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2003年

悲しみの隣には……なんだって?

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 この手記を残した翔太の先祖の名は、アキ。母ダアド、祖母ジェロスを恋しく思う、幼い文字から手記は始まる。

 アキは父ニザールと共にクモシマに降り立った。島にはアキとニザールの他に、故郷からの移民はなく、肩身の狭い生活が続く。

 そんなアキの希望は、故郷の神イシスだ。イシスは沈み始めた故郷から、アキとニザールをヒノモトへと飛ばし、救った。アキを気にかけ、この島では“主”と呼ばれるマウトへの呼びかけも相まり、徐々にクモシマの先住民である神子ジンノの家系とも、交流が深まり始める。

 住民の少ないクモシマは、ヒノモト本島からの移住者を受け入れることで、規模を拡大。島の鉱山から取れる資材や宝石で、ガラス作りや商売を始め、みるみるうちに文化が栄えていく。

 アキは神子ジンノの家の男性と婚姻関係を結び、子を四人成す。だが末の息子を産んだ辺りから体調を崩したようで、手記は途切れた。
 
 それから、その手記に文字が足されるまでには随分間が開く。

 書き足された文字はどこか心許無く、文脈も危うい。それはおそらく、もう既にこの象形文字を使う必要のない時代まで来ているのに、あえてそれを使って残しているようだった。
 
 彼女の名はアキコ。
 アキコは自宅の蔵から手記を見つけた。自らの先祖とジンノの家系に深い関わりがあることを知り、そこに文字を足すことを決めたのだ。

 叶わぬ悲恋と、恨みの文字を。

 アキコの恋人は、アキコと関係を持ちながら他の女性と結婚した。アキコはその事実を受け入れられぬまま、島の診療所にて看護師として働いた。だが、ある日その診療所の棚から劇薬を盗み出したことで、彼女の人生は破滅へと転がる。
 
 男の妻に、毒を盛ったのだ。

 妻はみるみるうちに衰弱。三十二歳の若さでこの世を去った。死因は元々の持病と診断され、幸か不幸かアキコの犯行だとバレることはなかった。

 アキコはもう止まらない。思考も混濁し、ついには思い込みでまた新たな毒殺を試みる。

 手記はアキコの後悔や焦り、憤りが切羽詰まった臨場感のある殴り書きで続く。そして

 “マサミをお願い。きっと私は殺される”その一文で手記は終わった。

「なあ。あんた、本当にそれ読めんのかよ」
「まあ、一応」

 冬子は動揺を隠すように唇をひと舐めすると、微笑した。

「君の母親って、マサミさん?」
「うーわ。本当に読めてるよ」

 翔太は足を放り出し、自分の後ろの床に手をついた。少し考えた後、ポケットから紙を一枚取り出す。

「それ実さんの手紙?」
「いや、親父の手紙なんて本当はないよ。あれは寺泉組の連中を揺さぶるためについた嘘。大体、本当は自殺じゃなかったんだから遺書も何もない。三百万は、常日頃からなんかあった時のために蓄えてた箪笥たんす預金さ」

 翔太は紙をテーブルに放った。

「その字が読めるんなら、これもやるよ。ノートに挟まってたんだと」

 冬子は思わず、手で口を覆う。
 そこに書かれていたのは文字ではなく陣。


 瞬間移動の陣だった。
 

「俺、これからどうなるのかな」

 翔太はそう言うと、床に寝転ぶ。冬子は瞬間移動の陣に引っ張られていた意識を、慌てて翔太へと戻した。

「親父は死んだ。母さんも居ない。学校にも行っていないし、金を稼ぐ方法は詐欺しか知らない」

 乾いた笑いを浮かべる翔太に、冬子は何も言葉が出ない。そんな冬子を見て、翔太は諦めたように呟く。

「なにが『悲しみの隣にはいつも愛がある』だよ……笑える」
「その言葉は?」
「親父がよく言ってた。このネックレスをくれた人からの、受け売りだって」

 翔太が襟元から出したネックレスは、十字の上部に楕円が乗ったような形をしている。

「元はピアスだったらしいんだけどさ。親父が肌身離さずつけとけって」

 冬子は目を潤ませて、ネックレスを凝視した。

「ハル……」

 遠い昔に見覚えのある、小さな思い出。
 冬子はもう、限界だった。

「ごめんなさい。私これから行かなければならないところがあるの。もし今夜泊まる場所がないなら、この部屋を使って貰って構わないわ」

 冬子はそそくさと身支度を整えると、陣の書かれた紙を掴んで、玄関に向かう。

「どこに行くんだよ」
「さあ。どこにたどり着くのかしらね」

 冬子が玄関の扉の向こうに消えた。シンと静まる部屋で、テーブルに並ぶ骨壷が二つ。翔太を見上げて


 “ごめんね”
 “ごめんね”


 そう謝る。翔太は瞬刻、玄関へと駆け出した。

「待てよ!」

 扉を開けると同時、外に向かって叫ぶ。
 だがそこにはもう、冬子の姿はなかった。
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