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第一章
渇望
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「いつ見てもすごいなあ、あの神殿は」
民がひとり、また一人と遠くの空を見上げて頭を垂れる。日に一度は神殿に向かって頭を下げる決まりだからだ。
おおよそ全長八〇〇メートル、幅一〇〇メートル。聳え建つ三角錐のタワーは、朱色の石が規則正しく重ねられたシンメトリーで、この国のど真ん中に堂々と存在する。だがその神殿に近づくことは叶わない。近づこうとも遠ざかり、そこに在るようで存在しない。それがこの国のシンボル、マアタルク神殿である。
イシスたち“神”はこの神殿で、ほとんどの時間を過ごす。儀式や言付けがあるときだけ、人間が生活をする“下界”へと降り立つのだ。
「父上。お願いがあって参りました」
次の日、イシスは『主』であるゲブの元を訪れた。同神殿内、ジェロスの部屋は一階で、主と呼ばれる大地の神ゲブは、最上階である四階に王室を持つ。神殿内には『瞬間移動の陣』が各所に置かれ、部屋から部屋への移動はその陣に乗ることで可能となる。
イシスの第一声を聞いたゲブは、面倒くさそうにため息をつく。
「イシス、そなたも大変よのう。ようもまあ毎度毎度ジェロスのために尽くすものだ」
「もう母上の元にいらっしゃらなくなってから、ひと月ほどになります。本日こそ、父上のお時間を母上にいただけませぬか。この通りです」
頭を下げるイシスを、ゲブは頬杖を突きながら見下ろした。少しの沈黙の後、口を開く。
「いやだ」
「何故です」
「ヌトを愛しているから」
イシスは顔を上げ、一瞬切なげな目を見せたが、すぐに元の真顔に戻った。
「母上のことはもう愛していないと言うのですか」
「そうだ」
「ではなぜ神殿に母上の部屋を? 好いていないのなら、解放して差し上げても良いのでは?」
その時、小さな地響きがイシスの足元を揺らした。
「分をわきまえよ」
ゲブの冷たい表情に、イシスは再び頭を下げる。すると揺れが治った。
「ジェロスがこの神殿に身を置かねばならぬ理由は、そなたが一番よく分かっておろう。ヌト同様、ジェロスはそなたら神を生んだ。人間を創り出す大事な神だ。その母としての責任を、ヌトとジェロスには一生取ってもらわねばならぬ。この神殿で、永遠に」
「ならばせめてっ……」
せめて愛して差し上げてほしい
イシスはその言葉を喉元で押さえ込んだ。
「せめて、なんだ」
「……なんでもございません。失礼します」
イシスは王室を出ると、その足で神殿内のオアシスに向かった。
砂漠の中心に構える神殿の中庭には、新緑の木々が池を囲み、様々な花の咲くオアシスがある。イシスはたいていの時間をそこで過ごしていた。なぜならオシリスが一番好む場所だからだ。池のほとりにいつもの大きな背中が見え、イシスはその隣に腰を下ろした。
「父上の元に行ってみましたが、今宵も母上の所には来てくれそうにありません」
「……」
「また母上は心を痛めてしまう。我にはなにもできない、不甲斐ない娘です」
「……」
なにも言わないオシリスの隣で、イシスはひたすら前を見据えていた。
「ねえオシリス。今の我の寿命が尽きたとき、もう転生はしないで欲しいと望んだら、そなたは怒るか?」
「……」
返ってこない返事に、イシスは微笑む。
「怒ろうな。そんなことをしては、そなたがひとりぼっちになってしまう」
ふと、オシリスは黙ったまま右手をゆっくり上げた。
そこには木の枝の先に作られた巣の中で、親鳥が雛鳥に餌をあげる姿があった。
「親の責任……」
ネフティスにはああ言ったが、ジェロスにはもう自分達への愛情などとっくに失われていることに、イシスは気がついていた。ジェロスはゲブに見初められたあの日から十数年、ずっと孤独に生きてきた。身を着飾り、知識を身に付け、血を吐くほどの儀式にも耐え続けた。なぜなら——
ジェロスはこの神殿で力を持つ、唯一の人間だからだ。
民がひとり、また一人と遠くの空を見上げて頭を垂れる。日に一度は神殿に向かって頭を下げる決まりだからだ。
おおよそ全長八〇〇メートル、幅一〇〇メートル。聳え建つ三角錐のタワーは、朱色の石が規則正しく重ねられたシンメトリーで、この国のど真ん中に堂々と存在する。だがその神殿に近づくことは叶わない。近づこうとも遠ざかり、そこに在るようで存在しない。それがこの国のシンボル、マアタルク神殿である。
イシスたち“神”はこの神殿で、ほとんどの時間を過ごす。儀式や言付けがあるときだけ、人間が生活をする“下界”へと降り立つのだ。
「父上。お願いがあって参りました」
次の日、イシスは『主』であるゲブの元を訪れた。同神殿内、ジェロスの部屋は一階で、主と呼ばれる大地の神ゲブは、最上階である四階に王室を持つ。神殿内には『瞬間移動の陣』が各所に置かれ、部屋から部屋への移動はその陣に乗ることで可能となる。
イシスの第一声を聞いたゲブは、面倒くさそうにため息をつく。
「イシス、そなたも大変よのう。ようもまあ毎度毎度ジェロスのために尽くすものだ」
「もう母上の元にいらっしゃらなくなってから、ひと月ほどになります。本日こそ、父上のお時間を母上にいただけませぬか。この通りです」
頭を下げるイシスを、ゲブは頬杖を突きながら見下ろした。少しの沈黙の後、口を開く。
「いやだ」
「何故です」
「ヌトを愛しているから」
イシスは顔を上げ、一瞬切なげな目を見せたが、すぐに元の真顔に戻った。
「母上のことはもう愛していないと言うのですか」
「そうだ」
「ではなぜ神殿に母上の部屋を? 好いていないのなら、解放して差し上げても良いのでは?」
その時、小さな地響きがイシスの足元を揺らした。
「分をわきまえよ」
ゲブの冷たい表情に、イシスは再び頭を下げる。すると揺れが治った。
「ジェロスがこの神殿に身を置かねばならぬ理由は、そなたが一番よく分かっておろう。ヌト同様、ジェロスはそなたら神を生んだ。人間を創り出す大事な神だ。その母としての責任を、ヌトとジェロスには一生取ってもらわねばならぬ。この神殿で、永遠に」
「ならばせめてっ……」
せめて愛して差し上げてほしい
イシスはその言葉を喉元で押さえ込んだ。
「せめて、なんだ」
「……なんでもございません。失礼します」
イシスは王室を出ると、その足で神殿内のオアシスに向かった。
砂漠の中心に構える神殿の中庭には、新緑の木々が池を囲み、様々な花の咲くオアシスがある。イシスはたいていの時間をそこで過ごしていた。なぜならオシリスが一番好む場所だからだ。池のほとりにいつもの大きな背中が見え、イシスはその隣に腰を下ろした。
「父上の元に行ってみましたが、今宵も母上の所には来てくれそうにありません」
「……」
「また母上は心を痛めてしまう。我にはなにもできない、不甲斐ない娘です」
「……」
なにも言わないオシリスの隣で、イシスはひたすら前を見据えていた。
「ねえオシリス。今の我の寿命が尽きたとき、もう転生はしないで欲しいと望んだら、そなたは怒るか?」
「……」
返ってこない返事に、イシスは微笑む。
「怒ろうな。そんなことをしては、そなたがひとりぼっちになってしまう」
ふと、オシリスは黙ったまま右手をゆっくり上げた。
そこには木の枝の先に作られた巣の中で、親鳥が雛鳥に餌をあげる姿があった。
「親の責任……」
ネフティスにはああ言ったが、ジェロスにはもう自分達への愛情などとっくに失われていることに、イシスは気がついていた。ジェロスはゲブに見初められたあの日から十数年、ずっと孤独に生きてきた。身を着飾り、知識を身に付け、血を吐くほどの儀式にも耐え続けた。なぜなら——
ジェロスはこの神殿で力を持つ、唯一の人間だからだ。
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