吸い込まれると同時に、空気が微かに震える。
 視界にはまだ、量子視覚の名残――光の残滓が淡く漂っていた。

 それはすでに解析すべき対象ではない。ただ“そこにいる”と、理解できる輪郭を持った存在。
 もはや、逃げるでも、拒むでもない。
 今この瞬間だけは、確かに“触れられる”ものとして、彼の前に在った。
 
「……お前は……俺が視たものだ」

 リュークの声は、かすかに震えていた。だが、それは迷いではない。
 過去に向き合う覚悟が、その言葉に宿っていた。
 
「記録には残らなかった。 でも……確かに、そこにいた。俺は、それを視て……けれど、目を逸らした。 だからお前は、そこで止まったままだったんだよな」
 
 その言葉が届いたのか、影の輪郭が――ほんのわずかに揺れた。
 空間の気配が変わる。

 どこか遠くで、ピシ……ッと細く石が割れるような音が響いた。
 それは塔の記憶が、かすかに“解凍”されていく合図のようだった。

 リュークは、わずかに息を整えると、まっすぐ影を見据える。
 
「もう……消えなくていい」
「誰かに視られることが、“存在する”ってことなら――俺は、視た。
 それだけは、確かだから」
 
 その瞬間、影の“顔”にあたる部分が、ゆっくりとこちらを向いた。
 そこに瞳があるのか、それすら曖昧な造形。

 だがその動きには、どこか懐かしさすら滲んでいた。
 冷たくもなく、敵意もない。

 ――ただ、ようやく見つけられたことへの安堵。
 それが、わずかに宿っていた。
 沈黙のなかで、塔の床が静かに発光を始める。
 白く、淡く、まるで呼吸するように光が足元から広がっていく。

 塔全体が、それに静かに呼応するように、かすかに軋んだ。
 その光は静かに点滅しながら、低くズゥン、ズゥン……という振動を床に伝えていく。
 壁の刻印も、僅かに軋むような音を立てながら変化を始めた。

 影は――何も語らず、一歩も動かぬまま。
 その身を、塔の構造そのものへと“還していった”。
 輪郭が薄れ、身体が粒子のように分かれていく。

 その粒子が音もなくパラパラと舞い、静かに、床や壁へと染み込んでいった。
 それは拒絶や消滅ではなかった。
 むしろ、“ようやく受け入れられた”という感覚に近かった。

 塔の記憶が、彼の存在を受け入れたのだ。
 名前もなく、記録にも残らなかったその姿が――
 今、ようやく*ここにいる*という、確かな証を得たのかもしれない。
 
「……これで、いいんだよな」
 
 リュークは、ぽつりとつぶやいた。
 その隣には、ルミエルが静かに立っていた。
 言葉はなかったが、その存在がすべてを語っていた。

 シャドウファングが、一度だけ尾を揺らす。
 床に小さな音が、

 トン……

 と響いた。
 塔は、もう何も語らない。
 ただ、静かに――何かを受け止めたように、そこに在り続けていた。

 ◆因果記録層への繋
 敵の姿が完全に消えたあとも、塔の中はしばらくのあいだ静まり返っていた。
 ただ、壁に新たに浮かび上がった文様だけが、淡い光を帯びて、規則的に脈動していた。
 やがて、その中心から――一粒の光が、ふわりと宙に浮かび上がった。
 
「……あれは……?」
 
 ルミエルが、小さくつぶやく。
 光は、意志を持つようにゆらめきながら、リュークとシャドウファングの間に漂った。
 どちらに属しているとも言えないのに、不思議と“どちらにも関係がある”ような気配を放っていた。

 まるで、何かを語りかけようとしているような、あるいは誰かの言葉を待っているような――そんな静かな存在感だった。
 
「……これ、お前の……?」
 
 リュークが視線を落とし、傍らの影狼に問いかける。
 シャドウファングは答えず、ただ目を細め、じっと光を見つめていた。

 リュークは、そっと手を伸ばす。
 その指先が光に触れた瞬間――

 バチッ。

 微かな放電のような刺激が走り、視界が、音もなくひっくり返る。
 胸の奥に、断片的な映像が流れ込んできた。

 ──夜の森。黒く濡れた大地。古びた石の祠。
 ──誰かの声。

「……観測されぬ者にして、影より来る者……」
 
 ──封印。檻。遠くに響く狼の咆哮。
 ──“視た者が死ぬ”と噂された、正体不明の存在。

 映像の中で、空気は重く、湿った匂いが鼻腔に広がった気がした。
 遠雷のような低音が地の底から響き、誰かの足音が祠を離れていく。

 ……そして、映像は途切れた。
 けれど、リュークにはわかっていた。

 今のそれは、ただの記録ではなかった。
 どこかで“見落としてきたもの”。
 ずっと誰にも視られず、忘れ去られたまま残っていた“痕跡”だった。
 
「……あれは……」
 
 言葉にならない感覚を整理しようとするように、リュークが呟く。
 
「今の……あの村のこと、知ってる。でも、なぜ知っているのかが分からない」
 
 ルミエルの声に、シャドウファングが低く吠えた。
 その唸りには、どこか懐かしさと、警告のような緊張が混じっていた。

 その名もなき祠――
 リュークが最初に立ち寄った村の外れにあった、あの奇妙な石造りの構造物。
 当時は意味も仕組みも分からなかった。

 だが今なら――違って見える。
 西の高地の封印の石碑で見た記憶、塔での体験を経た今なら、“あの場所”に何があるのかが分かる気がする。

 そのとき、床面にピリッとした震動が走り、足元に光が閃いた。
 塔の中央――静かに回転していた円環の装置がわずかに軋む音を立て、中央から新たなウィンドウがゆっくりと浮かび上がる。

 ──【観測ノード補完:完了】──
 ──【アクセス権限付与:照合層 因果リンク・ノード】──
 
「……記録じゃない。“繋がり”だ……」
 
 リュークが呟いたその声には、静かな確信が滲んでいた。

 ルミエルも息を呑み、何かを悟るようにそっと頷く。
 シャドウファングが一歩、前へと進む。

 その黒い足元に、わずかに淡く揺らぐ紋章が現れた。
 それは――以前、祠の壁に刻まれていたものと、まったく同じだった。
 
「……あの場所に、戻る必要があるみたいだな」
 
 リュークの言葉にこもる決意が、空気をわずかに震わせる。
 今度こそ、あの祠の“本当の中身”に触れるときだ。

 それが、何を意味するかはまだ分からない。
 だが、そこに“繋がり”があることだけは、はっきりしていた。
 
「……その前に、一度ギルドへ戻ろう。ガルドたちと合流して、報告も必要だしな」
 
 静かに、それでいてはっきりとした一歩が床に刻まれる。
 ルミエルも、シャドウファングも、静かに頷いた。

 塔の中は、再び沈黙に包まれていた。
 けれど、その静けさは“終わり”ではなかった。
 深く、静かに蠢くような“呼吸”の気配が、構造のどこかから漂っていた。

 あの祠の底には、まだ触れられていない“記憶”がある。
 それだけは、三人の中で、確かな実感として残っていた。


 次回:塔の静寂、導く夢――欠けた印章の呼び声
 予告:塔の振動が止む頃、再会の安堵は束の間――夢が“鍵穴”を映し出す。
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