【メモリーバンク】記憶ゼロの俺が、量子の魔法で世界を変える ~封じられた過去が今、再構築をはじめる~

カイワレ大根

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第6章

第100話 静寂の街に揺らぐ兆し――黒狼の影が語るもの

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 塔での戦いから帰り着いたリュークたちは、それぞれの場所で短い休息を取っていた。

 リュークは布団に身体を預け、静かな街の音に耳を澄ませていた。
 夜の街は、この街らしく、いつも通りの喧騒に包まれていたはずなのに――どこか、ほんのわずかに“ずれている”ような、そんな奇妙な感覚があった。

 そのとき、シャドウファングが窓辺の暗がりに向かって低く唸り声を上げ、唇を鳴らした。
 
「どうした、シャドウファング」
 
 リュークが声をかけるが、視界に映る限り、そこには誰の気配もなかった。
 だが、爆発寸前のように張り詰めた空気は、ただの警戒とは違う、“何か”を察知した動作であることを如実に物語っていた。

 一方でルミエルは、床に腹ばいのまま、淡く光を帯びた風魔法を指先でくるくると転がしていた。
 生成された小さな風の渦が、精霊のように彼女の頬をかすめ、ふわりと髪を揺らしていく。
 
「ふふっ、風って、見えないくせに、ちゃんとここにいるんだよね……」
 
 呟く声とともに、彼女の口元から、静かに詩のような響きが漏れる。
 
「……la luz que nunca duerme……時を超える、光の残響……」
 
 意味の断片に過ぎないはずのその旋律は、どこか時の奥底に響く“鍵”のようにも感じられた。
 重なるはずのない言葉の連なりが、しかし確かに、黒く曖昧な形を持つ“存在”の最低層へと届いていく。

 空気がわずかに震え、音もなく空間が揺らいだ。
 その瞬間、リュークがぼそりとつぶやいた。
 
「……また、何かが始まりそうだな」
 
 黒く、しかし温度を持たない、輪郭すら曖昧な潮のような流れが――
 深部から、静かに姿を現し始めていた。

 その静寂は、まるで弓を絞る直前の、呼吸さえ躊躇われる一瞬のようであり――
 音もなく、確かに“物語”は歩を進めていた。
 やがて、空気がふっと震えた気がして、リュークはぽつりと呟く。
 
「……そろそろ、整理しないといけないかもしれないな」
 
 ルミエルが身を起こし、ふわりと宙に浮かびながら、静かに彼の隣へと寄った。
 
「何を?」
 
「地下水道でのこと。 塔の中で視た“影”……そして、君が詩を口ずさんだときに起きた反応。 全部、偶然とは思えない」
 
 ルミエルは静かに頷いた。胸元で揺れるペンダントが、ランプの明かりを微かに反射して光る。
 
「……あれは、“記憶”と何かが繋がってた。 全部じゃないけど……知ってる気がしたの。確かに」
 
「……俺も、“何か”を視ていた。 けど、記録はされていない。 思い出せもしない。 ただ……消えたわけじゃない」
 
 シャドウファングが足元で一度、低く唸る。まるで二人の言葉に頷くように。
 リュークは視線を窓の外へ向けた。夜の街並みが、ゆるやかに息づいている。
 
「そういえば……ギルドの資料室に、“都市下層構造の古い地図”があったはずだ。 地下水道の層を詳しく記したものが」
 
「そこに、何か手がかりが?」

「……あの戦いの直前、立ち入った区画――記録にある構造と微妙にズレてた。 床の傾斜、壁の継ぎ目……すべてが“後から上書きされた”ような感覚があった」
 
 ルミエルは小さく笑みを浮かべた。
 
「じゃあ、明日行ってみよう。 資料室。……気になるものが、きっと見つかる気がする」
 
 リュークは静かに頷き、肩にかけた布を引き寄せる。
 
「……静かなうちに、な」
 
 その声には、微かな緊張と期待が入り混じっていた。
 外では風が小枝を揺らし、シャドウファングが一度だけ尾を振った。
 夜はまだ明けない。けれど、確かに“次”が動き始めていた。


 ◆記録されなかった地図
 静かな昼下がり。
 ギルドの資料室には、ページを捲る乾いた音だけが響いていた。

 リュークは一冊の古地図帳を前に、静かに眉をひそめた。
 開かれた地図の一角――地下水道の層を示すはずのページに、不自然な“塗り潰し”がある。
 
「ここ……なんだ? 他の部分は詳細に記されてるのに、ここだけが……」
 
 インクの色が違う。後から加えられた処理。隠したのか、消そうとしたのか、それすらも判断できない。指でなぞると、紙の繊維が微かにざらついた。
 
「その部分、昔からだよ」
 
 振り返ると、ギルドの文書管理をしている若い職員が、椅子に座ったままリュークを見ていた。
 
「封鎖された“井戸区画”だって噂だけど、詳細は上層しか知らないって話。 僕ら一般スタッフには閲覧禁止扱いさ。 ……まあ、好奇心はほどほどにな」
 
 冗談めかした笑いを浮かべていたが、どこか釘を刺すような空気が漂っていた。
 リュークは曖昧に頷きながら、地図の塗り潰された領域をじっと見つめ続ける。

(そこに、何がある……? “観測されない”空間か……)

 そのとき。
 
「そこ……知ってる」

 不意に、背後から声がした。
 ルミエルが、静かに地図を覗き込んでいた。
 
「……? 何の話だ?」

 リュークが問うと、彼女はゆっくりと首を振った。
 
「分かんない……でも、この形。夢の中で何度も見た気がするの」
「地面に紋様みたいなものがあって……その先に、入口が……あった気がして……」
 
 声の奥に、確信ではない“予感”のような揺らぎが宿っていた。
 それは明確な記憶ではなく、夢と記録のあいだで混じり合った何か。

 リュークは言葉を失い、地図の塗り潰された領域に視線を戻す。

(記憶と夢の境界が溶け始めている……。これは――記憶干渉の兆候か?)

 ルミエルは、地図の一角にそっと指を当てた。

「ここ……何かがある気がする。」
「本当は“ここ”じゃなかったのかもしれないけど……でも、誰かが待ってるって、そんな気がするの」
 
 指先がかすかに震えていた。
 リュークはその様子を見つめ、静かに息を吐いた。
 。
 記録されていない場所。残されていない情報。それでも、確かに“何か”が彼らを呼んでいる。
 
「ルミエル、……確認してみよう。記録されなかった場所に、真実があるかもしれない」
 
 その瞬間、資料室の窓の外に、雲の影がさっと横切った。
 まるで、地図に残らなかったその領域に、何者かが目を向けたかのように。
 ——影が、動き出していた。


 ◆不協和の目覚め
 酒場のざわめきは、どこか鈍く籠っていた。
 夕暮れの光が傾き、街に柔らかな影を落としはじめたころ、リュークとルミエルはギルド近くの小さな酒場《風の杯亭》の隅にいた。
 木製の椅子がわずかに軋み、燻された空気の中で、控えめなランタンの光がテーブルを照らしている。

 テーブルの向こうでは、別の冒険者たちが半ば冗談、半ば怯えたような声で噂話を交わしていた。
 
「なあ、本当にいるのか? あの“古井戸”の話……」
 
「馬鹿言え。見たんだよ、俺は。井戸の縁に立ってたあいつ、次の日には影も形もなかった。荷物も装備も、そのままだぜ」
 
「上層が隠してるって噂もある。 地下水道よりさらに下層の“井戸区画”……記録されてねぇ場所だってよ」
 
「だからって、あんなとこに近づく奴が悪い。 あれは……“呼んでる”んだよ。 下の何かがな……」
 
 その言葉に、シャドウファングがピクリと反応した。
 窓辺の影に潜むように伏せていた体が、わずかに低くなる。
 その動きにはただの警戒ではない、“感知”した者特有の緊張が走っていた。
 
「……シャドウファング?」
 
 ルミエルが小さく声をかけると、狼は静かに彼女の方を向く。
 その双眸には、理性ではなく本能のざわめきが浮かんでいた。

(……今の会話の中に、奴の“知ってる何か”があった)

 リュークは無言のまま立ち上がり、グラスを音を立てずに置いた。
 静かだったが、その動作には明確な“意志”があった。
 シャドウファングの“感覚”が騒ぐ時――それは、ただの噂話で済まされる話ではない。


 ◆影に咲く兆し

 シャドウファングの視線は、窓の外の路地へと注がれていた。
 その金色の瞳は、一点を凝視したまま、微動だにしない。

 まるで“何かを見ている”かのように――いや、“かつてそこにあった何か”を追いかけるようだった。

 リュークがその異変に気づいたときには、すでに狼の体がゆっくりと立ち上がっていた。
 椅子の脚が軋む音にさえ反応せず、ただ、静かに扉の方へと向かっていく。
 
「……どこへ行く?」
 
 問いかけに返答はなかった。
 ただ一度だけ、尾がかすかに揺れたかと思うと、シャドウファングは足音を残さず、すっと扉の隙間へと消えていった。
 獣のような静かさで、夜の空気へと溶け込むように。

 リュークは軽く息を吐き、手元のグラスを無造作に置いた。
 そして立ち上がり、コートを肩にかけると、迷わずその背を追う。

 外の空気は思ったよりも冷たく、風が乾いた舗石を舐めていた。
 雲の切れ間から差し込む月光が、青白く路地を照らし出す。
 足音はなかった。
 けれど、リュークにはわかっていた――

 シャドウファングが、どこへ向かっているのか。
 やがて辿り着いたのは、街外れの狭い裏路地。
 崩れかけた石壁が、無言でそこに佇んでいる。
 風が吹くたびに、壁面の古びた蔦がさわり、乾いた“バサリ”という葉擦れ音が耳を撫でた。

 その前に、シャドウファングの黒い影が佇んでいた。
 鼻先をわずかに掲げ、じっと何かを見つめている。

 リュークが視線を向けた先――
 それは、石壁の表面に刻まれたかすれた紋章だった。
 誰もが気にも留めない、雨と風に晒され、半ば消えかけた装飾の一部。

 だが、リュークは気づいた。
 それは、かつて祠で目にした“封印の印”に、酷似していた。
 
「……思い出そうとしてるのか」

 誰に向けるでもなく呟いたその言葉に、シャドウファングがわずかに首をかしげた。

 そのときだった。
 影が――揺れた。
 黒狼の背から、もうひとつの“影”が、じわりと滲み出すように現れる。
 輪郭は曖昧で、霧のように揺らめいていたが、それは明らかに“シャドウファングではない何か”だった。

 空気が変わった。
 気配が、違う。
 嗅ぎ慣れた影の香りとは異なる、鋭さと冷気を帯びた存在感。
 それは、怒りとも痛みともつかない、刺すような違和感を放っていた。

 リュークが思わず一歩、前へ踏み出そうとした――その瞬間。
 影はふっと霧散し、黒い狼の輪郭へと溶け込むように戻っていった。

 シャドウファングは一度だけ、深く喉の奥で唸るような音を鳴らす。
 その低くくぐもった響きは、空気の奥底にまで震えを伝えた。
 
「……主よ」
 
 それが“外の空気”に漏れた声だったのか、リュークの意識に直接響いた“内の声”だったのか――判然としない。

 だが、確かに聞こえた。
 
「視られぬ記憶に触れれば……お前もまた、崩れる。」
「我らは、まだそれに“耐えうる形”ではない」
 
 静かな語り口に潜むのは、警告。
 あるいは、自らにも言い聞かせるような、震える告白だったのかもしれない。
 リュークは言葉を失い、ゆっくりと視線を伏せた。

(……お前も、“視られたくない記憶”を抱えているのか)

 彼は歩を進め、そっとその背に手を添えた。
 指先に伝わる感触は、温かく、けれどどこか脆い――そんな印象を伴っていた。

 シャドウファングは振り向かない。
 ただ、かつて紋章があった石壁の一点を、じっと見つめ続けていた。

 次回:古井戸の封印――量子視覚が暴く“未記録の区画”
 予告:古井戸に隠された封印が、静かに軋みを上げる。
 そこに記されたものは、ただの水路跡か――それとも“観測されなかった真実”なのか。
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