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第一章

ハル

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(何度同じことをすれば気が済むのだろうか)

 マウトの暴挙を思い出し、アンクは肩を落として歩く。下界に降りてきた神の存在に、人々は怯えるようにして道を開けた。

(何故、こうなるのだ)

 とぼとぼと歩みを進め、ついに人気のない砂漠の入り口、国の端にまで来てしまった。ふと岩場を見る。影に隠れもぞもぞ動く背中が見え、アンクはつい声をかけた。

「そんなところで、何をしておるのだ」
「……少しお待ちを。もうすぐで、終わりますので」

 女性は低く冷静な声で答えると、数分して身なりを整え、振り返る。女性の腕の中の存在に、アンクは驚いた。

「申し訳ございませぬ、ちちをあげていたゆえ
「その赤子は?」
「私の子にございます」
「その子……我らが作った人間ではないな」
「その通りです。私がこの腹で育て、この世に産み落としました。罰を受ける前に、最後にひとつ、宜しいですか」

 女性の凜とした態度に、アンクは何故か圧倒される。そしてアンクの返事を聞かぬままに、女性は言葉を続けた。

「人間は、一種類でなければなりませんか」「え?」
「あなた方神が創る人間と、私たち人間が腹で育て産む子と。同じ世界に共存することは叶わないのでしょうか」

 アンクはとぼけた表情で瞬きを繰り返す。

「全ての人間が腹に子を宿せる訳ではありません。中には病で叶わぬ者、年齢で諦めた者、男性に至ってはその身体に子を宿すことは最初からできません。男女しか性別の存在しない世の中でも、必ず男女がつがいになるとは限らない。その方達が子を持ちたいと望んだ時、あなた方はまさしく信仰に値する存在……神様です。あなた方の存在価値は、始まりからずっと揺るぎないのです。それなのに何故、人間が自ら子を成す、たったそれだけのことを否定なさるのですか」

(……そうか)

 アンクは何かを閃く。言葉を交わそうと口を開くが、女性はそれを許さぬ勢いでさらに捲し立てた。

「中には勘違いした人間もいた、それは事実です。自ら子を成せるとわかった途端、神への感謝と信仰を忘れ、祈りをやめた者も。ですがそれがなんになりましょう。あなた方は神、ただそれだけで尊い。あんな、わざわざ恐怖に陥れるようなまねをしなくとも……貴方は本当は優しいお方なはず。人に『死』を与える貴方の存在は、安心をくれる。いつか終わるこの命を大切にさせてくれる。孤独を恐れぬ力をくれる。マウト様、貴方は本当は誰よりも——」
「ちょ、ちょっと待って!」

 アンクの叫びに言葉を止めると、女性の目には涙が浮かんでいた。

「我はマウトではない、アンクだ」
「嘘、だって顔が」
「顔が?」
「一緒」
「我と、マウトが?」
「あ。いやでも、今は違う……あれ?」

 女性が混乱するように首を傾げると、腕の中の赤子が泣き出した。

「驚かせてすまない。そなたの話はもっともだ、なにもどちらかひとつにする必要はない。子を宿せる者はそうすれば良し、我らを必要とするものには今まで通り加護を与えれば良し。何故そんな単純なことに気が付かなかったのだ」

 女性は泣く子をあやしながら、アンクの言葉に耳を傾けた。

「そなた、名をなんという」
「ハルにございます」
「そなたのおかげで道が見えた。我はな、ハル。神と人との間に、境界などいらぬと考えている。共にこの世を生きる者同士、仲良く出来た方が楽しいとは思わぬか?」
「それはまた、神にしては変わったお考えです」
「そうか? それを言うなら、ハルこそ変わっておる。我をマウトだと思っておきながら、あの啖呵の切りよう……正直、相手が我でなく本当にマウトであったなら、そなたと赤子は一瞬にして消されていよう」

 ハルは緊張が解けたようにふっと笑った。その笑顔に、アンクは惹きつけられるように自らも笑顔になる。

「確かに。声をかけられ、貴方様が神であることはすぐに理解しました。同時に命の終わりが近いことも。でも赤子に乳をあげながら、これが最後の授乳だと思うと、なんだか腹が立ってきたのです。どうせ死ぬ運命なら、言いたいことを全て言ってやろうって」
「ハルは強いな」
「母になり、強くなりました」

 アンクは、ハルの腕の中で眠る赤子に視線を落とす。

「なあ、ハルよ。我に抱かせてもらうことは叶わぬか? その……腕の中のお子を」
「もちろんにございます」

 ハルはそっと、眠る子をアンクの腕に託した。
 
 息をするたび、規則的に膨らむ胸。早すぎる心臓の鼓動。温かく甘い香り。
 
「人間がこんなにも小さく儚いものだと知った時は、感動した。赤子を授ける儀の際は妹が受け渡しをしていた故、我は久しくこのようにしっかり抱いたことがなかったように思う。そうだ、そなた先程『乳をやる』と言うたな。牛の乳か? それともヤギか?」
「わたくしの乳です。血液が身体を巡り巡って、子を育てる栄養になりまする」
「人間から?! それはそれは……あ、では腹にいる時はどんな感じだ。やはり重いか? むず痒いか? いざ産むときは一体どのようにして——」

 アンクが夢中で動かす唇に、ハルは人差し指をそっと寄せた。

「アンク様。そういった話は百人いれば百通り、皆が同じではないのでございます。それに、そのようなことを女性に訊くのは……大変野暮にございます」
「や、ぼ……」

 アンクは意味がよくわからぬまま、それでもそれ以上、ハルに質問する事をやめた。

「ハル。我……いや、私はもっとそなたと話がしたい。明日もまた、ここにおるか?」
「申し訳ございませぬ。この子は今の世で生きていてはいけない子、貴方様とお話しする様子がマウト様にバレては、大変なことに」
「そうか。ならば、これをやろう!」

 アンクは、握った右手をハルに差し出す。ハルが手のひらを広げると、まるで手品のようにピアスが一組現れた。ひとつは羽のモチーフ、もう一つは十字の上に楕円がくっついたようなモチーフだ。

「私たち神の呪力が届かぬまじないを、今かけた。これでマウトに感知されることは、きっとない」

 ハルはピアスをつけると、アンクから赤子を引き取る。

「いつか。アンク様の望む、神と人間が共存する世界が実現したとき……その時は存分に、お話ししとうございます」
「そんなに遠い未来にするつもりはない。待っていてくれ」

 アンクは笑顔で、その場から姿を消した——






 アンクの昔話に、シエルは切なげな表情を浮かべていた。

「その時は結局、転生の時期が来るまでマウトと人間が交流することは叶わなかった。というより、私が説得に失敗してしまってな。散々な結果になってしまった」
「アンク様はその後、ハル殿とはお会いできたのでしょうか?」
 アンクは首を振る。「会うことは、なかったよ」

 その表情は穏やかに見えて、煮えたぎるほどの後悔の念が、シエルには透けて見えた。

「すまぬ、昔話が過ぎたな。過去より重要なのは今。マウトが何をしようとしているのか、すぐに探らねば。シエル、ほんに助かった。あとは任せよ」


◇◇◇


(何故今になって、ロトゥスの花を思い出したのだ)

 アンクは考えを巡らせていた。初めてロトゥスの花を手に入れてから、今のマウトは四人目。約五〇〇年で転生するマウトは現在、四二〇年余りを生きている。正直、今回初めてロトゥスの花に触れずに寿命を迎えられるのでは——そう希望を持っていたところまで来ての、この事態だった。

(セトが原因か? セトはどうやって、花の存在を知ったのだろうか)

 その時、部屋の扉が叩かれる。ニフティだった。

「アンク様! マウト様が!!」
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