75 / 80
2003年
悲しみの隣には……なんだって?
しおりを挟む
この手記を残した翔太の先祖の名は、アキ。母ダアド、祖母ジェロスを恋しく思う、幼い文字から手記は始まる。
アキは父ニザールと共にクモシマに降り立った。島にはアキとニザールの他に、故郷からの移民はなく、肩身の狭い生活が続く。
そんなアキの希望は、故郷の神イシスだ。イシスは沈み始めた故郷から、アキとニザールをヒノモトへと飛ばし、救った。アキを気にかけ、この島では“主”と呼ばれるマウトへの呼びかけも相まり、徐々にクモシマの先住民である神子ジンノの家系とも、交流が深まり始める。
住民の少ないクモシマは、ヒノモト本島からの移住者を受け入れることで、規模を拡大。島の鉱山から取れる資材や宝石で、ガラス作りや商売を始め、みるみるうちに文化が栄えていく。
アキは神子ジンノの家の男性と婚姻関係を結び、子を四人成す。だが末の息子を産んだ辺りから体調を崩したようで、手記は途切れた。
それから、その手記に文字が足されるまでには随分間が開く。
書き足された文字はどこか心許無く、文脈も危うい。それはおそらく、もう既にこの象形文字を使う必要のない時代まで来ているのに、あえてそれを使って残しているようだった。
彼女の名はアキコ。
アキコは自宅の蔵から手記を見つけた。自らの先祖とジンノの家系に深い関わりがあることを知り、そこに文字を足すことを決めたのだ。
叶わぬ悲恋と、恨みの文字を。
アキコの恋人は、アキコと関係を持ちながら他の女性と結婚した。アキコはその事実を受け入れられぬまま、島の診療所にて看護師として働いた。だが、ある日その診療所の棚から劇薬を盗み出したことで、彼女の人生は破滅へと転がる。
男の妻に、毒を盛ったのだ。
妻はみるみるうちに衰弱。三十二歳の若さでこの世を去った。死因は元々の持病と診断され、幸か不幸かアキコの犯行だとバレることはなかった。
アキコはもう止まらない。思考も混濁し、ついには思い込みでまた新たな毒殺を試みる。
手記はアキコの後悔や焦り、憤りが切羽詰まった臨場感のある殴り書きで続く。そして
“マサミをお願い。きっと私は殺される”その一文で手記は終わった。
「なあ。あんた、本当にそれ読めんのかよ」
「まあ、一応」
冬子は動揺を隠すように唇をひと舐めすると、微笑した。
「君の母親って、マサミさん?」
「うーわ。本当に読めてるよ」
翔太は足を放り出し、自分の後ろの床に手をついた。少し考えた後、ポケットから紙を一枚取り出す。
「それ実さんの手紙?」
「いや、親父の手紙なんて本当はないよ。あれは寺泉組の連中を揺さぶるためについた嘘。大体、本当は自殺じゃなかったんだから遺書も何もない。三百万は、常日頃からなんかあった時のために蓄えてた箪笥預金さ」
翔太は紙をテーブルに放った。
「その字が読めるんなら、これもやるよ。ノートに挟まってたんだと」
冬子は思わず、手で口を覆う。
そこに書かれていたのは文字ではなく陣。
瞬間移動の陣だった。
「俺、これからどうなるのかな」
翔太はそう言うと、床に寝転ぶ。冬子は瞬間移動の陣に引っ張られていた意識を、慌てて翔太へと戻した。
「親父は死んだ。母さんも居ない。学校にも行っていないし、金を稼ぐ方法は詐欺しか知らない」
乾いた笑いを浮かべる翔太に、冬子は何も言葉が出ない。そんな冬子を見て、翔太は諦めたように呟く。
「なにが『悲しみの隣にはいつも愛がある』だよ……笑える」
「その言葉は?」
「親父がよく言ってた。このネックレスをくれた人からの、受け売りだって」
翔太が襟元から出したネックレスは、十字の上部に楕円が乗ったような形をしている。
「元はピアスだったらしいんだけどさ。親父が肌身離さずつけとけって」
冬子は目を潤ませて、ネックレスを凝視した。
「ハル……」
遠い昔に見覚えのある、小さな思い出。
冬子はもう、限界だった。
「ごめんなさい。私これから行かなければならないところがあるの。もし今夜泊まる場所がないなら、この部屋を使って貰って構わないわ」
冬子はそそくさと身支度を整えると、陣の書かれた紙を掴んで、玄関に向かう。
「どこに行くんだよ」
「さあ。どこにたどり着くのかしらね」
冬子が玄関の扉の向こうに消えた。シンと静まる部屋で、テーブルに並ぶ骨壷が二つ。翔太を見上げて
“ごめんね”
“ごめんね”
そう謝る。翔太は瞬刻、玄関へと駆け出した。
「待てよ!」
扉を開けると同時、外に向かって叫ぶ。
だがそこにはもう、冬子の姿はなかった。
アキは父ニザールと共にクモシマに降り立った。島にはアキとニザールの他に、故郷からの移民はなく、肩身の狭い生活が続く。
そんなアキの希望は、故郷の神イシスだ。イシスは沈み始めた故郷から、アキとニザールをヒノモトへと飛ばし、救った。アキを気にかけ、この島では“主”と呼ばれるマウトへの呼びかけも相まり、徐々にクモシマの先住民である神子ジンノの家系とも、交流が深まり始める。
住民の少ないクモシマは、ヒノモト本島からの移住者を受け入れることで、規模を拡大。島の鉱山から取れる資材や宝石で、ガラス作りや商売を始め、みるみるうちに文化が栄えていく。
アキは神子ジンノの家の男性と婚姻関係を結び、子を四人成す。だが末の息子を産んだ辺りから体調を崩したようで、手記は途切れた。
それから、その手記に文字が足されるまでには随分間が開く。
書き足された文字はどこか心許無く、文脈も危うい。それはおそらく、もう既にこの象形文字を使う必要のない時代まで来ているのに、あえてそれを使って残しているようだった。
彼女の名はアキコ。
アキコは自宅の蔵から手記を見つけた。自らの先祖とジンノの家系に深い関わりがあることを知り、そこに文字を足すことを決めたのだ。
叶わぬ悲恋と、恨みの文字を。
アキコの恋人は、アキコと関係を持ちながら他の女性と結婚した。アキコはその事実を受け入れられぬまま、島の診療所にて看護師として働いた。だが、ある日その診療所の棚から劇薬を盗み出したことで、彼女の人生は破滅へと転がる。
男の妻に、毒を盛ったのだ。
妻はみるみるうちに衰弱。三十二歳の若さでこの世を去った。死因は元々の持病と診断され、幸か不幸かアキコの犯行だとバレることはなかった。
アキコはもう止まらない。思考も混濁し、ついには思い込みでまた新たな毒殺を試みる。
手記はアキコの後悔や焦り、憤りが切羽詰まった臨場感のある殴り書きで続く。そして
“マサミをお願い。きっと私は殺される”その一文で手記は終わった。
「なあ。あんた、本当にそれ読めんのかよ」
「まあ、一応」
冬子は動揺を隠すように唇をひと舐めすると、微笑した。
「君の母親って、マサミさん?」
「うーわ。本当に読めてるよ」
翔太は足を放り出し、自分の後ろの床に手をついた。少し考えた後、ポケットから紙を一枚取り出す。
「それ実さんの手紙?」
「いや、親父の手紙なんて本当はないよ。あれは寺泉組の連中を揺さぶるためについた嘘。大体、本当は自殺じゃなかったんだから遺書も何もない。三百万は、常日頃からなんかあった時のために蓄えてた箪笥預金さ」
翔太は紙をテーブルに放った。
「その字が読めるんなら、これもやるよ。ノートに挟まってたんだと」
冬子は思わず、手で口を覆う。
そこに書かれていたのは文字ではなく陣。
瞬間移動の陣だった。
「俺、これからどうなるのかな」
翔太はそう言うと、床に寝転ぶ。冬子は瞬間移動の陣に引っ張られていた意識を、慌てて翔太へと戻した。
「親父は死んだ。母さんも居ない。学校にも行っていないし、金を稼ぐ方法は詐欺しか知らない」
乾いた笑いを浮かべる翔太に、冬子は何も言葉が出ない。そんな冬子を見て、翔太は諦めたように呟く。
「なにが『悲しみの隣にはいつも愛がある』だよ……笑える」
「その言葉は?」
「親父がよく言ってた。このネックレスをくれた人からの、受け売りだって」
翔太が襟元から出したネックレスは、十字の上部に楕円が乗ったような形をしている。
「元はピアスだったらしいんだけどさ。親父が肌身離さずつけとけって」
冬子は目を潤ませて、ネックレスを凝視した。
「ハル……」
遠い昔に見覚えのある、小さな思い出。
冬子はもう、限界だった。
「ごめんなさい。私これから行かなければならないところがあるの。もし今夜泊まる場所がないなら、この部屋を使って貰って構わないわ」
冬子はそそくさと身支度を整えると、陣の書かれた紙を掴んで、玄関に向かう。
「どこに行くんだよ」
「さあ。どこにたどり着くのかしらね」
冬子が玄関の扉の向こうに消えた。シンと静まる部屋で、テーブルに並ぶ骨壷が二つ。翔太を見上げて
“ごめんね”
“ごめんね”
そう謝る。翔太は瞬刻、玄関へと駆け出した。
「待てよ!」
扉を開けると同時、外に向かって叫ぶ。
だがそこにはもう、冬子の姿はなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる