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王子は妄想の中

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「エーラ、結婚してほしい」

この国の王子サルシアンは、人の多い中、一人の娘に向かって叫んだ。
片膝をついて、指輪を差し出す。

ヒューと囃したてる声も僅かにはあったが、それよりも。

「Aランチ2つね。少々お待ちください、あ、はーい行きますー」

「エーラちゃんこっちも、AとB大盛り一つ」
「了解でーす」

昼時の時間帯、書き入れ時のこの時間の小さな食事処は、大変混雑していた。

「エーラ…」
「あーお客様、そんな所に座り込んだら他のお客様の迷惑なので、ちゃんと並んでください」

エーラと呼ばれるこの店の看板娘は、良い笑顔でサルシアンを店の外に並ぶ列の最後尾を指差した。

「いや、しかし…私は君に求婚を」

「今月入って三人目だな!エーラちゃん」

エーラとサルシアンのやり取りをみていた常連客の男が、運ばれてきた食事を掻き込みながら、エーラを冷やかす。

「エーラちゃんは罪作りだねぇ」
「そんなもの作ってませんし」

親しげな男とのやり取りに、サルシアンはモヤモヤとする。
先程の他人行儀な振る舞いといい、何故だ、と。


すごすごと行列に並び、再びエーラに求婚をしてみたが、

「…お食事ではないのですか?ならば申し訳ないのですが…」

と丁重な謝罪とともに、店から放り出された。

サルシアンの胸ほどまでにしか背丈がない小柄なエーラの何処にそんな力があるのかと思わせる程、あっさり外に追い出された。


「エーラちゃん良いのかい?さっきの奴、どっかのお貴族様みたいな格好してたけど」
「本物のお貴族様がこんな庶民の食事処に来るはずないじゃない。イタズラか同業者の嫌がらせでしょ」

ピシャリと閉められた扉越しに聞こえる会話。

ーーー
城下にある、平民区画の小さな店。

教育の息抜きのつもりで城下に潜り込み、お忍びで入ったその食事処で、給仕のエーラにサルシアンは心惹かれた。

何度も通い、笑顔を見せてくれるようになって、サルシアンは彼女を妃にしたいと思った。
辛い帝王教育の癒やしとなって欲しかった。

しかし、忍んで通っていた時とは違う衣装のせいか、エーラはサルシアンを初対面との人物のように接した。

いや、サルシアンとエーラの初対面はもっと穏やかだった。

『おつかれのようですね』

食事のあと、疲れで突っ伏したサルシアンに、そっと温かいお茶を差し出してきた彼女。

ーもう一度、きちんと話せばー…

ーーー

「仮に本物の貴族だとして、平民に求婚するなんてなにか裏があるに違いないじゃない」

「そうだなぁ、大凡愛人になれって所か?」

扉の向こうの会話にサルシアンは首を振る。
こちらの身分を明らかにするために、この衣装を選んだ。

平民なら、目の前に王子が現れたら歓喜するだろうと考えて。
喜んで求婚を受けてくれると思っていた。

裏などない、純粋にエーラを愛しただけなのだ!

扉に手をかけようとしたところで後ろから声がかけられた。

「あの、今日のランチは終わってますよ」

扉に掛かるプレートを指差して、サルシアンに教える少年。
買い物帰りだろう紙袋を片手で持ち、サルシアンよりも少し年下であろう少年は、想い人のエーラに少し面立ちがよく似ていた。
姉弟だろうか。

「いや…私は」

少年がサルシアンの手にある指輪の箱を見て、何かを察したように、肩を竦めた。

「それはエーラに、ですか?」

はぁとエーラ似の少年が息を吐く。

「何故、君にそんな態度を取られねばならないんだ」

腹立たしく、顔を歪めてみせると、違うと少年は首を横に振った。

「エーラは俺の母で、もう三十を過ぎてます」

「………は?」

「見た目が少女みたいに若いですが、五人の子持ちで、ちなみに僕は次男です」

「な、なにをばかな」

まだ、十六、七にしか見えないエーラが、子持ち…?
しかも五人の…。

「冒険者だった父が、はぐれた小人族の母を拾って一緒になったらしいです。小人族の成長は十五をすぎると緩やかになるそうです。
身を固めてこの地で食事処を始めて二十年。見た目の変わらない母の事は巷では有名ですよ。
男は母目当てで、女性は母の姿に若さの秘訣がここの食事にあるのだと思って」



サルシアンは扉の前を、少年に譲る。
会釈をして、少年は店の中に入っていった。

「ただいま。母さんまた求婚されたんだって?」
「やだ、どこで聞いたのよ。すぐ追い出したのに」
「食後のお茶を提供するとき、無意味に笑顔振りまかないほうがいいんじゃないの?だから勘違いされるんだよ」
「笑顔は接客の基本でしょー?お仕事よ」

聞こえていた会話に、踵を返した。
店を離れ王族の衣装で城下を歩き、多くの目を引いたが、それを気にする余裕はサルシアンにはなかった。




ーーー
「サルシアン殿下は失恋された、とか」

サルシアンの元婚約者ミラリンテは、サルシアンの兄カディグと婚約した。
妃教育を無駄にはしたくないとう王妃の意向だが、サルシアンよりも年の近いカディグの方が、ミラリンテは好感が持てた。

サルシアンと違い、カディグはちゃんと自分の立場を知っている。
側妃の子のカディグには、サルシアンが生まれた時点で国王補佐の道を自ら選んだ。
本人もそのつもりで生きてきたのに、まさかの事態だ。

「恋の相手は人妻だったらしい」
「まぁ…事前に調査されなかったのですか…?それに、平民、ですか?」
「平民でも妃にできると…思っていたらしい。サルシアンの教育係を変更する必要があるかもしれないな」

ミラリンテは曖昧に微笑む。
それは、…教育係が気の毒だなと。


サルシアンは自分の都合のいいことしか聞かないし、認めない。
すこし、妄想癖のある少年だった。

自分の方が能力が高いから、兄のカディグではなくサルシアンが王太子となるのだと思い込んでいた。

サルシアンが王太子有力候補となっていたのは、公爵家の令嬢を妃に迎えることが決まっていたからだ。
その令嬢との婚約を解消したのだから、…サルシアンを支える後ろ盾はなくなった。

ミラリンテがサルシアンに惚れて婚約者に収まっていたのだと勘違いしていた彼の態度には、辟易していた。

「…まぁ、カディグ様が王となれば、サルシアン殿下は好いたご令嬢と一緒になれるわけですし…これはこれでよろしかったのでは。平民の人妻は、流石に無理でしょうけど」

「そうだな」

婚約者同士、政略的な婚約となった二人だが、今まで持てなかった婚約者を大事にしたカディグと、サルシアンにはされなかったミラリンテを尊重するカディグとの仲は、自ずと深まっていった。

義兄の結婚式、その愛される花嫁の姿に一目惚れをしたサルシアンが、求婚を始め、国王の拳骨を食らって退場した義弟を呆然と見つめて、カディグもようやくサルシアンの本性を知り、呆れて果てた。

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