令嬢は魅了魔法を強請る

基本二度寝

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(馬鹿だ。馬鹿だった)

シュラブは走った。
自室でみつけた古い指輪を握りしめて。


婚約が決まった時に、互いに贈りあった揃いのもの。

揃いのものとあって、他の令嬢の前でつけたことはない。

浮気相手の令嬢に慰めてもらおうと、装飾箱の隅に転がるそれに気づいて、手に取ると昔の記憶が蘇ってきた。

恥ずかしそうなミファセスの姿に、照れた自分。

初対面では互いに上手く話ができなかった。

指輪をぎゅっと握りこめば、ミファセスとの淡い思い出が巡り、シュラブの目尻から涙が零れた。

今、仲を深くする令嬢達にはこんな気持ちを持ったことはない。
ふわふわとした、心が温かくなるような、うまく言い表せない気持ち。

どうして忘れていたんだろう。
確かにシュラブはミファセスを愛していた。
誰にも取られたくないと思うほど。

今すぐ彼女に会いたい。
しかし、侯爵家の馬車は使えなかった。
兄が学園の通学以外には使わせるなと御者に命じていた。

翌日までじっとはしていられなかったシュラブは、伯爵家に、ミファセスの元へと走った。


顔なじみの伯爵家の門番は、シュラブに気づくと顔をしかめ、追い払おうとする。

「違うんだ。思い出したんだ」

支離滅裂にミファセスに会いたいことを伝えたつもりだが、門番は首を横に振る。

「何事?」
「アトラクト様」

「お前はっ!」

伯爵家の屋敷から出てきたのは、有名な変人魔法師だった。

どうして伯爵家にと、疑問はすぐに解消された。

「俺のミファに付きまとってる、婚約者のヤツか」

「俺のミファ…だと?」

「俺のミファ、だ。もうすぐ俺の嫁になるのだから」

すでに、ミファセスが新しい婚約を結んでいたことにシュラブは目を見開く。

「っ違う!婚約者は私でっ……!」

冷たい目で見下されるとシュラブは口を噤む。

「…なるほど。その手にあるのはミファの…了の残渣か。過去のものでも腹立たしいな。取り払おう」

魔法師は手で周囲の何かを払うように扇ぐ。
ゆっくりと記憶にあったミファセスとの思い出たちが薄らいでいくような感覚に陥った。

「?!なんだ、止めっやめろっ!」

「…しぶといな」

シュラブの抵抗に、魔法師が眉を寄せる。
やがて諦めたように手で扇ぐのをやめると、シュラブに取引を持ちかけた。

「そんなにミファセスが欲しいのか?」
「もちろんだ!彼女は私のっ」

魔法師の口角がくっと上がる。

「なら、俺に従え。了承するならお前の名を言え」

「…本当に、彼女を…?」

「早くしろ。俺の気が変わらぬうちに」

「シ、シュラブだ!」

「シュラブ」

魔法師はシュラブに向かって手をかざす。

「お前はミファセスを愛しているな?」
「もちろん、だ」

ぼぉっとしてきて意識が歪む。

「大事な大事なミファセス」
「だ、いじな…」

頭の中にミファセスの姿が現れて…

「だが、それは本当にミファセスか?」
「…え…?」

とたんに、頭の中のミファセスの顔が見えなくなっていく。
シュラブは握ったままだった指輪を落とした。

「お前が想っている女は、いつも側に侍っていた女だったのではないか?」

違う、と否定したいのに声が出ない。

思い出される昔の記憶に、恥じらうような女の顔。
シュラブが組み敷いた女の顔に差し替わり、彼女の思い出が次々と巡る。

「お前のの顔は、どんな顔をしているか、思い出したか?」

「私の…

何度も口づけ、あっさり身体を開いた女の顔。
俺に甘える彼女が、ミファセス…?
違うという声と、そうだという声がぶつかる。



名を呼んでみれば、シュラブの頭に浮かぶ女の顔は、悩ましげな声で啼く女のもので…。

キスすらしたことのなかった婚約者の顔は現れず。
婚約者…?

「お前の大事な女が誰だったか?」
「私の大事な」

「さぁ、早く彼女の元へ行ってやれ。お前のことを待っているさ」

遊びだと割り切っていた令嬢の元へ、シュラブはぼんやり足を向けていく。

「ミ、ファセス」

シュラブが何度呼んでも出てくるのは、その女の顔で、温かかった記憶の彼女の顔もその女の顔になり…。

違う、違うと心は否定しているのにミファセスと呼べば呼ぶほど、記憶のミファセスは塗り替えられていく。







ーーー

アトラクトは落ちている指輪を拾い上げると、炎で焼いて塵にした。


「どうぞ、俺らの関わりのないところでお幸せに」

アトラクトは門番を労うと、また屋敷に戻っていった。
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