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第一章
油断
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霊魂崇拝の儀。それは死者の魂を浄化し、冥界に送る儀である。
死という必然にやってくる寿命に、人間は初め悲観的であった。なぜ死ななければならないのか。その答えを説いたのが、転生論。
人は死を通行料に冥界、そして楽園へ逝ける。楽園とは、現世で味わえぬほどの幸福を得られる場所。その場所は、順番に現世に生命を成す為の待機場だと人は教えられている。その橋渡しをするのが葬祭の神、ニフティだった。
人が死を迎えると、その心臓をニフティが飲み込む。ひと月かけて数多の心臓を飲み込み続けると、ニフティの身体はだんだんと影に飲み込まれるように、黒く変化する。
その頃になると陽の光を受け付けられない身体になる為、霊魂崇拝の儀が近づくにつれてニフティは真っ黒いローブでその身を隠すのだ。
真四角の部屋。右奥にゲブとヌト、それに続くようにアンクら兄妹神が並ぶ。左奥にジェロス、それからオシリス、イシス、セト。
カラシリスと呼ばれる、帯を締めて着る半透明のワンピースのようなものを皆が羽織り、皆が片膝をついている。
「ニフティ、それからネフティス。前に出よ」
ゲブの一言で、ローブを纏ったふたりが前に出る。ジェロスがオシリスたち四神を生んだ時から、懐胎の儀だけでなくこの霊魂崇拝の儀も、ニフティとネフティスで役割を分担していた。
ふたりが中央の壁に向き直ると、そこには壁と一体化するように扉があった。
開かれた目玉がふたつ。目玉は左目が月、右目が太陽を表し、それがまさしく冥界へと繋がる『天空の扉』なのである。
ゲブは立ち上がると、両手を掲げて顎を上げた。
「創造主ラーよ。その扉を開き給え」
すると扉が開かれ、ふたりは中へと進んでいく。白い光に包まれふたりの姿が見えなくなると、ダンっ! と扉が閉まると共に扉の目も閉じた。
それまで片膝をついて頭を垂れていたその場の全員が顔を上げる。
「何度やっても息が詰まりますな、この儀は」
ジェロスが面倒臭そうに言えば、セトが一つ咳払いをして話を変えた。
「父上。ふたりが戻るまでしばし時間がございます。本日はこの儀以外にも、何かご報告があると聞いていましたが」
「おお、そうであった。ニフティとネフティスにはそなたらから伝えてもらうとして」
ゲブは改めて皆に向き直る。
「こたびこの神殿に、新たな家族を迎えることとなった。入れ」
ジェロスは目をひん剥き、立ち上がる。だがそんなことはお構いなしに、部屋の入り口から続々と足音が響いた。
「左からニザール、ダアド、キキだ」
ニザールは一歩前に出ると跪く。
「我が名はニザール。この度神殿にお招きいただけたこと、大変光栄にございまする。本日よりジェロス様の身の回りのことを世話するようにと、ゲブ様から申し使っております。どんな雑用でもこなします故、なんなりと」
「なっ……」
ジェロスは狼狽え、唇を震わせてゲブを見ている。続けてダアドとキキが自らの紹介をするも、ジェロスの耳にその声は届かなかった。
「ニザールはジェロス、それからダアドはヌトにつける。そして、キキは我の世話係として本日よりここで暮らすことに決めた」
「主、これは一体」
前のめりになるジェロスを止めると、イシスが落ち着いた声色で代わりに訊いた。
「父上。ダアド殿とキキ殿は女性、しかしニザール殿は男性です。母上の世話を男性に任せるというのは如何なものかと」
イシスの言葉に、ゲブは頬杖をつきながら答える。
「毎夜毎夜そとに出かける手間が省けて、良いではないか。ニザールは端正な顔立ちであるし、そなたもこれで文句なかろう? なあイシスよ、もうジェロスの件で我の元に来るのは金輪際やめよ」
吐き捨てるように言えば、ゲブは次の瞬間にはもうキキの方に顔を向け談笑していた。
時が止まる。笑顔を向け合うゲブとキキの顔がスローモーションに歪み、今までジェロスの中に張り詰めていた糸が、ブチっと音を立てて切れ落ちた。
「神というものはほんに、ほんに傲慢でございますな」
死という必然にやってくる寿命に、人間は初め悲観的であった。なぜ死ななければならないのか。その答えを説いたのが、転生論。
人は死を通行料に冥界、そして楽園へ逝ける。楽園とは、現世で味わえぬほどの幸福を得られる場所。その場所は、順番に現世に生命を成す為の待機場だと人は教えられている。その橋渡しをするのが葬祭の神、ニフティだった。
人が死を迎えると、その心臓をニフティが飲み込む。ひと月かけて数多の心臓を飲み込み続けると、ニフティの身体はだんだんと影に飲み込まれるように、黒く変化する。
その頃になると陽の光を受け付けられない身体になる為、霊魂崇拝の儀が近づくにつれてニフティは真っ黒いローブでその身を隠すのだ。
真四角の部屋。右奥にゲブとヌト、それに続くようにアンクら兄妹神が並ぶ。左奥にジェロス、それからオシリス、イシス、セト。
カラシリスと呼ばれる、帯を締めて着る半透明のワンピースのようなものを皆が羽織り、皆が片膝をついている。
「ニフティ、それからネフティス。前に出よ」
ゲブの一言で、ローブを纏ったふたりが前に出る。ジェロスがオシリスたち四神を生んだ時から、懐胎の儀だけでなくこの霊魂崇拝の儀も、ニフティとネフティスで役割を分担していた。
ふたりが中央の壁に向き直ると、そこには壁と一体化するように扉があった。
開かれた目玉がふたつ。目玉は左目が月、右目が太陽を表し、それがまさしく冥界へと繋がる『天空の扉』なのである。
ゲブは立ち上がると、両手を掲げて顎を上げた。
「創造主ラーよ。その扉を開き給え」
すると扉が開かれ、ふたりは中へと進んでいく。白い光に包まれふたりの姿が見えなくなると、ダンっ! と扉が閉まると共に扉の目も閉じた。
それまで片膝をついて頭を垂れていたその場の全員が顔を上げる。
「何度やっても息が詰まりますな、この儀は」
ジェロスが面倒臭そうに言えば、セトが一つ咳払いをして話を変えた。
「父上。ふたりが戻るまでしばし時間がございます。本日はこの儀以外にも、何かご報告があると聞いていましたが」
「おお、そうであった。ニフティとネフティスにはそなたらから伝えてもらうとして」
ゲブは改めて皆に向き直る。
「こたびこの神殿に、新たな家族を迎えることとなった。入れ」
ジェロスは目をひん剥き、立ち上がる。だがそんなことはお構いなしに、部屋の入り口から続々と足音が響いた。
「左からニザール、ダアド、キキだ」
ニザールは一歩前に出ると跪く。
「我が名はニザール。この度神殿にお招きいただけたこと、大変光栄にございまする。本日よりジェロス様の身の回りのことを世話するようにと、ゲブ様から申し使っております。どんな雑用でもこなします故、なんなりと」
「なっ……」
ジェロスは狼狽え、唇を震わせてゲブを見ている。続けてダアドとキキが自らの紹介をするも、ジェロスの耳にその声は届かなかった。
「ニザールはジェロス、それからダアドはヌトにつける。そして、キキは我の世話係として本日よりここで暮らすことに決めた」
「主、これは一体」
前のめりになるジェロスを止めると、イシスが落ち着いた声色で代わりに訊いた。
「父上。ダアド殿とキキ殿は女性、しかしニザール殿は男性です。母上の世話を男性に任せるというのは如何なものかと」
イシスの言葉に、ゲブは頬杖をつきながら答える。
「毎夜毎夜そとに出かける手間が省けて、良いではないか。ニザールは端正な顔立ちであるし、そなたもこれで文句なかろう? なあイシスよ、もうジェロスの件で我の元に来るのは金輪際やめよ」
吐き捨てるように言えば、ゲブは次の瞬間にはもうキキの方に顔を向け談笑していた。
時が止まる。笑顔を向け合うゲブとキキの顔がスローモーションに歪み、今までジェロスの中に張り詰めていた糸が、ブチっと音を立てて切れ落ちた。
「神というものはほんに、ほんに傲慢でございますな」
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